キャロット・シンフォーニア
カーテンと窓を開けると、気持ちの良い風が吹いてくる。ちゅんちゅんと小鳥のさえずる声を聞きながら伸びをすると、朝から活力がみなぎってくる。
最近の朝といえばドアが破壊されたり、連行されたり、兵士が飛び込んで来るような日々が続き、非常にバタバタしていたが普通の朝はいつもこんな感じの平和な朝だ。
「なんて素敵な朝なのでしょう……暖かな日差しがとても気持ちいいですね」
シスターアルフィリーナは朝起きるとまずシャワーを浴びる。
冷水で清めるのも好きではあるが、シャワーはもっと好きだ。
鼻歌まじりにスッと生まれたままの姿になると、泡をたてて体を洗う。幼女体系かと思いきや、脱ぐとぷるんという質感で綺麗な形をした胸があらわになる、適度にくびれたウエストと、程々な形のお尻。抜群と言っても支障のないプロポーションが泡に包まれて消えていく。
バスタオルで、水分を拭き取り、魔法のドライヤーで髪を乾かし、スッキリした自分に満足する。
化粧水をつけて、軽くリップを引く。
ここまでの作業が朝のルーチンであり、清潔感の漂う美しく可愛いシスターは、こうした日々の努力により保たれるのである。
「なんて素敵な景色……って……え?」
「うおおおおお! シスターアルフィリーナちゃんだ! 本物だ! すげー可愛い!」
村中の人が修道院の前でアルフィリーナを迎えていた。
「あ、あはははは……」
ちょっと困ったような顔をしてしまったが、皆に手を振り、笑顔で挨拶をした後、足早にその場を去る。
今日は久々のお仕事、村の御用聞きの為に村を巡回するのだ。
しかし、この村は意外に広かった。
円形の中央広場には市場がずらりと並び、見たこともないような装飾品、食べ物のお店がずらりと並ぶ。
中央広場を中心に、道具屋や武器屋の集まる本格的なショッピング街。
飲み屋、風俗店、ギルドホールの集まる貧民街。
観光スポットのような場所には大きな湖や見晴らしの良い小さな丘。
見習いの人たちが集まる鍛錬場やこの村を守るための兵士駐屯所。
それらを囲むように住宅街があり、住宅街を囲むように田んぼや畑が存在した。
一件一件住宅街を回る訳にもいかないので、御用聞きは中央広場の困った人掲示板を見て返信する事になる。
特にノルマ等はないのだが、アルフィリーナは出来るだけ全員に返信をしたいなと思っていた。
が、そうそう仕事や書き込みがあるわけでもなく、掲示板もギルドホールへのお願いや、店への文句、友達募集などが大半を占めていた
「何もないって事は、平和なので喜んで良いものなのでしょうか?」
いきなり仕事がなくなった。
今日の仕事はこれでおしまいかと思うと、なんだか負い目のようなものまで感じてくる。
この後どうしたものかと考えていたその時、兵士達が慌てて走っているのが目についた。
「怪盗キャロットが出たぞー! みんな! 怪盗キャロットだ! 家の中に入って隠れろー!」
(怪盗キャロット?)
「きゃはははははははは!」
アルフィリーナは疾風の如き速さで迫って来る女の子に気付いたが、反応と同時に横をすり抜けられていた。
「ごめんねシスターさん、驚かせちゃったね……」
耳元でささやかれたと思ったら、スタンスタンと建物の上に立ち、指を三つ開いて目に当てる可愛いポーズをしている女の子。舞踏会用の仮面が邪魔で顔は見えない。
動きやすそうで露出の多い革製の服に、オレンジ色のショートカット、見るからに元気そうなその女の子は、兵士達に指差しながら嘲笑うかのように大声を出した。
「我が名は怪盗キャロット! 王家の兵士達には悪いが! いただいた財宝は貧民街の方々に配らせていただく! さらばだ! きゃはははは!」
最後に『きゃはは笑い』をしたかと思うと、アルフィリーナの目でも追えないくらいの超スピードで、スタンスタンと建物の上を移動し去って行った。
「あー! ちくしょう! 今月に入って二回目だぜ。義賊だか知らねーけど追いかけ回すこっちの身にもなってほしいもんだぜ、全く!」
「あの、今のはなんなんですか?」
「ああ、シスターさんか。いやなに、怪盗キャロットっていう盗賊が最近たまに出現するんだ。盗んだ物は貧民街の方々に配って回るから一部では正義のヒーローなんだがなかなか捕まえられなくてな、困ったもんだぜ」
私の横をあっさりすり抜けるほどの超スピード、移動よりわずかに遅れて聞こえた声の速度を考えると、まさか音速を超えていた……?
