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ソラはいつもアマイロに  作者: 七香まど
13/24

スパイスに誘われて

 夏の虫とひぐらしの奏でる音楽は幻想的で、鬱蒼と木が生い茂る雑木林をたちまち異界の入り口へと変えてしまう。


 この先にはどんな世界が待っているのか。陽は味方してくれず雑木林の向こうへと職務を放棄する。茜色の背景に濃黒の縁取りをした木々は化け物の如く葉擦れを起こし、来るものを嘲笑うように歓迎する。


 これが本当に異界への入り口ならば、この先は碌な世界が待っていないだろう。滅んだ惑星か、良くて戦時中、決してポップな魔法なんかが見られるわけがない。


 左右に広がる雑木林の真ん中、舗装路をわずかに聞こえる水の音とともに目のような大きなライトで道を照らし、ぺぺぺと進む一台のバイクがあった。


 似合わない金髪の被り物に灰色パーカー。筋肉の少ない体つきだがその分柔らかい顔つきをした、最近は嫁を引っ張っていける存在になりたいと努力する少年トオルは、夕方の雑木林を早く抜けようとハンドルを強く握っていた。


 そのトオルの腰に手を回してしがみつくようにしている少女ソラ。膝下までの真っ白なワンピースに淡い桜色のパーカー。長い亜麻色の髪に普段は子供らしさが残るあどけない笑顔が眩しい少女。トオルの事なら何でも受け入れる覚悟は土台のようなもので、さらにトオルを欲する節が最近見られていた。


 普段は額に付けているだけのゴーグルで目元を覆い、真っすぐ前を向いて進み続けるトオルが目指すは雑木林を抜けた場所。本日中に抜けられると地図で確認してからは朝から走り続けた。しかしトオルの目的は雑木林を抜けることではなく……。


「今日はカレーだ! ソラ、ここを抜けたら今日はカレーを食べる日だ!」

「もうちょっとで抜けられるはずだし、食べるならせめていい景色の中で食べたいよね」


 二人の目的は雑木林を抜けた先にある『いい景色』を見てカレーを食べること。エルフの女商人から買ったカレー粉には手を付けておらず、頑張ったご褒美としてたまにいただくと決めていた。


 抜けた先にどんな景色が待っているか二人は知らない。岩が乱雑に散らばっているのか、荒れ果てた荒野かもしれなければ綺麗な街が見えるかもしれない。真っ暗な雑木林の中は何かと虫が多く蚊に刺され、ここでキャンプはしたくないというのが二人の見解だった。


 やっとのことで見えてきた雑木林の出口はあっけなく二人と一台を解放した。陽が落ちるのと同時で空はたちまち闇色へと変化を遂げる。


 幻想的な一本道も、やがて異界に繋がるかと思われた出口もまやかしに過ぎなかった。


 ソラが後ろをふり向けば、雑木林からは秋の虫の声がする。


 夏はお別れを告げたように黙っていた。明かりを持たない濃緑色の木々は風に煽られ不気味にざわめく。ここで引き返し雑木林をまた抜ければ、向こうには太陽が燦々と輝く夏が待っているのではないか。そう思わせるほどに後ろの怪物は誰かを誘っていた。


「また、来年だね」


「ん? ソラ何か言った?」


「ううん、なんにも……あ! あそこの川の近くがいいんじゃないかな?」


 ソラが指さす方へトオルはよし来た! と進路を変える。固くも柔らかくもない土の上をバイクは懸命に走り、ライトの照らす先を進んだ。


 ゆったりと流れる川の近くにバイクを停め、トオルは後部座席からソラを降ろす。一日走らせたバイクは泥を跳ね、雑草がしがみついている状態。薄汚れて二人と同じお疲れの状態だった。


 タオルを川の水で濡らし、丁寧に車体を拭いていく。残りの燃料やバッテリーを確認して燃料となる鉱石を補給し、最後に座席をポンと叩いて整備を終了した。


 トオルがバイクの整備をしている間、ソラはカレーに合う野菜を探しに川のあたりをうろついていた。


 手の中には既にジャガイモとニンジンがある。何かしらの肉もあればよかったと呟きながらも玉ねぎを引っこ抜き、他は何がいいかと辺りを見回す。


「ん? あれってもしかして……」


 ソラは手に入れた野菜を一度トオルが建設中のテントの近くに置き、トオルに一声かけてから元の場所に戻る。


 履いていたブーツを脱ぎ、真っ白なワンピースの裾をつまんで浅い川に足を踏み入れる。転ばないように慎重に進み、十歩も歩かない内に対岸へたどり着く。裸足のまま先ほど見つけたものを両手に抱え、また川に足を踏み入れようとする。


