25.厄介な男①
◆
数日後。
「やっほーソニアさん、調子はどう?」
「あっ、エリックさん!」
ソニアが今日も畑で土いじりをしていると、軽やかな声と共に、エリックが現れる。
「ん~? あれ、ノヴァは?」
「あっ、今日はシャルル様がアルノーツ兵たちに訓練をつける日なんですけど、なんでもアルノーツの兵たちの様子も見てみたいから、ということでそちらに」
「なるほどね、ノヴァったらまだ子どもなのに真面目だねえ」
「そ、そうですね。やっぱり将来的に関わることが多くなるわけだから、いまからアルノーツの様子も把握しておきたい……んでしょうね」
ソニアはうんうん、と一人頷く。
「真面目といえば、シャルルもか。アルノーツには迷惑かけられた立場だろうに……ちゃんと面倒見るんだもんねえ」
「は、はい。アルノーツの……一応、王女だった身からすればありがたいです」
「ふーん。『一応』ね」
エリックはスッと目を狭めた。表情こそ笑顔だが、なんとなく目の雰囲気が怖い気がした。
(とても友好的で、穏やかな方なのに、なぜかふと貼り付けたような笑みを浮かべるときがあるんですよね……)
何かを腹に隠している雰囲気というか、本当のことは話さないというか、そういう雰囲気がエリックにはあった。だからこそ、シャルルもノヴァも、エリックは友人としながらも彼に対してなんらかの警戒を示すのだろうか。
(いまのところ、害意を感じたことはありませんが……)
基本的には大体ノヴァがそばについているので、あまり二人きりになる機会はない。ゆえにこんなにまじまじと彼の表情を眺めることもあまりなかった。
「シャルルは昔からあの真面目っぷりでね、優しくて穏やかそうに見えて、意外と頑固だろ?」
「……頑固では……ありますね」
ソニアはしみじみと頷いた。ソニアもまた、シャルルから「頑固だ」と言われていたが、シャルルもそうだ。なにしろ、シャルルはまだ政略婚で嫁いできたソニアが本心から自分のことを好きだ――とは認識しておらず、なかなかその認識が更新されることもなかった。ソニアが自ら好意を伝えることを苦手としているせいも大いにあるのだが。
「一度そうだと決めたらなかなか譲らなくってね。結構僕もアイツには困らされたものだ」
ふうとエリックは肩をすくめてみせる。
「そうなんですね?」
「ああ。僕がティエラリアに留学滞在していた頃はまー、お互いもう少し若かったからね、こう見えて結構喧嘩もしたんだ」
「喧嘩⁉ シャルル様が?」
驚いてソニアは目を丸くする。
「なんだい、意外なのはシャルルだけ? 僕が他人と喧嘩をするのは意外じゃないって?」
「いっ、いえ! そういうわけではないのですが!」
慌ててソニアは首を振る。エリックは、ふうんと少し意地悪げに弧を描くように目を細めた。
「シャルルはいいやつだよ。僕みたいなやつにもバカ正直に向き合ってくれて。ブラコンだけどね」
「ブラコン……?」
ソニアが小首を傾げると、今度はエリックがきょとんと目を丸くし、少ししてから合点したように苦笑を浮かべた。
「あー、多分、君と結婚して君の分も容量を割くようになったからマシになったんだと思うけど、僕がティエラリアにいた頃はそりゃもうすごかったよ、ブラコンぶりが。何か話すたびに『兄貴がこんなことしていて』『兄貴ならこうする』『兄貴はすごい』ってそればっか」
「……」
言われて思い返すと、話しているときに『兄貴は……』と聞いてもいないのに話し出すことはたしかに多い。いまよりももっとというのは想像しにくかったが。
エリックはなんだかとても懐かしそうに話していて、いつも以上に饒舌な気がした。
まいったよ、という口ぶりではあるが、昔の話をするのが楽しそうでもある。細い眉を少し下げながら話す横顔は、心から過去を懐かしんでいる気配がした。
きっと、エリックにとってシャルルと過ごした時間はとても輝かしいものだったのだろう。なんだかソニアまで懐かしいような気持ちになってしまった。
「ティエラリアは元々家族の関係を大事にするみたいな意識がずっと根強いんだろうけど、ノヴァはノヴァでシャルルのこと『おじさん』って言ってすごい慕ってるしねえ。僕には親族をああも尊敬するって感覚ないから、不思議だけど」
「ノヴァくんはシャルル様大好きですね……」
