12
てっきり彼女が自分にかみついてくるとばかり思っていたニコラスは、彼女の冷静な反応が意外だった。
「あなたにはいるの? スコル王国の王子であるあなたを狙っている人が」
シルヴィの探るような視線をニコラスは笑って受け止めた。
「子供の頃からたくさんいるよ。スコル王子である俺に近付いて、あわよくば妻の座を狙うしたたかで野心溢れる女がね」
そうだ。シルヴィに余計な忠告をしたのも、彼自身にそういった経験があるからだ。
その返事に、シルヴィは気遣うような瞳でニコラスを見上げた。
「そう……。あなたもなかなか大変なのね」
シルヴィのいたわるような口調に、ニコラスは思わず苦笑した。彼女に心配されるなんて、何だか不思議な気分だった。
「慣れればそうでもないさ。そういう女は本能的に分かるんだ。だから、そういう女には近付かないし、近付けさせない」
強がったわけではなく、これはニコラスのまぎれもない本音だった。
ニコラスを一人の人間としてではなく、スコル王国の王子としてしか見ない人間たち。
幼い頃からずっとそんな人間たちに囲まれてきたから、ニコラスはとうの昔に自分を一人の人間として扱ってもらえないいらだちや怒り、失望といった感情を捨てた。
本当は、自分の心にぽっかりと穴があいていることに気づいている。自分をスコルの王子としか認識しない人間に遭遇するたびに、今でも自分の心の中の満たされない自分自身が、俺自身を見てほしい、と叫んでいる。
けれどそんな本音をぶちまけたところで、一体どうなるというのだろう。そんなことをしたって、きっと彼らも自分を取り巻く状況も変わりはしない。
何とも表現しがたい気持ちはニコラスの中にくすぶり続けてはいるが、それでもローゲに留学してからましになった。それは自分と似たような境遇のラザールとスヴェンに出会ったからだ、根が純粋なラザールは自分とスヴェンほどのいらだちを抱いてはいなかったが。
ニコラスは本音を二人に打ち明けたわけではない。二人もニコラスに心のうちをさらけ出したわけではない。しかしニコラスは、確かに感じるのだ、二人が自分と同じ類の虚無感を抱いているのを。
「ふぅん」
シルヴィの声は何だか悲しげだった。
ちょうどシルヴィが乗ってきたナルフィ家の馬車の前に着いたため、ニコラスは彼女に向き直り、明るい声で
「気をつけて帰るんだぞ」
と言った。
「ええ、ありがとう」
シルヴィは微笑しながらうなずいた。
ニコラスもつられたように微笑み、
「じゃあな」
と彼女に背を向けようとした。
「待って!!」
だが、シルヴィに呼び止められた。
「何だ? まさかまた俺と対戦しようとか言うんじゃないだろうな」
シルヴィが自分を引き留める理由はこれくらいしか思い浮かばなかった。
「そうに決まってるでしょ!?」
当たり前だと言わんばかりの態度に、ニコラスは苦笑した。
「君も懲りないな。いい加減諦めたらどうだ?」
シルヴィの返事は、ニコラスの予想どおりのものだった。
「絶対に嫌!! 諦めるもんですか!!」
そしてシルヴィはふふんと鼻を鳴らしてニコラスを挑発するように
「それとも、何? 次は私に負けるかもしれないから、私とはもう対戦したくないの?」
と腕を組んだ。
自分に負け続けている立場なのにもかかわらず、まるで勝者のような堂々とした彼女の言動に、ニコラスは笑いをこらえることができなかった。
「あのなぁ、そういうことは一度俺を負かしてから言えよ」
シルヴィはむっつりとした不機嫌そうな表情でニコラスを睨んだ。
「負かしたいから対戦するのよ!!」
「はいはい。じゃあ、明日の午後、また裏山で会おう」
ニコラスの返事に、シルヴィはめいっぱい喜びを表現した。
「やった!!」
剣の手合わせをすることに対して歓喜する年頃の女の子が彼女の他にいるだろうか。
この子は本当に変わっているな。
ニコラスはふっと笑いながらそんなことを思った。
シルヴィは彼の反応など目に入らない様子で、
「じゃあ、また明日ね!!」
と足取り軽く馬車に乗り込んだ。
「ああ」
御者が外から箱馬車の扉の鍵を閉めるのを見届けてから、ニコラスはパーティー会場に戻るために歩き始めた。
何だか自分の胸の中心にぽっかりあいていた穴が少しだけ塞がったような、冷えた胸の空洞にどこか温かい空気が流れ込んできたような、今までにあまり味わったことがないような不思議な気分だった。