28.おひとよし
「……くそっ」
住居の扉を開け放してすぐ、目の前の居間にはノヴァとリリアンが拘束された状態でいた。
「――ノヴァくん! リリアン!」
「ソニア様!」
拘束されているノヴァとリリアンの他に、見知らぬ男が二人。間違えようもない、さきほどソニアを襲おうとした男たちと同じ悪漢だ。
「おっと、おいおい、この様子だとあいつらはやられたのかよ」
一人が拘束したリリアンとノヴァのそばに控えながら、もう一人がソニアに向かって一歩近づく。
「念のためにコイツら捕まえといてよかったぜ。まあ、見りゃわかるよなあ? この二人の命が惜しいなら、大人しく俺たちについてきてもらおうか、『聖女』サマ?」
「……ソニアさん、コイツらの言うことを聞いちゃダメですよ!」
「おいガキ! 黙ってろ!」
「ノヴァくん!」
そばについていた男がノヴァの頭を掴む。
この様子を見るに、彼らはノヴァを『ティエラリア王国王太子』とは認識していなそうだ。それが幸いなのか、どうかはわからないが。
男はノヴァのさらさらの銀髪を掴みながら、ソニアにいやらしい笑みを見せる。
「お前が大人しく俺たちに攫われてくれるっていうのなら、コイツらは解放してやる。三秒やる。それ以上経てば、この二人はもう殺す」
「……」
ソニアは息を呑む。男はすでにカウントダウンを始めていた。
「わかりました。でも、先に二人のことを解放していただけますか?」
「ソニアさん!」
さきほど男に暴行を加えられたというのに、ノヴァはまた大きな声でソニアを制止しようとした。その横でリリアンは普段ポーカーフェイスな表情を歪ませていた。
「いいや、そのガキがなんかしそうだからなあ。先にってのはできねえな」
「……ッ」
ノヴァは悔しげに唇を噛んだようだった。
「そこのフェンリルにも何にもするな、ってちゃんと命令しとけよ――いや、どうせならフェンリルも連れて帰れたら……ティエラリアの連中にはフェンリルは従順って言うよな? よし、アンタとフェンリルと一緒にこっちにくるなら、このガキ二人は縛ったままここに転がして、それ以上危害は加えないって約束してやるよ」
「そ、それは」
交換条件になっていない、とソニアは言いたかったが、男は小馬鹿にした笑みを浮かべてきた。
「対等にやりとりしてるわけじゃねえんだ、なあ、それくらいわかるよなあ?」
「……わかりました」
この場では、こう言うしかないだろう。ソニアはシリウスと共にゆっくりと男の元へ歩いて行った。
すぐそばにまで到着すると、代わりに拘束されたまま二人は床に投げ捨てられ、二人の傍らに控えていた男もソニアたちのそばにやってきた。
「おお、近くで見るとなおさらでけぇな。これを戦力にできたら……」
男はなんだか嬉しそうにニヤニヤと笑う。
「雄か。雌も連れて行きてぇな。繁殖して増やせたらすごいぞ」
「おお、別部隊の奴らに一言言っておくか」
その時、ピクリとシリウスの顔が険しくなった。
男二人は途端にびくっと怯む。
(二人は離れた位置にいる、今なら……)
ソニアは肩を掴む男の腹を肘打ちした。
「てめっ」
男は憤るが、それよりもフェンリルであるシリウスのほうが圧倒的に早かった。まず、ソニアを掴む男をひと噛みして、すぐにもう一人の男にも噛みついた。
「ぎゃ……ぎゃああ!」
男の咆哮と噛み傷にソニアの方がゾッとする。さっきソニアを追いかけてフェンリル厩舎までやってきた男たちのことも噛みつきはしなかったのに。
恐らく、フェンリルを繁殖させようとしていたことにシリウスは憤ったのだろう。特にシリウスは愛妻家である。
ティエラリアではフェンリルを家畜化している――ということまでは男たちは知っていても、彼らの番への愛情深さや人に匹敵する知性や感性までは思い至らなかったのだろう。
「……ソニアさん、僕たちの縄を解いて」
「あっ、あ、は、はい!」
「フェンリルの戦うところ、見たことないの?」