(貧民街に行ってみましょう、そうすれば何か分かるのかも知れないです)
ーーリファールアルグレオ村貧民街
『貧民街』
それは村の隅にある区画の一つで、その名の通り貧しいものが集まり生活を送っている。
怪しげな店や汚い飲食店。貧民街の名にふさわしいほどの荒み具合だ。
「じゃあ、おばあちゃん元気でなー! きゃはははは!」
思わずコケそうになった。
「何やってるんですか! バレバレじゃないですか、私ですらあなたがキャロットだってわかっちゃうんですからね!」
アルフィリーナはキャロットと思われる女の子にビシッと指を刺した。
キャロットはアルフィリーナにシーっと、慌ててジェスチャーを送る。本人は誰にもバレていないのだと思っているようだ。
「そか、バレちゃったか……で、あんたも私を逮捕するのかい?」
「いえ、私はただのシスターですからそんなことはしません。でも、なんで怪盗なんて真似をしているんですか?」
キャロットは寂しげに貧民街を指差し、しばらくアルフィリーナを案内しながら話してくれた。
「見てよ、国は豊かになったとはいえ、貧民街じゃパン一つ買うのも厳しいんだ。かと言って他国に移動したくても受け入れてくれないし、仕事もない」
「……」
「でさ、私の力で貧民街のみんなを救おうと思ったら、これしかなくてさー、やっちゃいけない事だけど、もうどうしようもないよねーきゃはははは!」
(笑ってはいるけど、この子とんでもない事をしてる、捕まったら火あぶりじゃ済まないよ……)
「じゃあ、私は帰るから! じゃあね! きゃはははは!」
元気よく走り去るキャロットを、心配そうに見送るアルフィリーナ。
(子供達や老人に優しく話しかけ、仲良くしているキャロットちゃんは多分良い人だ……でもやっている事は悪い事)
「なんとかしてあの子に悪い事をやめさせられないものでしょうか……」
アルフィリーナはこの事が少し気になってアルファン王城へと足を運んだ。
ーーアルファン王国謁見の間
「王女レジーナ様、御目通りがかない……」
挨拶と同時に飛びついてくる一国の王女、アルフィリーナ唯一の友達だ。
「アルフィリーナあああ! 堅苦しい挨拶などいらん、旧知の仲だ、ところで今日はどうしたのだ?」
「はい、怪盗キャロットの事なんです、王国ではどういった対策をしているのですか?」
「ん? 野放しだが」
「へ? 捕まえたりしないんですか?」
「何をいう、兵士達には追わせてはいるが、捕まえた所で何をするわけでもない、私服を肥やした悪どい商人達から貧民街に富を配布するなど素晴らしい事ではないか!」
「逆に聞きますが、貧民街に対しての国の対策はどうなっているんです?」
「平民は皆平等だ、役所から皆に手当てが配布されておるだろうに」
さも当然であるかのように、レジーナはアルフィリーナをキョトンと見つめる。
「違うんです、私は見ました! 貧民街の荒んだ現状を。パンを買うことすらできないなんて……かわいそうで……」
キャロットがおばあちゃんに恵んであげている姿を思い出してしまい、ついつい涙溢れてしまう。
「な、泣くな泣くな! という事は私の知らない所で着服が行われているという可能性があると、そなたは考える訳か……もしそういった不正が行われているとすれば、考えられるとしたら役所が臭いな」
王女様はメイド服に着替え、舞踏会用の仮面をして顔を隠す。武器を装備すると、アルフィリーナの案内で貧民街にたどり着いた。
ーー再び貧民街
「怪盗キャロットの出現が増えて気になってはいたのだ『そんなに金が必要か?』とな。しかし、まさかこんなに荒んでいたとは……二ヶ月前に視察した時にはあんなにも華やかだったというのに」
「貧民街という名前でピンと来ないものなのですか?」
「うるさいわ! ん?」
レジーナはとっさに双対の小太刀武甕雷を構え、ナイフによる攻撃を弾き飛ばした。
「何奴!」
そこにはすでに姿はなく、反対側の建物の上で、目に三本指を重ねて可愛いポーズを取る怪盗キャロット!
