記念写真2
「ソラちゃん、決まったかい?」
「はい、これにしようと思います」
ソラが手に取ったのは純白のドレス。いわゆるウェディングドレスだ。
この写真屋は昔、ドワーフの夫婦が数多く訪れ、式を挙げられない夫婦がドレスを求めることがあった。
それなりに需要があると判断したニーイは種族ごとに合わせたドレスをいくつか揃え、それ用のプランを設定した。
ソラの採寸は先ほど終わっており、やっとのことで決めたドレスはぱっと見は子ども用。ソラは、ウェディングドレスに子供用なんかがあるのかと思ったが、ドワーフからしたらこのサイズで大人用だった。
種族や人種でそれぞれ文化は存在するが、過去に世界を支配していたのは人族。その人族の文化が他種族に大きく影響を与えている。
今はエルフの文化が浸透しつつあるが、長い歴史を持つ人族の文化はまだまだ根強い。
「それじゃあ、試着してみなさい。合わなくても少しだったら手直しするから」
「そんなことまで……本当にありがとうございます! トオルを待たせてるし、急いで着替えます」
「男は待たせるくらいがちょうどいい。ゆっくり着替えな」
ニーイは裁縫セットを取りに寝室を出る。ソラは初めて触れたウェディングドレスに感動を覚えながらも普段のワンピースを脱いで試着してみる。途中、どうすればいいか分からなくなってからは、戻ってきたニーイの手を借りて最後まで着る。
「うん、腰回りが少し余っているから、そこを直せばピッタリかね。内側からちょっと手直しするから、悪いけど脱いでくれるかい」
ソラは言われた通り脱いで、一度ワンピースに着替え直す。あとはニーイが手直ししているのを見て待っている。
「私、こんなドレスを着られることなんてないって思ってましたから、本当にうれしいです」
「ウェディングドレスは女の夢よ。昔の女は結婚して一人前、男を見つけられずに婚期を逃したものは街中の笑いもんだったよ。だが、結婚出来てもウェディングドレスを着れるのはほんの一握り。わしも周りと同じく夢見る少女だったのよ」
ニーイは昔話が好きなようで手直ししながらソラに話す。今は老女でもソラと同じ少女だった頃がある。そして、ソラのように熱い恋をした。それが懐かしくてニーイは語る。
その話はソラにはとても共感できるもの。二人とも同じ恋をし、旦那のことを語りたい同士でもある。馬が合い、手直しの間はお互いの旦那の自慢話で盛り上がった。
「ほら、できたよ。着替えてみな」
てきぱきと手直ししたドレスにソラが袖を通す。ニーイの腕は驚くほど正確で、二度目の手直しを必要としなかった。
ソラがニーイと旦那の話で盛り上がっている間、トオルは椅子に座ってずっとそわそわしていた。
それもそのはず、トオルがタキシードを着ているということは、ソラはウェディングドレスを着てくる。そのことが頭から離れられず、トオルは悶々としていた。
「どうしよう……最初はなんて言えばいいのかな? 美しい? 似合ってる?」
トオルはセリフをいろいろ考えるが、その内容は幼稚なセリフから「白薔薇のように美しい」「この世界で君以上に可愛い人はいない」などと趣旨からかけ離れたものまで。
一度落ち着こうと立ち上がり、背伸びをした時に扉は開かれた――
「トオル、準備はいいかの?」
ニーイはにやにやした顔で扉から顔だけを覗かせる。
トオルは緊張で固唾をのみ、ゆっくり頷く。それを見たニーイはソラを呼ぶ。
ニーイはトオルの横に並び、仕事用ではないカメラを構える。トオルはタキシードを正し、背筋を伸ばして扉からソラが現れるのを待った。
窓には暗幕がかかっていて、薄く照らすライトがトオルにより緊張を誘った。
――がちゃっ
「――ッ!」
トオルが鋭く息をのむ。それから呼吸を忘れたように溜息を漏らす。姿を現した白い妖精にトオルはすべてを奪われ、魅了された。
足元まである膨らんだスカート部分にたくさんのフリルがあしらわれた純白のウェディングドレスは、ソラを妖精にした。赤に近い桃の口紅、白いイブニンググローブから覗く白磁の肌は少し紅潮し、子ども体型のソラからは想像もできない大人を纏った艶姿。
普段、トオルに見せる大人らしい部分を余裕で凌駕し、見ることのできない隠れた姿が今、トオルの前で前面に押し出されていた。
トオルの瞬きすらも奪った亜麻色の髪にピンクの花を飾った白い妖精は、メイクを施していても分かるほどに頬を赤くしてはにかみ、トオルを見つめていた。
――カシャッ!
