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ソラはいつもアマイロに  作者: 七香まど
16/24

向き合い方

 城壁のような雄々しい存在感を放つ真っ白な教会は来る者を拒まない。扉を叩けばどんなに難がある者でも等しく受け入れる。過去に罪を犯した者、身体の一部が欠損している者、恋人を失った者。


 やってくる者たちの目的は救いか、懺悔か、ただ心を落ち着かせるためか。どんな理由であれ、同じ神に祈りを捧げることに変わりはない。


 たとえ洗礼を受けていなくても教会は利用できる。たった今、教会の扉を押して入った一組の夫婦のような、神についてよく分かっていない者でも。


 扉を開いた少年は金髪の被り物と共にゴーグルを手に持ち、少し緊張した面持ちで足音の響かせ閑静な教会の中を進む。人族特有の黒髪を外界に晒し、コツコツとブーツの音を鳴らす。


 そんな少年の腕をしっかり握り、戦々恐々とついて行く背の低い少女は薄い桜色のパーカーのフードを脱ぎ、長い亜麻色の髪を天井から照らすライトにきらきらと輝かせていた。


きょろきょろとしながらも少年の歩調に合わせる少女。少年と離れたくない意思からブーツの奏でる足音が一つに重なる。


 広い教会の中には参拝者も多くいる。そんな中をゆっくりと進む二人の前に一人の若いシスターが現れる。


「ようこそ、いらっしゃいました。初めての参拝……失礼いたしました。どちらをご利用ですか?」


 エルフのシスターが二人の髪を見る。正体を隠していないことから二人が初めての参拝でないことを理解する。


 教会は偽りを許さない。誰もが平等であることを教会の意思で護っているため、手を出すことはできない。しかし、初めて教会にくるものは必ず身分や見られたくない部分を隠してやってくる。その者にはシスターたちが説き、賛同できなければ教会の意思で引き返すことを要求される。残酷なようで平等であるための優しいシステムである。


