21.まあ、悪くはない
「じゃあ俺は先に行くよ。君も気をつけて」
「はっ、はい、シャルル様! ……」
朝、出かけようとするシャルルを見上げ、ソニアはもごもごと口元を食む。
「どうかした?」
「えっ、あ、あの……!」
ソニアは言い淀み、しかし、意を決してシャルルに向かってバッと両手を大きく広げた。
「い、行ってらっしゃいの……ハグを」
「ハグ」
復唱された単語に自分で恥ずかしくなりながらもソニアはコクコクと頷く。
しばらく二人は見つめ合い、やがてシャルルが少し苦笑しながらソニアの身体を抱き寄せた。
「行ってくるよ。……これでいいかい?」
「はっ、はい! バッチリです!」
シャルルの胸の中で、ソニアは大きく頷く。シャルルはそんなソニアを爽やかに微笑みながら見つめ返した。
「……いや、僕は朝っぱらから、何を見せられてるんだ……」
ノヴァが呆然と呟く。
「……ああ。なるほど。『妻にふさわしいムーブ』で、ということか」
「はっ、はい、そうなりますね……」
「そうかそうか、じゃあノヴァに感謝しないとな。ソニアがこんなふうに見送ってくれるようになるなんて」
朗らかに笑うシャルルにノヴァは「いやいや」と手を振る。
「『妻』らしさって、そういうことじゃないと思いますけど!」
「俺がいいんだからいいんだよ。じゃあ、今度こそ行ってくるよ。ソニア、ノヴァ、仲良くね」
「はい!」
ソニアは威勢よく答える。ソニアには達成感があった。いままでは恥ずかしくてこんなことはできなかったけれど、妻として一歩前に踏み出せた気がする。
「……いや、おじさん……あんな人だったっけ……」
ノヴァは釈然としない表情でぼーっとシャルルが出て行った扉の向こうを眺めていた。
◆
ソニアは畑での農作業以外にも日課がある。フェンリルたちの厩舎に通うことだ。
世話自体は辺境領に駐在しているフェンリル騎士団が仕事として行っているが、人好きなフェンリルは来訪者を喜ぶので、ソニアは毎日厩舎に顔を出すようにしていた。
フェンリルは縄張り意識が強く、この厩舎にいるフェンリルたちのほとんどは王都のフェンリル騎士団に在籍していたフェンリルたちが連れてこられたのだが、環境の変化に少なからずストレスを受けていた。特に幼いフェンリルにとってはストレスが大きく、手の空いているソニアが少しでもストレスの緩和になるのなら、と遊び相手を申し出ていたのだ。
厩舎の中から外に連れ出し、ソニアはラァラとシリウスの子であるディアナを始めとした子フェンリルたちとボール遊びを始めた。
ボール遊びよりも、ひなたぼっこのほうが好きな子フェンリルの隣に座り、その背を撫でながらソニアとフェンリルのボール遊びを眺めていたノヴァはぽつりと呟く。
「こういうところはマメですよね、毎日せっせと通って」
「だって私、畑をいじることくらいしかいましていることがないですから……」
「……薬とかもずっと作ってるんでしょ。お父様から聞いてる。あなたの薬のおかげで、戦争被害者の多くが救われた、って。いまでも、彼らの手に届くように暇があればなんらかの薬を作ってる、って」
ノヴァはなぜだか、少し悔しげなような表情で言った。
「えっ、そ、そうなんですか?」
「……まあ、腐っても『聖女』ですか。そういうところでは、能力を発揮してくださっているみたいですけど……」
「わかっています、ノヴァくん。ノヴァくんはそういう能力ではなくて、私自身の……性格や態度、立ち振る舞い方がシャルル様にふさわしくなくて、そこが気になるのですよね」
「そっ、そうですけど。なんで自分に対して否定的なとこには理解度が高いの?」
ソニアがつらつらと現在己を見るノヴァの目線を分析して言ってみせると、ノヴァは顔を引きつらせて眉をひそめた。
そして、ソニアがフェンリルたちと遊ぶ姿をぼうっと見ながら呟いた。
「……フェンリルたちには懐かれやすいみたいですね」
「きょ、恐縮です」
ノヴァはツンツンとしながらも言葉を続けた。
「ティエラリアはフェンリルと支え合って生きてきている国です。……フェンリルに好かれる人はまあ、悪くはないでしょう」
「あ、そのお話、シャルル様から聞いたことがあります」
懐かしいなあと思いながらソニアははにかむ。たしか、フェンリルに好かれやすい人は幸運の持ち主――生活に欠かせない存在であるフェンリルと仲良くできるというのはこの国では有用な才能なのだとシャルルは話していた。
「――まあ、悪くはない、というだけです」
「はっ、はい、もちろんです!」
なぜだか面白くなさそうにむっつりしているノヴァに恐縮しながらソニアはコクコクと頷いた。
(私のお守り生活も長くなってきましたから、そろそろ、うんざりしてらっしゃるんでしょうか……)







