世界の歌姫2
翌日、朝まで寝たソラはカーテンの隙間から入ってきた光によって目覚め、大きなあくびと共に隣を見ると、畳まれた布団だけが残されていた。
トオルは先に起きてリビングにいる。ソラが寝ているのを無理やり起こすのはどうかとそのままにして静かに客間を出ていた。
ソラが立ち上がろうとすると、食事を求めるように勢いよく腹の虫が鳴る。
「うぅ……お腹空いた。トオルは昨日どうしたんだろう。何か食べたかな?」
ソラは隣の布団と同じように畳み、着替えて客間を後にする。
リビングのソファにコーヒーカップを持って座っているトオル。ミチルはどうやら朝早くから家を出たようだ。
「ソラ、おはよう。よく眠れた?」
「うん、おかげさまでぐっすりだよ。ミチルは?」
リビングにやってきたソラに気付いたトオルが寝癖の付いたままのソラに振り向く。立ち上がって洗面所へと案内し、ソラの質問に答える。
「ミチルは明日のコンサートのために朝早くからスタジオに籠ってる。昨日はたまたま休憩時間だっただけで、ソラが寝ちゃった後はすぐに出て行ったよ。帰ってきたのは夜遅かったし」
「それじゃあ、トオル。夕ご飯は食べてないの?」
「食材を自由に使っていいって言われたけど、僕はあまりが料理できないから携帯食料だけ。朝食はミチルが用意してくれたのがあるから、一緒に食べよう」
顔を洗い、寝癖を整えたソラはキッチンにあった作り置きの朝食をトオルといただき、トオルの飲んでいたコーヒーにチャレンジしてみたが見事玉砕。苦味に顔を顰めながら口直しに温かいお茶を飲み、皿洗いを済ませればやっと落ち着いた。
「今日は行きたいところがあるんだ」
トオルはいたって普通に今日の予定を話し出した。
これからトオルのかつての仲間、トモキの家に向かう。少し前ならば俯いて雨に濡れたような状態で話していたのに、今では吹っ切れたのか、これから遊びに行ってくるようなテンションだった。
それでも寂しさはあるのか、落ち着かない様子で話を続けた。
「トモキの実家はここからもっと奥へ向かった先にある墓地の近く。ついでに墓地にも行きたいんだ。いいかな?」
「いいよ。でも誰か知り合いのお墓があるの?」
「僕の先祖の墓があるんだ。骨も遺品もないけど、両親の墓として墓参りをしておきたいんだ」
気が付けばいなくなっていたトオルの家族。兵士として紛争地帯を駆け回り、休息日に見た真実の石碑はトオルの家族の状態を教えてくれた。
「そっか、トオルが初めて石碑を見たときには……もう」
「だけど、顔もあまり覚えてないからそこまで悲しくはなかったよ。生きていても僕が入る隙間はないほどに貧乏だったからね」
トオルは兵士として売られた。貧乏でそのまま飢え死ぬなら――、苦渋の決断で恐らく親はトオルを手放したのだろう。
両親のことはほとんど覚えていなくても産んでくれた事へのお礼として墓参りはしておきたい。
食休みが済んだ二人は身支度を整え、家主不在の家を後にした。
隣にはミチルが明日のライブのためにリハーサルや最後の確認作業をしている。庭には機材が多く並んでいて、スタッフたちも総出で集まっている。
邪魔をしないようスタジオを尻目にそそくさと歩くトオル。ソラと手を繋いで墓地がある場所へと向かっていった。
どこを向いても崩れた灰色が視界に飛び込んでくる。瓦礫に埋もれて草木が顔を見せているが、礫にまみれて変色しているようだった。空も前日に続いて分厚い雲が覆い、薄暗い灰色の光を街に届けていた。
同じような景色を繰り返しながらたどり着いた先は風化して錆だらけになった柵で囲われた場所。
お参りする人なんて誰もいないため、荒れ放題となった墓所にトオルは足を踏み入れる。
これまた灰色の長方形の石が等間隔に並び、右端の方にある薄汚れた墓にトオルは向かった。
迷うことなく辿り着いた先、目の前にはトオルの先祖の名前が彫られた墓があった。
「遺骨もない空っぽのお墓だけどね。見つからない以上ここが両親のお墓なんだ」
「私も手を合わせておかないとね。トオルに出合わせてくれてありがとうございますって」
「こちらこそありがとうだよ、ソラ」
周囲の雑草を抜いて墓石を簡単に磨き手を合わせれば、簡単だが墓参りは終わりとなった。
