38.アルノーツの聖女②
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アルノーツの港町、カイトンの住人らの前から撤収し、一行はティエラリアの騎士団のために用意された区域まで戻る。
控えの間として用意された部屋ではあるが、特にそこにいてもやることはないので、一人、また一人と騎士団の騎士達は強行軍でアルノーツに向かい疲れている身体を休めるため自室にへと帰っていった。
広い部屋の中、残ったのはシャルルとソニアのみ。二人で並んで腰掛けても余裕のある大きなソファに、二人は静かに座り込んでいた。
「……なんというか、国民性なのかな。アルノーツの国の人たちは……調子がいいな」
そして、最後の一人の騎士がいなくなって、二人きりになるなり、シャルルはぼそりとそう呟いた。
「す、すみません」
「なんで君が謝るんだ、怒るんだったらわかるけど」
「えっ!?」
「君が『ずいぶん調子がいいじゃない』って彼らに怒るのならわかるよ。……君はきっと、そうは思わないんだろうが」
ソニアは一瞬沈黙したのちに口を開く。
「ずっと私のことを、落ちこぼれの出来損ない扱いしていたのに、少し活躍したところを見せたら手のひら返しをしたから……ですか」
「ああ、一応そうは思っているんだな」
「私も、そこまでバカじゃありません……」
ソニアは複雑な胸中のまま、首を振る。
彼らがそう思うのはしょうがないことだ。
事実、ソニアがかつてアルノーツで聖女として過ごしていたころはソニアは無能以外の何者でもなかった。
草木を枯らせ、人の肉を腐らせる女。ただ唯一得意なことは魔物を滅することだけ。
アルノーツが期待する聖女の役割をこなせないソニアは落ちこぼれの出来損ないでしかなかった。
アルノーツは世界で唯一、魔物の存在しない平和で豊かな国。
なのに、ソニアがいなくなった途端、残った優秀だったはずの聖女が力を失い、少しずつ魔物が現れるようになってしまった。
いままでありえなかったことが起こった。その時に人が『ソニアがいなくなったからそうなったのではないか?』という可能性に行き着くのは自然なことだ。
そして、本格的に魔物の脅威が及んだ時に現れて事態を解決に導いたソニアを『救世主』『聖女』と扱いたくなる気持ちは、ソニアでも理解できた。
「わかります、ですから、だからこそ怒りの感情は持ちません」
「そうか……」
「……私は思うのは、妹は……アイラはどうして力が弱まってしまったのかと、アルノーツは……これからどうなっていってしまうのか。それだけです」
ソニアはそう口にしたきり、黙り込んでしまった。
(もしも……本当に、私がいないから、そうなってしまったのだとしたら……)
唇を結んだまま、ソニアは逡巡する。
「ソニア、君はどうする?」
「えっ」
不意に口を開いたシャルルに、ソニアは目を丸くして、顔を上げる。
「みんな、君のことを『聖女』だと思ってくれているよ。このままアルノーツで、アルノーツの聖女として生きていくか? それとも、ティエラリアの……俺の花嫁で居続けていてくれるか?」
「……シャルル様。それは」
口ごもるソニアの言葉の続きを待たず、シャルルは話を進めた。
「君と俺の結婚は、君が望んだものでないことを俺はよくわかっているよ。俺は君が聖女でも、聖女じゃなかったとしても、大切な俺の唯一の妻だと思っていたけれど……でも、君にとっては俺との結婚は強制的な契約結婚だったろう?」
「……」
「さっき彼らも言っていたろう。君がいなくなってから、アルノーツは散々だって。よくないことばかり起きていて、残った聖女のアイラ王女も求められる役割を果たせないほど力が弱まってしまっている」
「はい……」
国民たちがわざわざ嘘を言う必要はない。彼らの言葉は全て真実だろう。
アルノーツは今、困窮している。
「君は本当に聖女だった。アルノーツには君が必要だった」
シャルルのオリーブグリーンの瞳に、ソニアは射抜かれているような気分だった。
ソニアはシャルルの綺麗な瞳が好きだが、いつも以上に真剣な彼の瞳に見つめられているのは怖い気がした。
ごくりと、唾を一度飲み込んでから、ソニアはゆっくりと喋り出す。
「……私は、和睦の条件として嫁ぐことになった花嫁でした。ですが、アルノーツはティエラリアを欺いた。もはやこの結婚に大義はありません。『和睦』という温情をかける必要もない。それであるのに、アルノーツはティエラリアに救われた。アルノーツは改めてティエラリアに全面降伏し、ティエラリアの全ての要求に従うべきでしょう」
ソニアは暗に、『私はこれからどうするかを選べる立場ではない』とシャルルに言う。賢い彼にはソニアの意図は伝わっているだろう。
本音を言えば、ソニアはむしろ『選ばせないでほしい』と思っていた。
シャルルはそっと瞳を細めてソニアを見つめる。
「ソニア。ティエラリアは大丈夫だよ、厳しく寒く、長い冬には慣れている。君がいなくなったとしても、また冬が元通り長くなるだけだ」
「シャルル様……」
「だから、君はどうしたい? いまならきっと、彼らは君を歓迎する。君のことを冷遇してきた父親も母親も……君がいなくなってから実害はハッキリと出ているんだ、以前のような扱いはしないだろう」
「それは……」
シャルルの声色はひどく優しかった。だが、ソニアの胸はずきりと痛む。
シャルルに、「君はアルノーツに帰ったほうがいい」と言われているような気がした。
わかる。ソニアもそうかもしれないと思った。
アルノーツにいた頃はそんなふうには微塵にも思っていなかったけれど、自分は――シャルルの言う通り、過剰すぎる力を持っていて、ただそこにいるだけで力を発揮していたのかもしれない。一瞬にして草木を実らせることはできない、人のちょっとした傷を癒すことはできない。だけど、少なくとも、自分がいれば魔物がアルノーツに現れることはない。
実は、もしかしたら自分は気づいていなかったけれど、アルノーツに必要な聖女だったのかもしれない。
「俺は君の力の説明ができるよ。アルノーツ国王陛下に、君が持つ力と、そして……その力と君の妹との関係性も説明できる」
「……」
「君は、アルノーツに帰りたい?」
次話ですがラスト一気に更新したいので進捗次第では明日更新なしで明後日に2〜3話まとめて更新になるかもしれません。
ハッピーエンドです、よろしくお願いします。