18.お義姉様とダンスレッスン
「ワン、ツー、ワン、ツー。……そうよ、ソニアさん、とっても上手よ」
「はははははははは、はいぃぃいいい」
ガチガチのソニアに柔和に微笑んで見せる女性。
彼女こそ、ティエラリア王妃殿下――国母・マリアだ。
◆
「ダンス……ですか」
ある日のこと。シャルルから告げられた言葉をソニアはぽかんと繰り返した。
「ああ、君はそういう社交をしたことがないと聞いた。ならば、少しずつ練習していくのがいいんじゃないかと」
「はっ、はい、恐縮です……っ」
無教養を恥じて身をガチコチにさせるソニアにシャルルは優しく微笑む。
ソニアが華やかな舞台で表に立って目立つことはなかった。その役目はいつだって妹のものだ。
しいていうならば、ソニアは前座で、妹を引き立てるために聖女の力をうまく使えない姿を晒すのが常の役割だった。
「実は、半年後に我が国は建国祭を控えているんだ。その時に、ダンスタイムがあるから」
「なっ、なるほど!?」
建国祭。大規模な催しであることは想像に容易く、ソニアはぐっと拳を固めた。
アルノーツの建国祭は……そういえばこの間、終わってしまったばかりだな、とソニアは思い出す。
アルノーツは閉鎖的なところがある国で、建国祭に他国を招く習慣はなかった。ティエラリアと和睦を結んだからといっても、今回もティエラリアを招待するということはなかったようだったが。
「ティエラリアの建国祭では他国からもご招待客を招くのですか?」
「ああ。我が国は他国の力添えがあって存続している面があるからね、前に温室に連れていったときも話したろう?」
ソニアは頷く。ティエラリアは食糧を他国からの輸入に頼っている。ティエラリアの国にとって社交は重要なのだろう。
「……あの、シャルル様」
恐る恐る、ソニアは小さく手を挙げる。
「なんだい、ソニア」
「これまでのお話を伺いますと……つまり、私は……シャルル様の妻として建国祭に出席する、と……そういうことでしょうか」
「当たり前だろう」
(この罪深い女を妻として……!?)
ソニアはとんでもない事態に目の端に涙を滲ませながら必死に首を振った。
「よ、よろしいのですか!? こ、こんな、偽りの聖女を公に、妻などと……!?」
「君との結婚はすでに近隣各国はもちろん、世界中が知るところだ。結婚式のときにパレードまでしたじゃないか」
「そ、それはそうですが……」
ソニアは顔を俯かせ、胸の前で手元をいじりながら、どうにかシャルルを説得しようと言葉を絞り出す。
「わ、私と……アルノーツの罪が明るみに出たときに、シャルル様にご迷惑がかかるのではないでしょうか。本来は和睦のための婚姻です、不自然に隠すこともまた望ましくないとは存じますが、こう……私の露出は必要最低限に留めておいたほうが……」
「俺のことを心配してくれているのは嬉しいな。……でも、君がしているのはいらない心配だよ」
「ひえ」
シャルルは顔を綻ばせ、愛おしげにソニアを見つめる。
途端、ソニアは身を縮こませて、ウジウジとしていた両手をぎゅうと組むように握りしめた。
「再三伝えているが、君が思っているような罪は、君にはない。我々が君を罪人として扱うことはこれから先も絶対にないと誓える」
「で、でも……。私は……。シャルル様は、私の持つ力を、全てごらんになられたでしょう。草木を枯らせ、人の傷も癒せない。滅ぼすことだけが得意な『災厄』の力。……それに加えて、私は王族の人間としてふさわしい教養もありません」
「教養などこれからいくらでも学べばいいだろう。それに君は食べるのだって十分きれいだし、姿勢もいい。どんな人に対しても丁寧で優しい人柄だ、なにも恥じることはないと思うが」
シャルルは言いながら、背を屈めた。ソニアの目線に合わせて、ジッとソニアの顔を覗き込む。
いつ見ても「きれい」と見惚れてしまうような透き通ったオリーブグリーンの瞳が、すぐそこでソニアを見つめていた。
「ソニア。もう忘れてしまったか? 俺は君が好きだと言っただろう。俺は君の夫であり続けたい。……君が、どうしても嫌だと言わない限りは」
「え、ええと」
「俺が君のこと、好きだということは、忘れてしまっていた?」
「わ、忘れてません、しかと、覚えております……」
「君は俺とずっと婚姻関係にあるのは嫌?」
「い、嫌なわけありません」
ソニアはふるふると首を横に振る。嫌なわけがない、シャルルとの結婚生活、この城での生活は、ソニアには恵まれすぎだ。
ただ、己がそれを身に受けて良い立場ではないということが問題なのである。
ソニアの葛藤はさておき、シャルルはソニアの答えを聞くと、ニコリと笑みを深め、ソニアの手を取るとチュッと音を立てて口づけを落とした。
「ああ、それから、ソニア」
「は、はい」
たっぷりと余韻を持たせてから、シャルルは身を起こし、高い上背でソニアを見下ろしながら言った。
「俺は……いや、我が国は君は紛れもなく『聖女』だと考えているよ」
「――え?」
投げかけられた言葉にソニアは目を丸くする。
聖女?
私が?
なぜ?
ソニアは目を丸くしたまま、硬直する。
(え……。いままで私、シャルル様には、いかに私が聖女でないかという……姿しかお見せしていないのですが……)
「――ああ、そうだ、それで、話を戻すが」
呆然としているソニアの耳にシャルルの咳払いが耳に入った。
ハッと意識を取り戻すものの、ソニアはまだ思考が宇宙の中に取り残されているような気分だった。
「ティエラリア王族伝統の踊りというものがあって、それは母から子、姉から妹、兄から弟と伝えられるんだ。……なので」
「なので?」
「君はお義姉さんから習ってくれ」
「え――」
ぼんやりとしていた頭が強制的に現実に引き戻される。
そんなわけで、ソニアは義姉――すなわち、王妃殿下直々にダンスレッスンを受けることとなったのだった。
◆
「いつも会うのは食事のときくらいですものね。近くで接する機会ができて嬉しいわ」
「きょ、恐縮です……っ」
たおやかに笑うマリアに対し、ソニアは肩に力を入れて身を固くして答えた。
マリアは間違いなく、穏やかで心優しい人物である。まさに国の母にふさわしい柔らかな印象の女性だ。
「ソニアさんは手足が長くてスラリとしているから、振り付けをマスターして堂々とできるようになったら、きっとみんなが見惚れるようになりますよ」
「は、はいっ、ありがとうございますっ」
「もう、ソニアさんたら。いつまでも初々しいんだから」
「す、すみません、私、物覚えが悪く……」
「そんなことないわ。一日でこれだけ踊れるようになればたいしたものよ。明日も頑張りましょうね」
「はいっ……」
罪の意識からつい一線を引いてしまうソニアにもマリアは優しい。
マリアの優しさへの感謝と、申し訳なさにソニアはいっぱいいっぱいになりながらも懸命に頷いた。
(あ、明日も、マリア様とダンスレッスン、毎日……えっ、建国祭は半年後と聞いていますが、もしや半年間、毎日……!?)
お忙しいマリア様の貴重な時間を自分のために使わせてしまうなんて、申し訳がなさすぎる。
――一日も早く、踊りをマスターしなければ――。
ソニアは震えながら、固く決意するのだった。







