21
ニコラスは疲労を覚えていた。
一度抜け出して休憩したいな、と思った時、パーティーホールの一番奥に置かれていた柱時計が十回ほど鐘を鳴らした。
自分はともかく、シルヴィは親友が大切にしている妹である。帰りが遅くなるのもよくないだろう。
彼女を馬車まで送る間に自分も一息つくことができるし、ニコラスは相変わらず男たちに囲まれているシルヴィを迎えにいくことにした。
彼は自分のそばを離れようとしない令嬢たちに事情を説明し、仕方ないので彼女たちをぞろぞろと引き連れた状態でシルヴィのもとへと向かった。
「シルヴィ大公女」
ニコラスが彼女を呼ぶと、彼女はすぐに振り向いた。
ニコラスは社交界のマナーに則って、自分の傍らにいる令嬢たちをシルヴィや彼女と会話していた男に紹介した。
男が令嬢たちに挨拶を終えた後、全員の視線がシルヴィに集まった。社交界の常識に従うのなら、シルヴィはここで令嬢たちに自己紹介をしなければならない。
ところが、シルヴィは剣を持っている時の彼女とはまるで別人のように、どこか頼りない感じでぼんやりしたような様子だった。
体調がよくないのかな、とニコラスは心配になり、彼がシルヴィ本人に代わって令嬢たちに彼女を紹介した。
「シルヴィ大公女、大丈夫ですか? 何だかお顔の色が優れないようですが……」
とニコラスはシルヴィに話しかけた。
「ええ、何だか寒気がして……」
シルヴィはどこかだるそうに目を伏せて首を縦に振った。
「それはいけませんね。もうお帰りになるのでしたら、お送りしましょう」
ニコラスがそう申し出ると、シルヴィはゆっくりと目を開け、
「ありがとうございます」
と礼を述べた。
ニコラスは自分についてきた女性たちとシルヴィが会話していた男に
「いったん失礼します」
と断ってから、シルヴィの手を引いて歩き始めた。
背中越しに令嬢たちに
「ニコラス王子ぃ、また戻っていらしてね」
「お待ちしていますわ」
「戻っていらしたら、わたしと踊って下さらなければ嫌よ」
などと声をかけられたので、ニコラスとしても無視するわけにもいかず、思わず足を止めた。
彼はそのまま振り返って甘く微笑みながら合図を送るように軽く手を挙げた。すると女性たちは興奮した顔つきでニコラスに笑いかけたり片目をつむったりしてみせた。
あからさまに自分に向けられる好意に、ニコラスとしても悪い気がしないでもなかった。けれど同時に、俺がスコル王子ではなくて下級貴族にしか過ぎなかったとしても彼女たちは同じような好意を俺に向けてくれるだろうか、と少々意地の悪いことも考えてしまう。
ニコラスはどこか体調が悪そうなシルヴィを廊下に導き、
「大丈夫か?」
と彼女を気遣った。
「うん、大丈夫。でも、少し疲れてしまったみたい……」
シルヴィは素直に自分が本調子でないことを認めた。
「そうか。その調子じゃ、明日はなし?」
ニコラスがシルヴィに自分と彼女の間で毎月の決まり事のようになっている剣の手合わせを見合わせるか否か尋ねたところ、彼女は即座に
「それは嫌! 月に一度のあなたとの対戦のために、私は剣の練習をしているんだもの!」
と口を尖らせた。
シルヴィの体調不良を心配していたニコラスだったが、彼女の反応に
「その元気と気迫があれば、まぁ大丈夫だろう」
と一応安堵した。
ニコラスはいつものようにシルヴィを馬車のところまで送り、彼女を御者に引き渡した。