独りの話
科学技術とは恐ろしいものだと、ルィヘン・シンルースは常々ひしひしと感じてきたが、最近のそれは異常だった。
旧エルフィンド陸軍の使用していたキャメロット製のレバー・アクションライフル、、メイフィールド・マルティニ小銃は間違いなく傑作だ。それまでの前装式パーカッションや、前装式を据えなおした銃よりも遥かに機能的で速射性に優れ、キャメロット自身の戦訓によって改良され信頼性と実用性にも優れている。5.5グラムの黒色火薬を使う口径10.16mm、弾頭重量24.9グラムのカートリッジは威力も射程も申し分なく、そのレバー・アクションによって速射性にも優れている。申し分ない銃だ。申し分ない銃だった。
オルクセン陸軍のGewは、率直に言って堅牢で強烈だった。強力な発射薬、洗練された弾頭形状、そしてそれらを使っても破損しない堅牢な薬室とボルトアクション。膝射や立射、たとえば陣地に籠って速射するというのならメイフィールド・マルティニはGewには勝るだろう。騎兵銃としてもメイフィールド・マルティニの方が扱いやすいかもしれない。
だが、歩兵の野戦ならどうだ。空薬きょうを吐き出すためにレバーを操作する懐の余裕がなければ、メイフィールド・マルティニの速射性は損なわれてしまう。Gewといったら、ぶつけても変形しそうにないボルトハンドルを上に持って行って、引くだけでいい。安全装置などは操作が簡単で覚えやすく、セーフティーレバーが右と左どちらかを確認するだけで安全装置のかかりを視認できる。スリングを通すリングの位置も、後部のリングがストックに取り付けられているからすぐにトリガーに指を通せそうだった。旧来のものはハンドガードの前側に備え付けられていて、ストックの部分が遊びになって揺れるせいで足にぶつける奴もいた。Gewはスリング位置が是正されたおかげで、スリングにテンションをかけていれば小銃はぶらつかない。堅牢で信頼性があり、それでいて行軍中に余計なストレスが加わらないようになっている銃は、いつの時代であれ良い銃だ。
「この銃と火砲にグラックストン機関砲か。良いな、これは。良い戦争ができそうだ」
そんな物騒なことをつい口にして、数人のオークとほとんどの白エルフを愕然とさせつつ、軍事教練に明け暮れているうちに夏が終わり、時は星暦八七八年の十月になっていた。
国家憲兵隊予備隊第三管区隊が初仕事で野盗の掃討任務を終えるなど、国家憲兵隊予備隊として活動も始まったこの頃、ルィヘン・シンルースはこの間にすっかり片腕でライフルを撃つ方法を身に着けていた。オルクセンのドワーフの作った義手は義手鉤よりもなにかを支える動作に向いていたが、片手ではボルトを引けないのでいちいちストックを右腋に挟んで右手だけでボルトを回し、引かなければならなかった。それでも覚えの悪い新兵よりは素早く装填して再照準が出来た。
この短い期間ですでにルィヘン・シンルースは畏敬の念を込めて《怪物》という綽名で呼ばれている。中佐相当である以上、彼女は今や第一管区隊付の第三連隊副連隊長になっていたのだが、隊員の練兵にかなりの熱量を持って取り組んでいた。幸いにして第三連隊長はルィヘン・シンルースと知古の仲でもあったので、そうした彼女の行動を苦笑しながら認めて好きにさせていた。
第三連隊長の彼女曰く、
「彼女が練兵すれば否が応でも軍の規律と精神を叩き込まれる。それができる軍は強い。オルクセンがそうだったのだから」
と、自分はせっせと内務に取り組み、設立したばかりの軍隊のようなものの中で、己の第三連隊を仕上げる職務を忠実に遂行していた。彼女もまた北部氏族の出身だった。
ルィヘン・シンルースはある時には服務規程違反を目撃し練兵場のグラウンドを五十周するようにと懲罰で命じ、数分ほどその様子を見ていたかと思えば、そのまま後から追いかけるように走り出した。五十周走り終わった隊員たちの前にいたのは、先に五十周を走り終えて仁王立ちしているルィヘン・シンルースの姿だった。またある時には近くのちょっとした丘の頂上に昇り、練兵場に帰ってくるというカリキュラムの中、隊員たちがなにも持たずに身軽な中、ルィヘン・シンルースはサーベルと自分の拳銃を携えた将校そのままな格好で常に先頭に立って始まりから終わりまでを監督していた。途中、体調不良で倒れた者がいると衛生兵をつけてやり、ガチガチに震えて青い顔をして恐れおののく隊員に倒れるまで全力を尽くしたことを手短に称え、そのまま走り去っていった。
他、どのような課程においても彼女はそうだった。全力で事にあたろうとする者は称賛し、その結果がどうであれ軍紀に則ったものであれば褒めた。力を抜きすぎている者や、軍紀を守れない者は叱責され、懲罰を受けた。するべきことが自ずと分かる、そういう上官だった。白エルフの誇りと自負を持ち、正道を征く者であれと常に説いていた。彼女に言わせれば、先のエルフィンドは邪道に落ちたが故の末路であるらしかった。
