31.君の力は
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!!犬が傷を負う描写があります!!
苦手な方は飛ばしてください(次話に簡潔なネタバレあらすじ載せます)
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「――ラァラ!」
反応したのはシャルルの方が早かった。
ソニアは自身に降りかかった生ぬるい血飛沫を、数秒ののちにようやく認識した。
「……ラァラ……⁉︎」
ソニアは目を見開き、息を呑む。
白銀の美しい毛皮は真紅に濡れていた。大きな体躯の真ん中には穴が空いていた。
その間にもシャルルはラァラの身体を貫いた牙を持つ魔物と大槍で交戦していた。
ラァラは音もなく雪の中に沈むように横たわる。真っ白な雪が赤く染まっていった。
シャルルの槍は幾度となく、魔物の身体を刺し、穂先の刃で肉を薙いだ。
先ほどまで対峙していた群れの魔物たちよりも身体の大きな魔物だった。
モグラが土の中に潜るかのように雪の中に潜み、そしてターゲットに狙いを済ませて襲いかかってきたらしい。
この魔物も雪山を降りてきた魔物たちと同じように雪崩の危機を予測した魔物なのか、それとも。
(……私が呼んでしまった魔物……?)
ソニアはそうとは思っていなかったけれど、シャルルは「君が聖女で、魔物たちは君を狙って訪れていると思う」と再三言っていた。
もしも、そうであるのならば。
最悪のタイミングで自分は魔物を引き寄せて、そして、ラァラを自分の身代わりにしてしまったのではないか。
「……!」
あまりのことに頭が真っ白になる中、ソニアはシャルルが対峙している魔物――ラァラを傷つけた魔物――に向けて力を使った。
魔物は低い唸り声を上げながら、塵となり消えていく。
あっけない。
それなのに、自分はみすみす襲われそうになって、ラァラにこんなひどい傷を負わせてしまったのか、とソニアはますます頭が重くなった。
「……ありがとう、ソニア」
「……いえ……」
ソニアはしゃがみこみ、横たわるラァラの身体に触れる。
雪の中に沈んだ身体はすでに冷たくなっていた。かろうじてまだ息をしている。だが、もう目も開かないらしく、ラァラは眠るように瞳を伏せていた。
(傷薬なんかじゃ、治せない)
ラァラの腹には比喩ではなく、完全に穴が空いていた。
こんな傷に軟膏を塗ったところでなんになる。
「……ラァラ……」
シャルルもまたソニアと同じようにしゃがみこみ、ラァラの白銀の毛を撫でた。
眉根を寄せた厳しい表情で数度背を撫で、シャルルはきつく目を瞑る。
歯軋りの音をさせたのち、シャルルは顔を上げ、まっすぐ正面からソニアの顔を見つめた。
「――ソニア。君の癒やしの力をつかってくれ」
シャルルの言葉に、ソニアは目を見開く。
シャルルのオリーブグリーンの大きな瞳は真剣そのものだった。
その瞳を見つめながら、ソニアはふるふると首を横に振る。
「わ、私、無理です。できません」
「頼む。君の力を使ってくれ」
「だって……! 私の力を使ったら、本当に、死んでしまう!」
ソニアは耳を抑え、わあっと泣き喚いた。
かつての記憶はこんな時にも鮮明に蘇ってくる。
ソニアが癒しの力を使ったことで、人の腕を一本奪ってしまったあの日のことを。
「……っ」
子どものように泣くソニアの肩を、シャルルの大きな手のひらが力強く掴んだ。
「君が力を使わなくても、彼女は死ぬ!」
「!」
シャルルの叫びにソニアはハッとして顔をあげた。
「頼む、君がどれほど、自分の力を使うことを恐れているのかはわかっている。自分がどんなひどい願いをしているかもわかっている! だが、ここで何もしなくても彼女は死ぬんだ!」
「わ、私……」
だくだくと血を流し、横たわる白銀の毛並みのフェンリルをソニアは赤くなった目で見やった。
「君がこれからすることで……君が一生、罪の意識と心に傷を負ったとしたら、俺を一生憎んでくれ。俺も君の悲しみと嘆きを抱き続けて生きていく!」
「シャルル様……」
「俺は、ラァラを救えるのは君しかいないと思っている。君の力は――ラァラを救える!」
「……!」
シャルルの叫びにソニアの心臓はドッと音をあげた。
頭からサッと血の気が引いていく。血液の流れていく音が寒気を増させた。
だが、しかし、ソニアは胸の前でグッと拳を握りしめ、シャルルを見上げた。
「わかりました。私、やります……『聖女』の力を、使います」
シャルルの瞳が見開かれ、そしてソニアはシャルルのたくましい腕に抱きしめられた。
「ありがとう、ソニア……」
抱きしめられたまま、ソニアはシャルルの上着をぎゅっと握りしめ、それからラァラに対峙した。
(……どうか、この傷ついた心優しく勇敢な狼を、どうかお救いください……!)
