魔法の言葉
――神は創造主であり人は神によって造られた物である。
人は神を讃へ感謝と祈りを捧げると同時にそれを生きて行く糧とする。
各国に建てられている女神を祀る神殿内には特別な部屋が備えられている。
全ての民に開放している場所とは礼拝堂とは違い、その部屋には何もなく……ただ女神像だけが存在している。
王都に建てられている教会内には、王族と一部の貴族だけが許された場所がある。
その場所で、私は祈り続けている。
自身では叶えられないとても大切な願いがあるから。
神でなければ不可能な……そう、とても大切な願いが。
※※※※※※※※
「クレイ!」
午前中の鍛錬を終え、護衛の仕事へと戻った私を見るなり顔を綻ばせた姫様。頬を膨らませ「ドレスを選んで欲しかったのに」と可愛らしいことを言う。
「今夜の夜会のドレスですか?」
「そうなの。お兄様が作ってくださったものが沢山あって……こんなにあったら選びきれないわ」
「……これは、また凄いことになっていますね」
前回の夜会からまだ一月は経っていないというのに、倍の量になっているドレスを見て苦笑した。
我が国の王太子であり、姫様の兄であるレイトン様は異常なほど妹姫を溺愛している。姫様の為なら財を惜しまず、城内に姫様専用の庭園まで造られるくらいだ。
「姫様は淡い色のドレスも似合いますが、私としてはこの真紅のドレスを着た姫様が見てみたいですね」
「……なら、それにするわ」
「よろしいのですか?」
「えぇ。私の騎士がそう言うのですもの」
侍女にドレスと宝飾品を支持しながら、時折私を見て微笑む姫様に口元が緩んでいく。
私の姫様は、本当に可愛い。
けれど、ただ可愛らしいだけのお姫様ではない。
「クレイ」
「承知いたしました」
背後に立つ私の名を呼び、手を出す事を禁じた姫様。
一歩前に出ていた片脚と腰元に伸びていた手を元の位置に戻した。
夜会の会場である広間に向かっている最中、数人の少女が姫様の前に立ち塞がった。
伯爵令嬢である私と同格か、又は劣っている家の者達が、遥か高みである王族の姫様に羨望の眼差しを向け口から毒を吐いた。
姫様の前に立ち塞がる馬鹿な令嬢達は私を見て一瞬眉を顰めたが、口を出すどころか動こうともしない私に安堵し再び姫様に汚い言葉を吐き出す。
このような事は日常茶飯事。余り他国と諍いを起こさない為か、平和な国で私腹を肥やした馬鹿な貴族達が増え続けている所為だ。
嫌悪感を態と顔に出してみるが、目の前に立つ令嬢達には伝わらない。それどころか女性騎士である私をも馬鹿にしたような態度でせせら笑っている。
「レイトン様がお可哀想だわ」
「貴方が我儘ばかり言うから」
「王族に産まれただけで、私達と何も変わらないくせに」
姫様は何か言うことはなく、ジッと黙って謂れのない中傷を受け続けている。それに対して図に乗ったのか、目の前に居る馬鹿な者達は言ってはならないことを口にした。
「レイトン様も妹狂いだなんて……」
「気持ち悪いわ」
「妹に振り回されて、次期王としての自覚が足りないのよ」
姫様は御自分のことに対して怒られる方ではない。
何を言われても、何をされても微笑みひとつで流してしまう。
「お黙りなさい」
けれど、大切になさっている家族のことであれば別だ。
「私のことであれば馬鹿な猿が騒いでいると笑って流せるけれど、お兄様のことに関しては別よ。くだらない噂に振り回され、王族であり王太子であるお兄様の名を傷つけるなんて」
姫様は決して弱いわけではない。
それに、姫様が一言泣きつけばその憂いを排除しようと動く者達は沢山いる。
けれど姫様は全て御自身で動いてしまう。護衛騎士である私ですら余程のことでなければ関与を許さない。
「処罰覚悟のこと、なのよね?」
敵と判断した相手には容赦しない。
真紅のドレスを身に纏い、嘲るような口調と冷たい眼差しを向ける姫様は、お姫様と言うよりも女王様の方が相応しい。被食者だと思っていた者が実は捕食者だと分かり、煩く騒いでいた者達が顔を青くして震えている。
今更遅い。
醜い嫉妬で姫様を煩わせたこの虫共は気付いていないのだろう。
姫様の周囲に常に付けられている黒服隊と、柱の陰に隠れているレイトン様に。
「もう用がないのであればそこをどきなさい。邪魔よ」
姫様が虫を払うかのように手を振ると、気持ち悪いくらい素直に道を開けた。
恐らく姫様はこの者達の処分を国王に委ねるのだろう。それがこの令嬢達にとって一番軽い処罰で済むから。
「姫様。ここからはブレアが護衛に就きます」
「クレイでは駄目なの?」
「護衛騎士隊長とはいえ、エスコート役は男性と決まっておりますので」
「私のエスコートはお兄様では?」
