17
翌日、急いで祖国に戻るというスヴェンは、彼の故郷アンテ王国を目指してナルフィを発った。
残されたニコラスたちは、天気がよかったこともあり、遠乗りに行くことにした。シルヴィが彼女のお気に入りの場所に案内したいと言い出したのだ。
その場所とは、シルヴィが乗馬を楽しみたい時に一人で出かける池らしい。一人で出かけるというのが彼女らしくて、ニコラスは何だか笑ってしまった。
馬を操ることができないアデライードはラザールの馬に同乗し、ニコラスとシルヴィはそれぞれ自分の馬を駆った。
生き生きとした表情で手綱を握るシルヴィと、守られるようにしてラザールの後ろに横乗りしているたおやかなアデライード。ニコラスの目から見てこの二人の大公女は対極をなしているのに、二人の仲はよさそうだ。
ラザールは同乗しているアデライードに何かあってはいけないという配慮からだろうか、一定以上の速度を出さなかった。慎重な彼らしい行動だ。
シルヴィもニコラスも常にラザールの馬を視界に入れていたが、二人のほうが先に目的地に到着した。
まずシルヴィがひらりと馬から下り、近くの木に手綱をくくりつけようとしていた。
ニコラスも下乗し、馬のたてがみを撫でていると、ラザールとアデライードが乗った馬がやって来た。
自分の助けがあったほうが、アデライード大公女は馬から下りやすいだろう。女性に手を貸すことは上流階級に属する人間なら当然の務めであるので、ニコラスはそばにいたシルヴィに
「シルヴィ、これも頼む」
と自分の馬の手綱を手渡そうとした。
きょとんとしたシルヴィがそれでも自分が差し出した手綱を握ったから、ニコラスは安心して彼女に馬を任せ、アデライードを助けるためにラザールの馬へと歩を進めた。
「アデライード大公女、お手をどうぞ」
ニコラスが馬上のアデライードに手を差し出しながらそう声をかけると、彼女はまず極上の笑みを浮かべ、
「まぁ、お優しいお心遣い、どうもありがとうございます」
と礼を述べた後で、ゆっくりとした動作でそのすべらかな白い手をニコラスの手に重ねた。
彼女が馬から下りる途中、落ちるのを避けるため、ニコラスは自分の指に少し力を込め、アデライードの手をしっかりとつかんだ。
その時に目に入った彼女のつめは何か塗られているのだろうか、つやつやと光っていた。ニコラスの指先が触れている彼女の手の甲は香油でも塗り込められているのだろう、しっとりと潤っている。少しも荒れていない指も手の甲も、まさに最上級の貴族の子女の証だった。
ニコラスは片方の手で彼女の手をしっかりと握り、もう片方の手で彼女の腰元あたりを支え、彼女が馬から下りるための補助をした。
無事にアデライードの両足が地面に着くと、彼女はもう一度
「どうもありがとうございます、ニコラス王子」
とニコラスに礼を言った。
アデライードはニコラスの手をそっと離し、そのままシルヴィがいる方向へと歩き出した。
ニコラスの横では今度はラザールが馬から下り、彼は手綱を近くにあった木に繋いだ。
その間にニコラスは目の前に広がる池を見渡した。
「なかなかすばらしい場所じゃないか」
ニコラスが誰にともなく呟くと、横に並んだラザールも
「本当だ。なかなかの場所だな」
とうなずいた。
「でも、こんな場所に一人で来るなんて……。シルヴィのやつ……」
ラザールはこの風景に似つかわしくないしかめっ面をして腕を組んだ。
「まぁまぁ、いいじゃないか」
ニコラスはラザールをなだめた。
「…………そうだな」
ラザール自身、この場所の雰囲気にうるさい小言など似合わないと思ったのだろう。彼は仏頂面から普通の表情に戻り、
「おーい、シルヴィ!! 食事にしよう!!」
と昼食のかごを運んでいた妹に向かって叫んだ。