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26.厄介な男②


 状況がよくわからないソニアだが、ソニアが一歩後ずさるよりも先に、遠くから悲鳴のような甲高い声が聞こえてきた。


「コラー! エリック! 何をしているんですかっ!」

「おや、ノヴァ。ああ、シャルルも」


 少年の高い声で吠えられてもエリックは動じず、ノヴァの後ろにいたシャルルに「やあ」とのんきに挨拶をする。


 アルノーツ兵の訓練はもう終わったのか、ずいぶんとエリックと話し込んでしまったのだなとソニアは真上の位置にまで上った太陽を見上げた。


 ノヴァは走ってきてエリックとソニアを引き剥がすと、今度はソニアをキッと睨んだ。


「あなたというひとは! おじさんというものがありながら何をポーッとしているんですか!」


 ノヴァは眉をつり上げ、ソニアを叱る。


(ノヴァくんにも言われてしまった)


 これと同じことを言われるのは二回目、ついこの間アイラにも言われたばかりだった。


 あの手の男は遊び人で手が早いから気をつけて、と。


「あなた、おじさんの妻だという自覚はちゃんとあるんですか?」

「ボ、ボーッとしているのは気をつけます! でも、私はシャルル様だけですから……!」


 ノヴァはソニアに人差し指を突きつけて、ガミガミと小言を続ける。ソニアも咄嗟に言い返すが、直後にしまったと思う。


「うん?」

「シャ……シャルル様……⁉」


 そう、この場にはシャルルもいたのだった。

 ノヴァは今度はシャルルに向き直って厳しい顔をする。


「おじさん、いいんですか? 妻がこんなにぽーっとしていて」

「ノ、ノヴァくん」


 直球でプリプリしているノヴァにソニアはオロオロとする。


「またエリックにボーッと口説かれていましたよ。エリックもエリックだけど、ソニアさんがぽーっとしているからそうやってつけこまれそうになるんですよ」

「つ、つけこまれそうには……!」


 なっていない、とソニアは慌てて首を横に振る。

 なぜか急にエリックが顎を掴んで顔を近づけてきただけだ。


「うーん、やっぱりエリックは君を口説こうとしてるのか、厄介だな」


 シャルルはそう言って苦笑する。


 だが、すぐに優しい笑みを浮かべ、大きな手で不安そうなソニアの頭を撫でた。


「でも君は『俺だけ』なんだろう? 俺は君を信じてるからなんとも思わないよ」

「シャ、シャルルさま……!」


「何事もなかったようだし、君の口から『俺だけ』って言葉を聞けた方が嬉しかったかな」


 オリーブグリーンの瞳を狭めて、うっとりと愛しげに見つめられながらソニアはシャルルに頭を撫でられる。ソニアはぼっと顔を赤くした。


「そ、そんな、その……そ、そんなふうに言われると困ります」

「うん、エリックにはこんなふうにはなってなかったもんな。君が意識しているのが俺だけで嬉しいよ」


 その通りと言えば、そうなのだが、ハッキリとそう言われてしまうと恥ずかしくてソニアは顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「あ、あの、わ、わたし、もう少し、これから気をつけます……」

「ああ。君が万が一他の男に……なんてことはないだろうけど、危害を加えられるようなことが起きたら、それは嫌だからな。君はとても魅力的な人だから、なるべく気をつけておいたほうがいい」


 ノヴァに言われた通りに、シチュエーションだけ見たらなんらかを疑われてもおかしくないはずなのに、一点の曇りもなくソニアを信頼し、そして甘く囁くシャルルにソニアは「ひええ」と小さくなった。




