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ニコラスはスヴェンに伝えられたタラバルドン夫人との待ち合わせ場所に行った。
彼女は先に到着しており、ニコラスを待っていた。
「今日はスヴェンの代わりを私が務めさせていただきます」
ニコラスは顔にスコル王子という立場に恥じない気品ある笑みを貼りつけ、うやうやしくタラバルドン夫人に対して礼をした。
「ええ、先ほどスヴェン王子から連絡をいただきましたわ。ニコラス王子のお手を煩わせてしまって申し訳ありません」
タラバルドン夫人は妖艶な笑みを浮かべてニコラスにお辞儀した。流れるような美しい動作だった。
「いえ、私も当代一の貴婦人と名高いタラバルドン夫人とご一緒できるかと思うと、とても光栄に思います」
社交辞令だった。それでもニコラスは貴公子として相手を褒め称える言葉をかけないわけにはいかなかった。
「まぁ、お優しいお言葉をありがとう存じます」
ニコラスは王子という立場から、貴族特有の社交辞令やうわべだけの会話には慣れていた。
慣れていた、はずだった。
だが、今日はどうにもいらいらしてしまう。同時に、何とも言えない疲労感に襲われた。パーティーはこれから始まるというのに。
最近シルヴィと出かけていたせいか……。
ニコラスは合点がいった。
シルヴィもこういった場では完璧な淑女として言葉を選ぶ。彼女はナルフィ大公女を演じ、時には社交辞令を言ったり受け止めたりすることもある。
しかしニコラスは素の彼女を知っているし、彼女も素の自分を知っている。あえて上品な言葉遣いで会話する化かし合いを二人は純粋に楽しんでいた。彼女が本当はどういう人間かを知っていたから、彼女との化かし合いはニコラスにとって、上流階級ごっこのようなものだった。
実際の彼女は、喜怒哀楽が非常にはっきりした人間だ。ストレートな物言いと取り繕わない本音を堂々と表現する彼女は小気味よかった。微笑を浮かべ腹の中で何を考えているか分からない貴族連中を相手にするよりよっぽど信頼できるし気が楽だった。
ニコラスの意識は知らず知らずのうちにシルヴィへと傾いた。彼は無意識のうちに目の前のタラバルドン夫人とシルヴィを比べてしまう。
シルヴィはタラバルドン夫人や他の貴族女性のように強い香水をつけない。たとえ香り自体はよいものでも、このタラバルドン夫人のように横にいるこちらの息が詰まりそうなほどたっぷり香水を振りかけるのはどうかと思う。鼻がひん曲がりそうだ。
確かにタラバルドン夫人は美しい。けれど少しの隙もなく化粧をほどこされたその顔は、ニコラスには作り物の仮面のように見えた。人工物のような冷たさがあった。生き生きとした表情を見せるシルヴィは、化粧などしなくても素顔のままで十分に愛らしく清らかなのに。
タラバルドン夫人は洗練された貴婦人だ。年相応の落ち着きもある。精神的にも肉体的にも成熟した大人の女性だ。それはシルヴィにはない魅力であることは間違いない。
しかし逆にシルヴィには、若さゆえの勢いがあり、情熱があり、それゆえに危うさや無鉄砲さをはらんでいる。だからこそ目が離せないし、ニコラスとしては守ってやりたくなるのだ。
ああ、シルヴィに会いたい……。
シルヴィのことを思い出したら、我知らずそう思った。彼女を恋しく想う気持ちが自然と湧き上がった。
そんな自分に気づき、ニコラスはとうとう認めるしかなかった、自分も彼女を好ましく思っているのだ、と。この気持ちは、親友の妹相手に抱く家族愛に似た情などではなく、男から女への愛情なのだ、と。
そう認めてしまったら、シルヴィへの想いがニコラスの全身を駆け巡った。
彼女のあの屈託のない笑顔が見たい。
強がる時のつんと澄ました表情が見たい。
自分に負けて全力で悔しがる彼女の膨れっ面が恋しい。
彼女に会いたい。
彼女が恋しい。
シルヴィへの気持ちがとめどなく膨らみ、ニコラスの胸を押し潰す。
彼は息苦しさを覚えたが、それでもスヴェンから頼まれた今日の役目を果たすため、タラバルドン夫人とともにパーティーの会場に向かった。