れみょんのRPGゲーム体験記
ざっくり2020年春。
新型コロナウイルス流行を受けて、外出自粛が求められる中、久しぶりにゲームというものをやってみた。
今回しるすのは、RPG、もっと詳細にいうとダンジョンRPGというジャンルになるのだろうか。それをやってみて思ったことの美貌である。間違えた、備忘である。
さて、今回プレイしたものは、調べてみるとどうやら今から8年前に発売されたゲームらしい。筆者が中高生の頃になんどもデータを消してくりかえし遊んでいたお気に入りのゲームの次につづくタイトルなのだが、ハードが替わり、映像も二次元的なドット絵から3Dといわれるようなものに変わったりと、知らないうちにいろいろと進化していたようだった。
筆者は大学入学前に(つまり、お気に入りの前作をプレイしていたのとあまり変わらない時期に)、たまたま他のゲームをやるために新たなハードを購入していたのだが、それ以降あまりゲームというものをやらなくなってしまったために、こうして時を経て、今回たまたま時間ができたので機会を設けたのである。
いやー、もともとやりたかったんですよ。というのも、新キャラクターの蛇さんが好きで好きで。別シリーズのゲームですでに出てたキャラクターなんですが、ダンジョンの新タイトルが出たら自分のアバターとして操作できるから、やりたいーって思ってたんですよ。
でもねー、ハード替わっちゃって、それ手に入れたときにはもう大学入学前で、入学したらもうほとんどやらなくなっちゃったし、なによりソフト買うとなるとお金かかるし面倒だしーっていうんで、結局やらずじまい。
で、今回いざやろうと思って調べてみたところ、なんとその後にまた新しいタイトルが出てて……、つまり、蛇さんでプレイできるタイトルが二種類もあったんですね。で、どっちがいいかなー(選択ポイント:他にどんなキャラクターが出るのかなー)と調べてるうちにストーリーに関わる登場キャラクターのネタバレに行きついてしまって、「あ」に濁点つけて3秒間くらい叫ぶような事態になってしまったっていう……のも話したいけれど、脇道に逸れるので今回は割愛するとして。ああ、割愛といえば、ゲーム関係ないけどあれ思い出すね、公共放送でやってたコント番組のネタの……っての話し出すとまたあたかも毛細血管のように脇道がさらに分岐してしまってなんの話だっけ、ってなるのでやめるとして。
あ、そうそう。コントとはまた違うかもだけど、家でやるんで、登場キャラクターごとに声を変えて演じ分けながらやってました。これがなかなか楽しいもので。小説とかだと地の文もあるし視点が固定されてたりもするし、多くのキャラクターを演じ分けられるっていう点ではRPGゲームってなかなかのスグレモンですよこれ。声までやってこそ、ほんとのロール・プレイイングです。
で、なんの話だっけ。
あ、そうそう。それで、結局8年前に出たタイトルを選んでプレイしたんですが……、ここまででなんのシリーズのなんてタイトルかっていうのがわかってしまう方もいらっしゃるかと思うんですが、匿名とはいえこういうところで具体的な商標とかあまり出したくないんで、わかってしまっても、お口ファスナーもしくはお口ステープラーでお願いします。
それでですね、ここまで書いてるうちにもう何について記そうとしていたのか忘れかけてるんですが……、そうそう、ゲームですから世界を救ってやるぜ的な世界観? なんですけど、そんな中にも意外と今見ている現実と通じる部分が多いなっていうのがあって。それが今回の体験記のテーマです。
ゲームストーリーのテーマとして盛り込まれているものとして、まず不信感のようなものがあって。一見仲良さそうに見えるゲームのキャラクターたちなんですが、一枚岩かというとそうでもなくて、脆い部分がチョコチョコと描かれている。「話したらみんな信じてくれるぜ!」みたいなシーンでもやっぱりワンクッションあって、しかも最終的にみんな完全に団結するとかじゃなくて、最後までモヤモヤするような、まとまんねーなこいつらって感じも残るので、そういうところにリアリズムを感じました。(敵だったのが仲間になるってキャラクターにも二種類いて、改心して協力的になってくれるやつと、嫌々ながらも協力してくれるやつと。最初はこのポジションふたりもいるかって思ってたんですが、あらためて考えてみると納得です。)
今回の現実のコロナ騒動でも、「みんななんとなくわかってくれるぜ」みたいなのが通じないんだなと感じることが多々あったかと思います。中には、ふだん分かり合えてると思ってた人たちの独自の価値観や考え方を知ってしまって、「こいつこんな考えで生きてたのかよ」と、身近な隣人にゾッとするような価値観の相違を憶えてしまった人って多いんじゃないかなと思います。家族でさえ、そういうことってあるでしょう。なにか差し迫った危機が訪れてはじめて、本性や価値観がわかるっていうこと。
海外ではある程度法律で押さえ込めるところも、日本ではお馴染みの「礼」であったり「暗黙の了解」に頼っている部分が大きい。それってこの問題にかぎらず、たとえば二次創作界隈もそうなんだけど(法によらず権利者による黙認で成り立っている、という意味で)、今回の騒動ではその「言わなくてもわかるだろ」っていう文化の限界のようなものを感じたりしました。かといってじゃあ海外のやり方を無理矢理導入して日本でうまくいくかっていうとそうでもなさそうなんだけど……。でも、信頼というかコモンセンスというか、そういうものの不安定さ……やっぱり、そういうのを無視せずに、過信せずに程よくうまく付き合っていくっていうのが大事なんでしょうね、なんて。
とにかく、今回ゲームをやっていて、現実問題としてリンクしている部分がすごくタイムリーでジーンとくるなあって思ったんです。そうそう、世界の危機に際して、根拠のないデマを拡めんじゃねーよ、みたいなのも盛り込まれてて、思わず「予言者か!」と叫びたくなるようなシーンもありました。
で、もうひとつ。
これは今回プレイしたゲームにかぎったことじゃないんですが。
RPGをやるときって、世界の危機に際しても、いろいろと余計なことを考えたりするじゃないですか。具体的にいうと、クリア後のお楽しみのためにこのアイテムはとっておこうとか……ないかな、そんなことって。
とにかく、いますべてを注ぎ込んででも目の前のボスを倒さなきゃいけないってときに、他のことを考えてしまうってあると思うんです。とりあえずダンジョンに入る前に話しかけられる人全員に話しかけとこう、とかもね。
それって自分がプレイヤーであってこれがゲームだってことがわかってるから、急がなくても「世界が終わることなんてない」「捕まった仲間が殺されるわけがない」「ボスは逃げずに待っててくれてる」っていうのがわかってるからなんですけど、ふしぎなことに、これって現実でもありうるんだなって。
命が危険ってときに未来の生活のことを気にしたり、ちょっと待ってよって言ってみたり……人間ってやっぱり融通のきかない生き物なんだなって思いました。以前はゲーム特有のものだと思ってた、つまり仕様上の問題で、リアリティに欠ける部分だと思っていたんですが、そんなこともないのかもしれない。これから世界を救いにいくんだから、アイテム料金ツケにしてくれよ世界が潰れたらあんたも商売できないじゃんああ……とかもね。
って感じです。
じゃ、クリア後のストーリー、行ってきます。
もひとつの収穫として。
声までロールプレイイングしたってのは本文に記した通りなんですが……、
仲間やら敵やらに自分の名前ってけっこう呼ばれたりするので、「れみょん」がいかに発音しにくいかってのがよくわかりました。