初夏は風に撫でられる
少年少女は目的地を目指し、少し背の高い緑草の生い茂る閑静な道らしき道をおんぼろバイクはぺぺぺと呑気にエンジンを吹かしながら轍を走っていた。
ママチャリよりはスピードが出る、その程度のものだが、頑丈さでは他のバイクに負けない。スピードが出ない原因は他にもあるが、このバイクは重くとにかく頑丈。拳銃くらいなら余裕ではじいてしまう。
そんな防御特化のバイクに乗って走っているのは、似合わない金髪の被り物に灰色パーカーの少年。被り物の下にはそれよりも少しさっぱりした漆黒の髪が埋まっている。エルフを偽る人族の少年。
トオルには妻がいる。恋人という関係を吹っ飛ばしての結婚。二人の左薬指には七色に光る宝石の指輪がはめられていた。
しかもトオルの嫁はとても美人さん。あどけない顔で笑っているところが特に可愛いらしく、トオルの特にお気に入りの表情。
トオルの嫁はよく妹と勘違いされる程度に背が低く、亜麻色の髪に耳が少し尖ったハーフエルフ。バイクが突っ切る空気は風となって腰まである長髪をわずかに靡かせる。左耳の前で編み込んだ髪を小さな青いリボンで止めているのは、昔、母にセットしてもらったのを気に入っているようだ。
肩出しの真っ白なワンピースに淡い桜色のパーカー。フードは被らず、髪を風に自由に泳がせる。
『トオルの嫁』が最近特に板に付いてきた少女ソラは、トオルの背中にしがみついてバイクでの旅を楽しんでいる。
二人が走っているのは並木道。木々が生い茂り、日陰となった道は幾分ばかり涼しい。道の端には雑草にまみれた花壇があり、昔はそれなりに人が通っていた。でも今は、旅人か商人しか通らないただの搬入路となっていた。
それでも昔の名残で路の端に並ぶ木々の一部は並木道の形を保っていた。
この並木道を通る人は少なくてもいるようで、轍の部分だけは土が硬くなって草が生えていない。
「…………」
「……すぅ……すぅ」
両者の間に会話は存在しない。バイクのタイヤが草をはじく音と静かなエンジン音が並木道の間を通り抜けるだけ。
ソラはトオルの背中にしがみついて夢の中を散歩していた。腰には赤いバンドでバイクから落ちないようトオルに固定し、寝ていても離さないという強い意思の元、トオルの背中を枕に穏やかな寝息を奏でていた。
普通なら運転を止めて適当な場所で休憩するのだが、街までもうすぐという所でもあり、バイクのスピードが出ないため、バンドで固定して運転していた。あとソラは決してトオルを離すことはない。
陽はもう少しで傾く。つい先ほどまでソラとトオルは楽しく会話をしていた。明日の予定、今日の夕食、どこに向かっているかなど、この夫婦に話題が尽きることはない。ソラにトオルのことを語らせれば丸一日語ることも可能だろう。
しかし、ソラは気持ちよさそうに寝ている。ソラを起こさないためにもトオルは黙ってハンドルを操縦していた。
トオルが気を付けることはたった一つ。安全運転だ。
スピードを出しすぎない。カーブで遠心力が極力生まれないようにする。轍を踏み外さない。車体を揺らさないようにする。
挙げれば安全運転以外にも気を付けることは出てくる。だが、トオルはソラの快適な昼寝を守るためにこれらをまとめて『安全運転』としている。
そのため、突然猛獣が現れて道を迂回しなくてはならなくなっても、トオルにとってはこれも安全運転だ。
ただ真っすぐに道を進みカーブがあれば減速して進む。それを何度も繰り返し、やがて並木道を抜けた。
抜けた先は荒野が広がる一本道。草木が鬱蒼としたところから、いきなりの荒野。木がほとんど見当たらず、視界の先までコンクリートで舗装された道が続く。
「ウッ……」
木々によって遮られていた初夏の太陽が左手に姿を現しトオルの目を眩ます。ソラはトオルの背中に頬をくっ付けて寝ていたため陽の光に起こされることはなかった。
ほんのわずかな目の眩みでも事故につながる可能性は十分ある。トオルは目が慣れるまでバイクのスピードを落とし、ほとんど足で走るのと変わらない速度で進む。
初夏とはいえ夏。陽を遮るものが無い所の太陽は猛威を振るう。じりじりと熱気を放ち、二人の肌を焼いていく。
トオルはソラにしがみつかれている分、暑さで余計に汗が額に出ている。密着度でいえばソラもそうなのだが、ソラの衣服は肩出しの涼し気なワンピース。パーカーは通気性がいいため、これくらいの熱気ならば少し熱い程度にか思わない。
それに対してトオルの着ている服は破れにくいデニムパンツ。肌を隠すような長袖シャツにパーカーまで着ているのだから暑いのは当たり前。さらには金髪の被り物が内側を蒸し焼きにしていた。
昔のトオルならバイクを停めてパーカーを脱いでいただろう。シャツの腕を捲ってパンツも裾を捲っていたはずだ。
だが、今はソラがトオルの後ろでしがみついて寝ている。気持ちよさそうな寝顔はトオルからは見えなくても寝息で察せる。
バイクを運転しながらも慎重に水分を補給しつつ荒野を進む。ソラを起こしてパーカーを脱ぐという選択肢もあったが、ソラを起こすことに迷いがあった。
