いなくなる
「健斗くんまだ学校来ないね」
「病気なの?」
「いつになったら学校に来る?」
教え子達が机を囲む。
健斗くんが突然学校を休んでもう1週間。
本当の理由は、子供達には言えない。親御さんからも口止めされている。
私はこのクラスの担任教員として、原因の究明に努めなければならない。
1週間前、まだ生徒達が登校する前に電話がかかって来た。私は近くの通学路へパトロールに出ようと用意をしている所だった。
「はい、裏野小学校です」
「健斗が居ないんです! 学校に行っていませんか?」
相手は健斗君のお母さんだった。ひどく興奮している。
「いえ、まだ誰も来ていませんが… 居ないというのはどういうことでしょうか?」
「どこにも居ないんです! ランドセルがリビングの床に置いてあって、靴がなくて、自転車もないんです! どこ行ったのかしら。あの子、1人でどこかへ行けるような子じゃないんです。今までも1人で何も言わずに出て行くなんて事無かったんですよ? もしかして誘拐とか… 本当に学校には居ませんか?」
「少し落ち着きましょう、お母様。詳しく説明して頂けませんか?」
そう言うと、受話器の向こうで深呼吸する音が聞こえた。
いつものように起こした時には返事があり、庭で洗濯を干している数分の間に居なくなったと言う。机の上にあった遊園地の招待券が無くなっていると。
「招待券?」
「誘拐だったらどうしたらいいのか…」
「考え過ぎじゃないですか? 一瞬の隙に家の中に居る子供をさらうなんてできませんよ。とにかくお母様は近くを探してください。私は今から通学路のパトロールに行きますので、思い当たる所を探してみます。それから警察に…」
「警察には言わないでください!」
強い口調に少し驚く。
「でも… 万が一のことがあっては」
「父親の耳に入るとまずいんです! 近辺を探してからにさせてください」
健斗君の父親は厳しい人だ、と前任の教員から聞いた事がある。そして母親は神経が細かく心配性だとも。だからこそすぐに知らせた方が良いのではと思ったが、母親に従った。きっと近くに居るだろうと安易に考えていた。まだその時は。
それから1週間。健斗君は見つかっていない。
居なくなったその日のうちに、父親には連絡した。すると「母親の不行届きで申し訳ない。子供1人ちゃんと見ていられないなんてお恥ずかしい限りです」と丁寧な口調で言っていた。何だか感情の感じられない、冷たい人だった。不行届きだなんて。母親が怯えていたのが何となく分かる気がする。
警察の捜索は始まっているが、子供達には伝えていない。みんなの不安を煽るのを懸念し、学校がそう判断したのだ。でも、そろそろ限界だ。入院していると言えばお見舞いに行くと言うだろうし、家で体調不良といっても1週間は長い。病名を聞かれたり、何故会えないのかと質問責めに遭う。「ちょっとね」とか「会えるようになったら教えるからね」という言葉だけでは、子供達は納得しない。
警察は誘拐を疑ったが、身代金の要求も無ければ誰かが侵入した痕跡もない。これでは、失踪したという事になる。捜査も長引けば困難になる。もし家出でも、何かの事件に巻き込まれているのかも知れないし、命の危険も考えられる。
母親は、責任を感じて塞ぎ込んでしまった。こういう時は担任である私がしっかりしなければ。警察に任せっぱなしでは居られない。
あの日の変わった点と言えば、遊園地の招待券が無くなっていた事と、靴と自転車が無く、それぞれ未だ見つかっていない事。
「単純に考えれば自ら遊園地に行ったという事になるな」
自宅の机の上、パソコンとノートと新聞を開いて頭を悩ませる。知り得た情報をノートにまとめ、どこかに手掛かりがないかを考える。
「あの遊園地の事も調べようかな」
そこから糸口が見つかるかもしれない。検索エンジンに、裏野ドリームランドと打ち込む。インターネットを開けば、誰も知り得ないような真実から、確証のない噂話まで何でも出てくる。
『裏野ドリームランド、創立50年。過去に廃園6回、再開6回。廃園理由は経営難。ジェットコースター事故あり』
「廃園して再開してって繰り返してるんだ。珍しいな」
スクロールしていくと『過去に失踪事件の噂あり』という文章があった。
「失踪?」
公式の情報ではないが、気になって記事を読む。
『ある日突然招待状が届く。それを使って入場すると遊園地に閉じ込められてしまう。一生見つからず、失踪事件となる。過去に数件例あり』
「閉じ込められるってどこに?」
何の脈絡もない噂話だ。でも、過去に例ありという言葉が気になり読み進める。
『7月10日、身元不明の少年を無銭飲食で逮捕。年齢不詳。氏名、住所を確認すると、20年前に失踪宣告を受けている少年と合致。今までずっと遊園地に居たと証言している。失踪した子供が戻ってくる例は極めて珍しい』
「7月10日って、健斗君が居なくなった日だ…」