両手を組んで、祈りを捧げる。
胸から熱いものが込み上げてくる。
ソニアはラァラの風穴の空いた腹に手をあて、その力を注ぎ込んだ。手のひらがまばゆく光り、そしてラァラは白い光りに包まれる。
ドクドクと、ソニアの脳と心臓が音を立てていた。
湧き上がる力を傷ついた狼に注ぎ込み続けた。
かつて、この癒やしの力を使ってソニアは一人の人間の腕を破壊した。
『災厄』の奇跡を持って生まれた聖女のなり損ないだと烙印を押された。
人の腕のひとつを壊してしまったことをソニアは一日たりとて忘れたことはなかった。何気ない瞬間に、いつだって思い出す。あの日の叫び、肉の腐る臭い、皮膚がちぎれる音、殺意に満ちた瞳、失望。それらは常にソニアをグルリと覆い囲んでいた。
(お願い、私に流れるアルノーツの血よ。私の大切な友人をこの世に繋ぎとめさせて)
ソニアは瞬きをすることも忘れ、ただただ己が発する光のまたたきを睨むように見つめていた。
じゅううとまるでお湯が沸騰したときのような音がし、肉が焦げるような臭いがした。
かつての記憶がフラッシュバックしたが、しかし、ソニアは目の前の光景から目を逸らさない。
いつしか光は収束し、消えていった。
ソニアは最後まで目を閉じることはなかった。
「……よか、った……!」
横たわるフェンリルの腹の風穴が塞がっているのを見てからソニアは意識を手放した。
◆
次にソニアが目覚めたとき、ソニアはシャルルの腕の中にいた。
「えっ、あっ、え、シャ、シャルル様!?」
「……よかった。目を覚ましたな」
狼狽えるソニアに、シャルルは優しく目を細めて微笑む。
「す、すみません、私……」
「魔物の群れを消し去った後に、癒しの力まで使ったんだ。さすがの君でも疲れたんだろう」
「……! ラァ……きゃっ」
はっとしてラァラの姿を探したところで、べろりと生暖かい舌で顔を舐められる。
「ラァラ……!」
感極まって名前を呼べば、ラァラはわうっ、と小さく鳴いて応えてくれた。
ソニアはシャルルの腕の中から離れると、その代わりにラァラの太い首に抱きついた。
「よかった……! 本当によかった……!」
ぐるるる、とラァラは喉を鳴らす。
「ごめんなさい、あなたが傷ついたのは私のせいかもしれない……ごめんなさい……」
涙声で言うと、ラァラは「ガウ!」と強めに吠えた。
「気にするな、と言ってるよ。魔物の群れと対峙して、なんにも被害がないなんて方が都合が良すぎる話だ」
「……シャルル様。ラァラ……」
ラァラは言葉を発する代わりにべろべろとソニアの顔を何度も舐めた。
まるで子をあやす親のようだ――とソニアの胸にほのぬくい気持ちが湧き上がる。
「……でも、どうして……私じゃ、癒しの力は使えないはずなのに……」
すっかり元通りになったラァラの腹を撫でながら、ソニアは呟く。
シャルルはその傍らで、そっと口を開いた。
「これは俺の憶測だが、君の力は『過剰』すぎるんだ」
「過剰……すぎる……?」
「君の力の練習台になった男は、たいしたことのない擦り傷程度の傷だったんだろう。そこに過剰な癒やしの力を注ぎ込まれたことにより、体内の細胞が必要以上に活性化され、暴走した結果、傷口を壊死させたんだ」
「……ッ」
ソニアは息を呑む。
一瞬、フラッシュバックに飲み込まれそうになるが、なんとか堪えてシャルルの透き通る瞳を見つめる。