今朝、トオルたちは朝食を済ませた後に、持ち物を洗濯しようと決めていた。普段使いの食器やテント、衣服など、川の水とソラの魔法で全部洗濯しようとしていた。
しかし、川を検査してみると一見綺麗な水はソラの魔法では取り除けないほどに汚れていたのだ。
ソラの水魔法で操れる程度の量なら問題なく汚れを取り除けるが、洗濯する量となれば、得意ではない水魔法では無理があった。しかし、洗濯物が溜まっていたため、ソラは少し無理をしてでも水を捻り出す事に尽力した。
頭一つ分の大きさの水を作り出しては洗濯し、風魔法と火魔法の応用で乾かしていく。水の汚れをすべて取り除くくらいならばこちらの方が疲れない。
ソラが生み出した水にトオルが洗濯物を突っ込んでざぶざぶ洗う。ソラが疲れ切らないように素早く洗った。
すべての洗濯が終わったとき、ソラはへとへとになっていた。バイクに乗っている間は休ませてあげたいというトオルの思いがこの暑さを耐える力の源になっている。
だが荒野の道のりは長い。陽はまだ高く、やがて涼しくなってくる夕方までは耐えられる自信がない。途中休憩を挟む形でソラを起こし、その時にパーカーを脱ごうと決める。
「うぅ……眩しい……」
「あ、ソラ? 起こしちゃったかな」
カーブを進んだ先で、日差しがソラの顔を焼いたタイミングで目が覚めてしまった。トオルとしてはちょうどいいタイミングだが、自分のことよりソラのことを優先したいトオルは、まだ寝ていていいと言う。
「もう、起きるよ。暑くなってきたからパーカーも脱ぎたいし。それにトオルも暑いでしょ? 私がずっとくっついていたし」
「まあね、少し暑くなってきたし丁度いいかもね。あそこの……バス停かな? あそこで少し休もうか」
「少し? こんなところで見栄なんて張らなくていいから。ほら、おでこの汗すごいよ?」
嘘が苦手なトオルの見栄なんてソラに掛かれば一発でバレる。ソラには敵わないなと思いつつトオルはバイクをバス停に急がせた。
もう、朽ちる寸前の屋根付きのバス停はもちろん無人でバスが来る気配はない。時刻表は何十年も前からそこにあるのか文字は掠れ、壁からはがれかけていた。
「暑くなってきたね、春なんかあっさり過ぎちゃったし。トオル、お水いる?」
「ありがとう、貰うよ。まだ蝉は鳴いてないけど立派な夏だよ。これからは熱中症に気を付けて旅しないとね」
ソラから受け取った水の入っている飲みかけの水筒に口を付ける。いまさら間接キスに恥ずかしがる二人ではない。
残念ながら冷たい水とはいかないが、ソラの魔法があれば水に困ることは無い。
ソラはカバンから塩飴を取り出して一つ口に入れる。ベンチに座り、口をもぐもぐさせながら夏の青くなった空を見上げ、右手の平を天に向ける。
夏らしい一筋の分厚い雲が太陽を隠すように泳ぐ。ひと時、陰になったこのバス停から見上げる空は手を伸ばしても届かない遥か先に存在する。
どこまでも続く青空を見上げ続けたソラはいつしか宙に浮かぶ感覚に陥った。手を伸ばせば届く距離。地を離れ、天を目指した先にソラは何を得るのだろうか。それは二人が最高の場所にたどり着いた時に見つかるだろうか。
「ねえ、トオル。天色ってどんな色だっけ?」
「ん? そうだね……晴天で透き通ったこんな空みたいな色だよ」
「そっか……」
トオルもソラの隣に座り、空を見上げる。両者の目的は違くても同じ目指す場所。
ゴールが目の前にあるのにいつまで走ってもたどり着かない果て。
だからといって二人は奇跡を望まない。自分たちで見つけるからこそ意味がある。たとえ寿命までに見つからなくても、この天色の空がいつか消えてしまっても、二人は最高の場所を探し続ける。
トオルはソラの真似をし、空に向かって手を伸ばした。ソラより背の高いトオルでも空に手は届かない。
「……遠いね」
「うん……でも、だからこそ私たちの目指す場所にピッタリだよ。こんな天色の空なんて毎日見られるわけじゃないし、明日には雨空に変わるかもしれない。私たちじゃ届かないほど遠くにある。だからこそ、たどり着く価値があるんじゃない?」
「そうだね、たどり着くのがいつになるのかは分からないけど、ソラと一緒ならどこへだって行ける。たとえ、手の届かない空にだって」
ソラは一人ベンチから立ち上がりバス停を出る。そして、バイクに近づき座席を軽く撫でた。
「私たちのためにありがとうね。あなたも空にたどり着く仲間なんだから」
「そろそろ行こうか」
「うん!」
元気よく返事をするソラ。独り言はトオルには聞こえず、ソラの独り言に答えるものはいない。ただ――
―――ぶるるるるん!!
エンジンをかけたときのバイクらしからぬ音は何者かに応えるように唸った。
二人と一台は走り出す。さんさんと照らす太陽は二人の行く先を照らし、バイクは空気を切り裂き進む。
初夏の暑い風は二人の肌を優しく撫で、そのまま後ろに過ぎ去っていった。
天色の空がどこまでも続く、二人の心も今は天色だった。夏の匂いは空のように爽やかで二人の旅の続きを歓迎した。