「懺悔室って空いていますか? 二人で利用したいのです」


「空いていますよ。どうぞこちらへ。この紙にお名前をお書きください」


 渡された紙に少年はトオル。少女はソラ、と筆ペンで名前を綴る。


 筆を置き、二人がシスターに案内されたのは階段を下った先は青い扉が一つポツンとあるだけの質素な空間。


 扉をくぐった先にも何もない。石畳の床に赤いマット敷かれただけの独房に近い小部屋。


「邪魔は一切入りません。心の内を思うままに吐きなさい」


「ありがとうございます」


 トオルが扉を閉めるまでシスターは指を胸の前で組んだまま動かなかった。ソラは扉を開けたらまだそこにシスターがいるのではないかと少し怖くなった。


トオルはブーツを脱いで綺麗なマットの上に座る。それを見たソラもトオルの真似をしてブーツを脱いだ。


 トオルは部屋の奥側に座り、お互いが向かい合うように座っている。トオルの正座を真似しようとソラが足を曲げるが不格好になる。


「ソラは好きに座っていいよ。僕はこうしないとはじめは落ち着かないだけだから」


「うん、わかった。私にはできそうにないみたい」


 ソラはそれでも形を近づけようと試行錯誤し、最後にはマットにぺたんとお尻を付けて女の子座りで落ち着いた。


 その間、トオルは深く深呼吸をして心を落ち着かせている。腹を括るためか、緊張か。だが、トオルの心を支配していたのは黒い恐怖だった。


 そして、二人の呼吸音だけが聞こえる懺悔室にやっとまともな音が響く。


「僕はソラに謝らないといけないことがあるんだ」


「なぁに?」


 覚悟を決めたソラは慈愛の満ちた眼差しでトオルに問う。海よりも広い器で受け止めるつもりでいた。


 トオルがポケットから一枚の写真を取り出す。そこには少年二人と少女が一人。紛争地帯で撮ったであろう灰色の笑顔が写っていた。


 ソラは以前、この写真をトオルがいないときに見ている。いつかは言おうと思いつつ、ズルズルと今日まで引きずっていた。


「これはくだらない戦争に巻き込まれて戦地に赴いている時の写真なんだ、真ん中にいるのが僕。汚いだろう?」


「この時のトオルは汚くても、私が見たことないいい笑い方をしているよ。こんなに歯を見せて笑ったところなんて私は知らない」


「ソラにはそう見えるのか。そういってくれるならこの時の僕は少しだけでも救われるな」


 トオルがぽつぽつと吐き出す。覇気のない声。トオルはどこか現実を見ていない様子だった。


『僕の過去の話だから。あとで思う存分ソラに話してすっきりさせてもらうよ』


 それは教会で話したいということなのだろうと察したソラは今日の教会主催の礼拝イベントに参加するのだろうと予想していた。


「右の少年がトモキ。左の少女がオリ。どちらも僕たちの仲間でかけがえのない人族の仲間だったんだ」


「…………」


 ソラは黙ってトオルの話を聞く。二人はもうこの世にいないことをソラは知っている。あえて確認はしない。


「エルフの隊長にドワーフの副隊長。他の仲間を合わせても七人の少人数チームだったんだ。子どもだったのは僕を含めてこの三人だけ、人数の少ない僕たちに求められたのはスピードだった」


 トオルは態勢を変え、胡坐をかく。拳に力を込め膝に強く押し当てる。


 小さな嵌め殺しの窓が一つあるだけの部屋内を明かりが酩酊のような照らし方をする。そして被告人のようにトオルを照らした。


「銃を持って戦場を駆けまわったよ。狙って撃って、銃口の先端に剣を付けて、隊長の魔法で身体を強化して三人で相手領域に潜り込んだんだ。数えきれないほどの心臓を撃って刺したさ。この写真は人殺しをした報酬で手に入った報奨金で撮った」


「ぁ……ぅ」


 ソラが出かかった言葉を喉で殺す。トオルが何を求めて話しているのか分からないからだ。下手に口にはしたくなかった。


 ソラの様子に気付いた様子もなく、トオルは淡々と話し続ける。


「隊長は策士だったよ。作戦が失敗したことは無かったし、一度たりとも大きな怪我人は出なかった。少ない食料を全員で分けるのも隊長は得意だった。ただ、笑顔だけはぶきっちょだったな」


 ははっとトオルは自嘲気味に笑う。ここまでくれば、トオルのいたチームが最後どうなったかが分かってしまうソラ。慰める言葉を口にしたいが唇をかみしめ、トオルの目を真剣に見る。


 トオルの真意を探るべく、ソラはトオルの顔を覗き込んだ。


「トモキとオリとは同い年でさ、よく話が合ったんだ。他の隊員とも仲が良くて、だから部隊というよりはチーム。家族だった」


 トオルは俯いていた顔を上げ、紛争地帯と同じ灰色の天井を見上げる。だが、そこに敵も仲間もいない。トオルが見ているのは楽しかった日々の残像。


「たった二日だけど、人生で一度だけ休暇を貰ったんだ。三人で王都に行ってすぐ帰ってくる突貫旅行みたいなものだったけど、一度だけ王都中心の石碑が見たかったんだ。ソラも知っているだろ? 種族ごとに分かれていて生きている人数を知れる残酷な石碑を」


 神からの贈り物とも称される巨大な石碑は、各種族の生存数をリアルタイムで表示しているという謎の物体だった。その石碑を中心に作られた王都には多くの者が訪れ、終末を迎えた現在では数字の変動に多くの者が一喜一憂している。


 ソラは見たことがないが存在は知っていた。そして考える。トオルが石碑で何を見たのかを、そしてそこに書かれていた残酷な数字の数を。


「……三人」


 ぽつりと答えたソラの言葉にトオルが頷く。しかし、トオルの顔に不思議と辛そうな様子は見られない。


「隊長はどこまで先を読んでいたんだろう? まさか、この小旅行が終末旅行になるなんて思ってもみなかったよ。……あの後、旅行から帰った二日後に僕たちの領域は敵に圧倒的な数で押し潰されたんだ」


 テレビのチャンネルを元に戻すようにトオルはまた俯いた。そしてポケットから欠けた青い雫のペンダントを取り出す。


「仲間がどんどんやられていって、残ったのは僕たち三人と隊長だけ。逃げながらも応戦して……最初に死んだのはオリだった。あっけなかったよ、手榴弾が目の前に転がってくるのに気付けなくて、走馬灯みたいに世界がゆっくりになってさ、オリが投げ渡してきたのがこの肌身離さず身につけていたペンダント。その後は僕とトモキで無茶苦茶に暴れたよ。隊長の魔法無しじゃあ歩くことすらままならなくなるまで」


 トオルは膝を両の手で鷲掴みにする。ソラはそういえばトオルが走ったところを見たことがなかったと、今まで一緒にいた中で衝撃だった。トオルのことは知らない事だらけなんだと、ソラは悔しかった。


