27
3月ももう残り少なくなってきたある日、険しい表情をしたスヴェンがニコラスの寮室にやって来た。
呼ばれたニコラスは部屋のドアを開け、二人はそのまま戸口で話し始めた。
「ニコラス、頼みがある」
「何だ? お前が頼み事なんて珍しいな」
どうやらスヴェンに何かあったらしい。ニコラスはスヴェンの言葉の続きを待った。
「俺は今日、タラバルドン夫人と夜会に出る約束をしていたんだが、さっきアンテの大使館から緊急の用事で呼ばれたから、これから行かなければならなくなった」
ニコラスはスヴェンの頼み事の内容をすぐに察した。
「俺にお前の代わりにタラバルドン夫人と夜会に行けってことか?」
「ああ。頼めるか?」
「分かった」
そういうことなら仕方ない。正直なところ気乗りしなかったが、断る理由も他の用事もなかったし、情けは人のためならず。次は自分が彼に頼み事をする立場に回るかもしれない。
ニコラスがうなずくと、スヴェンは安堵したようにほうっと息を吐いた。
「恩に着る。礼は後でする」
「ああ」
話がまとまったので、ニコラスは急いでいる様子のスヴェンがすぐにでも自分に背を向けて走り去るかと思ったのだが、スヴェンはニコラスとの距離を詰め、ニコラスの腕をつかんでからあたりをきょろきょろと見回し、廊下に誰もいないことを確認した後で、ニコラスに
「俺がタラバルドン夫人と出かける予定だったことは、ラザールには、いや、誰にも言ってくれるなよ? 後できっちり礼はするから」
と耳打ちした。
彼はニコラスの腕をつかんでいないほうの手を胸のポケットにやり、小さく折りたたまれた紙をニコラスの手に押し込んだ。
それが終わると、スヴェンはニコラスの返事や反応を待つことなく、今度こそ早足で遠ざかっていった。
スヴェンの後ろ姿が見えなくなってから、ニコラスはようやくスヴェンが早口で自分に告げた内容を理解した。
それと同時に、
「あいつ……!!」
と思わず呟いてしまった。
スヴェンはラザールのすぐ下の妹のイヴェットと婚約中である。それにもかかわらず、彼は今夜タラバルドン夫人と出かけようとしていた。
もちろん、スヴェンが何の下心もなく単なる友人としてタラバルドン夫人と会う約束をしていた可能性もないわけではない。が、イヴェットと婚約する前の彼の素行と、ニコラスにこのことを口外しないように頼んだことから推察するに、その可能性は低いのではないか、というのがニコラスの率直な印象である。
ニコラスは親友を助けるために全くの善意でこの件を引き受けたが、そのことを少し後悔した。スヴェンがもう一人の親友ラザールと婚約者であるイヴェットを裏切るような行為に自分までもが加担しているような気分になったからだ。
急に精神的疲労を覚えたニコラスは、げっそりしながらスヴェンに押しつけられた小さな紙を広げた。そこにはタラバルドン夫人との待ち合わせ場所や目的地などが書かれていた。
ニコラスは出かける支度をしてから寮の部屋を出た。