「きゃはははははははははは!」
「現れたか、怪盗キャロット!」
レジーナは瞬時に建物へ飛びかかり、全身をひねって回転する。
キャロットはその攻撃を素早くかわし、短刀を構えると、アルフィリーナの目の前で殺し合いが始まった。
「なんで争うんですか! 捕まえないって言っていたじゃないですかぁ!」
「死角から攻撃を仕掛けてきた卑怯者は別だ!」
レジーナの剣撃を、からかうような素振りでひらりとかわすキャロット。
「へ? 何それ、私今来たばっかだから分かんないよ?」
「白々しい! 今物影からナイフを投げつけてきただろうが!」
ナイフを地面から拾いキャロットに投げつけると、キャロットはナイフの進行方向にクルッと回転してキャッチする。
「違うって! それ私じゃない」
「言い訳は、無用だ!」
レジーナの剣技がキャロットを捕らえた瞬間の事だった。
「あーもう! 話を聞いてよメイドさん!」
キャロットの全身が光り輝く。
ーーインフィニテッドバースト!
次の瞬間、キャロットは人ならざる者の動きでレジーナの背後を瞬時に取っていた。
「ぷは! 危なかったね! やるじゃないメイドさん」
「超高速支援魔法か! ぬかったわ!」
それでも短剣のなぎはらいをかわしたレジーナは、キャロットを追い詰めていく。 王国一の暗殺者という強さは伊達じゃない。
「きゃはははは! やるね、メイドさん! こんなに楽しい戦闘は初めてだ!」
「貴様もなかなかやるではないか! スピードだけなら一級品だ、二手三手先読みしてこれだからな」
両者本気を出し、あまりの速さに体が消えたかに思えた瞬間だった。
「もう! 怒りますよ?」
アルフィリーナは青白いオーラに包み込まれ、二人の動きを洞察した。
ガシッ!
気づくとアルフィリーナは二人の間に入り両者の武器を指先で白刃どりしていたのだった。
「うっわ! 嘘でしょ!」
「なんだと! こんな!」
二人は本気のアルフィリーナが発する『覇者の威光にやられ、ヘナヘナと腰を落としたのだった。
ぷんぷんと怒るアルフィリーナを諫めつつ、とりあえず三人は近くの喫茶店に入って話をする事にした。
「いやね? 私も怪盗なんてやりたくないのさ、でもこの国もうダメじゃん? 上の人間が頭おかしいし、そもそもリファールアルグレオとか村の名前を口にするたびに舌噛むっての」
「あ、すごい、噛まずに村名言えるんですね!」
「いや、アルフィリーナよ問題はそこではない、キャロットだったか? その方は何故この国を蔑む? そして何が原因と考えるのだ、国から助成金は出ているだろうに……」
「ああ、確かに助成金(笑)は出ているさ、十ゴールドな、手数料で八ゴールドも持っていかれたら、結局二ゴールドしか残らない、あんたは手続きに二時間かけてまで二ゴールドをもらいにいくかい? もらわないっしょ? それでも役所は貧民達で行列さ、そんな小銭ですら人生を左右しちゃうんだ、頭おかしいよ」
キャロットはムシャムシャとケーキを食べ、イライラしながらアルフィリーナのケーキも奪った。
「ああ、私のケーキが……」
「思った以上に酷いな……」
レジーナは自分のケーキをアルフィリーナにあげる。
「私だってこんなことしたくないさ。でも、目の前で弱っていく人達をみたらあんたたちだって助けてあげたくならないか?」
アルフィリーナとレジーナは何も言えずにお互いの顔を見つめ合う。
「ほら、やっぱり悪い人じゃないんですよ、ね? レジーナさん!」
「アルフィリーナ、私は何かキャロットを誤解していたのかもしれん」
ジーっと二人に見つめられ、キャロットは少しタジタジしたが、思い出したかのように自己紹介をした。
「あー、忘れてた、私はキャロット・シンフォーニア、怪盗キャロット、職業は盗賊だよ、きゃはははは!」
この世界でいう盗賊は人から盗む悪い人ではない。速さを極め、トラップを見抜き、隠密スキルを操る忍者みたいな職業だ。
「さっきナイフを投げたのは違うって言っていましたけど」
「ああ、そうそう、忘れるとこだった!」
キャロットは短刀を何本かテーブルに置く。そしてさっき投げられたナイフをその横に置いた。
「私のナイフはみんなデザインが一緒だろ? 名前と刻印も入ってる。ほら、こうやって並べるとさっきのナイフは明らかに違うっしょ?」
明らかに違う、それは目で見てはっきりと分かるほど違うナイフだ。自分のしてしまった酷いことに気がつき、レジーナの顔はみるみると青ざめていった。
ガタン!