二人が見つめ合っている様子を離れた所からカメラで撮るニーイ。
シャッター音は二人に魔法を掛けた。たった一枚しか撮れなくてもニーイの撮る写真は一枚一枚が最高のもの。
「二人とも、ちゃんとした写真撮るからこっちの壁に並びな」
スタジオに置いてある大きな三脚カメラに向かうニーイ。トオルはソラに近づき、右手を差し出した。
ソラはトオルの手を恭しく取り、腕を組んで指定された場所に向かう。
「何枚か撮ってあげるから、どう映りたいかは相談して決めな」
ニーイの言葉に顔を見合わせる二人。どうしようかと相談している姿は初々しい新婚らしさが窺える。
「最初は腕を組んだままでいいかな?」
「うん、トオルの好きなようにしていいよ」
「二人ともいいかい? それじゃあいくよ、ほら、トオルは笑顔を頑張って……はい」
カシャッ! シャッターを切る子気味良い音がスタジオに響く。それからわずかに態勢を変えながら数枚カメラに撮られる。
「もっといちゃついたらどうだい? 腕を組むだけじゃ寂しくないかい?」
「そうですね……それじゃ!」
「え? ……きゃっ!」
トオルはソラの背中と膝裏に腕を差し入れ、紙のように軽い身体を抱えて持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつで、なんだかんだソラは初体験だった。トオルはなんだか吹っ切れているのか、その動きに迷いはなかった。
「これでどうかな? 姉さん?」
「ああ、最高にかっこいいさ。レギン」
「レギン?」
ニーイはシャッターを切る。ニーイがのぞくファインダーの奥に見えるのは、もう会うことの叶わなくなった弟の姿。その弟が花嫁を連れて帰ってきた。
そんな幻にニーイの涙腺が緩む。久しぶりの弟の姿にスタジオにはニーイの家族が総出で祝っているような幻覚まで見える。ニーイはファインダーを覗いている間、家族を見続けた。
トオルとソラがぎこちない笑顔で見つめ合っている姿をカメラに収める。
それは何度も繰り返され、疑似的な結婚式はこのスタジオにいる三人が満足するまで続いた。
撮影が終わり、トオルとソラは名残惜しくも衣装を着替える。洗面所で交互にメイクを落としていき、いつも通りの二人に戻った。
「ウェディングドレスもいいけど、やっぱりいつもの服が一番落ち着くね」
「そうだね、タキシードは着ているだけで緊張しちゃうよ」
「トオル、ソラちゃん、現像が終わったからこっちに来ておくれ」
ドワーフの作業技術は全種族でトップクラス。仕事の速さなら横に並ぶ種族はいないと言われている。
ニーイは二人を呼び寄せ、居間で写真を広げる。そこにはぎこちない笑顔や、見つめ合っている様子のトオルとソラの写真が多種多様に切り取られていた。
本当はこんなに撮るつもりはなかったニーイは自身でも驚いている。それでも弟が見えたのならこれでいいかと満足していた。
写真の中にニーイの弟、レギンはいない。その事実はお別れを告げているようで本当にあっけないものだった。
「わしのわがままを聞いてくれたお礼さ、これは写真を入れる用のアルバム。このまま埃を被るくらいならあんたらに使われな。これに入るだけ入れていきな」
ニーイがトオルとソラに渡したのは複数枚写真を入れられるアルバム。ソラは真っ先にお姫様抱っこされた写真を手に取り、一ページ目の最初に入れた。
「やっぱりこれが一番うれしかった。トオルから積極的になってくれるのってあまりないから」
「そうだっけ?」
