【第11話】努力家『三宅優多』
ついに新章開幕!
2005年7月27日7時45分
その時刻に産まれてきた1人の男の子は「優多」と名付けられた。
「やりましたね、お母さん。立派な男の子ですよ。」
この時、父は外せない仕事で忙しかった。
仕事が終わってすぐ、車をバンバンにとばし、病院に向かった。
―バンッ!
父が運転していた車は、大型トラックと衝突した。
この衝撃で、父は意識不明の重体となり、すぐに病院で搬送された。
しかし、この時は身元が分からず、母がいる病院には連絡が行かなかった。
父は別の病院にて、治療が始められたが、15分程度経過して心臓が完全に停止し、他界した。
このことを知らされたのは俺が小学生になった時である。
自分だけ父がいないという悲しさ。
そして、俺は当時父を憎んでいた。
なぜなら、いじめに遭ったからである。
授業参観になっても母は仕事で大忙し。
誰も見にこないことを疑問に思ったクラスメイトがいじめてきた。
「やーいやーい。お前の家親いねえのかよ。」
「どんまーい。」
このいじめは小6になっても続いていた。
そして、俺は小6になっても父を憎んでいた。
「なんで俺だけなんだよ。ふざけんなよ。」
泣きながらこんな言葉をずっと言い続けていた。
そして中学生。
みんな中学生になったからか、いじめはキッパリとなくなった。でも、毎日のように母に会えない日々。
1人孤独だった。
ただ俺はその時こう思っていた。
[この孤独な時間になにか出来ないだろうか。]
こう思い始めたのが、俺のYouTuber人生の始まりである。
母には内緒でゲーム実況を始めた。
もちろん、最初は全く上手くいかなかった。
ただ、一つの動画をきっかけに200人程度だったチャンネル登録者数が一気に伸びた。
その内容とは、「自分の家庭について」という動画である。
自分の家庭状況をネットに公開したのだ。
今、母は仕事でほとんど帰って来れないこと。
父は俺が産まれた日に他界したこと。
そして俺は今、中学生で、1人で動画投稿をしているということ。
などなど、とにかく全てを公開した。
この動画で一気に伸び、応援コメントが多数寄せられた。
とても元気が出た。
俺はまた1から本格的にゲーム実況を始めようと思ったのだ。
色々なYouTuberをとにかく研究し、
いい所はとにかく取り入れた。
それが功を奏し、俺はずっと目標としていた1万人に到達したのだ。
もう嬉しくてたまらなかった。
そして俺は1万人達成と同時にこう思った。
『YouTuberとして生きよう。そして、母を絶対に楽させてあげるのだ。』と。