その他の失踪者は誰も帰って来ていない。健斗君がもし1人で遊園地に行ったとして、本当にこのまま一生出てくることは無いのだろうか。
「噂だよね、こんなの」
『失踪した子供達の共通点は、いじめや家庭の事情から家出願望があった事』
そこを読んだ時、ふと健斗君が話していた事を思い出す。
「先生は1人になりたいって思う事ある?」
昼休み、クラスメイト達は全員校庭へ出て遊んでいる中、あの子だけ学級日誌を書く私の横に座って言った。
「どうして?」
「大人もそう思うのかなって」
「1人になりたいなんて、何か悩み?」
私はあまり真に受けていなかった。ちょっと変な質問だと思ったくらい。あれってもしかすると家出願望だったんだろうか。
健斗君の家を訪れた。
扉を開けた母親は、やつれた様子だった。
「玄関先で良いですか?」
中には通してもらえなかった。ちらっと見えたリビングは、乱雑に物が置かれており、生活が荒んでいるのが伺えた。
「ちょっと聞きたいことがあって。あの遊園地の招待券って、どこでもらったものなんですか?」
何故そんな事を聞くのか、意図を図りかねるように母親は首を傾げる。
「あれは… 貰ったんじゃなくて、ポストに入ってたんです。1枚だけだし、どうしようかと思って机に置いてたんです。最近再開したから広告の一種かと思ってたんですけど。それが何か?」
「いえ、少し気になったもので。大した事では無いんですが。お疲れのようですが、体調は大丈夫ですか?」
母親は曖昧な笑顔を浮かべ、肯定も否定もしなかった。
健斗君の家を後にし、近所のお宅を何軒も回ってみたが、招待券なんて見ていないと言う。突然招待状が届いたんだ。健斗君はネットの噂通り、遊園地にまつわる失踪かも知れない。家に帰って、もっと詳しい噂を調べないと。あと、過去の失踪事件の当人と言う人にも会ってみたい。
自宅のマンションに着き、郵便受から封書やらチラシを取り出すと、間から小さい紙が落ちた。
「何だ?」
拾い上げると、それは裏野ドリームランドの招待券だった。
「これ…」
噂のやつだろうか。何で私に? いじめとか家出とか、子供じゃないんだからそんな悩みなんてない。
「でも… とりあえず行くべきだよね」
家に荷物を置いて、行ってみる事にした。もう夜だし入れないかも知れないけれど、一応場所を確認するために。
遊園地に着くと、案の定柵は閉まっていた。
夜の遊園地って何だか不気味だな。看板に付いてる大きなうさぎは可愛いけれど、ちょっと怖い気もする。見上げていると、遊園地の奥からうさぎの着ぐるみが近付いてくるのが見えた。
「あれ…? あのすいません!」
従業員がまだいるって事は、閉まったばかりなのだろう。
「ちょっとお伺いしてもいいですか?」
大きな声で呼び掛けてみる。着ぐるみはこちらに気付いたようで、そのまま近付いて来る。
「これ。この招待状ってどういう方に配られてるんですか?」
持って来た券を見せる。するとうさぎは両手を上げて跳ねた。そして柵を開ける。
「え、入っていいんですか?」
うさぎは大きくうなづく。
「質問に答えて頂ければいいだけなんです。私は教師で、教え子が居なくなったので探していて」
うさぎは話を聞こうともせず、手を引き歩き出す。
「ちょっと待って下さい!」
そう言った時、観覧車の電気が点いた。暗闇の中にいきなり現れたみたいで驚いてしまう。明るくて目が眩む。
『… して』
観覧車の方向から、小さな声が聞こえた。うさぎは止まることなくどんどん進む。
さっきの声、子供だった。男の子。かすれていてよく聞こえなかったけど、「… だして」って。そうだ、出してって言ってた! もしかして…
「ちょっと戻ります!」
足を止めると、うさぎも立ち止まった。そして目の前を指差す。何かの建物だ。ミラーハウス、と書いてある。うさぎが手を離すと、また煌々と電気が点いた。
「もしかして、この中にうちの生徒が?」
うさぎは大きく頷く。さっきのはやっぱり空耳だったのかしら。
「何でこんなところに…」
入り口の扉は開いていた。中を覗くと薄暗く、ここから探し出せるのか不安になったが、入ってみることにした。振り返ると、うさぎは少し離れた所に移動し、手を振っていた。
「すぐ戻りますから」
そう言って中に入る。
中はどこもかしこも鏡で出来ていて、懐かしい気持ちになった。昔、どんな遊園地にもミラーハウスってあったよな。鏡で出来た迷路ってだけなのに、怖くて1人では入れなかった。四方八方に自分の姿が映り、真っ直ぐ行けるかと思ったら行き止まり、行けないと思った所が進めたりして不思議な感覚になったものだ。大人になった今でも、少し怖い。合わせ鏡とかよくないって言うし、こんなに自分が映っていることなんて無いからな。それだけで不気味だ。
結構進んだ気がするけれど出口はまだない。健斗君はどこにいるんだろう。本当にここにいるのだろうか。
「いないよ」
急に声がした。
驚いて声の方を向いて見ると、自分の姿が映っているだけだった。また空耳?
