33.穏やかな日常
カーテンの隙間から差し込む光、その暖かさと眩しさでソニアは目を覚ました。
大地の民の避難は無事終わり、大地の民は今はティエラリア王都の一画に住んでいる。
ソニアがシャルルと共にウロボスの説得に行ったあの日から、やはりそう間を開けずに雪崩は起きた。
フェンリル騎士団が様子を見に行ったところ、ものの見事に集落は雪に呑まれていたという。もしもウロボスがあそこに居続けていたならば、間違いなく彼は集落と共に命を落としていただろう。
(……よかった。ウロボスさんが私たちに命を預けてくれて……)
先行していた隊と合流した時、ウロボスの孫は愛する祖父の姿を見てわんわんと泣いていた。
小さな身体を震わせながら「ありがとう」と言ったあの切ない声をソニアは一生忘れることはないだろうと思う。
「……ん……」
シャルルが身じろぎ、悩ましげな声を上げる。
相変わらず、シャルルの寝起きは悪い。
とても素晴らしい人格の持ち主で、ソニアからしたら完璧超人に思えるシャルルの数少ないウィークポイントな気がして、ついソニアはシャルルの寝起きの悪さを微笑ましく見てしまう。
(……何度見ても、本当にお顔立ちがいい……)
通った鼻筋、瞳を伏せるとますます目立つ長いまつ毛、しっかりとした眉、卵形の形の良いフェイスライン。
こうもまじまじと見てははしたないと思うものの、ソニアは毎朝どうしてもシャルルの尊顔を眺めるのをやめられなかった。
「……。朝か……おはよう……」
「はいっ、おはようございます!」
しばらく経ってようやく覚醒したらしいシャルルにソニアは笑顔で応える。
シャルルは眠たげな瞼のまま、にこ、と口元を緩める。
「ラァラもおはよう」
シャルルはソニアとの間に置かれた小さなフェンリル人形にも声をかける。
「最近はまた一段と暖かくなってきたな。少しは起きやすくなってきた……」
「そうですね……。…………あ」
「……『あ』?」
ソニアは思い出す。
かつて、自分は「暖かくなったら! シャルル様より先に起きたら床に座ってお目覚めを待つ!」「罪人の身で! 暖かな寝床を享受しているなど!」と考えていたことを。
「……ええと」
「うん、どうしたんだ?」
「…………なんでもありません」
悩んで、ソニアはそう言った。シャルルはニコリと微笑みを深める。
(なんとなく……思考は読まれている気がしますが……)
恥ずかしい気持ちからソニアは少しだけ顔を俯かせる。
今もソニアは「私が聖女です!」とは到底思えていなかった。
けれど、シャルルは「君は本当に聖女だ」と言ってくれている。ソニアがティエラリアにやってきたその時からずっと、ソニアのことを大切にしてくれてきている。
そんな人に対して、この期に及んで「私は偽りの花嫁で、あなたたちを騙している罪人ですから、そろそろ暖かくなってきたなら暖かなベッドでいつまでも寝ているのはよくないと思って」なんてことを言うのは――失礼だ。
けして、まだ少し寒いから布団の中にいたいわけじゃない。
ソニアはちら、と高い位置にあるシャルルの顔を見上げる。
優しく細めた瞳でソニアのことを見つめていたシャルルと目があって、ソニアは気恥ずかしさから軽く唇を食みながらまた俯いてしまった。
◆
フェンリル厩舎。
シャルルとソニアが厩舎に入るとたくさんのフェンリルたちが飛びついて出迎えてくれる。
ソニアがべろべろと顔を舐められ、もみくちゃになっていると、途中でラァラが首根っこを噛んで引っ張り上げて救出してくれた。
「あ、ありがとう、ラァラ……」
ソニアはそっとラァラの白銀の毛を撫でる。こびりついていた血の跡もすっかりきれいになっていた。
ラァラの体調はあれからもずっと好調を保っていた。腹に風穴が空いていたのは夢だったのでは、と思うほどだ。
ラァラが引っ張って連れてきてくれた先には、ラァラの夫シリウスがいた。
人懐っこい性質のフェンリルだが、シリウスは他のフェンリルに比べるとクールで恒例のお出迎えには参加しない。
「シリウスもおはよう」
シリウスの頭を撫でると、シリウスは伏せたままの目の辺りも撫でろと要求してくる。ソニアはもう慣れて、流れるような一連の動作で撫でてやった。
「シリウスもすっかり君に懐いたな。元々そう言う性格ではあったが、病気をしてから特に人見知りというか、あまり周りと関わりたがらないようになってたんだが……」
「そ、そうなんですか?」
ああ、と頷きながらシャルルもまたシリウスの頭を撫でた。
その後にシャルルはシリウスの瞼にちゅっと口付ける。
(……シリウスが目の辺りも撫でられたがるのは、シャルル様がするみたいなキスの代わり……? なのでしょうか)
ちら、とソニアはそばにいるラァラを見る。ラァラは人間相手でも嫉妬をするというから、ラァラを嫉妬させないためにソニアにはキスではなく撫でるのを強請るのだろうか。
「そういえば、ダンスの練習はどうだい? もう振り付けは覚えた?」
「はっ、はい! おかげさまで……」
不意に振り向いたシャルルにどきりとしながらソニアは答える。
魔物襲来事件からほとんどずっとソニアの傍にいてくれているシャルルだが、義姉・マリアとのダンス練習のときはシャルルは練習部屋の外で待機していた。
男性が女性の踊りの練習を見ることはあまりよしとされない風習があるらしい。
まだ未熟な踊りを異性に見られることははしたないことだそうだ。
しかし、「ゆくゆくはシャルルとも併せてみましょうねえ」とは王妃殿下から言われていた。
「そろそろ俺と君とで合わせてみようか」
「えっ、こ、ここで!? 今からですか!?」
「うん、ちょっとやってみたい」
心の準備が、と言う間もなく、ソニアの身体がふわりと浮いた。
「君、軽いな。信じられないくらいだ」
(わ、わ、わ、わ~!?)
ソニアはシャルルの腕の上に乗っていた。
「こ、こういう振り付けでしたでしょうか!?」
「いや、引き寄せたらこう、ふわっといきそうだったからそのまま勢いで抱き上げちゃっただけだな」
「そんなことってあります!?」
「ははは、すまん。降ろすよ」
シャルルは軽快に笑いながら、宣言通りソニアを厩舎のわら床の上に降ろし、改めてソニアの手を取ると、腰に手を添えて目を細めた。
「俺も『夫婦の踊り』をするのは初めてだから、よろしく頼む」
「は、はい、お手柔らかに……」
内心バクバクとさせながら、ソニアはシャルルにぎこちなく微笑みを返した。
(シャ……シャルル様、手、大きすぎませんか!? えっ、私の手が小さい!? いや手……大きすぎません……!?)
繋いだ片手、そして腰に添えられた手のひらの大きさにソニアはおおいに狼狽えていた。
正直、踊りどころではないが、シャルルの丁寧なリードに必死でついていく。
ラァラや他のフェンリルたちはそれをウゥーと高い遠吠えをあげて眺めているのだった。
建国祭は、もうすぐだ。