「レイトン様は急な政務の為、少々遅れるとのことです」
「そう……残念だわ」
「また、後程」
眉を下げ悲し気な顔をする姫様の頬を撫で、会場の入り口に立つブレアに姫様を預け先程諍いが起こった場所へと戻った。
「馬鹿な子達だね。僕が妹狂いであると知っていて、その最愛の妹を侮辱するなんて。大丈夫、君達の処分はもう決めてあるから。二度と、僕達の目に入らないよう……消してあげるよ」
涙を流しながら嗚咽を零し、縋るように自国の王太子を見つめているが……意味が無い。
既に側近の一人であるグエンがこの場を離れているし、ギーは無機物を見るかのような瞳で少女達を見ている。
「君達は、僕の元婚約者殿の友人だったかな?」
「……リ、リリアンナ様の!」
「あぁ、その名は聞きたくもないから結構だよ」
「あの……」
「さぁ、お家にお帰り。これ以上僕を怒らせる前に」
優しく諭すかのように微笑みかけられ、一瞬呆けた少女達はギーの殺気で我に返り慌てて踵を返して行った。
きっと彼女達が夜会に現れることはもうない。
それどころか、今迄のような暮らしが出来るかどうかも怪しいだろう。
「……セリーヌは?」
「既に会場内へ入られております。護衛にはブレアを」
「そう……で、クレイは何故此処へ」
「分かっていてそれをお聞きになるのですか?」
「セリーヌを悲しませる様な事はしないよ。彼女達だって直ぐに開放しただろう?」
肩を竦め微笑んだレイトン様に微笑み返す。
解放?これからじわじわと追い詰める癖に何を言っているのか。
「程々になさってください。セリーヌ様が悲しまれます」
「セリーヌに知られるようなヘマはしないよ」
「セリーヌ様がレイトン様に報告なさらない理由は、御存知ですよね?」
「別に命を取ろうと言うわけじゃないよ。それに、王族相手にただで済むわけがないだろう?」
「この件は私から国王様に報告致します」
「……相変わらず、クレイは僕が嫌いだね」
決定事項のように言われた言葉に否はない。
けれど、一つだけ訂正しておかなければならないだろう。
「間違えないでください。……私は、貴方が死ぬほど嫌いです」
私の幼い頃からの夢。
父のように国王を護り、母のように王妃を護る。揃って近衛騎士だった両親を尊敬し、憧れてもいた。代々王家に仕えてきた我が家の後継ぎは私一人。この国は女性も家を継げるし騎士団にも入れる。
だからこそ、私は夢を見た。次代の王の背を護り、共に国を護る夢を。
――だが。
『王妃候補ではなく……騎士?貴方が?要らないよ』
四つ年下の王太子であるレイトン様に初めて謁見したのは、妹君であるセリーヌ様が産まれた年だった。
父に連れられて来た王宮で、王の横に座っていたレイトン様に紹介され、頭を下げた私に降ってきた言葉がソレだ。
『僕の騎士に貴方は必要ない』
唖然としたまま顔を上げる事すら出来ずにいた私に、更に追い打ちをかけるように告げられた言葉。
国王が何か言っていたが耳には入らず、父が私の肩をそっと叩くが身動きが取れなかった。
――私の未来は、その場で閉ざされたのだから。
「まだ怒っているのかい?」
「いえ、怒ってなどおりません」
「……あの頃の僕は傲慢で、世界の中心が自分だった」
「えぇ。セリーヌ様がお生まれになってから、レイトン様は随分とお変わりになりました」
「クレイも随分と変わったようだけれど」
「私は元からこのような者です」
長い髪も綺麗な手も必要ない。ドレスを着るのであれば隊服を着る。
伯爵令嬢と言うよりも、私を知らない者が見れば子息だろう。
「僕が変わったところで、君はセリーヌの騎士なのだろう?」
「はい。私は永遠に姫様だけの騎士です」
相手が国王や王太子であろうと、私に命令出来るのは姫様だけ……暗にそう伝えると、レイトン様の横に控えて居るギーから殺気立つ気配を感じた。
まるで犬のように主に付き従う様は見ていて吐き気がしてくる。
行動そのものにではない。主を間違えているということにだ。
レイトン様に拾われたと思っているようだが、そう仕向けたのは姫様。
あのまま傲慢なまま育ったレイトン様なら絶対にギーやグエン、黒服隊の面々など拾いもせず、何かの気の迷いで手を差し伸べたとしても駒として使い潰していただろう。
「私を、私の心を救ってくださったのは、セリーヌ様だけです」
無気力になった私を不憫に思い、セリーヌ様の護衛としたのは母だった。
まだ赤子だった姫様は確かに可愛らしかったが、いずれ隣国に嫁がれこの国から離れてしまう。ヴィアン国に女性騎士はいない。私は着いて行くことが出来ない。
なら、何故私は騎士をしているのだろうか。
私が……剣を振るう理由は?