「旦那がだらしないときは嫁が叱ってやるのが上手くいくコツさ。叱りすぎは要注意だけどね」
二対一で逃げ場のないトオルは女性陣の言葉を頭に入れず、黙々と写真をアルバムに入れていく。
「あの、アルバムに入れない分でこの写真もいただいてもいいですか?」
「ん? それは他よりも画像が荒いけどいいのかい?」
トオルが手に取ったのは最初の一枚。ニーイが仕事用ではないカメラで撮った、着替えた二人の初顔合わせの写真。二人の出会いをカメラに収めたその写真はトオルにとってどの写真よりも気に入っていた。
「そんなに気に入ったのなら持っていきなさい。ほら、ソラちゃんもどんどん選んで!」
三人は和気あいあいと写真を手に取り、気が付けばアルバムは最後一ページを残して埋まってしまった。
「今更だけど、似たような写真で全部埋めちゃったね」
「ソラちゃん、写真というのはもっと高価で滅多に撮ることなんてできないんだよ。アルバムが埋まるまで写真を撮れる人なんて滅多にいない。だったら同じような写真でも埋められるソラちゃんとトオルは幸せ者さ」
机に並ぶ写真の残りはすでにアルバムに収めた写真と同じ構図ばかり。アルバム自体大きくないためにソラは少しもったいなかった。
「それなら、最後の一ページは開けておかない? 滅多に写真が撮れなくてもいつか撮った写真のために」
「それはいいね。違う写真も入れられたら、このアルバムはよりアルバムらしくなるしね」
これにはニーイも納得し、アルバムは未完成のまま閉じた。
撮影代は先ほどの通り安い。衣装代、余分に撮った写真代、メイク代、アルバム代。すべてを合わせれば、相当の値段になる。この時代、この料金でこの街の月の平均生活費と同じくらいにはある。
少しくらい払った方がいいんじゃないかと思ったトオルたちをニーイは先に止める。ニーイは満足していた。長年やってきた写真屋も今日で締めてしまおうかと思うほどに。ニーイは残り短い人生、これ以上に満足できる日はこないと確信していた。
店の外に出てきた三人は別れの時を迎える。二人は深々とお辞儀をしてニーイに感謝の言葉を伝えた。
「本当にお世話になりました。何もかも、僕たちにとって一生忘れられない思い出になりました。本当に……ありがとう、姉さん!」
「トオル、それは写真を撮り終わるまでだったから、今はいいんだよ」
ニーイの満足気な言葉にそうだっけ? と惚けるトオル。ポンッと手を打ったソラが思いついたことを口にする。
「そっか、弟さんと結婚したから、ニーイさんは私にとっての義姉さんだよね。本当にありがとうございます。弟さんを幸せにしてみせます。義姉さん!」
「ソラ、それは僕のセリフだよ」
「あんたたち……」
ニーイはもう幻でも見ることは無いと思っていた弟、レギンの姿を再び見た。
ニーイよりも背が高くて、髭が似合わなくても笑顔は誰にも負けない男。慌てるといつも手が動いてしまう癖。
トオルとは全く別人なのに、まるでレギン本人。だが、先ほどのように涙を流さない。ニーイはレギンが紛争地帯に行くときに約束したことを思い出した。
『レギンが帰ってきたときは笑顔で出迎えてあげる』
ニーイはトオルとソラに向かって、皺だらけの手を伸ばし、二人の頭を撫でた。ニーイの顔は誰もが安心させられる優しい笑顔。ニーイにしかできない笑顔だった。
だから、ニーイが口に出す言葉も決まっていた。たとえ、今がお別れの状況であったとしても――
「……おかえりなさい」
「「ただいま。姉さん!」」