世界の歌姫4
石碑が残酷にも数字を変動させた。ハーフエルフの横の数字が「5」から「4」へ……。これが何を現すのか分からないトオルではない。
この世からハーフエルフが一人、天へと旅立った。嫌な予感にトオルの背中を冷たい汗が流れていく。
「ソラ……嘘だろ……まさか、そんな……そんな、なあ」
目の前の真実が受け止められず、トオルはその場に崩れ落ちる。
「君、大丈夫かい?」
涙をぼろぼろと落とし、地面に黒い染みをつくっているトオルを心配に思ったのか、エルフの少年が声をかけてきた。
座ったままのトオルに視線を合わせ、トオルが言葉を口にするのを待った。
しかし、壊れた機械のように嗚咽が止まらず、一点を見つめ続けるトオルは少年など視界に入っていないかのようだった。
石碑を見つめ続けるトオルがなぜ泣いているのか理解するため、少年はトオルの視線の先を追った。
何事かと買い物帰りの女性たちが集まってきては少年のようにトオルの視線を追った。
「もしかして……。ハーフエルフが一人減っているね。もしかしてあんた、あそこの爺さんと知り合いかい?」
「……へ? 爺さん?」
猫耳に白髪の毛並みをした、いかにも世間話が好きそうな獣人族の女性がトオルに聞く。
それを聞いて納得したのか、一緒にいた他の女性たちが「優しい爺さんだったからねぇ」「寿命なら幸せだったんじゃないかい?」と低いトーンで話し始めた。
「君、あそこのお爺さんは、ハーフエルフの学者として有名な人なんだ。だけど寿命が近くて昨日今日が限界だって言われてたんだ。それで数字が減ったということはやっぱり……」
「もしかしてあんた、あの爺さん以外にハーフエルフの知り合いがいたのかい?」
「なら、ソラは生きてる……?」
少年と女性の言葉に希望と元気が湧いてきたトオルは今すぐに探さなければと立ち上がろうとするが、脚は生まれたての小鹿のように不安定ですぐに倒れてしまった。
倒れるトオルをエルフの少年が受け止め、ベンチへと運んで座らせた。
「君、誰か探しているのかい?」
「ああ、大事な人がいなくなったんだ。理由は分からないけど、たぶん、僕のせいだ」
それを聞いて女性陣は辺りの人にさっそくハーフエルフを見ていないかと聞き込みをしていた。
人助けに躊躇がないところを見て、感謝で心がいっぱいになった反面、誰か見かけていてもトオルがそこに向かえなければ意味がないと項垂れた。
――ソラのような魔法があれば……。
トオルは悔しさに下唇を噛み締めた。だが、ふと隣にいる少年の髪を見た。ソラが前に教えてくれた魔法が得意な種族……。
「金髪……すみません! 強化魔法って使えますかっ?」
「え!? まあ、苦手分野だけど使えないことは無いよ。効き目があるのは精々十分程度だし、走るようなことをするなら負担はすごく大きいよ」
「構いません。僕の脚に強化魔法をかけてください」
ベンチに座ったまま頭を下げたトオルの態度は真剣そのもので、その勢いに少年は一瞬たじろいだ。少年は他に強化魔法が使える人はいないのかと辺りを見渡したが、使えない人か、同じく苦手だと言う人しかいなかった。
苦手分野の魔法を使っていいものかと少年のプライドと良心が天秤にかけられ、数秒の思考の後、良心が勝った。
「分かった。魔法をかけてあげる。だけど強化魔法は苦手だからね、荒いから魔法が切れたときの反動は大きい。ちゃんとアフターケアをすること。これだけは守ってね」
「分かりました。お願いします!」
苦手だというだけあって魔法がかかるまで十数秒の時間がかかった。
冬だというのに少年は額に玉の汗を浮かせ、トオルの脚へと集中し続けた。
「あんた! ハーフエルフの少女が人族の区画に入っていくのを見たってよ」
「ありがとうございます! ここからは僕が探しに行きます」
魔法がかかり終わるのと同時にトオルはベンチから立ち上がり、少年と女性陣にお礼を言って走り出した。
数年ぶりの駆け足に昔の血が騒ぐ。
トオルにとって走るということは戦場で敵地へと向かうということ。胸元へ両手を寄せ、まるで銃を抱えているように……。
ずっと走っていなくても、身体が覚えていた。前傾姿勢で固いアスファルトの大地を駆ける。