「……君が植物の種を一瞬にして成長させたところを見たときからもしやと考えていた。君は落ちこぼれの出来損ないなんかじゃなくて、ただ力が過剰すぎるのではないのかと。種からあっという間に発芽して、またたくうちに枯れてしまったあの時」
「で、でも、そんな……私は……」
初めてソニアがシャルルに自分の力を見せたときのこと。いまや、だいぶ前の話、ソニアがティエラリアに来て間もない頃の話だ。
そんな時からシャルルはそう考えてきたのだろうか。
「君は自分は聖女なんかじゃないと言っていたが、君は立派な聖女だよ」
「……もしもシャルル様が仰るとおりの力を私が持っているとしても、でも、それではお役に立てる場が限定的すぎます……」
俯きながらソニアは答える。
「君のその過剰すぎる力、きっと使わなくても無意識に発揮されているんじゃないか?」
「ええっ?」
「意識的に癒しの力はうまく使えない。だけど、君の作る薬はちょっと尋常でないくらいよく効く。……薬を作るときに無意識に癒しの力を薬に込めていたんじゃないか?」
「そ、そんなまさか。あれは、レシピがいいだけで……」
「今度、他の人に同じレシピで作ってみてもらおうね」
「は、はい」
にこりと笑うシャルルに気圧されながらソニアは頷く。
言外に「そんなわけがないだろう、いい加減に認めろ」と言われている気分にソニアはなった。
「魔物の出没数も減っているし……」
「ぐ、偶然かと……」
ぼそぼそとソニアは言うが、シャルルはあまりまともに聞いてくれていないようだった。
シャルルは静かに首を振り、そして、優しくソニアの手を取った。
槍を握るシャルルの手は大きく、腹の部分が硬くなっていて、ソニアはどきりとしながらシャルルの顔を見上げる。
もう何度も見つめてきたオリーブグリーンの美しい瞳に、自分が映り込んでいた。
「今年はいつもより早く、春が来そうなんだ」
「……春が……」
「ティエラリアの冬は長く、厳しい。君が来てくれた今年の冬は例年よりも暖かくて過ごしやすかった」
「い、いつもはもっと寒いのですか⁉︎」
十分、とてつもなく寒いと思っていたのだが。
ソニアは驚愕のあまり目を見開くが、シャルルは至極真面目な顔で頷いた。
「人が生きるには最も厳しい大地、それがこのティエラリアだ」
「……もっと寒いというのは、想像しがたいのですが……」
「はは、そうだろうな。知らないほうが幸せだよ」
それはさておき、と仕切り直してシャルルはソニアの手をぎゅ、と強く握った。
「君は聖女だ。奇跡の力を持った、この国に恵みを届けてくれた花嫁だよ」
「シャルル様……」
「ラァラを救ってくれてありがとう、ソニア。この集落を魔物の群れから守れたのも君のおかげだ。ありがとう」
「……」
シャルルのまっすぐな瞳と言葉に、ソニアは耐えきれず顔を下げた。
こういう時にどういう顔をして、なんと答えるべきなのか、ソニアにはわからなかった。
「わっ」
目からこぼれ落ちそうになっていた涙を、ラァラがべろりと舐めとる。
生暖かいその温度にソニアはもう一度涙を滲ませ、ラァラの身体に抱きつき、頬を擦り寄せた。
わたしが犬に死亡フラグ立つ展開が苦手なので注意書きを入れました。
何卒ご容赦ください。







