そう遠くない未来の話し
『君が幸せなら、笑顔でいられるのなら。それが、俺の幸せなんだ』
泣きそうな顔で、けれど本当に幸せそうにそう口にした言葉。
その言葉を違えることなく、たった一人の為に生きてきた。
恨まれるようが、存在に気づいてもらえることがなかろうが、自身の身を削り、手にあるもの全てを使い目的を達する。時として、己の命さえもその手段として使い。
愛する者が憂える世界など必要ない。愛する者が幸せに過ごせる世界であるように。
それはまるで、幼い頃に憧れた、英雄のようだと思った。
※※※※※※※※
私の兄上と姉上は他に類を見ないほど優秀だ。
御二方共、才も美貌も、人を惹きつける魅力のようなものすら持っていた。
我が国は安泰だと言わせた鬼才と呼ばれる兄上。同盟国へと一度嫁がれた【ラバン国の至宝】と称される姉上は、私の、我が国の誇りでもある。
けれど、側室の子である私にも優しく接してくださった姉上は、愛する方の元へ嫁がれてから大変な苦労をなさった。
その後も、語りつくせない数々の出来事をへて今に至っている。
歳が離れている所為か、幼かったあの頃の私の耳には何も入らず、事が終わったあとに全て知らされた。姉上とよく花冠を作っていた庭園のカウチで、母上の胸を借り、声を押し殺して泣いたのを今でも鮮明に覚えている。
「クリフ叔父上?どうかなさいましたか?」
兄上が造った庭園の中を、姉上に良く似た風貌の幼い甥と手を繋いで歩いていたからか、あの頃のことを思い出し感傷に浸ってしまった。
人の機微に聡いこの甥には敵わない。流石、あの二人の子供だ。
「すまないね。この庭園が懐かしくて……少し、幼かった頃のことを思い出していたんだ」
「ここは、お母様の為に造られた庭園なのですよね?」
「そうだよ。兄上が、姉上の為だけに造らせたんだ」
「とても綺麗な場所ですね」
ふわっと笑みを浮かべた甥の顔は姉上そっくりで、頭に手を伸ばし柔らかな髪を優しく撫でた。そう言えば、昔は私がこうして姉上に頭を撫でて貰っていたな……と思いながら。
「お母様は、ここが一番のお気に入りだと言っていました」
「そうだろうね。姉上がお好きな物しか、この場にはないのだから」
一番国費がかかっているこの場所を、甥は自由に歩き回り、姉上の為だけに綺麗に整えられ大切に育てられた花々を先程から好きに摘んでいる。
その様子を見守りながら笑顔を浮かべてはいたが、実際は生きた心地がしなかった。
これは姉上の為にしていることだからこそ許されている行為で、例え甥だろうが弟だろうが、私欲の為に同じようなことをすれば兄上が激怒する。
兄上を怒らせれば私兵の黒服隊、影が総力を挙げて兄上の憂いを払おうと動き出すだろう……なんて、恐ろしい。
「お母様は、喜んでくださるでしょうか?」
「息子から花を送られて、喜ばないような方ではないよ」
「でも、お花はお兄様も送られていました」
今此処には居ないもう一人の甥。
あの子は外見、中身共に姉上ではなく父親の方に似てしまった……。せめて中身だけでも姉上に似ていたらと思ったことは多々あったが、あの風貌で性格が姉上だとしたら、とてもじゃないがあの国を治めることなど出来はしないだろう。
姉上は優秀な方だが、とてもお優しいから。
「それは初めて聞いたね。あの子は何を送ったのかな?」
「お兄様の国に庭園を造らせたようです……ですから、いつでもお越しくださいとおっしゃられていました」
「……そう、庭園を」
庭園を造らせた?自身の母の為に?末恐ろしいとはこのことだろう。
やはり、フォーサイスの血なのだろうか……。私もその内あの兄上のようになってしまうのだろうか……。
「お姉様も……」
「……ん?あの子も何か送ったのかな?」
なんと、姪も動いていたらしい。
姉上と瓜二つの美貌を持ち、中身は大層苛烈。
姉上を中傷した貴族達を相手取り、不敬罪と称して罰した挙句、私達の目の前でその貴族の背を靴で踏んで高笑いして見せた。
その光景に眩暈を起こしたのか、姉上は両手で目元を覆いながら空を見上げていらした。
お優しい姉上には衝撃的な出来事だったのだろう。
「お花畑を駆逐しますと、そうおっしゃっていました」
「花畑を、駆逐するのかい?なんのことだろうね……」
「僕にはわかりませんが、その場にいらしたお兄様は、笑いながら、駆逐ではなく根絶やしにしてしまえ!とおっしゃっていました」
「……」
「クリフ叔父上?」
「うん。なんとなく分かったよ」
お花畑三人組。そう姉上が口にしていたのを聞いたことがある。
恐らく、いや、確実に甥と姪が口にしていたものは彼等のことだろう。