「あれ? メイドさんどったの?」
「すまない! 私が間違えていた! 貧民街の事情もそうだ! 何も分かっていなかったのは私の方だ! 許してくれ!」
「じゃあここの支払いよろしく、きゃはははは!」
「そんな事で許されてたまるか! 私はこの国の王女、レジーナアルファン! 何かできる事はないか? 我が罪を償いたいのだ!」
「アルフィリーナちゃん、この人もしかしてめんどくさい人? 私は王女だろうがなんだろうが態度を変える気はないし、別に罪がどうとか責める気もないよ? ただ、今後どうしようかなって事くらいかな? 王女様なんか対策出来る?」
「もちろんだ! すぐにでも城から直接貧民街を助けよう」
「やりましたねキャロットさん!」
「うん、それは助かるよ、あんた達良い人だね、レジーナさんとアルフィリーナちゃんだっけ? 会えてよかったよ」
キャロットはムシャムシャとアルフィリーナのケーキを食べていた。
「ああ、私のケーキ……」
しばらく追加オーダーしたケーキと紅茶と雑談を楽しみ、気がつけば三人は意気投合していた。
翌日には貧民街に大量の物資と助成金を積んだ荷馬車と兵士達が到着。
「王女レジーナ様の命により、貧民街の方々のため、今より物資配給、ならびに助成金による援助を行う!」
「おお、なんとありがたい!」
各家族には大量の食料、アルフィリーナの調合による薬品、しばらく生活が困らないほどの助成金を配布。
根本的な解決ではないが、しばらくの間貧民街は安泰だろう、また、キャロットを中心に自警団が結成され、貧民街の治安を維持、これにより貧民街の人々も安心して暮らしていけるようになる。
一般の市民には生活水準がまだまだ劣るが、兵士への士官やギルド登録も可能になり、お年寄りや女性でも、採取クエスト等による自らの手でお金を稼ぐ事も可能になった事で活気が出てきた。
こうして貧民街は救われたのだった。
《一週間後》
改めて変化を遂げた貧民街を眺めて呟く。
「怪盗キャロットの出番も、これでおしまいですね」
「ああ、あれはあれで面白いイベントだったのだがな。兵士達が『怪盗キャロットが出たぞー!』と騒ぎ立てるのは見ていて胸が熱くなったものだ」
「怪盗キャロットが出たぞー!」
「ほら、あんな風に」
「あれ? キャロットさん!」
上空を飛び交うキャロットは建物の上でポーズを決める。追ってくる兵士達に指を刺す。
「きゃはははは! 私は怪盗キャロットだ! 悪行を働く悪徳役人よ! 私の目をごまかせると思うなよ?」
「ぁぁあああ、私のお金があああ!」
悪銭で私服を肥やした悪徳役人は、怪盗キャロットにより被害にあう。
スタン! と二人のそばに着地したキャロット。
「レジーナさん、ほれ、汚いお金を盗んできた、助成金に上乗せお願い、じゃあね!」
疾風のように去って行ったキャロットを追う兵士達、でもなんだか追いかける兵士達も楽しそうだ。
「やれやれ、良い奴なんだか悪い奴なんだか分からんな」
「いえ、きっといい人ですよ、またみんなで遊びましょ?」
「そうだな」
リファールアルグレオ村ではその後も怪盗キャロットのきゃはは笑いが、村中を賑わせていたのだった。