おんぼろ橋のおばけ
辺り一面の雪。ここ最近では珍しい雪原が森に広がりました。リスは森のあちこちに隠していたどんぐりを探して小さな足跡を雪の上に残しています。この冬は寒すぎると言ってアライグマも穴倉に籠ってしまいました。だから、出会うとすればキツネしかいなくて、リスは少し退屈しているのです。そして、退屈していると、リスが小さい頃に聞いた、お母さんの昔話を思い出すのです。
そして、雪原の中ぽつんと立って、周りを見渡します。
「まっしろだ」
広葉樹はその枝に綺麗な葉ではなく、白い雪を飾りつけ、針葉樹は綿の帽子を被り、その幹を凍らせていました。リスはその限りなく静かな場所で、ただ、呟いてみたくなったのです。
「キツネくんを探してみようかな……そしたら、楽しいかな? そしたら、おばけのことなんて思い出さないかな?」
リスはクマの言ったことを思い出しては、昔話のおばけを思い出して、根っこ広場を思い出して、頭を振るのです。そうすれば、おばけの話が頭から飛び出していってくれそうな気がして。
それは秋も深まるある日のこと。みんな冬支度に忙しくしている時でした。冬眠準備をしているはずのクマの声が森中に響いたのです。誰もが冬支度の準備の手を止めて、その声のする方へと走り出しました。
一番に辿り着いたのは、あの暴れん坊のアライグマでした。
「どうした、どうした」
次がキツネにリス。そして、最後に到着したのはヘビでした。ヘビは既に眠たそうにしています。
「どうしたの?」
みんなの驚いている顔は本当に心配そうでした。
「今、あそこにね、」
そう言って指さすクマの手先はまだ震えています。みんなその様子をその指先にある景色を固唾を呑んで見つめます。その先にあるのは、誰がいつ作ったのか分からないオンボロ橋。クマは勇気を出して声を出します。
「あそこにね、おばけがいたのっ」
もちろん、その先にはいつも通りオンボロ橋が風に揺れています。リスがぴょこぴょことその橋のそばまで近付いて、橋のロープに飛び移り、手をおでこに掲げます。
「クマさーん。何もいないよ。大丈夫だよーっ」
「だって。橋の向こうにいたのよ。だって、黒い影がね……」
クマが嘘を吐くことはありません。ただ、クマはとても怖がりなだけなのです。
「橋の向こう? そんなのいるわけないだろう? おれにも全く見えないぜ」
口は悪いですが近視のアライグマもクマを励まそうとします。そして、取り成すようにしてキツネもクマに進言しました。
「ほら、クマさん、食べ物いっぱい食べなくちゃいけない時期でしょ? 僕ね、おいしい松ぼっくりと柿の木知ってるよ」
そう言われれば、仕方がありません。おばけのせいで、食べ物探しをおろそかにしてしまうと、うまく冬眠が出来ないのです。クマはびくびくしながらキツネの後について行きました。
その後ろ姿を見ながら、リスはお母さんの話を思い出してしまったのです。
オンボロ橋の向こうにはおばけがいるのよ。だから、あの向こうには行ってはいけないの。いい?
小さかったリスは「うん!」と元気いっぱいに返事をして、お母さんからどんぐりをもらいました。でも、辺り真っ白の景色を見ていたら、不安になってくるのです。こんなに真っ白な景色は見たことがありません。もしかしたら、オンボロ橋の向こうから本当におばけがやって来ているのかもしれない、そんな風に考えてしまいます。リスは何度もお母さんに聞いていたのです。
「おばけって白いんだよね」「おばけって冷たいんだよね」「おばけって消えてしまうんだよね」
目の前に広がる『雪』は全部それに当てはまっているのです。
「でも、これは雪で、おばけじゃない」
リスはそれもよく知っていました。別に雪を見たのが初めてではないのです。掘り起こしたどんぐりを頬袋の中に収めて前を見ます。
「あっ」
リスは慌てて、もう一つどんぐりを雪の中から掘り出して駆け出しました。
「きつねくん、きつねくん」
リスに呼ばれたキツネはすっかり冬毛に変わって、ふっわふわの毛になっていました。そして、その大きく膨らんだシッポがキツネの掘った穴からゆっさゆっさと揺れています。
「あ、おはよう、りすくん」
キツネは雪に突っ込んでいた頭を出しました。その頭にはあの白くて冷たい雪が乗っかっています。
「どうしたの?」
「あのね、これあげる」
リスはさっき掘り出したどんぐりをキツネに差し出しました。実は、あんまりどんぐりは好きではないキツネですが、そんなことは全く気にせずに「ありがとう」を言います。キツネが喜んでくれた様子を見て、リスはにっこり嬉しそうに笑います。
「あのね、あのね、きつねくんはおばけっていると思う?」
リスは続けて言います。
「あのね、だからね。みんないなくてね。キツネくんしか話せないんだ」
相談したいっていうことなんだろうな、とキツネは首を傾げながら考えました。
「うん、いいよ」
キツネは二つ返事で答えました。リスは嬉しくてキツネの頭まで上り、頭の雪を払ってあげました。
「オンボロ橋のおばけの話。クマさんが言ってたでしょ。あれ黒いって言ってたでしょ。でも、おばけって白いよね」
「うん。普通は白いんだよ」
リスが黒い目をきょときょとさせてキツネのおでこからキツネを覗き込みました。
「きっと、冬眠しない僕らだけが本当のおばけのことを知ってるんだよ。だって、おばけも眠らないんだもの」
リスはなるほどな、とキツネを感心しました。寝ない子のところにおばけがやって来るんだ。そういえば、リスのお母さんもそんな話をしていました。
キツネの話す内容はリスの知るものとは全く違いました。それはキツネのお婆ちゃんのお婆ちゃんからのお話です。でも、それは、やはり冬の話なのです。
その冬もこの冬と同じように雪深い日だったそうです。そして、食べ物もとても少なくて大変な冬だったのです。キツネのお爺ちゃんのお爺ちゃんは、家族のために一生懸命食べ物を探す毎日でした。リスには内緒ですが、冬の食べ物は少ないのです。ネズミを捕ったり、時にはリスも捕っていたかもしれません。
それでも足りません。お爺ちゃんのお爺ちゃんはオンボロ橋の前に立って途方に暮れていました。その頃はまだオンボロではなかったのかもしれません。行ってはいけないと思いながらも、お爺ちゃんのお爺ちゃんは、その橋を渡って食べ物を探すようになったのです。そして、その日が来ました。その日以降、お爺ちゃんのお爺ちゃんは帰って来なくなりました。
キツネのお婆ちゃんのお婆ちゃんはキツネの子ども達に言い聞かせます。
「お父さんは橋の向こうのおばけに食べられちゃったんだよ。だから、決してあの橋を渡ってはいけないよ」
その日、空には虹がかかりました。
真っ白の大地に快晴。そして、その青い空に彩る虹。
雪解けまではあと少し。キツネのお婆ちゃんのお婆ちゃんはふかふかのしっぽに子ども達を包み込みながら、その虹を眺めて、涙を瞳に浮かべていました。虹はその涙を受け止めるお椀の様に逆さを向いていたそうです。
そして、キツネはリスを頭に乗せたままぼそりと呟きます。
「この橋の向こうには本当におばけがいるのかな? もし、おばけなんかいないってちゃんと見てきたら、クマさん、喜ぶのかな?」
リスを頭に乗せて、オンボロ橋まで歩いてきたキツネは橋の向こうをじっと見つめて立っていました。
おばけがいなければ、クマはきっとオンボロ橋のそばをひとりで歩けるようになるはずなのです。