昇り途中の太陽は昼にはまだ遠く、二人はそのままトモキの家に行くことにする。
荒れ果てた庭の雑草に崩れた居宅。他よりも大きく損傷していたトモキの家は見る影もない。踏み入れるのすら危険と判断したトオルは家の外周を見て何かないかと探していた。
「ねえ、何を探してるの?」
「何だろうね、僕にも分からないや。そもそもここに来た目的もよく分かってないし、手を合わせるくらいしか思いついてない」
トオルはここに来て何かしようとは考えていたが肝心の何かが思いつかない。外周を二周したところで正門の前で立ち止まり、ソラに向かって肩をすくめてみせた。
「何もないね……もしかしたら、僕がやりたかったことはここにはないのかな。やっぱりトモキの分まで頑張って生きていくしかないのかも」
「私は当時のことは分からないから、トオルがいいと思ったことをすればいいよ。でも、そうだね。無駄に命を散らすくらいなら最後まであがいて生きた方がトモキ君のためになるよ」
結局何か手に入ったわけでもない溜息の漏れる朝は終わった。そのままどこかに食べに行こうとトオルはソラの手を取り、国の中央まで連れ出した。
人の多い都市部分に来たというのにソラの気分はどこか沈んで元気がない。周りをきょろきょろしたり、トオルが話しかけても何か考え事をしている様子が窺える。
「ソラ、さっきからぼうっとしてるけど、何かあった?」
「え? ううん、何でもないよ。人が多いからちょっと困惑しちゃって」
「そっか、じゃあ、何か買って家で食べることにしようか」
トオルは屋台で弁当を購入すると、ソラを人ごみから避難させるためにさっさと元の人のいない区画へと帰っていった。
ミチルは未だに練習中なのかスタジオから楽器の音がシャカシャカと漏れ聞こえている。
「頑張ってるな、明日が本番だし気合も入るよな」
「記念ライブだもんね。今回で十回だっけ? だからいつもより気合が入るんじゃないかな?」
ミチルが家に帰ってきたのはそれから八時間後、陽が沈み切った夕食も遅い時間だった。
「ただいま~。ああ、疲れた」
「お疲れ様、夕飯はソラが作ってくれたから好きな時に食べて、風呂も沸かしてあるから」
「ありがとう! 先にお風呂にしようかな。汗が酷くて」
本番前日だというのに緊張感はなく、流石プロというべきかステージに立つことが楽しみなのだろう。
風呂から上がったミチルは全身から蒸気を発しながらソラの料理を美味しい美味しいと頬張り、自分用に取っておいたデザートのバニラアイスでフィニッシュした。
「明日の準備は万端かい?」
「ばっちりさ! トオルに出会えたからトークにも困らないしね。明日のライブは過去最高の歓声で包まれること間違いなし!」
「それは楽しみだよ。チケットがないからスクリーンだっけ? それを見て応援するよ」
「ありがとう。でもね、トオル、実はいい物があってね……じゃーん!」
ミチルがソファに置いてあったカバンから取り出したのは二枚のカラフルな長方形の紙切れ。受け取ったトオルとソラはそれを覗き込むと驚いた様子でミチルを見る。
「特等席のチケット!? どうしたの、これ?」
「すごい! これなら、いい席で見られるよ」
「私が招待できる残りの二席をトオルとソラにあげる。よかったら私のライブを一番いい席で見てほしいの」
得意げな顔で説明するミチルは他にパンフレットやちょっとしたグッズを取り出してソラに渡す。アニメ風に印刷されたミチルのアクリルストラップには紐が付いていて、カバンに付けるにも邪魔にならない大きさだった。
「よかったらどうぞ。これはもう再販しないから困ったら高く売れる優れものです。パンフレットは待っている間の暇つぶしにでもなれば」
「ありがとう、後で読ませてもらうね。それとストラップは売らないよ。大切にするから」
明日のライブの話からトオルの旅の話。途中からは種族の文化についての話へとめくるめく展開が変わっていき、ソラでは分からない『人族』の話に話題は定着した。
ソラとて明日のライブはトオルと同じく楽しみなのは間違いない。特等席まで用意してもらって喜ばない理由はない。
だが、トオルとミチルの話について行けない精神的な疎外感と胸が締め付けられるような心理的な疎外感に苛まれていた。