「憧れる気持ちはわからないでもないけどね、アイツ、カッコいいし、有能だし、強いし」
エリックはなんだか苦笑気味に言った。
「似てないようで意外と似てるんだよね、シャルルとノヴァ。ノヴァが真似っこしてるだけかもしれないけど」
「サラッと鋭い一言言ったりするところは似てますね!」
「あるある」
アハハ、とエリックは軽快な笑い声をあげる。ノヴァとシャルルがいないのをいいことに、ずいぶん二人の話で盛り上がってしまってるけど、いいかしらと思いつつも、ソニアも二人のことを話せるのは楽しかった。
「そうそう、ノヴァったら負けず嫌いだからさあ……ソニアさんにもだいぶきついこと言ってるんじゃない? しんどくない?」
「いえ! ノヴァくんは言い方がズバッとしているだけで真っ当なことしか言いませんから……」
「そう? ノヴァってさ、教授相手でも『おかしい』って思ったら自分が納得いくまでズバズバ言うから、教授泣かせの超新星なんてあだ名で呼ばれたりしてて」
「ええっ、そんな」
大げさじゃ、と言おうとしたソニアにエリックは首を横に振る。
「ほんとほんと、だからソニアさん、すごいよね。あのズバズバノヴァにも負けずに、いつも通りのんびりと頑張ってて」
「そ、そうですか? 私、自分では必死でしたが……」
「あっ、頑張ってるとは思うよ? だけど、気持ちは全然へこたれてなさそうだから、それがすごいなあ、って」
(……これは、褒められているんでしょうか……)
ソニアは少し迷い、エリックの軽い調子の笑みに、曖昧に小さく微笑み返した。
「ノヴァはあんな感じだから、君がめげずに向き合ってくれてるの、実は嬉しいんじゃないかな。だから余計に意地と見栄張っちゃってあんな感じというか……」
エリックは長い睫毛にふちどられた瞳をそっと細める。いつもの少し妖しい雰囲気で弧を描くそれではなくて、とても柔らかい雰囲気で細められた瞳が、妙に優しく感じられてソニアは思わずじっとエリックを見つめてしまう。
(エリックさんはこういうふうにも微笑まれるのですね……)
さきほど、シャルルのことを話していたときもそうだ。小さなノヴァとは違って、年も近いシャルルにはここまで優しそうな目ではなかったけれど、彼との思い出をきっと大切にしているのだろうと思わせるには十分な柔らかい話し方をしていた。
「……エリックさんはシャルル様のことやノヴァくんのことを大切に思われてるんですね」
ソニアは感じたままを口にしたのだが、エリックは彼らしくないハッとした表情を浮かべた。しかし、「あれ」とソニアが思う間もなく、エリックはいつもの軽い笑顔で笑い出した。
「あはは、わかっちゃうかな。そう、友達思いなんだよ、僕は」
「は、はい。とっても優しいまなざしをされていましたので」
「ふふ、ちょっとときめいちゃった?」
「え?」
ときめき――とは、胸がときめくこと、喜びや期待などの感情で鼓動が高鳴ることを指すはずである。
会話の流れからどうして「ときめき」が出てきたのだろうかわからないソニアがきょとんとしていると、エリックは「あー」と苦笑した。
「あまり君は異性を意識しないほうなんだね」
「……? よくわかりませんが……」
エリックはふうと息をついて、目を細めてソニアを見つめる。
「ほら、ギャップがあるとドキッとしたりするじゃない。君はそうじゃないのかもしれないけど。ちょっと悪そうな男が優しそうだとドキッみたいな」
「……うーん……」
少し考えたが、ピンとこない。
(そもそも私はティエラリアに来るまで、人間関係が希薄だったので……そういう経験を積んでいないからかもしれない――)
そう思ったが、ソニアは口を噤んだ。ノヴァから「そういうこと言うと周りが気にするから言わないほうがいいですよ」と言われたからだ。淑女の道も一歩から、である。失言には気をつけていた。
「もしくはその逆で、いままで優しいと思っていた相手が少し強引に迫ってくると……とかもあるね」
「そうなんですか……」
その手の話はアイラならばよくわかるのだろうが、ソニアは余計な一言で失言しないように相づちを打つくらいしか乗れなかった。
エリックはスッと目を細めると、不意にソニアの顎を掴んだ。
「え」
「例えば、こんな感じに……」
ぐっとエリックの顔が近づく。







