世界の歌姫3
「あれ……今何時だろう?」
ソラが目を覚ました時、静寂が漂う客間のひんやりとした空気に身震いした。
時計を確認してもそこまで時間は経っていないがライブ開始時刻まで残り二時間を切っている。
ソラは少し長い昼寝をしてしまったことを反省し、外出の準備をする。招待客であるソラとトオルは一般客と違って並ぶ必要はないが、トオルを待たせるのは忍びない。
「トオル、今頃楽しんでるかな……」
少し寝ていたにも関わらず、それほどすっきりしなかった頭を左右に振りながらぼうっと考え込む。
心ここにあらずの状態で何か考え込んでいたため、布団の横に水やタオルが置いてあることに気付かない。
振り子のように髪先が揺れ、思考が徐々に回転していく。
ぐぅ……――
思考がいつも通りになったと同時に空腹を知らせ、唾液が出てくる気持ち悪さを覚えながらもキッチンへと向かう。
何かを作る気になれず、ソラはパンにジャムを塗ることにした。皿に乗せ、リビングに運んでいるとソファで何かが物音を立てて動いた。
何事かと、皿を床に置き音を立てないよう警戒しながらもすっかり忘れていた明かりを点ける。
「だれ……ってトオル?」
ソファには態勢を変えて、ソラに顔を見せたトオルが眠っていた。座ったまま頭をこてんと左に向かせて器用に寝ていた。
本来なら国の観光をしているはずのトオルが、なぜ家にいるのか疑問に思うソラだったが、肌寒い部屋の中でタオルもかけず暖房も付けないでいるトオルが風邪を引いていないか心配で気が気でなかった。
明かりを点けても起きる気配のないトオルを起こそうとソラは肩を揺さぶる。
「トオル、そろそろ時間だよ。起きないと間に合わなくなるよ」
「ん? ……あれ? あ、おはよう」
「もうすぐ時間だよ。なんで家にいるの」
寝ぼけ眼のままソファから立ち上がり、目を覚ますように大きく伸びをしたトオルは目をごしごしと擦ってソラを見る。
「ソラが調子悪いのに僕だけ出かけてもなんか楽しくないと思って、近くを少し散歩して帰ってきちゃった。その後はソラの看病しつつ時間になったら起こそうと思って……僕が起こされちゃったね。あ! 何も食べてないでしょ? 簡単にだけどご飯作ったから食べて」
「トオルが作ったの? ありがとう」
ソラはトオルが料理をしたことに驚きを隠せないが、蓋をされてテーブルに置いてあるものを見る。
近づいて蓋を取り、その中にあった料理をまじまじと見る。そして、ソラはどうだとばかりに胸を張っているトオルの料理に口を付けた。
葉野菜を千切っただけのサラダに固ゆでの卵。スープだけはいつも見ているだけあってマシに作れていたが、他の料理は焦げていたり、味が薄目だったりと人様に出せるものではなかった。
「おいしい……おいしいよ。トオル」
それでも心からその言葉を言うことができたソラは、黙々とトオルの料理を食べ始めた。
固くて喉に詰まらせそうになりながらも味わうようにしっかり一つひとつの食材を咀嚼していった。
時間が経って食材は固くなり、スープは冷めてしまっている。もちろん味は落ちるし、食べ辛くもなる。それでもわずかな温かさを探し求めるようにゆっくりと口を動かした。
「ごちそうさま……おいしかったよ」
「それはよかった。失敗ばかりで無駄にした食材も多いんだ。あとでミチルに叱られるかも」
「はは、それじゃあ、見つからないようにしっかり片付けないとね」
ソラの力ない笑い方に気力の無い冗談。まだ調子が戻っていないのかとトオルが心配になる。ソラをソファに座らせ、トオルが食器を流しに運ぶ。
「まだ調子が悪いなら明日まで寝てる? ミチルも無理してまで来て欲しいとは思ってないだろうし、僕は約束しちゃったから行かないといけないけど、最悪最後のほうに顔を出せればいいし」
