王弟
「屋敷に火がつけられました」
「そうか……」
屈強な体格の老人が立ち上がり、今にも破られそうな扉に向かって一度目を伏せると、控えて居た侍従から剣を受け取った。
華美な装飾の施された見た目とは違い、この剣は幾人もの人間を斬ってきたことか。
侍従も懐から暗器を取り出し、破られた扉と主の間に素早く身を滑り込ませ構えた。
「……来たか」
室内に雪崩れ込んで来た者達を目にし(あぁ……やはりか……)と思い呟いた老人の言葉に反応し、一歩前に出た壮年の男の瞳が揺らいだ。
それに気づいた老人が優しく微笑みを浮かべる。
「伝えろ」
その一言に揺らいでいた壮年の男がきつく瞳を閉じ、声を出そうと口を開くがヒューっと音にならず喘ぐばかり。
伝えなくてはならない、けれど言いたくないのだ。
彼の方に、国の誇りに、憧れ追い続けて来た御仁に……言いたくない。
「伝えろ」
何を言われるのかをわかっていても、尚この方は言えという。
見逃せと、ただそう一言いえば、ここに居る者達は見なかったことにし、帰還する。職務を全う出来ず処罰されることすら厭わないというのに。
「ヴィアン国王エイハブ・カーライル様から……ダリウス・ルガードに、告げる!国を、二分することは、許さない……。ダリウス・ルガードの背後にをっ……全て片付けたのち……」
なぜ、なぜ……こんなことに……!
掠れた声で途切れ途切れ吐かれた言葉に、壮年の男の背後に立ち尽くしていた者達が嗚咽を零す。
嫌だ、嫌なんだ!
そう心で慟哭する男の言葉が聞こえているかのように、目の前に立つダリウスが優しく微笑み続ける。
「己も……自害せよ、との、ことです!」
「承知した」
たった一言で良かった。
助けろと言って欲しかった。
でも、この方は絶対に言わないとわかっていた。
国の為に生き、国の為に死ねるこの方だからこそ、我々は地獄の中にでも着いて行こうと思えたのだから。
「貴族の方は」
「もう、既に他の部隊が。見張りにつけられていた部隊は我々が殲滅しました」
「私の隊の者達を寄越すとは、兄上も最後に粋な計らいをしてくださるものだ」
どこがだ!こんなこと、王命であってもしたくなかった!
貴方が、一緒に死ねと言ってくだされば、国にだって剣を向けたのに。
……いや、だからこそ、私達は最後をこの方と一緒に終えられるのだ。
「すまないな。お前達の魂は、私が全て抱えていく」
「……光栄です」
涙を流しながら膝をついた壮年の男と共に、背後に立っていた数十名の騎士達も同じく膝を突く。
貴方になら首を差し出しますと誓う騎士の礼は首を落としやすい。国に、ヴィアン国の英雄に捧げた己の剣は決して間違ってなどいない。
「お前達は国の誇りだ。今迄良く頑張った……あとは、もう眠れ」
死ぬのなら貴方の剣で……そう思っていた。
だから、そうか、これは確かに粋な計らいだと、目を瞑り微笑んだ騎士達はそのまま幸せな死を迎えた。
血だまりに立ち尽くしていたダリウスは、廊下から聞こえてくる足音に我に返った。
屋敷に居た者達は皆逃がした筈なのにどういうことだ!?と侍従を振り返るが、首を横に振り同じように困惑しているのを見てダリウスは廊下へ走り出した。
既に屋敷は燃え盛り、煙で出口すらわからない状態だ。
口元を手で押さえ、目を凝らし煙の中を走って来るものを見つけダリウスは目を見開いた。
「ウィルス!」
「……お、おじい様っ!」
ダリウスはふらつきながらも手を伸ばす己の孫を咄嗟に抱え上げ走った。
「なぜ、お前が此処にいる!」
「お父様と外に……でも、おじい様が残ると。だから」
「戻って来たのかっ!」
「一緒に、おじい様も逃げましょう!自害なんて、そんなことする必要があるのですか!?」
一階に下りようと階段の手前まで来て、それが焼け落ちているのを見てダリウスは踵を返した。
後ろから追って来ていた侍従に目配せし、先程の部屋へと急ぐ。
その間もウィルスは咳き込み、虚ろな目をしながらもダリウスに必死にしがみついている。
「ウィルス、もう少しだけ、我慢しろ」
室内に入り、共に戦ってきた者達の亡骸を踏まぬようにと窓へと走り、ウィルスの息の飲む音が聞こえたが、気になどしていられなかった。一刻を争うのだ。
「ダリウス様!?」
「……っ!」
窓の手前で侍従にウィルスを手渡そうとしたときだった、崩れて来た柱がダリウスの頭上に振ってきた。
それを方腕では受け止めきれず、ダリウスは腕の中にいるウィルスに覆い被さった。
傷みと、肉の焼ける嫌な音、匂い。
戦場から離れ、家族だけで静かに暮らしていく筈だった。
いつかはこんな日が来るのではと思っていたが、まさか妻よりも、息子の嫁よりも生き延びるとは思ってもみなかった。
「……私の下から這い出ろ」
「おじい様、おじい様!」
「早くしろ……」
「でも、おじい様が!」
「私は大丈夫だ。早く……」
「おじい様……嫌だ……嫌」
ダリウスにしがみついて離れようとしないウィルスを侍従が引っ張り出そうとしていたとき、嫌な音が耳に入った。
拙いと思い、まだ動く左手でウィルスを懐から押し出したが、落ちて来た木材を避けきれず侍従は片脚を、ウィルスは顔を押さえ蹲っていた。
「早く、外へ!」
「おじい様……僕も、一緒に」
「お前は、駄目だ」
痛むであろうに、泣きわめいてもおかしくはないのに。
この子は、祖母を失い、母を目の前で亡くしても、泣き喚かずにいつもよく耐えてきた。
逃げるような生活の中、残った家族を護れるようにと、いつの間にか剣を持つようになっていた。
「ウィルス……お前は、私の誇りだ。愛しているよ」
「いやだ、いやあぁぁぁぁ!」
暴れるウィルスを抱えた侍従が窓から飛んだのを確認し、ダリウスはやっと息を吐き出した。
今はまだわからないかもしれないが。ウィルスもいつか私達家族に起きた事の意味を知ることになるだろう。
王家を、国王である兄上を恨むことになるかもしれない。
だが、国を離れるときに兄上は約束してくれた。
私がこの世から去ったときは、せめてウィルスだけは他の者達から護ってくださると。
「あぁ、妻の元へ行ったら、怒られてしまうな……」
ヴィアン国騎士団長ダリウス・ルガード。
長年の宿敵であった帝国を退け、ヴィアン国を大国まで押し上げた英雄の、最後であった。