住む人のいなくなった人族の区画は地面が荒れ、走るにはそぐわないデコボコな通り。そんな道でもこれ以上に荒れた道を走り続けたトオルには苦にもならなかった。
どこにいるかも分からないソラを探してずんずん奥へ向かっていく。
「どこだ……どこにいるんだ! なんで突然いなくなったんだ。僕の悪いところならちゃんと直す! ソラに任せてばかりだったことも僕に出来ることならもっと手伝う! だから、姿を見せてくれ!」
トオルの悲痛な叫びは閑静な瓦礫に吸い込まれて消えていった。誰もいないのに、響くことなく、まるでトオルの言葉を遮るように。
最初はミチルの家を探した。
家の中は薄暗く、玄関にソラのブーツはなかった。荷物も置いたままだからソラは帰ってきていないと判断する。
次はトモキの家。瓦礫の中へ足を踏み入れようとして、トオル以外の足跡が無いとこに気付く。砂礫はトオルの足跡だけを残し、他は誰の足跡も残していなかった。
「ここじゃない!」
残り時間の少ない強化魔法がかけられた脚を酷使し、さらに奥へと進んだ。
これより先にあるのは墓地。トオルの先祖が眠っている場所。ソラがいるであろう心当たりはここが最後。ここにいなければ時間的にも強化魔法が切れて歩けなくなる。
「墓地にソラがいるとは思えないけど、あそこが最後の望みだ。……でも、どうしてソラはいきなり姿を消したんだ? ミチルは何か分かっていたみたいだけど。ソラは何か言ってなかったか……」
トオルは走りながら様子のおかしかったソラの言葉を思い出す。
『――証拠が欲しいな……』
「あ……証拠。でも何の?」
答えが見つからないまま、気が付くとトオルの走る速度は落ちていき、墓地を目の前にして立ち止まった。
「僕はソラがいないとイヤだ。隣にはいつもソラがいて欲しい。その気持ちは間違いないはずなのに、なんでソラは……」
その時、蝋燭の火すら消せないような弱々しい風がトオルの頬をわずかに撫でた。
「――ッ!!」
トオルは何かを理解したわけでもなく元の道を戻り始めた。坂道を全力で駆け下り、複雑な迷路のような路地へ身を投じてゆく。
魔法の使えない人族のトオルには、自然の風と魔法で生み出した魔法の風の違いなんて判断がつくはずない。
だが、トオルは先ほどの小さな風にソラの温もりを感じた。ソラへと続く一本の糸を手繰り寄せるようにトオルは風の発生源へと走り続けた。
迷いなく右へ左へと奔走するトオルは分厚い雲で隠れたその先のどこまでも続く天色の空に希う。
トオルのソラを思う気持ちは一層強く、段々と胸が締め付けられる。息切れによる痛みとは違う確固たる愛しさによる痛み。
「――そうか……分かったよ、ソラ。君が求めていたモノは――」
ギアを上げる。脚の感覚はとうに消え、無意識に動かし続ける。
魔法の効力があるギリギリのタイミング、トオルはついにたどり着いた。
そこは壊れた遊具が無残に散らかる空地のような公園。人族の区画入り口からそう離れていない位置に存在していた。
この公園は周囲を塀に囲われ、遊んだ子どもが外側に出て行かないようになっていたはずが、塀の一か所、丁度入り口から見て正面に当たる場所の塀が崩れていて、まるで穴場のようにそこからライブ会場を遠目で見られるようになっていた。
そして、その場所からライブを寂しげな表情で眺めている少女が一人。
亜麻色は夕闇に美しく銀色に輝く長髪、幼い少女のように低い身長、しかし誰かを待っているかのように大人びた立ち姿は一概に子どもだと言い切れない。左手の薬指には光によって七色に輝く鉱石が嵌め垂れた指輪。
風によって大きくはためいた髪はまるで天使の羽のようで、羽の輝きがトオルをここへ誘った。
時間もそれなりに遅く、分厚い雲で公園は薄暗いはずなのに、少女の立つ場所だけは明るく晴れていた。
「ソラ!」
トオルの声と枯れ枝を踏む音にソラが振り返り、目を丸くする。
「トオル!? どうして――」
最後の力を振り絞り、トオルはソラめがけて走った。エルフの少年は、魔法の効力は持って十分と言っていたが、実際は十五分間効力が続いた。そのおかげでトオルをこの場所へと導く手伝いとなった。
今は魔法の効力がほとんど消え、脚力を失い、時に膝がガクッと沈みながらも一直線に走る。
立っていることすら難しいはずのトオルは、根性のみで自身の身体を支えていた。
