長老は岩に眠る
「空にいる親父とお袋、僕、嫁ができました。少女愛好家じゃないです。一応、この人は僕よりも年上です」
「ねぇ、何ぶつぶつ言ってるの?」
「いや、何でもないよ」
海の傍の道をおんぼろのバイクがぺぺぺと走る。
縦長の広い座席には二人、サイドカーには二人分の荷物を載せてシートで覆っている。ハンドルを握るは、似合わない金髪のカツラに柔和な顔付きのトオルという名の少年。
「今はどこに向かってるの?」
トオルの腰に腕を回してしがみついている少女、トオルに「一応」とつけられた亜麻色のソラはアクアマリンの丸い瞳に長い髪を風にはためかせ、夫であるトオルに聞いた。
金髪の被り物にフードを被った少年と左耳の前にワンポイントに編み込んだ腰まである長い亜麻色の少女は今日も仲良く旅をしている。
「さて、どこに向かおうか?」
「決めてないのね……」
「いいだろ、今までだって決めたことなかったし」
ソラの真っ白なワンピースの裾はバイクがゆっくり切り進む風に合わせてバタバタと靡いている。ワンピースはおんぼろバイクののんびりとしたスピード程度では大きな被害にはならず、タイヤに巻き込まれるようなこともなかったため、特に対策を講じることはなかった。
そもそもソラは寝間着以外、スカート状の衣服しか持ち合わせていないため、しっかりとした旅用の衣類をどこかで調達しようかと考えている。
ソラはトオルの背中に顔をうずめた。ソラはトオルの背中にこうしている時が一番落ち着く。
夫婦になってからしばらく、お互いの趣味嗜好をだいぶ把握してきた頃、はじめはしどろもどろにお見合い状態が続いていた二人だが、今はバイクに乗りながらいちゃつく程度には慣れてきた。
「そういえばさ、最初に僕を押し倒した時は恥ずかしいとか思わなかったの?」
「トオルだったから押し倒したの。他の人だったら押し倒したりしないよ」
「間違ってもしないでよ?」
「ん? 嫉妬?」
「うん、嫉妬」
「お、おう……、素直だね」
二人が夫婦になってから分かったことはいくつもある。
例えばトオルはお昼寝が好きで休憩時間は大抵目を閉じている。ソラはトオルが思っていた以上に攻めっ気が強く引っ張っていきたいなど。
「あの時はトオルが欲しくて強引な手に出たけど、あれは慌てふためくトオルが悪いと思う。だって可愛かったんだもん」
「あんな顔されたら抵抗なんてできないよ。それに……ソラの動作がエロくて、その……よかったです」
「エロいって言わない」
「痛ってぇ」
ソラがトオルの後頭部を軽くチョップする。
こんなことは日常茶飯事。移動中の会話はいつもこんな感じである。
二人を知らない人が見れば兄妹に見えるかもしれない。間違っても姉と弟に見える人はいないだろう。
それだけ、ソラの見た目が年相応には見えないということである。
他愛ない会話を続けながら走っていると、分かれ道が近づいて来る。左は同じく道が続いているが、右側は坂になっていて下った先に海岸が見える。
「お、あそこの海岸で一休みするか」とトオルが提案すれば「うん、お腹減ったし、丁度いいね」とソラが答える。打てば響く関係によく分からない恥ずかしさを覚えながらの二人旅を楽しんでいた。
バイクは分かれ道を右に進み、海岸へと続く坂をゆっくり下っていく。
何年前にできたものか分からないほど薄れて見えづらくなった駐車場にバイクを停め、エンジンを切る。
トオルは荷台のカバンを開け、商人から購入したサンドイッチの入ったバスケットを取り出す。
「トオル~はやくはやく!」
「はいよ! 今行くよ!」
ソラの以前の儚げな声音とは違う、元気いっぱいの少女らしい高い声が海岸ではじける。
トオルはソラを追い、都合のいい岩を探してブルーシートを敷く。小さめのバスケットを広げて、海を眺めながら昼食を済ませた。
