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沙悟浄の娘  作者: 紫草 友紀子
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 さて、それから私は乙姫様と計画を練らねばなりませんでした。

 今回のこの外出は、有り体に言ってしまえば、乙姫様ご自身による婿探しでございます。嫁探しならばまだしも、古今東西、そんな話は聞いたことはありません。

 一体、どうすればよいのやら。

 竜王様に言った、幻滅して帰ることももちろんある意味理想的な結果ではありましたが、もし、万が一、地上で乙姫様が心奪われるような、そんな立派な御方と巡り会えたならば、それはそれで良いのではないかとも思っていました。

 

 けれど、竜王様は条件をお出しでした。

 一つ、行動の範囲は海辺に限る。

 二つ、自分の身分を明かしてはならない。

 三つ、期限は三日間とする。

 

 つまり、海辺か海上で、ただ(びと)としてしか婿探しをしてはにならないということでした。しかも期限は三日間。

 私はこれはさすがに無理だろうと、どこか安堵するような、落胆するような気持ち半分でした。

 乙姫様は頬杖をつき、霊亀宮の庭の輝く真珠を眺めて思案していました。

「ねえ、あなたは、変化の術が使えたかしら?」


 


 それは暑い暑い夏の日でございました。

 耳慣れた潮騒の音だけでは無く、松の木にとまった蝉という虫があちこちで鳴いており、暑さに拍車をかけるように感じたものです。

 私たちは漁村の砂浜にいました。男たちが粗末な船を出し、女たちは浅瀬で魚を捕ったり、干物を作ったり、あくせくと働いており、おそらくごく平凡な村だったかと思います。

 そこに、私たちは本来とは別の姿でおりました。


「乙姫様、本当に良いのでしょうか。お芝居とは言え、乙姫様を傷つけるなどとなんと畏れ多い」


「話しかけてはだめよ。今の私はただの亀なのですから。それに叩くと言っても、それはただの若布だから、別に痛くもなんともないのよ。ほら、やってちょうだい」


 みすぼらしい童の姿に化けた私は、丸めた若布で、亀へと変化した乙姫様の甲羅をペチリと打ちました。恐らく、決して痛いと感じていたわけではないでしょうが、乙姫様の演技もたいしたもので、絶妙な間合いで、亀の熱い涙を流すのでした。その様は、まるで本当に亀がいじめを受けているような哀れさでした。


 私たちはこの芝居を、村人たちが見える砂浜で行いました。思惑では、人々が寄ってくることを期待しておりました。


 けれど、なんということでしょうか。誰一人、見向きもしません。

 人々はただ汗水を垂らし、乾いた表情で日々の作業をこなしており、誰も童に虐げられる、涙を流す亀を気にかけるものはいませんでした。

 私と乙姫様は、やはり自分たちは世間知らずであった、世の中とは、地上とは、これほどまでに情けの無いところなのだと打ちのめされたのでございます。

 これを三日、別の村で繰り返しました。けれども結果は同じ。

 さすがに私も乙姫様も心が弱っていました。

 その方に出会ったのは、地平線の大きな夕日が眩しい、三日目の夕方でした。

「これこれ」


 黒髪と濃い眉毛が特徴で、後はこれと言って目立つところのない男でした。背が高いわけでも低いわけでも無く、肌が黒いわけでも白いわけでも無く。着ているものと言えば粗末なもので、手には古びた竿を持っていたので、この村の漁師である事は間違いありません。


 そんな凡庸な男が、ごく当たり前に言うのです。

「これこれ。亀をいじめてはいけないよ」


「どうして亀をいじめては駄目なのですか?」


「亀だから駄目というのではないよ。生き物を虐げることはいけないことなのだ」


 私と乙姫様は、視線を合わせて驚きました。

 こんな貧しい漁村の、平凡な男が、まるで仏のように諭すのです。

 改めて考えますと、私たちがいたのは本当に貧しい漁村でした。人々は決して悪人と言うわけでは無かったのでしょうが、日々の生活に精一杯で、自分や身内以外のものに、心を注げる余裕が無かったのです。そういう時、人は冷酷になり、醜くなり、争うものです。それが下界というところなのでございましょう。

 当然、それはこの男も同じはずですし、身の上からして学も教養もあったはずはありません。けれどもその男はごく当然に、声をかけ、弱い生命を尊ぶこと説いたのです。


「あなたのお名前は?」


「俺は浦島だよ」


 私はこの方はよほど徳の高い人物だと思いました。下界で、誰からも学ぶこと無く、自然と仁慈の心を持ち、実践できている者はそうはおりません。ここだけの話、竜王様でさえ、まだお若く仏法に帰依する前は、それなりのやんちゃだったということです。

 さて、後は、乙姫様がどう思うかでございます。

 

 すると亀の乙姫様は、前脚で私の膝をつついてきました。どうやら、お気に召した様子です。

 私はきらきらと水面を照らしながら沈む夕日を背にして、本来の声色に戻して言いました。

 

 「浦島様。実は私は海の底に住む者で、わけあってこのようなことをしていましたが、あなたのお言葉に、深く感動致しました。どうか私の住むところへとご招待し、あなた様を持てなしたいのです」


 「これこれ、童よ。大人をからかうものでは無いぞ」


 「からかってなどおりません」

 乙姫様は亀のままでしたが、私は本来の姿を浦島様の前に現しました。

 すでに空には星が瞬き始めていました。


「どうか、私たちと一緒においで下さいませ」


「こりゃ、たまげた。しかし、いったい俺をどこへ招くというのだ」

 私と亀の乙姫様は一瞬、見つめ合い、視線を浦島様に戻しました。


「それはもちろん、海の底の竜宮城でございます」


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