甥や姪の側には姉上の側近達が常にいる。
きっと、あの方々が甥と姪の人格に多大に影響を及ぼしたのだろう。
「僕も、お兄様やお姉様のようにお母様を喜ばせたいのですが……」
「それなら、側に居てくれるだけで喜ぶのではないかな」
「ですが、お父様が……」
「あの方がなにか?」
「僕達はお母様を独占し過ぎだからと……今度はお父様の番だからと、悲しそうな顔をして、お母様を連れて行ってしまうのです」
あの方は、我が子相手に一体何をしておられるのだろうか……。
姉上が乳母ではなく自身の手で子を育てたいとおっしゃられ、それを実行されたことは知っているが、少し大人気ないのではないだろうか。
特にこの子は、三人の中でも一番姉上にベッタリなのだから。
「そう……それは困ったね」
「お父様はずるいのです!悲しむ顔を見せれば、お母様が甘やかすことを知っていて擬態するのですから。良い大人がなさることではありません!えーっと……そう、くずです。くずやろうです!」
頬を膨らませながら涙目で訴える甥に心底驚いた。
齢四つにして、この愛らしい顔で何てことを口にするのだろうかと……。
「えっと……それは、誰かがそう言っていたのかな?」
「はい!お兄様がそうおっしゃっていました。あとは、じこちゅーや、きちく?とか」
「そう……それらの言葉は今直ぐ忘れなさい……」
「くずですか?それともじこちゅー?きちく?」
きょとんとした顔で首を傾げながら『クズ』とは……。
あの甥は、自身の弟に何を教えているのだろうか。いや、それよりも、姉上の側近方は幼気な子供達に何を吹き込んでいるのだ!?
「良いかい?それら全て、二度と口にしてはならないよ」
「……では、げすやろうなら良いのですか?」
「……」
「お姉様がお父様をそう呼んでいらっしゃいました」
姉上と同じ顔で【クズ】やら【ゲス野郎】などと、何て攻撃性の高い言葉なのだろうか……。
確かに、最近は教育だからと言って、あの優秀な甥に仕事を任せるようになったと姉上から聞いてはいたけれど、まさか……母に甘える息子を引き離す為に?
姉上に似た姪に来ている各国からの婚約の打診は全て握り潰し、婚姻など認めないと言っているが……本気なのだろうか……。
母を取られた甥と姪は、恐らく意図してその言葉を使っているのだろう。
愛する我が子に、愛する妻と似通った姿で罵られるなんて、私には耐えられない。
「お父様と、そう呼んであげなさい……」
「はい」
若干あの方を不憫に思いつつ、甥と花摘みを再開すると、庭園の入り口に姉上とあの方の姿が見えた。
仲良さげに腕を組み、ゆっくりと此方へ歩いて来る。
手を振る姉上に頭を下げ、夢中で花を摘んでいる甥の肩を叩き入り口を指し示す。
「お母様!」
摘んだばかりの花を腕に抱え、姉上の元へと走り出した甥に苦笑し、落としていった花を拾い上げた。
「お母様!お誕生日おめでとうございます!」
腕の中の花を落とさないよう、背伸びしながら姉上へ差し出す姿が可愛らしい。この子だけでも、純粋なまま育ってくれると良いのだけれど。
笑みを浮かべながら三人の元へ近づいて行くと、姉上は我が子を抱き締め、頬に口づけていた。そのお礼とばかりに甥が姉上の頬へと口づける。
その光景にまた懐かしさを感じ、益々頬が緩んでいく。
「ありがとう、カエデ」
「はい。来年は花冠を作ってお母様に送ります」
「えぇ。楽しみにしているわ」
姉上と甥の側に立つ方に落としていった花を差し出す。
親子二人の仲睦まじい姿にか、それとも我が子の名の所為か、妻と子を眺めながらなんとも言えない顔をしている。
その姿が可笑しくて、声を漏らして笑っていると、目が合い軽く睨まれてしまった。
私に八つ当たりされても……そもそも、その名を許可したのは貴方なのですから。自業自得というものですよ。
口元に手を当て微笑むと、肩を竦めながら「仲間外れはよくないな」と妻と子を抱き締めている。
「クリフ。カエデに付き合ってくれてありがとう」
姉上は愛しい夫と子の抱擁から逃れ、歳を取っても衰えることのない魅惑的な笑みを浮かべそっと私の頭を撫でた。
いつまでも変わらず、大切な家族だと、弟だとおっしゃってくださる。
「いえ、私も久しぶりにこの庭園を歩いてみたかったので」
「ふふっ。ありがとう」
幸せなら、笑顔でいられるのなら……。
「姉上。今、お幸せですか?」
思わず口から出てしまった言葉に、姉上は一瞬真顔になったあと。
「幸せよ」
そう、本当に嬉しそうに口にし、微笑まれた。
『君が幸せなら、笑顔でいられるのなら。それが、俺の幸せなんだ』
その言葉の通り、今、姉上はとてもお幸せそうですよ。楓さん。