「ごちそうさま。ねえ、トオル。折角だからこの海岸を探検してみない?」
「いいね、じゃあ、これを片付けてくるからここで待ってて」
「はーい」
トオルはこういうときのソラを見て、やっぱり年下なんじゃないかと考えるが、ソラの蠱惑な表情を思い出して顔が緩む。トオルがソラにこういうところで勝てない以上、いずれ尻に敷かれるのは目に見えている。
トオルが好きなのはトオルを好きでいてくれるソラであり、逆も然り。つまりこの二人はお似合いの夫婦であることに違いはない。
もし、ここに独り身の者がいたら、二人を見て砂糖と血をまき散らしながら入水を図ったかもしれない。
ソラは新婚旅行的な計画を立てようとしたが、どこへ行こうが瓦礫の山があるだけで、今以上に開放的な気分になれはしないと諦めていた。しかし、目的地に着くまでのことを考えれば、これは新婚旅行と思ってもいいだろう。
本当にトオルは死に場所を探しているのかソラは疑問に思っているが、別にトオルはすぐさま死にたいわけではない。
トオルにとっての最高の死に場所に着いたら死のうと思っているだけで、終わりよければその過程はどうあってもいい。
トオルがバスケットを片付けに行っている間、ソラは奇妙なものを発見する。
「何だろう? あれ」
待っていた岩から見えたのはソラの胸辺りまである大きな三角錐の岩。岩自体は珍しくないが天然の海岸にしてはその岩があまりにも場違いな存在感を放っていた。
ソラはその岩に近づき、軽く叩いてみる。中は空洞になっているのか音が反響しているように聞こえる。
すると、三角錐の岩は隆起するようにグラグラと揺れ始めた。
「きゃっ!」
ソラは岩が動き出したことに驚いて、脱兎のごとくその場から離れる。昼食を済ませた先ほどの岩の裏に隠れ、動き出した三角錐の岩を観察した。
「ソラ? どうしたの?」
「あれ見て!」
帰って来たトオルの後ろに隠れたソラは、動き出した三角錐の岩を指さしてトオルの視線を誘導する。
「何だあれ?」
トオルも驚いて二人は身を寄せ合った。恐る恐る覗き見れば、何やら三角錐の底面になっているところから赤いものが出てきた。
「何だあれは? 海龍族とかにあんなのっていたかな?」
「そもそもあれって生き物なの?」
「さあ、動いている以上は生き物だと思うよ」
トオルは勇気を振り絞り、謎の生物に近づいてみた。
後ろ姿しか確認できていないその生物に戦々恐々としながらも声をかける。
「すみません。言葉は通じますか?」
「……はい、わかりますよ。どちら様かな?」
声は老人そのものでゆっくりとした言葉遣いだが会話は成立する。
三角錐の岩の正体はヤドカリだった。年老いた赤いヤドカリが、殻に籠って寝ていたのだ。ふにゃりとした目元は老人そのもので、手のハサミもだいぶボロボロになっていた。
言葉が通じたことにトオルはほっとし、未だに岩で様子を窺っているソラを呼び寄せる。
おそるおそる近づいてきたソラはトオルの背中に隠れてパーカーの裾をしっかり握っていた。
「ハーフエルフとは珍しいですな」
「話せるの?」
「話せますよ。こんにちは、お嬢さん」
「こ、こんにちは」
「人のように握手は出来ないのは堪忍しておくれ」
「いえ、お気になさらず。僕はトオルです」
「ソラです」
「長老と呼んでおくれ」というヤドカリの長老は二つのハサミをチャキチャキと鳴らしてトオルたちに見せつけた。
しかし、そのハサミはボロボロでこれでは掴んだり切ったりすることはできない。精々引っかけるのが限度だろう。
「長老はここで何をやっていたんです?」
「昼寝じゃよ。ワシももう年でのう、誰もいない所で寝てたんじゃが、そこの娘に起こされたからのう」
「長老、ごめん」
「なあに、怒っとらんよ。丁度起きる時間じゃったしの」
