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シルヴィの激しさを秘めた瞳から逃げたくなって、ニコラスは近くにあった木の切り株に座った。
「だけど、平和な今の時代、平和なこのティティスで敵と戦う機会なんてないだろう?」
何だか彼女の目を見る勇気がなかったので、ニコラスはひざの上で交差させた自分の左右の親指をじっと見つめた。
シルヴィは人が一人座れるくらいの空間をもうけて、静かにニコラスの隣に腰を下ろした。
「そうだけど、その平和だって、いつまで続くか分からないじゃない。ひょっとしたら明日か明後日にも周辺国が攻めてくるかもしれない。その可能性がないわけじゃないでしょ?」
シルヴィは相変わらず強い力を瞳に宿したまま、挑戦するようにニコラスを見つめた。
ねえ、そうでしょ? そう言いたげな、強い信念が込められたまっすぐな視線だった。
その目力に負け、また、確かに彼女の言うことにも一理ある、と素直に納得したニコラスは、一度首を縦に振った。
「そうだな」
ニコラスには少なからず意外だった。
彼がここローゲで出会ったティティス人たちは皆、一様にティティスの大国としての力と平和を当たり前のように受け止め、そして享受していた。誰も他国からの侵略を現実に起こり得ることだとはとらえていなかった。
ニコラスは外国人であるがゆえにティティス人の平和ぼけした状態に違和感を覚え、外国人ながらも平和な日々がいつまでも続くと無条件に信じているこの国の人々の心の緩みを憂慮していた。
だからまだ年若いシルヴィが現実に起こり得る可能性を排除していないことに驚かされたのだった。
けれど、ティティス帝国がこのフェーベ大陸の真ん中に位置し、他国の追随を許さない圧倒的な力を誇っていることも日頃から肌でひしひしと感じているから、ニコラスには彼女が浮世離れしているようにも思われた。
シルヴィはこのティティスでは明らかに異質だ。一般的な範疇には入らないし、変わっている。そんな彼女が何事にも保守的なティティスで生きていくのは、多かれ少なかれ大変なはずだ。彼女なりの葛藤などもあるに違いない。
どうして彼女はわざわざ苦しい道を選ぶのだろう。
疑問に思ったニコラスは、
「でもなぁ、男と女では、腕力に差が出るのは当たり前のことだ。別に君が剣を持って戦わなくたっていいんじゃないのか? ラザールだって、そんなことは望んでいないんじゃないかな?」
とシルヴィに問うた。
シルヴィは今まで見せていた強さや激しさはそのままに、不服そうな仏頂面で
「私は嫌なの、ただ守られるだけなんて」
とはっきりと宣言した。
彼女のまっすぐな気持ちがニコラスには眩しかった。彼女の心の強さを、ニコラスは美しいと思った。
シルヴィに普通のティティス貴族の子女になってもらいたいらしいラザールには苦々しく思われてしまうのかもしれないが、ニコラスは彼女を応援したくなった。
「分かった分かった。俺も協力してやるよ」
とニコラスが言うと、シルヴィは興奮してばっと勢いよく立ち上がった。
彼女は座ったままのニコラスの前に立ち、彼を見下ろしながら
「本当!?」
と弾んだ声でニコラスに確認した。
「ああ」
「じゃあ、また来月、対戦してくれる?」
「分かった」
シルヴィははちきれんばかりの喜びを誰にはばかることなく表現した。その場でぴょんぴょん飛び跳ねるたびに彼女のポニーテールも軽やかに踊った。
そんな様子のシルヴィを、かわいいな、とニコラスは素直に思った。妹がいたらこんな感じなのだろうか。
「私、絶対にあなたを倒して、スヴェン王子に剣の稽古をつけてもらうわ!!」
よりいっそうの情熱をきらきらと燃やす彼女の二つの瞳は明らかに輝かしい未来だけを夢見ていた。そんな彼女の純粋さがニコラスの胸を打つ。少しずつ大人になり、ローゲに来たことでどこかに置き忘れてしまった大切な何かを思い出させてくれるような、そんな彼女の輝きがニコラスの胸を熱くした。
「じゃあ、私、帰るわ。どうもありがとう」
シルヴィはニコラスに右手を差し出した。
「ああ、気をつけてな」
久しぶりに祖国にいた時のような熱い気持ちを思い出させてくれたシルヴィに感謝の念を抱きつつ、ニコラスは彼女の右手をきゅっと握った。