そういうことを言う上官だったので、非常に目立った。叩き上げと言うだけあってその訓練の組み方やその他もろもろを含めて優秀なのは間違いなかったが、その彼女に心酔するような隊員が出始めたのが良くなかった。連隊長ではなく副連隊長に隊員たちが靡いていった。必然的に内務に比重を置いていた連隊長の権威が徐々に失われ始め、その動きに連隊長とルィヘン・シンルースが気づいた時には修正は困難な段階にまでなっていた。二人はこの手の出来事を処理しようと問題に取り組んだが、修正は難しかった。シンルースがどれだけ連隊長の命令に忠実であっても、連隊長への敬礼や所作などが完璧であっても、一部の隊員はエルフ離れしたオークのようなやり方をするこの副連隊長に心酔していた。敗戦の衝撃と挫折が、想像以上に白エルフとしての自尊心を破壊していたのだと二人が気づいた時には、第一管区隊がその問題を発見していた。ほのかに《復讐主義(Revanchism)》の兆候すらあると第三連隊長が苦々しく思って鎮静化に努力しても、もはや問題を内密にするのは難しかった。
その問題がオルクセン側にしてもエルフィンド側からしても悪目立ちするのは当然のことだった。誰か一人の影響力が強くなりすぎる、というのも、オルクセン側からしてみれば危惧するところでもあった。敗戦によるショックから反動的運動が始まるのをもっとも危惧していたのは占領軍であるオルクセンだった。そういうこともあって、人事的にも組織的にもなんら問題のない範囲で彼女を現場から遠ざけようとする動きが出来上がるのも無理からぬことだった。
彼女を現場に投入したが最後、政治的にも体制的にも微妙なバランス感覚が必要な中に、いきなり物言わぬ砲弾が飛び込んでくるような展開になる恐れもあり、オルクセンとしてはここまで現場向きの指揮官をこの時期に登用し続けるのは組織の精神面で良いことにはならないだろうという両者ともに協力するだけの背景もあった。彼女はたしかにこの状況においてまず兵を育てるには適任であったかもしれないが、その段階を過ぎるとむしろその能力が一部の方面で高すぎる故にやり過ぎてしまって使い勝手が悪い。立ち上げ当初はたしかに彼女の剛健さや叩き上げっぷりが必要とされたかもしれないが、今欲しいのは安定した裁量と駆け引きの上手い人材となっていて、ルィヘン・シンルースとは真逆の存在だった。国家憲兵隊予備隊は、軍隊ではないのだから。
詰まる所、今、彼女がここに居て良い理由があまりにも少なすぎた。彼女と連隊長が問題を是正できなかったのは確認が取れていた。問題をややこしくしたのは第三連隊の練度と統制は、この問題を抜きにしてもかなり取れていたということだった。ともあれ、他にもいくつか彼女の預かり知らぬところで不穏な情報が幾つか上がっていたこともあり、突如として一週間の休暇を命ぜられた。休暇から復帰した際には大佐相当への昇進が決まっており、星暦八七八年の十月三十日、人事上の観点からというそれらしい理由がでっち上げられていた。
「そういうことでしたら、了解いたしました」
それを告げられるとルィヘン・シンルースは、あっさりと休暇に入った。
人事はこのルィヘン・シンルースが大佐相当に昇進するということもあって、階級上、連隊長にしなければならないということに頭を悩ませ、彼女の副官として適任な人材を探すことに苦慮することになるのだが、それはルィヘン・シンルースのあずかり知るところではなかった。人事のことは人事の仕事なのだから、干渉するべきではないのだ。
―――
ルィヘン・シンルースがぶら下げているサーベルと拳銃は、自前だった。将校としてはそれらの装備を自分で購入するのはまったく珍しくないことであったし、むしろそれがこの時代は普通であった。将校であれば軍服の仕立てや拳銃などは自分で店を選び仕上げるものであって、それ故に軍服の仕立ての良さはその将校がどれだけ金銭的に余裕があるか、良い店を知ることができる人脈を持っているかに直結している。みすぼらしい恰好をして安物の拳銃をぶら下げている将校は見栄えもしなければ一目置かれることもない。下士官なら金の使い方の上手い下手が見栄えで測られる。そのような風土であったから、ルィヘン・シンルースと言えどもお気に入りの仕立て屋があり、また拳銃も良いものを仕入れさせていた。
開戦時、エルフィンドの拳銃需要は混迷していた。それまでは細身なグロワールのルフォッシュ・リボルバーが人気であり、他にもいくつもの国の拳銃が将校や下士官のホルスターに収まっていた。基本的に拳銃と言うのは攻撃的な武器というよりは、将校のシンボル、ステータスの一つである面が強く、大柄で重いものよりも小柄で軽く、持ち運びが快適なものが選ばれやすい傾向があった。ルィヘン・シンルースはもちろん拳銃も攻撃的武器であると考える性質であったので、大柄で重く威力があるものを好んでいた。入手できるものの中で、ルィヘン・シンルースは四十四口径のパーカッション式、サイドハンマー方式の、キャメロット製カーズ・リボルバーというものを愛用していた。これはセンチュリースターの南軍騎兵が好んで使っていたものだった。