日の高さを確認し、ゆっくりとハサミを動かす長老に敵意は感じられない。トオルはあっさりと打ち解けて長老と仲良く話しているが、トオルの後ろでソラはじっと長老を見つめているだけだった。
「そこの娘さんはお主の妹かの?」
「いえ、こう見えて妻です」
「こう見えてって何?」
「まだ慣れないんだ、勘弁してくれ」
長老は驚いて二人を交互に見る。ソラは子ども扱いされたのが気に入らないのかぽかぽかトオルの背中を叩いている。
しかし、妻として紹介されたのが嬉しいかったのか頬はほんのり赤くなっていた。
「ほう、年の差結婚というやつかの? それもエルフとハーフエルフの」
「え、えぇ、そういうやつです」
トオルの金髪は下手な変装だが、目の悪い長老には見抜かれなかった。確かにエルフであればソラとはだいぶ歳が離れているように感じるだろう。
本当はソラの方がわずかに年上であるだけだが、勘違いしてくれるのならトオルたちにとって好都合である。先ほどからのソラの子どもらしい行動が長老に勘違いを生ませていた。
あまりこの話をしたくないトオルは強引に話を変える。
「長老、この近くで最高の景色が見えるスポットってありますか? それもできるだけ高い場所がいいのですが」
二人の当初の目的に似合う場所を長老に聞く。なかなかに難しい質問に長老の考え込む姿を見て、上手く誤魔化せたとトオルは胸をなでおろす。
「ん~ 難しいですな。この近くでいい場所となると……ああ! あそこがありますな」
長老は体を動かして震えるハサミで後ろを指す。トオルたちのいる場所からは見えないがあの方角に何かあるということだけは察する。
「あちらの丘は最高の景色が見られます。それにしても、どういう目的でそんな条件の場所をお探しで?」
「空に近くて綺麗な場所に行ってみたいの」
トオルの背中に隠れていたソラが長老の前に立って口を開く。
長老が恐ろしい存在じゃないと観察して理解したソラは、積極的に自身の目的を話す。
それを静かに聞いていた長老はソラの言葉に一つひとつ丁寧に頷き、ソラの話が終わると、目を閉じて何やら真剣に考え始めた。そして思い出したのか今度は海の向こうを指して話す。
「ふむ、そうかい。お主らはまだ若いのに死に場所を探していると。いや、こんな世界じゃ、美しい死に際を求めるのも悪くないかもしれんな」
「ありがとう! 長老!」
「ワシも最後に小さな旅をするのも悪くないかもしれんの」
ソラが長老のぼろぼろなハサミを掴んでお礼を言う。長老の朗らかな顔は変わらなかったがどこか感激しているようにも見える。
トオルも長老のハサミを手に取り同じく感謝を述べる。
「こんなぼろぼろの手を掴んでくれるものがいるとはのう。世の中捨てたもんじゃない」
「何言ってるんですか。僕たちが言うのもなんですけど、これからも長く生きてください」
「長老だったから、私たちの次の目的地を見つけられたんだよ。本当にありがとう!」
それからトオルとソラは長老の手を握ったまま改めて感謝の言葉を伝え、しばらくして長老の元を離れていった。
長老は二人が見えなくなるまで小さくハサミを左右に振り続け、海に体を向ける。
「長く生きて……か。あの子たちが来る前は海に還ろうとしていたのに、どうしてかのう。せめて、あの子たちが納得のいく“空”を見つけるまではワシも海に潜ってみるとするかの」
長老は岩に籠るのではなく、長老として力になれることがあると信じ、仲間の元へ歩き出した。
「ソラって意外と人見知り?」
「ううん、今回は驚いて話せなかっただけ」
バイクはゆっくりと舗装路を走る。右を向けば広大な海。左を向けば瓦礫の街が見える。今、二人が向かっているのはこのどちらでもない。
「これから街に向かうけど、その前に……」
「うん、長老の言っていたあの丘に向かおう! 私たちの初めての目的地!」
海鳥の鳴く海が見守る海岸沿い、目的地は最高な場所であると二人は確信していた。




