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学祭が終わってからしばらく経っても、エルヴィーネの名前は生徒たちの話題に頻繁に上った。
誰もがあの気高いアンテの姫の美しさに夢中になっていた。
普段は男ばかりの環境である。そんな中、美しい女性を目にして興奮してしまうのは仕方のないことだろう。
だが、スヴェンは大切な妹を辱められているような気持ちにでもなるのだろうか、友人たちや上級生、下級生が気軽にエルヴィーネの話をしているのを見聞きすると、途端に不機嫌になった。
美しさとともに激しさをあわせ持つスヴェンに睨まれて平然としていられるような強い心臓の持ち主は上級生の中にさえ存在しなかった。
むっつりと黙り込んで相手を睨むスヴェンに、ラザールは苦笑しながら言う。
「あれだけ美しい姫だから、そりゃあ皆噂するさ」
ラザールはスヴェンに睨まれた生徒たちに同情を示した。
「それにしても、エルヴィーネ姫は本当に美しい姫だったな」
そう続けたラザールに、スヴェンの片方の眉がぴくっと引きつった。
しかしラザールには婚約者がいるし、ただ単純にエルヴィーネの美しさに感心しただけだった。ラザールにとっては、皇宮のあちこちに飾られている美術品を褒めるのと同じ感覚に過ぎなかった。
ラザールが妹エルヴィーネに邪な気持ちを抱いているわけではないのはスヴェンにもよく分かっていたので、スヴェンは何も言わなかった。
特に何も考えずに、ラザールは
「な?」
とニコラスに同意を求めた。
ところが、エルヴィーネを賞賛したラザールの言葉はニコラスの耳には届いていなかった。ニコラスはスヴェンの不機嫌な様子にも気づいていなかった。ここ最近、彼の頭はずっとシルヴィのことでいっぱいだったのだ。
急にラザールに顔を覗き込まれ、はっと我に返ったニコラスはわけも分からないまま
「え……あ、ああ、そうだな」
と適当に返事をした。
するとラザールは眉間にしわを寄せ、無言でじっとニコラスを見つめた。
俺の顔に何かついているのだろうか、とニコラスが疑問に思った時、ラザールが真顔で
「ニコラス、最近元気がないようだけど、どうかしたのか?」
と心配そうに尋ねた。
さらにスヴェンが
「病気なんじゃないのか?」
と会話に入ってきた。
ニコラスが否定する前に、スヴェンは続ける。
「恋の病、という名の」
スヴェンは何もかも見抜いていると言わんばかりのしたり顔でにやりと笑った。
ニコラスは一つ小さな息を吐いて、覚悟を決めた。
「ああ、そうかもしれない。最近友人の妹が気になってしまって心がどうも落ち着かない。いつ何をしていても頭の中で彼女の顔がちらついて、何も手につかないんだ」
ニコラスはまっすぐにラザールを見ながら言った、ラザールが自分の言葉の意味に気づき、ラザール経由で自分の気持ちがシルヴィに伝わることを期待して。
しかしラザールは話の流れから、彼の言う『友人の妹』がエルヴィーネを指しているのだと信じて疑わなかった。
「へぇ~。まぁ、がんばれよ、ニコラス。君ほどの男なら、相手がどんな子でもうまくいくさ」
ラザールは腕を伸ばしてニコラスの肩に触れ、励ますようにぽんぽんと軽く叩いた。
「ラザール……」
ニコラスはラザールに対して感動を覚えた。
自分が好きな相手は他の誰でもない彼の妹だというのに、自分とシルヴィのことを反対するどころか、応援してくれるなんて。ニコラスにはラザールの背中に後光が差しているように思えた。
ラザール、お前は何て心の広い寛容な男なんだ!!
「ありがとう、ラザール……‼︎」
感謝の念を込めて礼を言うと、ラザールは優しく笑った。
その時ラザールは全く的外れなことを考えていた。
ニコラスはスヴェンの前で堂々とエルヴィーネが気になっていると宣言したのに、スヴェンは逆上などせずに落ち着いている。それがラザールには意外に映った。
学祭の時のスヴェンのあの様子では、ものすごくエルヴィーネ姫のことを大事にしているように思えたけど……、案外スヴェンとエルヴィーネ姫の関係はあっさりしているのか……?
それとも、スヴェンはニコラスにならエルヴィーネ姫を託してもいいと思っているのかな?
俺だったら、もし妹たちに男が言い寄ったら絶対に平静でいられない……。
相手の男がどんなに人間的にすばらしくても、どうやったって心配せずにはいられないな。
スヴェンは本当に肝が据わった男だ……。
その場にいて沈黙を守っていたスヴェンは、ニコラスとラザールを見比べながら愉快そうに忍び笑いをした。