「ま、魔物相手なら……ですけど、人間相手は……」
「同情する価値もない相手だと思うけど、お人好しですね」
ソニアはなんとも言えず、ノヴァとリリアンの縄を解くのに専念した。リリアンからナイフの置き場所を聞いて持ってきて、不器用な手つきでソニアは縄をなんとか切る。
「……この男たちはこのまま放っておきましょう。ろくでもない奴らです」
「でも……」
「あなた目当てにやってきて、僕たちを拘束して、場合によっては殺そうとしていたような人たちですよ?」
「……あ、ノ、ノヴァくん。縄の上手な縛り方ってできますか?」
「はあ!?」
裏返った声でノヴァが叫ぶ。
「だ、だめですか。リリアンは?」
「まさかソニア様。この男たちを縛っておくんですか?」
「はい。身動きがとれないようにしておけば、その、軽く治療くらいならしても大丈夫かな……って」
「待ってください、あなたの治療ってあのやたらすごい軟膏でしょ!? 傷、治っちゃうじゃないですか!」
「は、はい! だから、縛っておくんです!」
「……このまま放っておいたら、彼らが死ぬかもしれないから?」
ノヴァの鋭い視線を受けながら、ソニアは頷く。
「その……良くない人たちとは思いますが、積極的に命を奪うのは……」
「シリウスにも失礼なこと言ったでしょ。いいの? シリウスは、はらわた煮えくり返らない?」
ノヴァはシリウスに問いかける。シリウスは低く唸ったが、少ししてから遠吠えのような高い声をあげた。
「ご、ごめんなさい。シリウスが怒ったのもわかるんですけど、でも……」
「……わかったよ、シリウスも噛んで気は済んだみたいだし、ここで押し問答している時間ももったいないから、さっさとそいつら助けてやれば?」
「あっ、ノヴァくん」
「僕、器用だからやってあげる」
ノヴァは先ほどまで己を縛っていた縄を拾い上げると、血を流しながら転がる男二人に向かっていった。すでに彼らは多量の出血で意識が朦朧としているようだった。
「……ほら、やるなら急ぎなよ」
「はっ、はい!」
ノヴァはテキパキと、彼らの手足だけをそれぞれ縛った。ソニアは慌てて駆け寄り、シリウスの噛んだところに軟膏を塗っていく。深い噛み傷だが、塗って少しすると傷口は塞がっていき、ソニアはホッとする。
「……この傷でも塞がるんだ」
ノヴァはなんだか「はあ」とため息をついていた。
「ノ、ノヴァくん、ありがとう……」
「いいですよ、別に、あんまりにもお人好しすぎて呆れたけど。……まあ、あなたがこのままこの人たちを捨て置くのも、あなたらしくないと思うし、いいですよ」
「ノ、ノヴァくん」
「やめてくださいよ、暑苦しい」
「は、はい、すみません」
ふん、とノヴァは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
「……念のため、僕はここに残ってこの男たちを見張ります」
「危険じゃないですか……!?」
「さっきは不覚をとりましたが、僕もティエラリア王家の子です。敵がいるとわかっていてみすみすやられたりはしません」
ソニアは判断に迷う。シャルルから、ティエラリア王家は元々一族の中で一番強い家系から生まれ、王族に生まれれば狩猟の一通りを儀式的な意味も含めて習うとは聞いている。だが、ノヴァはまだ十歳の少年だ。
さきほどの悪漢は把握していなかったようだが、王太子という身分の人間でもある。
「ソニア様。大丈夫ですよ、さきほどは私たち二人が真っ先に奇襲を受けて人質になってしまいましたが、他にも戦える衛兵もおりますし」
「リリアン……」
「さきほどの男たちの口ぶりでは、他にも部隊がいそうです。そちらに行って差し上げてください」
「そうですよ、むしろここの方が安全かと。この二人は今こんな状態ですし、しばらくはここに増援がくることはないでしょう」
リリアンとノヴァに後押しされ、ソニアは頷く。