「長々と話したけど、ソラに話したいのはここからなんだ。この後、僕はトモキを殺した」


「……そうなんだね」


「無敵だと思っていた隊長は僕を庇って死んだ。トモキは珍しい人族という理由で人質に取られた。……僕は一人になったんだ。隊長の魔法が切れて足を引きずるように歩いてさ、何とか見つけたトモキは縛られて乱暴に転がされていた。遠く離れた位置から銃を構えてチャンスを窺って、トモキがこっちに気付いた時は奇跡だと思ったよ」


 ソラは呼吸をしていなかったことに気付き、苦しくなって胸を抑える。これから先、トモキがどうなるかは言われずともソラは分かっている。だけど、トオルは真実を再確認するようにぽつぽつと声を小部屋に響かせた。


「僕たちのチームだけの合図があってね、トモキは周りに気付かれないよう、僕に小さく合図を送ってきたんだ」


「…………」


 ソラの喉が鳴る。トオルは一度言葉を切り、顔を上げた。涙に濡れた顔はぐちゃぐちゃだった。


 楽しかった思い出に笑う口、後悔に寄せる額の皺、受け止めきれない頬の強張り、引き金を引いた指の震え、駆け抜けた足の痛覚。


 ――目元だけは写真のように灰色に輝いていた。


「三秒目を閉じ、瞬きを一回、一秒目を閉じる。……僕を見る優しい目だけで理解したよ。トモキの合図は今でもはっきり覚えている」


 トオルは教科書に書いてあることを思い出すかのような口調で続ける。


「殺せ――逃げろ」


「……ッ!」


 切り離された単語をソラは頭の中で文章に置き直す。口にするまでもない。トモキが望んだことをトオルは実行した。


「トモキは僕に殺してほしかったんだ。敵の拷問か人身売買に使われるくらいならいっそ殺してくれって、あいつの目はそう語っていた。だから幻なんだ、トモキが僕に撃たれた時の笑顔が……口が感謝の言葉を唱えていたなんて、僕がそう希っただけの幻なんだって」


 ソラは思わずトオルの両の手を力強く握った。汗ばんでいて、滑りやすくなったトオルの手を絶対に離さない。


「あと数日、僕は引き金を引かなければ戦争は終わっていた。トモキは解放されたはずだった」


ソラは握った手を抱えるように胸元へ近づけた。


「……ソラ?」


「……絶対にダメ!」


「どうしたの?」


「この手は私を救ってくれた手なの! 私を抱いてくれて、頭を撫でてくれて、……だからこの手を捨てようなんて考えないで!」


 ソラの涙交じりの言葉にトオルは目を大きく見開いて自らの握った拳を見る。思っていた以上に強く握っていた指は手のひらに食い込んでいて皮膚が裂けているのを感じる。


引き千切ろうなんて考えていなくても、無意識にそうしていたんじゃないかとトオルは鋭く息を吸う。


 強張っていて開けなくなった指をソラが撫でるように開いていく。魔法のように広がったトオルの手をソラは自らの頭に乗せた。


「トオルはこうして頭を撫でてくれればいいんだよ」


「でも、人殺しの手で撫でられるのって気持ち悪いだろ? 今までこんな手でソラに触れていたのが怖くなって、いつかソラも突然いなくなるんじゃないかって思うんだ」


 トオルが手を引こうとすると、ソラはムッとして強化魔法を自らにかけてトオルの手を離さない。無理やり頭を撫でさせる。


 力を込めて引こうとするトオルだが、魔法には勝てず諦めて力を抜いた。諦めたトオルを見てソラはムフフと口元を猫のようにして笑った。


「トオルに罪の意識があるなら気が済むまで罪滅ぼしすればいいよ。私は最後まで付き合う。だけどトオルが罪を背負う意味は無いと思っているよ」


「どうして? 僕はトモキを撃ち殺したんだよ。頼まれたとしてもあいつはきっと僕を許していないよ」


 手を離したソラはトオルの脚の間に収まる。いつの間にか近づいていて、体の向きを変えただけでスポッと収まる小さい身体。背中をトオルの胸に預け、上目遣いでトオルを見る。


「トオルは最善のことをした。怪我をしたトオルができることは他になかったと思う。それにトモキ君は逃げるようにと笑ったんでしょう? それも幸せになれっていう意味も込めていたんじゃない?」


「ああ、トモキがあの顔で笑うのはいつだって僕たちの成功を祈っているときだった。だから僕は仲間の分まで幸せになってやろうと、せめて遺品だけでも最高な場所で埋めてやろうと思って旅に出たんだ」