「ううん、大丈夫。ミチルのライブを聞いたらきっと元気が出るから、ほら、行こ」
ソラはトオルから逃げるように客室へと荷物を取りに戻る。昨日からなんだか避けられている気がしてならないトオルは原因を模索するが見当たらない。解決法も見つかりようがなく、ミチルのライブでソラが元気になってくれることを祈った。
会場が近づき、ライブの盛り上がりにあやかって並ぶ屋台やグッズ販売など、会場入りを待っていた一般客を誘惑するように声を張り上げていた。
「そうだ、ソラ、待っている間に何か食べたい物はないかい、食べ物じゃなくても欲しいものがあったら何でも言って」
「――証拠が欲しいな……」
「え? 今、なんて言ったの?」
「何でもないよ。あ、あそこの桃のジュースが飲みたいな」
ソラのつぶやくような声はライブ前の騒がしさに溶けてゆき、トオルの耳に届く前に消えてしまった。
ソラが何を言ったのか気になったトオルだが、ドリンクを販売している屋台へと歩いていくソラを追いかけるので精いっぱいだった。
特等席は邪魔の入らない二階席にある。
会場自体はドームといった室内ではないが、屋根がしっかり付いている立ち見のスペースが一階にあり、階段を上った二回には椅子が設置されている招待席。トオルたちはチケットに記された、真ん中少し右に位置する椅子に座った。
周囲にはスーツを着た国のお偉いさん方が姿を現しつつ、席を徐々に埋めていく。
ソラは桃ジュースのカップに刺さったストローからちゅうちゅうと爽やかな味わいの液体を吸いつつ豪奢なステージ上を眺めていると、二人そろってフードを被っているのが気になったのか、獣人族の少し腹が出て小太りな男がトオルの横から声をかけてくる。
あなたたちは何者なのかという男の言葉に、話すこと自体が億劫になっていたソラはトオルの右手を握った。
トオルは男に何か小声で答えている。被っているフードを触ったり左手の指輪を見せたりとしばらく話をしていた。
ソラに聞こえないように話しているところを見ると、ソラは今朝の話に関係していることなんだと察した。
いつもならトオルがソラのことをどのように紹介するのか気になる所ではあるが、今は話に加わることを避けていた。
突然照明が全て落とされる。
ざわついていた観客は一瞬で静寂に包まれ、徐々に明るくなっていくステージに歓声が沸き始める。
会場全体が揺れるような歓声にソラの全身がビクッとはねた。その様子を見ていたトオルが隣で笑っていてムスッとしたソラだったが、会場全体に鳴り響く楽器の音に意識はステージへと向けられた。
そして、会場全体を一人の女性が優しくも力強さのある歌声で柔らかく包み込む。
ソラはステージ中央にいるのが誰か本当に分からないままオープニング曲が終わった。
「あれが……ミチルなの?」
「ソラはライブを見たことが無いんだっけ? ステージに立つスターはね、字のごとく輝くんだよ。照明の力じゃない、ミチル自身が夜空に浮かぶ一番星みたいに輝くんだ。と言っても、こんなに大きなライブを見るのは僕も初めてだけどね」
うきうきとした様子でソラに説明するトオルはすっかり仲良くなった隣の男と肩を組んでいる。
次の曲へ行く前にミチルはトークを挟んだ。歌声とはまた違った聞く者を魅了する爽やかな声。ソラは本当にあれがミチルなのか、普段のミチルと合わせて三人が入れ替わりでそれぞれ担当しているのではないかと考えた。
「みんな! 今日は私の記念すべき十回目のライブに来てくれてありがとう! 最初は私が人族という物珍しさから見てくれた人が多かったと思います。でも、三回、四回とライブを重ねるうちに人族ではなく、一人の歌手として聞いてくれるみんながいることに私は気付きました。それに私のわがままな願いのために付いて来てくれたこの仲間たちにも感謝しないといけません。さて、長話よりも私は歌う方が得意なのでさくさく行きましょう。あ、今日は最後にとっておきの発表があるので楽しみにしていてください! それじゃあ、次の曲――」
