寒くても二人
風雨をしのぐ壁は一切ない。隙間だらけの木々の間にぽつんとドーム状のテントがあった。
ひゅう、と風が吹けば思わず身体を縮こませるくらいに辺りは気温を下げていた。
こんな日は家の中で暖房を付けてのんびりするに限るが、旅人にそんな贅沢は難しい。
他の季節では生い茂っていた木の葉たちは枯れきってしまい、枝葉は落ちる一途を辿る。虫は姿を消し、動物は冬眠のため忙しなく木の実を集めている。もう少しすれば寒波がやってきて、無駄に行動することが億劫になるだろう。
少年がはあ、と息を吐けばすぐさま気化し白くなる。紛れもない、冬だ。
なるべく陽の当たる場所を選び立てかけられたバイクは余計な力は使わないようにと息を潜めて沈黙している。
地面にはブルーシートを敷き、厚着のまま待機している少年と近くで野菜を刻み、火を操っている少女がいた。
冬はこれからだというのに防寒の厚着に似合わない金髪の被り物をした少年トオルは、その被り物すら防寒具として扱っている。
寒さが苦手なトオルは普段は柔らかい面に力がこもって固くなっている。寒さに耐えようと貧乏ゆすりが絶えなかった。
料理をしている少女ソラは最近トオルに買ってもらったカーキの上着に袖を通し、鼻歌交じりに野菜を刻む。亜麻色の髪にハーフエルフ特有の少し尖った耳。左耳の前で少し編み込んだ髪を青いリボンで結んでいる。最近の冷え込みにワンピースは諦め、デニムのショートパンツに厚手の黒のニーハイを合わせた格好。
「ふんふん~~♪」
ソラの作るスープ料理から匂う温かい香りはトオルの腹を急激に空かせた。料理をする奥さんの背中にニーハイとショートパンツの間から除くミルク色の太腿を眺めつつ、今か今かと待ち望んでいた。
「よし、トオル、出来たよ!」
「待ってました!」
ソラの声とともに立ち上がり、カップを手に取るトオル。ソラはそのカップになみなみとスープを注いだ。
冷え込むようになってからは温かいスープが一段とごちそうになり、注がれるスープの量は確実に多くなっていた。
野菜がごろごろ入った熱々のスープ。毎日少しずつ味の変えてあるソラの配慮に感謝しつつブルーシートに座った二人は手を合わせた。
「「いただきます!」」
もう待てないとばかりにさっそくカップを口に付けた二人がほう、と白い息を吐く。
息が二人の中心で交わり、霧のように濃くなる。面白くなった二人はもう一口飲んでは同じことを繰り返した。
あははうふふと笑い合いながらスープは徐々に二人の体内に吸い込まれていき、身体が温まった頃には残り一口となっていた。グイッと最後の一口を飲み込みカップには一滴のスープも残っていない。
空になったカップは動くのが億劫にならない内に洗って片付けられ、使った調理具もてきぱきと役割分担で片付けられていく。
最後にブルーシートを畳み、カバンに詰め込めば片づけは完了。
二人は洗ったばかりのカップと出がらしのようなお茶のティーバッグを持ってテントに潜る。
ソラの火魔法で徐々にテント内を温めつつ、就寝時間までゆっくりするのが冬になってからのお決まり。
魔法が使えるソラがいるから出来る限りの贅沢を二人は貪る。
固く冷えた床より寝袋の上。寝袋の上よりトオルの腕の中、といったように三段になって座り、とにかくくっつくことが多くなった。
トオルの膝に座ったソラは、背中をトオルの胸に預け身体の力を抜く。普段バイクに乗っているときとは逆に、ソラの腹部に手を回したトオルはソラの頭に顎を乗せ、同じく力を抜いた。
一段落し、リラックスした二人は溶けるように大きくため息を吐いて無言になる。
トオルはソラの頭頂部の匂いを嗅ぎ始め、水浴びもしていないのにと恥ずかしながらも人形でいるソラ。そして抱きしめられているのが幸せだった。
自らの方へ寄せゆっくりと呼吸をするように匂いを嗅ぐトオルは、以前のように隠れてではなく、開き直ったかのように堂々としていた。
毎日約五分。それがソラの耐えられる限界。それを過ぎると恥ずかしさでいっぱいになったソラがトオルを振りほどいてお湯をカップに注ぎ始める。
前に五分が過ぎてもトオルが腕を離さない時があり、「んぅー! むぅー!」と唸りに唸ったソラは照れ隠しにトオルを押し倒してキスをした。そちらの方が恥ずかしくはないのかと思うトオル。トオルには嬉しい事であったが、その時のソラがどこか困っているようにも思えたため、それ以降はきっちり五分で止めるようにしている。
“ソラニウム”を補給したトオルはソラを隣の寝袋の上に座らせた。火魔法で沸かせた水をカップに注ぎティーバッグで色を付ける。白湯と大して変わらない色のお茶が完成したら二人でカップを合わせる。
「かんぱい」
お酒でもない水でもない、微妙に薄いお茶で二人は雰囲気を楽しむ。朗らかに笑い、揚々と歌う。
過去の二人では考えられないほど陽気な冬夜。小さなランプの明かり一つ、夜空の見えないテントの中、おそろいのカップだけの宴会。
ここに思わず涎が出る豪華な食事やロマンチックな星空があればもっと華やかになるだろう。
だが、そんなものは望んでいない。二人だけの時間、閉鎖された空間でお互いを感じられるこの状態だからいいのだ。
カップのお茶は着々と減っていき、温まったテントの中、火照った身体が心地よくなっている。
寒がりのトオルでも上着は脱ぎ今ではシャツ一枚だけ。ソラもニーハイを脱いで子どもらしくも艶めかしい素足を晒している。