 しかしそのままだとワンピースの裾が濡れてしまうと気付いたソラは見つけたものを一度地面に置き、裾の両端を太腿の高い位置に巻き付けるように持ってきて横で結び、置いたものを再び両手で抱えてトオルの元へと帰った。


「おかえり、ソラ……って、うわ!」


 丁度テントを張り終え、満足気に手を腰に当てていたトオルがソラへと振り向けば、そこにいるのは染み一つない真っ白で華奢な脚を惜しげもなく晒したソラ。慌てて視線を逸らすトオルを見たソラがワンピースを元の状態に戻すわけがない。


こっちを向くよう手に持ったものを見せつけるソラはトオルへと近づいていく。ソラの脚ならば今までに何度も見たことがあるトオルだが、突然のことにはいつまで経っても慣れていない。


「ほら見てよトオル。立派でしょ?」


「う、うん。立派できれいだよ。あ、わざと見たわけじゃないからね!」


「トオル? 私の脚をきれいと言ってくれるのは嬉しいけど、見てほしいのはこっち」


「え? あ、これってカボチャ?」


 ソラは満足したのかカボチャをトオルに渡し、ワンピースの結び目を解く。トオルはカボチャを叩いたり手の中で回して全体を確認していた。


 トオルでも両手で持たないと落としてしまいそうな大きさのカボチャ。これが中までぎっしり詰まっていると二人では食べきれない。


「このカボチャ、見た目の割に中身はすっからかんだよ。やっぱり野生の野菜に質は求められないね」


 ソラはそういってカボチャを受け取り、他の野菜と共にカレー作りを開始した。本当はトオルも手伝いたいが調理器具は一人分しかない。火や水もソラが魔法で準備するため、出来ることといったら野菜の泥を川で洗い流すことくらいだった。


 トオルはブルーシートを敷きブーツを脱いでシートの上で寛いだ。ソラは手際よく野菜を切り刻み、小さな鍋に火をかける。


 ソラの後ろではトオルがカレーの匂いが早くしてこないかとワクワクしていた。


 ソラがカレー粉を溶かしもうそろそろ完成が近い。辺りは粉末状の時では感じられなかったコクのある香りが漂っていた。


 トオルは待ちきれなくなったのかスパイスの香りに誘われ、ソラに近づいて隣に立ち、カレー鍋を覗き込む。ソラの完成の一言を待ち、いざ完成した時は二人でハイタッチをした。


 相変わらずカップが食器替わり。スプーンを添え、予備のカップには水を注いで二人は仲良くブルーシートに座る。


「それじゃあ、いただきます!」


 二人で声を合わせ、スプーンをカップにくぐらせる。黄金に輝くカレーは二人にとっては金塊と同義。こぼさぬよう慎重に掬った。


 二人で視線を合わせ、同時に口へと運ぶ。


たった一口で口内全体に行き渡る刺激のような辛さ。喉を軽く焼き、舌がひりひりする感覚が癖になる。そして野菜の甘さとスパイスの香りが鼻の奥から透き通るように抜けていった。


「……ッ! おいしい! 今までカレーの手作りなんて食べたことがなかったからちょっと不安なところもあったけど、これならいくらでも食べられるよ。流石ソラだな」


「さすが嫌いな人はいないと謳われるだけあるね。匂いだけでもおいしいって伝わるもん。トオル、野菜はどうかな? ちゃんと火は通ってる?」


「うん、問題ないよ、どの野菜も完璧。特にカボチャが甘くておいしいよ。ああ、おかわりがしたいくらいだ」


 二人が食べているカレーは本格的な物とは違う。量産用にスパイスの量は少ないし、味も若干薄い。しかし、だからこそできたインスタントであり、二人の手が伸びる値段だった。たとえ本物より味が落ちてもここまで美味なら値段以上だとトオルは満足した。