「違うよ」
鏡の中の私の口が、勝手に動いている。
「健斗君は観覧車の中。さっき気付きかけたのにね。惜しかったね」
私が私に話しかけてる。何なんだこれは。
「あなたが調べた事は真実よ。健斗君は1人になりたいって強く願った。だから夢が叶った」
ちょっと待って。これって何? アトラクションの一種? それに、失踪でしょ? さっきの声が健斗君なら、出してって言ってたじゃない。閉じ込められてるんだ。夢が叶ったんじゃない。
「いじめがあったよね」
え…。
「担任のくせに気付かなかった訳ないでしょ?」
確かにクラスメイトに笑われたり、そんな事はあったかも知れない。でも皆悪気はないし、クラスの雰囲気は悪くなかった。健斗君だって、そんなに思い詰めていた訳ではないだろう。
『1人になりたいって思った事ある?』
健斗君の声がする。
あの時、ちゃんと話を聞いておけば良かった?
「健斗君みたいな気持ちになる子供を作っておいて、よく言えるね」
鏡の中の私が嘲笑う。
変わりたい。そう思っていた。
小さなことにくじけない強い心が欲しい。
いじめに立ち向かう勇気が欲しい。
社会に問題提起が出来るような信念が欲しい。
強い、大人になりたいと。
でも、出来なかった。
健斗君のいじめを解決するよりも、自分の評価が大事だった。
初めての担任で、失敗はしたくない。問題を起こしたくない。少し面倒な親がいる健斗君を担任させられても、問題なくクリアしてみせる。そう思った。他のベテラン教師達が嫌がる子供を、自ら担任すると言って。評価が欲しかったから。評価が欲しくて、何が悪いの? 自分をよく見せようと思う事が、何が悪いのよ。
「本音だね。あんた、教師失格」
そう言われて、心底怒りが湧いてきた。
何が分かるのよ。鏡の中で私を見ているだけで。頑張って今まで教師をやって来た私の苦労なんて分かる訳ない。
「人間としても失格だね」
そう言われた時、鏡を思い切り殴った。鏡は割れ、破片が飛び散る。
「無駄だよ」
周りを囲むように映っている無数の私が笑う。
じゃあ、これならどうだ。 落ちた破片を拾って、自分に突き立てた。腹部から血が流れる。
「馬鹿だね。そんな事したら死ぬよ。誰も助けになんて来れないんだから」
鏡の中の私は平気そうな顔で言う。何で?
「変わりたいって思ったでしょ?」
鏡から私が出て来た。追い越して、出口に向かおうとする。足を掴もうと手を伸ばすと、自分の手が透けていた。
「あなたが変わりたいって願ったから、『替わる』のよ。あなたがここへ来た時から、いやもっと前から決まっていたことなの。殴ろうが自分を傷付けようが無駄」
痛みが全身に広がって行く。手の平から、どんどん体が透ける。それと同時に、意識も遠のいて行った。
「今日、先生いつもと違ったよね」
「健斗君が学校に来ない理由は失踪だって! 今まで隠してたんだよね」
「いじめがあったからだって〜」
「何か、活き活きしてたよね」
「健斗君失踪してるのに、変だよね」
「目が合った時、ちょっと怖かったよ。目線が合ってるのに合ってないと言うか…」
「何か、別人みたいだよね」
ーねえ、裏野ドリームランドの噂、知ってる?
あそこからの招待券が届いたら、絶対使っちゃだめらしいよ。出て来た後、中身だけ別人みたいになっちゃうんだって…ー