「だったらトオルはもう許されているよ。本当は助けてもらうことを望んだのかもしれない。でもトオルは仲間のために旅をしているじゃない。トオルがお墓に入るときに遺品を一緒に入れてあげればそれが贖罪になるよ。その時までは……トオルの好きに生きればいいよ」


 トオルはソラの一瞬の間が気になった。少しだけ顔を曇らせ、困ったような笑顔が目についた。


 トオルを励ますために無理をしているのではないか? そのために犠牲にしたことがあるのではないか? トオルは思考を巡らせ一つの答えに辿り着く。


「ソラ、気が早いけどさ、僕の墓にはソラとの思い出を入れたいんだ。仲間は大切だけど、僕が一番大切に思っているのはソラなんだ。だからさ、最後まで僕と一緒にいてくれないかい?」


 これはトオルにとって別れの決断でもあった。仲間のための旅から、ソラと共にある旅へ。罪を捨てきれなくてもソラが大切な存在だと……小さな身体を優しく抱いた。


 ソラは振り向いてトオルの胸に飛び込んだ。まだぐちゃぐちゃな顔が残ったままのトオルと、不安で涙目のソラ。お互いに顔を見せたくなくて、視線を逸らしながら会話を続ける。


「私はトオルと一緒にいられたらそれだけでいい。最後までついて行くよ。私の方が長く生きるだろうから、ちゃんと看取ってあげる」


「一人にさせたくないから長く生きるよ。よぼよぼの爺さんになって歩けなくなってもソラを一人にはしたくない」


 顔を見合わせるとそこにはくしゃくしゃの面ではなく笑ったいつもの二人。これからの在り方を話し、目的地からは進路を変え王都へ向かうことにした。トモキの実家があるらしく、墓は無くともできれば手を合わせておきたいとのこと。


「あの……トオル、王都に行くなら一つ話しておかないといけないことがあるの」


「ん? なに?」


 一度は落ち着いた雰囲気をできるだけ壊さないようするりと離れたソラは置いてあった写真を手に取る。


「あのね、トオルが最後の人族だというのはトモキ君とオリちゃんが死んじゃったから、三人から二人引いて残り一人だとトオルは思っているけど、たぶん人族はもう一人いるよ」


「……は?」


意味が分からず思わず零れた呆けた声。ソラは写真の中の少女オリに人差し指を当てて説明した。


「オリちゃんだけど、人族じゃないよ。副団長さんと同じドワーフだよ」


「え? でもドワーフの特徴である低身長と髭が見当たらないだろ? どうして……?」


「ドワーフの女の子って髭が生えるのは成人してからなの。それに身長はこの歳くらいまでなら人族と変わらないよ。だけど、髪の生える位置は人族と違って顎に近いの、だからほら、髪の毛の量で誤魔化しているけど、生え際は顎に近いでしょ?」


 トオルが写真を凝視する。以前会った写真屋のドワーフ、ニーイのことを思い出しながら見ていると、特徴が重なった。


「……あ!」


「分かったでしょ? だけどドワーフって分かったからといってもう一人の人族が今も生きているか分からないし、やっぱりトオルが最後の生き残りなのかもしれない」


 写真から目を離し、深くため息を吐いたトオルはカーペットに手を着いて天井を見上げた。天井の染みを見ているのか、その先にある分厚い雲か、はたまた雲を突き抜けた天色の空か。


 何かを探している様子のトオルにソラは謝罪した。


「ごめんなさい。本当はこの写真を前に見ていて、その時には気づいていたんだけど、なんか言い出せなくて……怒ったかな?」


「いんや、怒ってないさ。話してくれてありがとう……それじゃあ、僕の同類が今も生きているかどうかも兼ねて、王都に行こうか?」


 トオルはソラの髪を梳くように撫でる。もう触れることに迷いはなかった。ただ愛おしい人を近くに感じていたいという思いで胸がいっぱいだった。


 懺悔室を出て、階段を上ると先ほどのシスターがとことこ近づいてきた。深くお辞儀をしたシスターは二人の顔つきを見て満足気に笑った。


「迷いは晴れましたか?」


「はい、これからも仲良くやっていきます! ありがとうございました」


 ソラが答えるとは思っていなかったシスターは目を丸くして、しかしすぐに微笑みを取り戻したシスターは二人に祈った。


「これからの旅路、二人に幸せがあらんことを」


 二人の間に波乱はいつか訪れる。それは明日かもしれないし、何年も後のことかもしれない。だが、二人は必ず乗り越えるだろう。どんなに大きな波が二人を飲み込もうとも、互いの居場所を見失っても、再び二人は出会い、天色の空へと手を伸ばすだろう。

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