「え、こ、こんなおじさん、見たことないんだけど」

 そして、それを傍らから見ていたノヴァは、困惑した声で狼狽えた。


 ◆


 その日の夜、シャルルとソニアとノヴァの三人で夕食を取ったあと、お風呂に入るためにソニアが先に一人だけ居間から退室していった。

 二人きりになると、ノヴァはぽつりとシャルルに切り出す。


「おじさん、さっきはああ言ってましたけど……」

「ああ、アイツが手が早くて奔放なのは知ってるよ。まあ、そういうやつだからこそ本気にはならないだろうし……」


 シャルルは机の上で手を組んだまま話す。


「俺の妻だと知っていて本当に手が出せるほどの豪胆さは持ち合わせてない男だよ。アイツは俺のこと少し怖がってるからね」


 シャルルは涼しい顔でなんてことないように言ったが、なぜだかノヴァは背筋が震えた。あくまでシャルルは穏やかなはずなのに、不思議と威圧感のようなものを感じた。


「そ、そうですか」


 だが、それはそうと、ノヴァは少し重たい口を開いた。


「……でも、もしかしたら、エリックも……ソニアさんのこと、『聖女』として本当に欲しがっているって、可能性も」


 あの日、エリックが非常に思わせぶりに『可能性』を示したことを思い返しながら、ノヴァはシャルルに進言した。


「……『聖女』としての彼女の価値、か。それは否定できないけど……」


 シャルルは少し眉根を寄せて口元に手をやる仕草を見せた。


「――エリックは……そう悪いやつじゃないからな」


 そう言ったシャルルの顔も声も、柔らかなもので、ノヴァは少し面食らう。


「……」


 でも、と続けようとして、しかし、ノヴァはなんとなくこれ以上は言えず、口を噤んだ。ノヴァも、エリックはそこまで悪いやつではないと、そう思っていたからかもしれない。


 ◆


 ――とはいえ、シャルルも何も思わなかったわけではない。快か不快でいえば、不快だ。


「ちゃんとしてねえからつけ込まれるんじゃねえか」

「つけ込まれてないよ、ソニアは相手にしてないし」


 シャルルは翌日の昼休憩の際にウロボスの家に上がり込んでいた。今日はアイラが来る日ではなかったし、二人で話すにはちょうどよいとシャルルは考えていた。


「アイツなあ……なんでわざわざこんなとこにやってくんだよ、カラディスの王子なんだろ。しかも、年下のガキにくっついて」


 ウロボスは眉根を寄せながらぶつぶつと言う。


「うーん……あまり、エリックはカラディスの親族とうまくいってないようだから、気晴らしもしたかったんじゃないかな」

「気晴らしならもっといいところがあるだろ、どう見たって遊び人だろ。うちの若い衆の女に手ぇ出したらオレが殴るぞ」


 ウロボスは舌打ちしながら、顔を歪めた。


「いまのところ、そういうことはしていないみたいだけど……ソニアにちょっかいかける以外だとフラフラ他の畑を見に行ったり、気まぐれに力仕事を手伝ったり、人の愚痴を聞いたり、そこそこ馴染んでいるみたいだが」


「……オレぁ、ああいう上っ面だけのやつは苦手なんだよ」


 ウロボスが渋い顔をする。あまりエリックにはよい印象を抱いていないらしい。


「そうだな、ウロボスも素直じゃないから、相性は悪いかもしれない……」

「ああ? なんだって?」

「うん、エリックはああやって飄々としてるけど、本質的には素直じゃなくてすごいシャイなやつなんだよ」

「……お前、目ぇ腐ってんのか」

「失礼だな、何年か付き合ってきて思ったことだよ」


 シャルルは少し遠い目をして答える。


 ノヴァがカラディスに留学に行ったように、ティエラリアはかつて幼いエリックを迎え入れた。そのときからエリックの振る舞い方は変わっていないが、だからこそ、彼の本質があのときから変わっていないことを示している気がシャルルにはしていた。


「本人に言ったら絶対に否定するから言わないけど、ウロボスもそうだよね」

「あぁ?」


 シャルルは「ところで」と話題を戻す。


「俺とソニアは周りから見て、まだあまり夫婦らしくないのかな」

「……だから、言ってんだろ、ヤることヤってねえんだからそりゃお前、未満だよ。夫婦未満」

「そういうのって周りから見てわかるのか」


 そもそも、その考え方そのものがシャルルからすれば前時代的に感じられたが、それには触れず、シャルルは小さく眉をひそめながら聞き返す。


「あー、別に、わかるとかわかんねえとかじゃねえけど、でも、あんだろ、気持ち的な」

「気持ち的」

「あのノヴァのガキもそうだけど、まだお互いに遠慮しているのがどっかで出てんだろ。アイツだってお前のことは好いてんだからさっさとヤっちまえ、バカ」

「ヤっちまえバカって……」


 シャルルはウロボスの歯に衣着せぬ物言いを好ましいと思っていたが、さすがに面食らう。


「そしたら、ノヴァのガキがソニアが気に入らねえってのも、エリックとかいううさんくせえやつがちょっかい出すフリしてくるのも自然となんとかなるだろうよ」

「そういうものかな」

「気持ちの問題っつったろ。間には入れないってとっとと見せつけてやれ、バカ」

「……そうだな」


 シャルルは口元に手をやりながら、頷いた。


「まだソニアは一人の人としての幸せをつかみ始めたばかりだ。今すぐに急ぐのではなくて、俺としては、もう少し彼女の気持ちを待ちたいんだが……」


 そう話すシャルルをウロボスは「ああ?」とガラ悪く睨み飛ばす。


「すでに遅すぎるくらいなんだからとっととなんとかしてこい、バカ」


 ウロボスは追い出すようにシャルルの背を蹴って、家から叩きだした。

 外に出されたシャルルは「うーん」と首を捻りながら、一人苦笑する。


 エリックにはもう少しけん制すべきかと悩みつつ、シャルルは指揮を執っていた復興現場に戻るのだが、すぐに慌ただしく誰かに声をかけられる。


 ティエラリア王都の伝令兵だ。


「シャルル様。申し訳ありません、シャルル様とフェンリル騎士団に依頼したいことがございまして……」

「……どうした」


 わざわざ王都から辺境領に来たのだ。緊急を要する、それも相当の武力を必要としてのことだろう。


「辺境領から北部……カラディスとの国境に近い地域にて、魔物の大量発生が起きまして、至急応援をとのことです」


「……カラディスで起きた災害と関連があるかもな」


「はっ。災害を受けてティエラリア方面に魔物が移動してきた可能性があると見られています。本来の生息域とは違うティエラリアに来て、なかなか満足に食糧を得られず、人里に頻回に下りてくるようになったようだと……」

「わかった。すぐに支度して向かう。……すまん、みんな、俺は少し抜けるが後を頼む」


 シャルルは指揮を別の人間に託し、フェンリル騎士団に状況の共有、そして出陣の準備を急ぎ進めた。

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