国家憲兵隊予備隊において拳銃というのは、少々扱いが二転三転した。当初は武器供与の中にオルクセン製の雑多なリボルバーを必要数分送ることにしたかったのだが、そもそもオルクセン製のリボルバーは種族事に仕様が最低一つは存在するというもので、そこに口径や銃身長などのバリエーションもあって複雑怪奇な有様になっていた。また、オルクセンが拳銃を供与するとなると、現地のキャメロットやグロワールとの繋がりや流通経路やそれらを取り扱ってきたノウハウが市井に流出して銃器密輸の温床になる可能性も無視できなかった。保管されていた拳銃の状態も良いものと悪いものが混じり合った玉石混交状態で、継続的な仕様に耐えられるようなものではなかった。
そもそも、オルクセンの拳銃事情はライフルほど優れていたわけではない。現在ではエアハルトを含む複数のメーカーがライヒス・リボルバーという、センチュリー・スターの流れを組む独自の拳銃を正式化して配備していたが、それ以前の拳銃事情は混沌もいいところだった。あちこちの地方工場でそれぞれが自分らの兵にさまざまな拳銃を持たせていたから、統一性などはなく、片やフリントロック式の拳銃がある一方で、その隣はパーカッション式のペッパーボックスであったりと、型式も違えば口径さえも違っていた。それらを統一するというライヒス・リボルバーも、ライフルとは違って特段優れた点の存在しない大柄で動作も重い代物だった。
一方のエルフィンドは独自設計の自国製リボルバーを持たず、あるのは下士官向けに需要の高かった簡素で安価なキャメロット・ブルドッグ拳銃の生産設備やルフォッシュ・リボルバーに彫刻など施す手工業染みた小さな会社があるくらいで、生産といっても一から部品を作るのではなく、エルフィンド仕様の小口径モデルの部品を発注し、輸入した部品をエルフィンドの工場で組み立てるようなものしかなかった。それにしても、部品の噛み合わせが悪いだとか甘いだとかであまり評価のいいものではなかった。ブルドッグの名の通り、銃身の極端に短い小柄な拳銃は不細工に見えるために将校たちにも一部の下士官にも好まれていなかった。安価で持ち運びが楽で頑丈なのでそれでも生き残っていたが、それだけのことだった。止めになったのは戦争での海上封鎖で、部品が入らなくなったために会社は潰れ、それを国が買い取ってとりあえずあるだけの部品を組み上げて供給したためにこのリボルバーの評価は地に落ちていた。
そういうこともあって、エルフィンドの拳銃は従来と変わらず国家憲兵隊予備隊の酒保部運営組織がそれらの輸入と取り扱いを行うことになっている。エルフィンドにしてもオルクセンにしても、酒保に関しては現金のみでの取引が定められているために軍票でどうにかすることはできない。現金の手持ちはあったものの、新調するにもルィヘン・シンルースの求める代物がカタログになかったのでそれもできなかった。
お気に入りの仕立て屋に軍服を預け、ルィヘン・シンルースはしばし休暇を楽しんだ。勤務地域からの外出は届け出が必要だったため、基本的には第一管区から出ることはできなかったが、それでも休暇は楽しいものだった。外で美味い飯とワインを楽しみ、煙草を吸い、買い物をする。
敗戦と言う決定的な事実から、この国がどのようにして立ち上がろうとしているのかを、肌身で感じる。ルィヘン・シンルースにとって最愛の祖国であると同時に、最大の敵でもあった、我らが栄えある善良なるエルフィンド。愛しき、憎き、誇らしき、唾棄すべき、あらゆる感情の矛先である我が祖国。
「人は産まれの不幸転じて親を憎むが、ならエルフである俺たちは、いったいなにを恨めば良かったのだ」
ぽつりと呟きながら、ルィヘン・シンルースは買い物袋を片手に帰路に就いた。
楽しかった休日の心地が秋風によって冷たく褪せ、いつもの罪悪感が彼女の肩にのしかかる。かつて率いた部下たちの断末魔、離別の言葉、ルィヘンというエルフを信じて従った者たちの言葉、我が友、ディニエル・ギルメネルの喜び、悲しみ、慟哭。そして、ダリエンド・マルリアンの言葉。投げかけられ託され、降り積もった言霊の山。それら一つ一つが過去からルィヘン・シンルースを急き立てる。前へ、前へ、前へと。手を失おうとも、目玉を潰されようと、血を流そうとも、前へ進めと背に棘が刺さる。往かねばならぬ、歩き続けねばならぬ、止まってはならぬ、進まねばならぬ。
断じて、止まってはならぬ。
……駐屯地の近くにある小さな家に着いた時、ルィヘン・シンルースは買い物袋を置くと、酒を探した。強い酒が必要だった。
今の自分に必要なのは多忙であって、休暇などではなかったのだと彼女は後悔した。
代わりに生きるべきだった者たちの顔が浮かんでは消え、最後には、誰もいなくなった。