そして、驚いているソラの膝裏に手を入れ、同じ身長になるよう抱いて持ち上げる。
「ふわ!? あっ――トオ……んん!?」
ソラが何か言葉を発する前にトオルはその口を自らの口で塞いだ。離れないようソラの口をこじ開け、その中へ舌を潜り込ませる。
有無を言わせぬトオルの行為にソラがじたばたと暴れるが、足は宙に浮き、後頭部を抑えられてはさしたる意味はなかった。
されるがままトオルに口内を蹂躙され、快感がソラの脳へ電気を流すように刺激した。
暴れていた足もぽかぽかとトオルの胸を叩いていた拳も次第に大人しくなり、それらは絡みつくようにトオルを抱きしめ返した。
遠くで聞こえていたライブの音が静まり、長い歓声の声が続く。アンコール曲すら終わりを迎え、観客は興奮が冷めないまま帰路に就こうとしていた。
長く、長く続くトオルの『ソラを愛している証拠』は息が続かなくなっても酸素をすぐさま補給し再度ソラの口へと示した。
しかし、いつまでも続くと思われたトオルの愛情表現は突如として終わりを迎える。
ライブ会場の照明が落とされたのが合図とばかりに、前触れもなくトオルがその場に崩れ落ちた。
「きゃっ! ――トオル!?」
トオルの上に馬乗りとなったソラは後頭部を地面に打ち付けて気絶したトオルに声をかけた。
「早く治療しないとっ――!」
素早く立ち直ったソラは持てる力のすべてを使い、トオルをミチルの家へと運び込んだ。
トオルが目覚めたとき、最初に気付いたのは右手の小さな温もりだった。
半日以上トオルは気絶し、今は布団で丁寧に寝かされていた。そして、カーテンの隙間から漏れて入ってきた朝日によって起こされ、促されるように光の照らす先に視線を移す。
隣でソラがトオルにしがみつきながら寝ていた。穏やかな寝息をたて、しかし絶対に離さまいとトオルの手を握っている。
「すぅ……すぅ……」
「ソラ、ありがとう。僕をここまで運んでくれたんだね、それに夜通し看病までしてくれて」
トオルは口にしなかったが、ソラの目元が赤くなっていることから泣き疲れていたことにも気付く
トオルはそれなりに重症で頭には包帯、両足には大量の湿布に下手に動かさないよう固定するような添え木がされていた。
「もうこんな時間か、起こしてあげようかな」
トオルはソラを起こすため肩を叩こうとしてその手を止める。どうせなら一目見て安心させられるような起こし方がいいと考えたトオルは、二人で被っている布団をはがし、隣で添い寝をしていたソラの脇に手を入れて抱き寄せた。
ソラはトオルの腹の上でうつぶせに抱きしめられている状態。そんな異変に気付かないはずはなく、ソラはもぞもぞと目を覚ました。そして――。
「ん、トオル、おはよう……って、ええ!? 私、なんでトオルの上で寝てるの!?」
ソラはすぐに降りようとして抱きしめられていることに気付く。
そして、トオルの優しい笑顔を見て、徐々に目元に涙が溜まっていく。そして、涙の溜まったダムが決壊する前にトオルはソラを自らの胸元に寄せて、思う存分泣かせた。
「うわぁーーん! トオル~心配したよぉ、もう戻ってこないかと思ったよ~、うわあーーん!」
「ごめんよ、まさかここまで悲しませることになるとは思わなかったんだ。ミチルとばかり話していて悪かった。それにしても本当に僕がソラの元から離れると思ったのかい?」
トオルの意地悪な質問にソラが素直な言葉で答える。
「そんなわけないよぉ、トオルは私の看病をしてくれた、心配してくれた、だから、ぐす、だから最後はちゃんと帰ってきてくれるって信じてたぁ」
涙をぼろぼろと流し、鼻をぐずるソラの頭をトオルはよしよしと優しく撫でる。
そして、ソラを悲しませてしまった罪悪感に苛まれそうになったトオルは、罪滅ぼしのためにもなんでミチルとばかり話していたのかきちんと説明する必要があると判断した。
「ぐす、トオル?」
「ソラ、僕がミチルとばかり話していたのには理由があるんだ。ソラへはサプライズ的な感じで発表しようと思っていたけど、もう、ここで教えちゃうね。僕とミチルは――」
「…………」
トオルは勿体ぶるように一度肺の空気を入れ替えし、ソラの目を見て次の言葉を紡いだ。
「僕とミチルは血のつながった兄妹だったんだ」