ミチルの言うわがままな願い、それはもう一人の人族……トオルへ気付いてもらうため。最後の発表というのは、人族が見つかったと伝えること。
ソラがフード越しにチラッとトオルを見ると、なんだか気恥しそうに頭をかいていた。
ミチルのライブは順調に進んでいき、身体が重かったソラでも後半には歓声を届けようと何度か声を張り上げた。
トオルはそれに気づいた様子はないが、周囲で仲間を作って楽しく声を合わせていた。
国のお偉いさんとはいえ、若い人が多い。一般客のようにはしゃぐ人が多かった。
そして、観客のボルテージはマックスのまま最後の曲を迎えた。いつ爆発してもおかしくない熱を孕んだままの観客にミチルはついに火種を与えた。
「最後の曲に行く前に最初に言った、とっておきの発表をするよ」
観客が今日一番の歓声を上げる。
好きなアーティストの新発表というのは心躍る楽しみである。そして、ソラの隣にいたトオルは姿を消して、今はステージ横で待機している。
ミチルの手招きによってステージへと上がったトオルは緊張した面持ちでフードへと手をかける。
「先に言っておくね。私はこれからもステージに上がり続けるし、新しいライブをみんなに届け続けるよ。だから安心してね……というわけで、今まで私の声を遠くへと伝えるために付いて来てくれたみんな、本当にありがとう! ついに見つかったよ!」
トオルはフードを外し、ミチルと同じ漆黒の髪を見ている全員へ見せびらかした。
一瞬の静寂、そして次の瞬間、爆弾がついに爆発したようなさらに大きな歓声に埋め尽くされる会場。
誰一人としてトオルへ攻撃する者はいない。それはつまり、トオルがもう一人の人族として認められたということ。
歓声を送ってくれる観客に感謝の言葉を伝えた後、トオルは二階席のソラを探した。
だが、そこにはポツンと空席があるだけでソラはそこにいなかった。ミチルがトークをしている間に戻ってくるかと思っていたがいつまでたっても姿が見えない。
ドリンクを飲んでいたから長めのトイレとも考えたが、トオルは不安になって仕方がなかった。申し訳ないと思いつつ、トオルはミチルへと話しかけた。
トオルの挙動不審な様子に気付いたミチルがマイクを切って耳を傾けた。
「ソラがいなくなって、いつまで経っても帰ってこないんだ。不安だから戻ってもいいかな?」
「ソラちゃんがいない!? ああ、でも、もしかしたら一昨日から……ごめんなさいトオル。もしかしたら私たちのせいかも。今すぐ探しに行ってあげて」
「僕たちのせい?」
「細かいことは後で説明するから今は急いで。それで、ソラちゃんを見つけたら思い切りハグとキスをしてあげなさい!」
「え!? どういうこと……」
トオルは答えを聞く前にミチルに背中を押されてステージを降ろされた。
「ごめんなさいね、トオルはちょっと用事があるみたいだからここまで。代わりにもっととっておきの発表をしちゃうよ。それはね……トオルは――」
ミチルが何を話そうとしているのかトオルは知っている。だから何も気にせず会場を後にした。
どこに行ったかも分からないソラを走れない故障品の足で懸命に探す。
「どこに行ったんだ! ソラ! いたら返事をしてくれ!」
ライブの影響で珍しく人気のない石碑の広場。トオルの叫び声が虚しく木霊する。
さらに追い打ちをかけるように、トオルが見ている目の前で、石碑にかかれたハーフエルフの数字がノイズのような音を発しながら「5」から「4」へと変動した。