ソラは相槌を打つことも出来ず、ミチルと楽しそうに話すトオルをただ眺めるだけの現状に一人で旅をしていた時と同じ孤独を強く感じた。
ミチルは明日のライブに差し支えないよう早めに寝るようでリビングにはソラとトオルだけが残る。二人もすぐに寝るようで、今は食器の片付けをしていた。
「トオル、いつの間にミチルと仲良くなってたの?」
「ああ、えっと……昨日ソラが寝た後にいろいろ話してね、やっぱり普段分かり合えないことを共有できるのは楽しかったからさ、話がはずんじゃって」
少し視線を逸らしながら話すトオルを不審に思いながらも納得したソラは「そっか」とそっけなく返事をして片付けを続けた。
翌朝、ミチルは朝早く家を出るため、朝食はソラが作っていた。トオルはミチルに駆り出されていて落ち着きのない朝となった。
「トオル! わたしの上着どこ? 寝癖酷いから梳いて!」
「上着は玄関で脱ぎ捨ててなかった? 寝癖ホントひどいね、時間無いから洗面所で顔整えて! その間にやってあげるから」
リビングやキッチン、洗面所と行ったり来たり。忙しない二人は阿吽の呼吸で動き続ける。
一人になり、フライパンに火をかけていたソラは卵を手に取る。角にぶつけ、ひびを入れた卵をひたすらにフライパンの上で割る。
卵が焼かれて固まっていく音に紛れるような小さな声でソラはボソッとつぶやく。そのつぶやきはソラ自身さえ気付いていない。
「本当に息がぴったりなんだね。私といる時よりも楽しそうだし……」
焼きあがった目玉焼きを皿に盛り付ける。ソーセージやベーコンなどもフライパンで焼いていき、出来上がった朝食をリビングに運んでいく。
「もしかして、嫉妬……してるのかなぁ」
洗面所から聞こえるトオルの声が恋しくて、朝食ができたことを伝えるためにソラの足はそちらへと向かっていった。
食事すらも忙しないミチルは食後に落ち着く間もなく外出の準備を始めた。
トオルもライブまでは観光でもしようかとソラと準備に動く。
金髪の被り物をカバンから取り出し被ろうとしたときにミチルは不思議そうに声をかける。
「ねえ、それ何? コスプレでもするの?」
「人族って少ないからトラブルを減らすために……かな?」
「心配が過ぎるよ。昔だったら必要かもしれないけど、今じゃ正体隠した不審者に思われるよ。大金の入った財布を落としてもほぼ確実に持ち主に帰ってくる時代に、そんなの邪魔でしかないよ」
「えっと……そうなんだけど、いろいろあって……」
いざ、正面から言われると切り返し方を思いつかないトオルはしどろもどろに被り物を弄った。
そんな消極的なトオルの言葉を遮るようにミチルは話を続けた。
「今日のライブに被り物はしてこないでね。特等席は偉い方が座るから服装は……今のままでもいいけど、髪くらいはその黒髪を見せてね。そうしてくれた方が……私が安心するから」
先ほどまで強気だったミチルが突然はにかむ。ミチルの視線の先はトオル。ソラのことを無視しているわけではないが、人族であるトオルが来てくれることが精神的にも落ち着いて安心する。
「あ、トオルちょっといい?」
「どうした? 何か忘れ物か」
口を開かず、そうじゃないよと手と顔を横に振ったミチルはトオルに近づいて耳打ちをした。
ミチルの言葉に何度か頷いたトオルは最後に「分かった、いいよ」と言って、上着のフードを被った。
「それじゃあ、打ち合わせ通りに。また後でね」
上機嫌なミチルが今日のライブで歌う曲を鼻で歌いながら玄関を出て行った。
迎えが来ていたのか、すぐに車のエンジン音が聞こえ、徐々に遠くへと離れていった。
「それじゃ、僕たちも準備して、時間まで観光でもしようか」
「…………」
「ソラ? どうしたの、昨日からぼうっとしていることが多いけど、どこか調子悪い? ミチルのライブまで休むかい?」
「え? ああ……ごめん。ちょっとだけ調子が悪いのかも、トオルは出かけてもいいよ。私は時間まで休んでるから」
それだけ言うとソラはそそくさと客間に引っ込んでしまった。
ポツンと玄関に一人となったトオルは、ソラの言う通り外へ向かおうと自身のブーツにつま先を入れた……。