お互いの額には玉の汗。火魔法の加減を調節し、水浴びをしようかとソラが提案する。
寒空の下で水浴びをするのは億劫。いつしかテントの中で身体を拭くことが習慣となった二人はもうここでいいかと後ろを向いて体を拭くことになった。
今では慣れたもので、服を脱いでせっせと体を拭いていく。しかし、この形をとって初めの頃、何度も事故が多発した。
狭いテントの中、お互いに背中を向けあって状況が分かっていないのに手を伸ばすものだから、腕は方向音痴で指先は未知のものを触る。
ソラはトオルの立派なものに誤って指が触れてしまい、トオルはソラの胸の桜色を凝視
してしまったりとテントがガタガタ揺れることが多かった。
テントの隅の焦げ跡でその後何があったか想像は容易い。
しかしそれは最初の頃だけ。改善案をすぐに検討し実行、今ではお互い見ずともタイミングを計ることに成功している。
ついでにカップを洗い、カバンに仕舞えば時間は十時近い。眠気が襲ってくるのは時間の問題で、ソラはさっそく大きなあくびを漏らす。
「そろそろ寝ようか、明日も早いし」
「うん……」
目元をごしごしと擦り、明らかに眠そうにするソラは寝袋にするすると入っていき、いつでも明かりを消していい状態になった。
トオルも寝袋に下半身を滑り込ませ、ソラに一言声をかけてからランプの明かりを消す。
ふっ、とテント内は一瞬で闇に包まれ、やがて温度も少しずつ下がっていく。
「ソラの火魔法って便利だよね。燃えるような火だけじゃなくて暖房のような温かさも生み出せるんだからすごいよ」
「得意魔法だからね、これくらいは出来るよ。でも調整はまだまだ練習がいるよ。今日だってテント内がどんどん暑くなっちゃったから、均一に使えてなかったんだ」
「魔法を使えない僕からじゃどんな感覚なのか見当もつかないけど、ソラの魔法で僕は楽をさせてもらっている。本当にありがとう」
「ふふん、どういたしまして」
いつもはトオルが寝静まるのを待っているソラだが、魔法を使う機会が多いこの季節は疲れるのが早い。明かりを消してからは夢の世界へ旅立つまでが早くなっていた。
食後に温まったテント内で過ごしているのだから眠くなるのも当然だろう。トオルはソラの寝顔が穏やかであることを確認し、安心して己の夢へと旅立った。
〇
翌朝、魔法の恩恵はとっくに失いテント内の冷えた空気の中、二人は目覚めた。
おはようの挨拶と共に、固まった筋を広げるように大きく伸びをする。着替えて顔を洗い寝袋とテントを片付ける。
昨日の残りであるスープを温め直し黙々と朝食を口にする。最近は作りすぎてしまう傾向にあるのか、わずかに残った分はトオルがお代わりをした。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
二人で手を合わせ片付けに入る。ソラは食器を洗いに水を用意しトオルはバイクのエンジンを温めるためにカバンを持って立ち上がった。
冷え込むようになってから小鳥がさえずるのをあまり聞かない。この場所にあまりいないのか、それとも寒くて顔を出せないのか。
トオルはどっちでもいいやと原付にカバンを括り付け、エンジンをかける。
「お前は相変わらず頑丈で燃費が良すぎるぞ。最後に鉱石を足したのっていつだっけな……ま、これからもっと寒くなるがよろしくな」
貰い物のバイク。昔、歩きで旅をしていたトオルにこのバイクをくれた爺さんがいた。どこまでも白髪で、髭との境目が見当たらない老いたドワーフ。バイクだけでなく他にもいろいろよくしてくれた爺さんをトオルはよく覚えていた。
「今も生きてるかな? いつかお礼に行かないと」
バイクのエンジンが温まってきた頃、ソラの片づけが終わる。食器を持ってやってくるがカバンはすでに括り付けられている。
「ねえ、トオル、食器片づけるから紐解いてくれる?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。すぐに解くよ」
首を傾げるソラに目が覚める。慣れているからこそ単純なことに失敗した。ソラが本気で心配しているわけではなく、からかっているのだと分かっていても失敗は落ち込む。
そんな落ち込む様子を見てソラはうんと背伸びしてトオルの頭を撫でる。
「大丈夫だよ。失敗しても許してあげる。こんなことで怒るほど私は小さい女じゃないよ」
「ありがとう。そうだよね、全部が成功なんてありえないよね。失敗したっていいよね。……それじゃあ、行こっか?」
落ち着いて開き直ったトオルはソラの頭にポンと手を置く。見回して忘れ物がないことを確認する。
確認が終わったらソラの脇に手を入れて小さな身体を持ち上げる。そのままバイクの後部座席に乗せ、もう一度頭にポンと手を置いた。
「……? ……は!」
「それじゃ、行くよ?」
突然のことにぽかんとしていたソラだが「小さな女の子」扱いされたことに気付き、頬を大きく膨らませて前座席に座ったトオルの背中を太鼓のようにぽんぽん叩く。
「んぅー! むぅー!」
「ははは! 失敗、失敗!」
陽気に笑うトオルと唸るソラ。今日も今日とて仲が良く、寒空の下、バイクが今日も変わらずぺぺぺと呑気な音を響かせて走り出す。
似合わない金髪の被り物をした少年と頬を膨らませた亜麻色の髪の少女の旅は今日も始まった。
その日の昼食時、トオルのパンが半分に欠けて小さかったのは、少女のささやかな復讐。