37.アルノーツの聖女①
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さて、港町カイトンでの戦いはティエラリアから援軍を得たアルノーツが勝利を得た。
聖女アイラは力を使い果たし、このまま敗北すると、そう思われたが、ティエラリアから援軍が来ると再び力を取り戻して、魔物の群れを退けた。
――なのだが。
◆
戦いから翌日、アルノーツの王城の廊下にて。三人の若い兵士は頭を突き合わせてヒソヒソと話をしていた。
「……ソニア様、すごかったな」
「ああ、魔物の群れをまるでなんともないみたいに一瞬にして何度も何度も塵みたいにしちまって……」
「それに比べるとアイラ様は……地味というか……」
「……というか、アイラ様って、もう倒れる寸前だったよな? でも、ソニア様に抱きしめられてから急に復活して……」
「アレももしかしたらソニア様が与えた『加護』だったとか……」
「アイラ様って前はもっとすごかったのに、そういえば、ソニア様がいなくなってから治療会での治療も満足にできなくなってきてたよな……」
「なあ、前からアイラ様が出張って偉そうにして、ソニア様は『落ちこぼれ』みたいにされてたけど、実はアイラ様よりソニア様のほうがすごくって、アイラ様はソニア様の力のおこぼれをもらってたんじゃ……」
「……あたしがボロボロになってもはたから見ているだけだったくせに、随分とえらそうにぺちゃくちゃ噂話をするじゃない」
「ひっ、ア、アイラ様」
この時、実はアイラの周りにはアルノーツの兵たちもいたのだ。
いたのだが、なんの戦力にならず、ただただアイラのことを見守ることに徹していた彼らにアイラは冷たい目線を浴びせる。
「あんなことがあった直後なのに、励むのは下世話な話ばっかり? 少しはティエラリアの兵たちを見習いなさいよ、ほんっと我が国の兵たちには呆れかえるわね」
「もっ、申し訳ありません!」
突如現れたアイラに戸惑い尽くした彼らは大慌てで逃げ出して行った。
アイラは一人残された廊下ではあ、と大きくため息をつく。
「……あたしだって、わけわかんないわよ」
なぜ、姉が現れたら聖女の力が湧き上がってきたのか。
思い出したらますますイライラとしてきて、アイラはわざとヒールの足音を響かせながら廊下を歩いていった。
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シャルルとソニアをはじめとしたティエラリアからの援軍はみな、アルノーツの王城に招かれて一泊していた。
ソニアは久しぶりに一人のベッドで寝て起きた。隣に寝起きの悪い顔のいい男がいないことに寂しさのような、違和感を覚えながらソニアは起床する。
部屋のカーテンを開けると、柔らかく、あたたかな日差しが差し込んできた。
ティエラリアとは違う、アルノーツの日差し、アルノーツの穏やかな朝だ。
ティエラリアはまだ雪が溶け切っていないが、アルノーツはすでにすっかり春を迎えている。窓の向こうに見える花壇には色とりどりの花が咲き誇っているのも見えた。
(……まさか、生きて故郷に戻る日が来るとは……)
などとソニアは感傷に浸る。
温情をかけてやったにも関わらず欺いてきた敗戦国の偽りの花嫁、偽りの聖女として、きっと自分はティエラリアで処刑されるのだと思いながら嫁いで行ったのに。
ティエラリアの人々は優しかった。
自分は処刑されなかった。
『偽りの聖女』『侵略国の娘』として虐げられることもなかった。
シャルルは「もしも『聖女』じゃなかったとしても、それを理由に君を害しはしない」と言ってくれた。
ティエラリアでの日々を思い返し、ソニアは胸をじんと熱くさせていた。
(……シャルル様は私のことを『本当の聖女』と仰ってくださったけれど、でも……正直、私はまだ、本当にそうなのか、自信がありません……)
ずっと落ちこぼれのできそこないと言われてきた。実際に、草木を枯らし、人の肉を腐らせた。ソニアは人に害を与えるが、人に益を与える存在ではなかった。母は失望し、愛情の全てを妹に向けることで現実から目を背けた。
(昨晩はここに泊まらせてもらえましたが……父と母は私に、なんと言うのでしょうか……)
ソニアは自分で己の肩をぎゅう、と抱いた。
◆
身支度を終え、ティエラリア一行で集まって朝食を終えたところ、訪れた執事が一行をアルノーツ城のロビーへと呼びに来た。
どうしたのだろう、とみなで言い合いつつ、執事の誘導でロビーに到着すると、迎えたのはわあっという熱狂的な声と多くの人々だった。
ソニアはロビーの大階段の上から、ロビーに集った人たちを目を丸くして見下ろす。
「ティエラリア王国騎士団! 我が町を救ってくれてありがとう!」
「……ソニア様! ありがとう!」
「ソニア様! ああ、よくぞお戻りで! 聖女の奇跡で魔物の群れを葬られたとか……!」
「アイラ様が三日三晩戦っても叶わなかったのに! ソニア様がいらっしゃったらあっという間に勝ってしまった! ソニア様! 万歳!」
「聖女様、万歳!」
「……あの港町の住民たちのようだな、君の活躍を聞きつけてやってきたんだろう」
ぽかんとしているソニアに、そっとシャルルが耳打ちする。「俺たちは完全についでだな、実際活躍していたのは君だしな」と苦笑しつつ。
「わ、私ですか?」
「アイラ王女が苦戦していたところ、君が現れて状況が好転したんだ。君を救世主と思うのも無理はないだろう」
「……」
「別に君の妹の名誉を奪った、というわけじゃない。彼らにとって、君がそう見えたというだけのことだ」
「その、シャルル様……」
顔を曇らせるソニアに対し、シャルルは小さく首を振る。
そして、ソニアの肩に手を置き、ソニアの瞳を見つめながら言った。
「君の名誉は君が受け取るべきだ」
「……はい」
シャルルの透き通った瞳を見つめ返してソニアは頷き、集まった人々に対して手を振った。
わあっと歓声がひときわ大きくなる。
「ソニア様……! ソニア様がいなくなってからアルノーツはおかしなことばかりで……」
「妹君のアイラ様はどんどん弱っていかれるし、あろうことか魔物が出てくるようになったり……」
「みんなで噂をしていたんです、大切な聖女様を他国にお嫁に出したから災いが起きているんじゃないかと……」
「こ、こらっ、ティエラリアは俺たちを助けにきてくれたんだぞ! それにソニア様の隣におられるのはティエラリアの王弟殿下だ!」
(……私が、いなくなってから……本当に、そんなことが……)
ソニアは歓声に紛れて忙しなく口々にしゃべる人々の言葉のいくつかにハッとして意識を持って行かれた。
「ソニア様は落ちこぼれ、大神様はみかねて大慌てで妹君のアイラ様が優秀な聖女になるように祝福されたんだ、なんて言ってたんだけどねえ……」
「アイラ様の力が弱まったのも、作物の実りが悪かったのも、魔物が出るようになったのも、全部ソニア様がお嫁に行かれてからだもの。本当はソニア様こそが『真の聖女』だったんじゃないかって……」
(……アイラ……)
集まった人々は自分の喋る声など聞こえていないだろうと踏んでいるのだろう、高揚感から気持ちが大きくなってしまっているのかもしれない。だが、その声は存外に大階段の上にまでしっかと届いていた。