8.花嫁の思惑
「ソニア。行ってくる。何か不自由なことがあればなんでも言ってくれ」
朝の支度を終え、シャルルはいつものようにソニアに声をかける。シャルルはフェンリルライダーの制服である軽鎧を身につけていたが、ソニアは彼女の金の髪によく似合う薄水色のドレスを身に纏っていた。薄く施された化粧だが、初夜の時にシャルルの目に焼き付いたあのひどい隈はだいぶ薄くなっているようでよく見なければほとんど気にならない。毎日よく眠れているようでよかった。
シャルルが妻にこう声をかけるのはいつものことだった。そして妻からの答えは引き出せないまま「行ってらっしゃいませ!」と見送られるのが常だったのだが。
「シャルル様。あの、よろしければ……お城の図書室に行きたいのですが」
「ああ、構わないよ。リリアンに案内してもらって行っておいで」
「ありがとうございます!」
今日は違うようだった。
ぱああと顔を輝かせるソニアにシャルルは自然と嬉しさを覚える。
彼女がこうして自ら希望を口に出すことは、初めてではないだろうか。
「いつも一人にしていてすまない。今度休みの日に一緒にでかけよう」
「そっ、そんな、そんなことをしてもらっては申し訳ありません……!」
両手を前に出してソニアは慌てて遠慮する。嬉しいあまり少し調子に乗ってしまったな、とシャルルは苦笑を浮かべた。ソニアはとても控えめな人だ。――それが彼女の素である、というよりかはおそらく、現在の自分の立場を鑑みてひたすら遠慮をしているのだろうが。
(もっと、要望を言ってくれるようになったらいいんだが……)
さて、妻は図書室でどんな本を読みたいのだろうか。そんなことを考えながらシャルルはフェンリル厩舎に向かうのだった。
◆
仕事を終えたシャルルは部屋で待つ妻に会う前に彼女つきの侍女を別室に呼び出していた。
「リリアン。彼女の様子はどうだった?」
「は、そうですね……」
リリアンは細い指を口元にあてながら、一日を振り返った。
「……どうも、奥方様は、我が国の葬儀に関連するご本を読み漁っておいででした」
「葬儀? なんでまた……」
「そのあとは王族の習わしに関する本を熱心に探しておいででしたが……」
「……それはわからんでもないが」
ティエラリア王家に嫁いだのだ、この国の王家のことを知りたいと彼女が思ってくれたのならそれは嬉しい。だが、葬儀。葬儀とは、なぜ。国に間も無く命の灯火が絶えそうな縁者でも残してきたのか? ――いや。
もしや、と思う。いや、彼女ならばきっとそうだと考えを改めた。
「……ソニア」
「はい!」
その後、夜。寝室で二人の時間を過ごすその時にシャルルは言った。
「言っておくが、我が国に……死刑囚に数日間に及ぶ馳走を出すという風習はない」
「!」
「重ねて言うと、死を迎える王族を死の時まで馳走を用意し続けるという風習もない」
「な、なんと!」
なんと、じゃない。まだ自分は処刑されて死ぬものだと思い込んでいたのか。
この妻はなかなかに頑固者らしい。
「俺も、我が国も君を罪人として処す意思はない。仮に君が聖女じゃなくても、だ」
「そ、そんな……。……そんな」
シャルルにとっては何をそんなに、というほどソニアは驚いているようだった。
顔面蒼白になっておろおろと頬に手をやっている。
「我々が毎日君に温かい食事を用意するのはそんな理由じゃない。君が俺たちの家族だからだよ」
「か、かぞく……」
「そうだよ。だから、安心して食事を楽しんでほしい。……心穏やかに毎日を、過ごしてほしい」
シャルルは胸の内だけでもう一度「安心して」と繰り返す。ソニアは一眼見ただけでわかるほど困惑のさなかにいるようだった。
「ソニア。俺たちは君の死を望んでいない。君が思うような罪は君にはない。俺は君がどんな人物であろうと、君をアルノーツから来た尊い花嫁だと思っている」
「そのようなお言葉……私には……」
「……ソニア。君はきっと心がとてもきれいで、優しい人なんだろう」
シャルルは瞠目しているソニアの手をとる。その手の冷たさにシャルルは目を狭めた。
「君の父たちが言っていたように、己には聖女の力がないのだということを黙り続けていることもできただろう。だが、君はすぐにそのことを我々に教えてくれた。君自身が俺たちを謀ろうとしていたとは、俺たちには考えられない」
「わ、私は……その、じ、自分が、一人では抱えきれなかっただけで、そんな、シャルル様にそう評していただけるような立派な動機では……!」
「それでも、だ。罪の告白には勇気がいったろう。誰ひとりとして味方のいない、かつての敵国で。身を守るものも何も持たず、自分より遥かに体格のいい異性と二人きりでいるその最中に、それを言うのは恐ろしかっただろう。俺がその場で逆上して君を害する可能性だってあったんだ」
「……そ、そんな、わたしは……」
ソニアは謙遜してか、みるみる身を縮こませてしまう。
「……そうか……。その可能性も、あったのですね……」
「ん?」
ぽつりとつぶやかれた言葉にシャルルは首を傾げる。ソニアはふるふると頭を振った。
「わたし……私の身には余りある厚遇と、罪の意識に耐えきれなくて……それで……勢い任せに言ってしまっただけで……本当に、その、何も立派な考えはなかったのです……」
「……そうか」
シャルルは自然と目を細めていた。顔を俯かせて、ぽつぽつと言葉を紡いでいく彼女にたいして。
恥ずかしそうに、耳まで赤く染めている彼女をふと愛らしいと思う。
彼女は芯から純粋な性質なのだろう。嘘をつけない彼女をシャルルは好ましいと感じた。
「な、なので、その、私が考えなしというだけなので! そ、そのようにシャルル様に言葉を尽くしていただけるような人物ではなく……! どうか私のことはただの罪深い女と思っていただければ」
「だからどうしてなんで君は全てそこに終結させていくんだ」
彼女が背負う罪の意識をどうしたら楽にしてやれるのだろうか、シャルルは頭を悩ませた。