「トオルがおかわりを要求するのは予想がついていたからね。まだ、少し残っているよ。注いできてあげる」


「え? まだ残っているの。やった! ありがとうソラ」


 ソラはトオルからカップを受け取り鍋の前に立つ。軽く温め直してカップに残りのカレーを注ぐ。


 鍋のカレーは残り僅か。トオルの分ですべてなくなるだろう。それでも毎日ソラを乗せてずっと運転していたトオルを労うためにも、すべてのカレーをトオルのカップに注いだ。


 ブルーシートに戻りカップをトオルに渡す。ソラはまだカレーが残っているふりをして、カップの中をスプーンで掬う真似をする。


「ソラはおかわりしなくてもいいの? 僕の分けられるよ」


「ううん、トオルは一日頑張ったからご褒美。いっぱい食べて。私は丁度食べ終わったし、片付けるよ」


 ソラはなるべく笑顔でそう話すとカップをシートにおいてカレーの余韻を楽しんだ。しかしそんな様子のソラを見てトオルは思いつく。


「ソラ、カップ貸してくれない。カボチャの皮が硬くて」


「ごめん。まだ火が通ってないところがあったね……あ」


 トオルはソラから渡されたカップに自らのカップを傾ける。とろとろと流れていく黄金の液体は二人のカップに平等となるよう注がれた。


 ソラはトオルの行動に目を見開いて止めようと動いたが、トオルの屈託のない笑顔に止められた。


「やっぱりおいしいものは二人で食べないとおいしくないよ。ソラが作った料理を僕だけが食べるなんて寂しいからさ。ソラ、僕のためにも一緒に食べてくれないかい?」


「……もう、そんなこと言われたら食べるしかないよ。せっかくトオルのためにと思ったのに、台無しだよ」


「ははは、ごめんよ。だけど遠慮なんていらないさ、僕らは夫婦なんだから。言いたいことは言ってくれないと分からないからね」


 嬉しさか、カレーの辛さにか、ソラの目の端には涙が浮かぶ。水を一気に呷り涙を誤魔化したソラのカレーは先ほどよりも温かく感じた。


 二人の傍らには川の水がゆったりと流れ、暗闇に静かに集く。小さな魔法の火を頼りに食事は舞踏会に来た貴族夫婦の様。どんなに質素で、どんなに寂しい風景であったとしても、二人の心は誰よりも晴れやかだった。


 カップの中は限界までスプーンで掬い、満足した二人は片付けに入る。透き通る川の水をソラが魔法で掬い上げ、雑菌を取り払った水の球体に名残惜しくも食器を次々に入れていく。そして食器同士が傷つかないよう気を付けながらの水を回転させながら洗っていく。


 水はカレーで茶色くなり、水を一度取り替えて洗えば、食器は元の輝きを取り戻す。水を軽く切り、タオルを持ったトオルが一つひとつ丁寧に拭いていく。


 皿洗いが済めば水浴びをする。汗をかいた二人の髪はべたべたで、長いソラの髪はどこか疲れ切っているようにも見える。


最近はソラの背中をトオルが拭くことが多くなっていた。慣れたもので、作業のように淡々とソラの背中を濡れたタオルで拭いていく。日中はくっついてばかりの二人にとって匂いはそこまで気にならないどころかお互いの匂いが好きになっていた。


 ソラが終われば逆にトオルの背中をソラが拭いていく。旦那の背中を拭くのは妻の務めとソラは言うが、実際のところトオルの背中を生で触りたいだけだった。


 ペタペタと余計な接触が多いままトオルの背中を拭き終わり、残りをトオルが拭き終わると、後は寝るまで特に何もない。


 寝間着に着替えているが、何かあったとき用にいろいろ準備はしている。エルフがトップに君臨している限り特に心配はいらないが用心に越したことは無い。それでも寝間着でいるのは、寝る時くらいは楽な格好でいたいという二人の希望だった。


「疲れたね。一日雑木林の中を走ったし」


「運転お疲れ様。でもカレーがおいしかったからこの疲れも心地いいんじゃない」


 ブルーシートの上で二人は隣あって座り、白湯とほとんど変わらない薄いお茶を飲む。


 明かりが何一つない河原では星がより一層綺麗にはっきり見える。雲が少ない闇のようで神秘な夜空を眺めながら二人は肩をくっ付ける。


 川のせせらぎ、虫の小さな合唱。それらを聞きながら遥か先の手が届かない天にある上弦の月を二人で眺める。


 川に浮かぶ月。二人のカップの中に浮かぶ月。天に浮かぶ月。三種類もの月の中でも二人はやはり天を選ぶ。なぜならそこが二人の目的の場所なのかもしれないから。


 高い場所とは何だろうか? 最高の場所とはどこだろうか? もしかしたら、ない解を求める二人の旅は、しかしきっと答えは大きなものだと確信していた。


 カップの中のような小さなところではない。川の中の流れで姿が見え隠れする場所でもない。すぐには手の届かないような盛大な場所。どこまでも続く空のような、いつでも見えるのにたどり着けない盛大な場所。


