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「何で俺がエルヴィーネ姫を好きだなんてことになってるんだ!?」
ニコラスはシルヴィの体に回していた腕の力を緩め、彼女の両肩をつかんだ。
シルヴィは気まずそうに目を伏せてから、彼の問いに答える。
「兄上が手紙の中で、あなたが『最近友人の妹が気になってしまって心がどうも落ち着かない』って言っていたって書いていたから………」
確かに言った。ラザールに、そう言った。ラザールが自分のシルヴィへの気持ちを察してくれることを期待して。そして、ラザールがそれをシルヴィに伝えてくれることを期待して。
ニコラスは限りなくストレートに自分の気持ちを宣言したつもりだったから、まさかラザールとシルヴィが誤解しているなどとは少しも想像していなかった。
ニコラスは左手でシルヴィの肩をつかんだまま、右手でこめかみを押さえた。
「だから、それはお前のことだろう!?」
とニコラスが言うと、彼女はぽかんと口を開けた。
「え…………?」
ニコラスはもう一度シルヴィに諭すように言って聞かせる。
「『友人の妹』というのはお前のことだ」
「ええっ!? そうなの!?」
シルヴィはよほど驚いたのか、両手で口元を覆った。
「えっ……、じゃあ、ニコラスは私が気になって落ち着かない……って……、そ……んな、それって………」
力が抜けてしまったらしく、シルヴィは崩れるようにその場にぺたんと座り込んだ。
ニコラスもしゃがみ込み、ひじにかけていた自分のマントを広げ、それを下着姿のシルヴィの肩にそっとかけてやった。
そしてそのままマントごと彼女の体をしっかりと抱きしめる。
「あんなことを急に言い出したかと思えば逃げるように去っていくし、なかなか会いにきてくれないし、おまけに次にパーティーで会った時には知らない男が横にいるし、心がざわついて仕方なかった」
我ながら恨めしさがにじんでいる情けない口調だった。これでは拗ねている子供のようではないか。
それを自覚しつつ、ニコラスは開き直った。
「だから、責任を取ってくれ」
ニコラスはいまだ信じられないという表情をしているシルヴィの頬に触れて彼女の顔を持ち上げ、ゆっくりと彼女のくちびるに自分のそれを重ねた。
初めて触れる彼女のくちびるは柔らかく、涙のせいかしょっぱかった。
ニコラスがそっとくちびるを離すと、シルヴィは真っ赤になって目を大きく見開き、両手でくちびるを押さえた。
彼女の背中に回した自分の腕から彼女の震えが伝わってくる。
「な……んで……?」
シルヴィは呆然としたまま呟いた。
なぜニコラスがシルヴィにキスをしたか、という意味だろうか。
「好きだからに決まっているだろう?」
ニコラスははっきりとした力強い口調でそう答えた。
「だって、私……、全然女っぽくないし、お淑やかでもないし………」
彼女は明らかに混乱していた。せわしく目線をあちこちに向け、落ち着こうと努めているのだろうか、顔を包むように両手で頬に触れた。その指先が小刻みに震えている。
動揺しているそんなシルヴィの様子さえ、ニコラスにはいとおしく思えた。
「知ってる」
ニコラスは笑いながらうなずいた。
すると、今まで彼を直視するのを避けてきたシルヴィは、今度はまっすぐにニコラスに視線を向けた。
「…………」
信じられない、と彼女の瞳がはっきりと告げていた。
けれど、シルヴィに対するニコラスの気持ちは、掛け値なしの彼の本音だ。
シルヴィにそれを信じさせることが今の自分に与えられた義務だ。
そう考えたニコラスは、
「だからこそ好きになったんだ」
と言った。
「うそっ……」
「嘘じゃない」
自分の言葉と気持ちを証明するために、ニコラスは右手で口元を覆っているシルヴィの両手を引きはがし、今度は深くくちびるを重ねた。
先ほどより長いキスから解放すると、シルヴィはほうっと一つ息を吐いた。その頬は赤いままで、涙に濡れた瞳は潤んでいる。
今までに見たことのない女性としてのシルヴィを目にし、ニコラスの胸がどきりと高鳴る。
いつもの勝気なシルヴィもかわいいが、どことなくなまめかしさを漂わせる彼女はとても愛らしかった。
ニコラスはそのままシルヴィを自分の胸に押しつけるようにきつく抱きしめた。
薄いシャツ越しに触れる彼女の顔は熱を帯びていて、じんわりと伝わってくるそのぬくもりが悩ましい。
ニコラスがマントをかぶせてやったとはいえその下は下着しか身につけていないのだし、そのことを改めて意識するとニコラスののどが鳴った。目の前の彼女が欲しくてたまらなくなってしまう。
若さゆえに内側から自然に湧き上がってくる衝動を何とか押し留め、ニコラスはそっとシルヴィを解放した。
シルヴィは体に力が入らない様子だ。ニコラスは彼女の手をしっかりと握って立ち上がり、シルヴィにも立ち上がるよう促した。
「ナルフィ城に戻ろう。服を着て」
シルヴィは心ここにあらずといった感じで、ぼんやりとした瞳でニコラスを見上げた。
しどけないそのさまに再びニコラスの心臓がどくんと音を立てた。
自分と彼女の間に漂う甘い空気に自らの心を支配されそうだったので、ニコラスはあえて冗談交じりに
「着替えを手伝おうか?」
と訊いた。
シルヴィはようやく我に返ったらしく、頬を赤く染めてつんと澄ました表情になり、
「結構よ!」
と言ってからニコラスに背を向けた。
言葉と口調はニコラスも見慣れた勝気な彼女らしいものだったが、それに加えて彼が今まで見たことのない恥ずかしがっている様子がとても新鮮だった。今までに誰に対しても感じたことのないいとおしさが込み上げてくる。
ニコラスは彼女の両肩に手を置き、身を屈めてシルヴィの左耳にくちびるを寄せた。
彼女はニコラスに背を向けているから、彼女の表情は分からない。
けれどシルヴィがはっと息を呑んだのが聞こえた。続けて彼女の耳が真っ赤になり、熱を持った。
かわいいな。
そう思いながら、彼女の耳元でニコラスは囁く。
「俺は馬のところで待っているよ」
シルヴィはこくんと小さくうなずいた。
それを見届けてからニコラスは自分の言葉どおり、木に繋いだ馬のもとへ戻った。