『大丈夫、大丈夫よ。クレイには私がいるわ』
王太子と共に歩く騎士を見かける度に、姫様は小さな手で私の手を握り締めた。閉ざしていた私の心に届くまで何度も、何度もそれは繰り返された。
まだ幼子だというのに、私に何があったかなど知らない筈なのに……。
その言葉通り、姫様は頑なに私以外の騎士を付ける事を拒み、数多の優秀な騎士がいる中で私は護衛騎士隊長に選ばれた。
「神に愛された、あの方だけが私の主です」
ギーに向かってそう口にすると、僅かに身動ぎ警戒を強めた。
そう、それで良い……。
自然と上がる口角を隠すように口元に手を当てた。
私は王家に仕えているわけではなく、姫様に仕えている。姫様の敵になるようであれば王太子だろうと、国王だろうが刺し違えても葬ってみせる。
「神に……そうだね、あの子は神にも愛されているのかもしれない」
「かもではありません。姫様の、魔法の言葉が書かれた紙を御存知でしょ」
赤子だった姫様の側にいつの間にか置かれていた人形。
赤子が触る分には何も問題ない、愛らしい動物を模写した物。
初めに発見した侍女が姫様から離そうと人形を持ち上げた瞬間――姫様は火が付いたように泣き出したそうだ。
『神様からの贈り物なのよ。だって、このような文字この世界の何処にもないのだから』
以前姫様が見せてくださった紙には見知らぬ文字が書かれていた。
私には文字には見えず、読むことすら出来なかったソレを姫様だけは理解し、鈴の音のような愛らしい声で発することが出来た。
「セリーヌが大切にしていた人形の中に入っていたものだね」
「はい。あのような手触りの良い人形など見たこともありませんでした」
「片時も離さず持ち歩いていたのに、いつの間にか見なくなった」
「アーチボルト様との婚約を理解された歳に、あの人形に触れなくなりました」
「……そう」
アーチボルト様の絵姿に憧れそれは次第に恋心へと変化し、それと同時に姫様の側から徐々に人形の姿が消えていった。
今も姫様の寝室の隅に人形は置かれているが……。
「クレイ」
「はい」
「君はとても優秀だよ。この国にとって、セリーヌにとっても替えのきかない騎士だ」
「……」
「勿論、僕にとっても」
目を細め、優しく微笑まれたレイトン様は後悔なさっているのだろうか。
……いや、そのような方ではない。恐らくは罪悪感なのだろう。
あの頃の、無気力だった私であれば喜べた言葉に、今は何も感じはしない。
「僕が失った代わりに、セリーヌは最強の盾を手に入れたようだね」
「剣とは仰らないのですね」
「あの子の剣は僕だけだよ」
そこだけは譲れないと口にするレイトン様に苦笑し、その場から踵を返した。
「君が男でなくて良かったよ」
背後から掛けられた声に反応し一瞬足を止めたが、振り返ることなく返事もせずに姫様が待っているであろう会場へと足を進めた。
※※※※※※※※
私は毎日女神像の前で祈り続けている。
私は神を讃へ感謝と祈りを捧げると同時にそれを生きて行く糧としているのだ。
「男でなくて……良かった……か」
どう足掻いても私は私のまま。
――だからこそ、今世は諦めた。
「来世も彼の方の側へ」
誰よりも近い位置で、誰よりも必要とさるよう。
「来世でこそ……彼の方の本物の騎士であるように」
誰にも触れさせなどしない、奪わせなどしない。
貴方の側に居られるのであれば、何度でも私は貴方に囚われましょう。
私に魔法は使えないけれど、こうして呪いのように神に祈りましょう。
――ねぇ、姫様。