 たとえ、空の比喩として使われるような素晴らしい景色をもってしても、二人が求めるものには敵わない。


 二人の求める場所なんてこの世には存在しないかもしれない。そうだとすれば、二人の旅は永遠に続くことになるだろうか。


 トオルはそれでもよかった。ソラと幸せであるならば、この旅を永遠に続けてもよかった。しかし、先に死ぬのは寿命の短い人族のトオル。残されたソラは旅の途中をトオルがいなくなってからも幸せだったと言えるだろうか。


 トオルの懸念だった。いつかは答えなくてはならないこと。しかし答えが近いうちに出ることはない。


 ソラはトオルと一緒にいられるなら自分の目的を捨ててもよかった。何よりも最優先だった両親よりも大切な人ができた。その人とあり続けるためならば、ソラはどんな困難も乗り越えられると思っている。


 賢いソラはトオルの考えていることには気づいていた。だが、そのことをトオルには話さない。ソラが口添えすれば、トオルは絶対にそれで納得する。だが、それでは意味がなかった。


 トオルの答えを待っている。どんな答えであれ、ソラを思っての考えならばそれが一番であると信じている。


湯気が薄く漂うカップに口をつける。ほうっと一息吐き、トオルは口を開く。


「星が輝いているね」


 空を見上げながらのトオルのさりげないセリフ。どんな意味を孕んでの言葉かソラはすぐに察する。からかうようにくすくすと笑い、抱き着けばトオルは鼻をかいて顔を赤くした。


 カップが空になり、懐中時計で時間を確認すれば丁度いい時間。カップを洗ってカバンに仕舞い、歯を磨いてテントに入る。


 相変わらず星の見えない狭いテント。トオルは脚を曲げなければ満足に横になれない。ソラとの距離が近い。出会った直後はこの距離をお互いにどきどきしていたが、今では近くにいないと落ち着かない。


 外界が耳を澄ましているかのように静まる。それはお互いの意識が他に向かないようにする配慮なのかいたずら心なのか。


今日はいつにも増して距離が近い。意識しなくても聞こえるお互いの息遣い。暗闇で見つめ合ったまま夜は更けていく。


虫の鳴き声が無ければ川のせせらぎも聞こえない。時計の煩わしい機械音すらもないこの空間で言葉を必要とせず二人はじっと見つめ合う。


 やがて二人の意識はお互いの唇へと吸い寄せられ、恥ずかしさに耐えられなくなったのはソラだった。


「ん……」


 ソラは体を伸ばしてトオルの唇にキスをする。目を瞑り、五秒、十秒、ソラの息が続く限り二人はキスをしていた。


 口を離したソラはトオルから距離をとり背中を向ける。熟れたりんごのように顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに頬に手を添えていた。


 普段はトオルに対して強気なソラでも冷静なトオルには弱かった。慌てふためくトオルには色仕掛けができるのに、冷静なトオルとの耐久となると敗北色が濃厚だった。


 ソラにはトオルがより美化されて見えてしまい、真面目に見つめ合うとソラは決まって照れ隠しにキスをする。


 トオルは顔を赤くしていたがそれをソラに見られることは無かった。唇に手を当てて先ほどの柔らかい感触に思い耽る。


 トオルも男だ。ソラの色仕掛けに我慢するのは一苦労だが孤独になる時間はない。


ソラの恥ずかしそうにする姿を思い出しては興奮が表に出てきそうになる。だが、ソラにイヤなことはさせたくないと全身に力を入れてグッと抑え込んだ。


 日頃のトオルの我慢をソラは知らない。今後、気付いても気付かれなくてもソラに振り回されるのが目に見えている。


それでもいいやと鼻から息を出し、トオルは背中を向けたまま寝てしまったソラに小さく声をかける。


「おやすみ、ソラ。明日も頑張ろう」


「……おやすみ……トオル」


 それは寝言なのか、寝たふりだったのか定かではないソラの声。トオルは声を聞けたことに満足して目を閉じた。


 この年の夏はこの日を境に姿を消し始めた。風は徐々に冷たくなり、陽光は目を細めるように優しくなる。木の葉は年老いていくように黄色く変色し、やがて地面に散っていくだろう。薄着でいられるのは残り僅かな日数。


 二人が旅を続ける限り、同じ夏はやってこない。二人が一緒にいる限り、天が二人を見ている。


 たとえ分厚い雲に覆われても、その先でいつも変わらず天色の空が二人の旅を見守り続ける。

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