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ゴースト・バレンタイン

掲載日:2017/02/14

 2月、少年は降りしきる雪を教室の窓から見つめていた。


「雪すごいねー積もるかな?」


 少年の机に駆け寄ってきた髪の長い少女が話しかける。


「……」


 しかし少年は窓の外を見つめたままだ。


「雪の日用のブーツ買おっかな。道ツルツルで危ないんだよねー」


 少女は、少年が全く話を聞いていないのを気にしていない様子だ。どうやら慣れているらしい。


「えー、問3を……安達、やってみろ」


 教卓に立った数学教師が、少年のクラスメートである安達を起立させ、黒板に長々と書かれた数式を解くように命じる。


 安達は素直にそれに応じ黒板の前に立つと、黒板にうっすらと答えが書いてあって、それをなぞるかのようにその数式を解いた。「ううむ」と感嘆の声をあげる数学教師を尻目に、安達は自分の席に戻る。


 少女は、少年の机に腰掛けそれを見ていた。


「えー、次の問題を……芹澤」


 教室中の時間が止まったような気がした。数学教師はそれに気づくと「すまん」と言って、さっき自分で書いたばかりの数式を消してしまった。


 この教室には、ひとつ、誰も座っていない席がある。そこは芹澤果穂の席だ。その机には、数学の教科書やノートのかわりに、黄色いフリージアが活けられている。彼女が好きだった花だという。


 芹澤果穂は、今から1ヶ月ほど前、交通事故で亡くなった。


 短い冬休みの途中、ニュースで流れた、大型トラックと女子高生による死亡事故。交差点で信号待ちをしていた人の群に、凍結した道路でスリップした大型トラックが突っ込んだのだ。重軽傷者多数、死亡、1人。その1人が、芹澤果穂だった。


 その事実を告げられたクラスの面々は、誰もが思ったことだろう。


『どうして彼女が死ななければならなかったのか』


 芹澤果穂は、活発な生徒だった。

 部活にこそ入っていなかったが、地域のボランティア活動や、学校で行われる行事には積極的に参加し、いつも中心となってその場を盛り上げていた。

 クラスメートに、芹澤果穂との関係性を訊ねれば、誰もが《友達》と答えるだろう。それくらい、彼女は誰にでも好かれ、その倍以上に誰でも好きになれる人だった。


「ねぇねぇ、なんで無視するのー」


 机に腰掛けたままの少女が、足をパタパタさせながら少年に話しかける。しかし少年が返事をする様子はない。


「あんまり無視してると、こうだぞ~」


 少女は机に登り仁王立ちになると、制服のスカートの裾を軽く持ち上げてヒラヒラさせ始めた。少年は顔色ひとつ変えない。

 それどころか、他の生徒でさえ彼女の行動に興味を示さない。まるで、少女が見えていないとでも言うかのように。


「ほらほら~パンツ見えちゃうぞ~」


 少年は小さくため息をついて、ノートの余白に小さく文字を書いた。それを書き終えた少年は、頬杖をついて書いた文字をノックするように指で叩いた。


 少女は、スカートの裾を持ち上げたまま視線を落とし、それを読み上げた。


「なになに……『もう見えてる』……ええっ!?」


 少女は慌ててスカートを抑えると「えっち」と言って机から降りると、自分の席に戻っていった。黄色いフリージアの活けられた、その机に。


◇◇◇


 少年は、昔から彼女のような存在が見えていた訳ではない。加えて、最近になって見えるようになった訳でもない。少年は、彼女、芹澤果穂だけを見ることができるのだ。


 芹澤果穂が死んだという話は、冬休みの間に友人を通して聞いていたのだが、実際に登校してみたら、芹澤果穂はそこにいた。


 誰も彼女に気づくことはない。少年は、芹澤果穂が幽霊だということは一瞬で理解した。


 別にこれといって特別な間柄でもない自分に、なぜ見えるのか考えている内に、彼女と目があった。


 それからずっと、こんな調子だった。


 昼休み、誰もいない空き教室が、冬休みが明けてからの少年と芹澤果穂の溜まり場になっていた。


 埃をかぶった机を軽く払い、そこに腰掛けると少年は言った。


「芹澤、ごめんって」


「やだ」


「カレーパンあげるから」


「……やだ」


「今ちょっと考えただろ」


「考えてない!どうせ食べられないし……」


「そっか、ごめん……」


 素直に反省し、少しうつむく少年を、芹澤がなだめるように言う。


「まあまあ。人は間違える生き物だよ。良平君」


「随分と上からな意見だな」


 少年の名前は長谷川良平という。成績は中の上くらいで、特に目立って何かしたという功績はない。


 良平は笑って言い返すと、カレーパンの袋を開いた。辺りにカレーと油の香りが広がって、空腹を刺激する。そして遠慮なくそれにかぶりつくと、まだカレーのない場所を咀嚼し始めた。芹澤は、それをジッと見ている。


 良平はその視線を感じ取って、話題を変えることにした。


「で、思い出したの?なにがしたいか」


「よくわかんないんだよねー」


 芹澤はいたずらっぽく笑った。

 もし芹澤が幽霊ならば、生前に何か未練があるはずで、その未練が無くなれば、芹澤は成仏できるのではないかと良平は考えたのだ。芹澤本人に話を聞いていろいろ試してはいるのだが、その効果が現れることはなかった。

 今日数学の授業の時に芹澤が教室にいたのも「苦手だった数学を克服したら成仏するかも」といった芹澤の願いを尊重したものである。


「まあ何でもいいけどさ。ゆっくり思い出せばいいから」


「そう言われるとなぁ……」


 芹澤は口元に人差し指を当ててうーんと唸っている。芹澤は何か考え事をするとき、こうして口元に指を当てる癖があるらしい。良平は芹澤が幽霊になってから気づいたのだが、本人には自覚すらないらしい。

 

 カレーパンが半分ほど無くなった時、芹澤があっと声をあげた。

 良平は驚いて、カレーパンを落としそうになるが、なんとかキャッチした。


「なっ、なんだよ」


「バレンタイン……そう!バレンタインだよ!」


「はぁ?バレンタイン?」


 怪訝の顔をする良平に、少しもじもじしながら話を続ける芹澤。


「えーっとね、私ね、好きな人がいたの……」


「はぁ、それで?」


「その人に気持ちが伝えられなかったのが、未練なのかなあと思って」


 良平は、芹澤にもそういう人がいるのだなと、半ば感心してしまった。芹澤は、その辺のローカルアイドルなんかよりも断然可愛いし、人当たりも良い。クラスメートに限らず、芹澤は人気があったから、そんな芹澤でも誰か特定の相手に対して恋をするのだと思ったからである。


「でも、どうするんだ?お前、チョコ作ろうにも触れないじゃんか」


 芹澤は、生前自分が作ったものを除いて、ほとんどすべてのものに触れる事ができない。今座っている机も、触れる事はできるものの、別の場所に移動させる事はおろか、振動させることすらできない。


 良平の問いに、芹澤はパッと明るくなったように答える。


「良平君が作ればいいんだよ!」


 かくして、2人のバレンタインチョコ作りが始まった。


◇◇◇


 良平にとって、バレンタインなど、苦痛でしかなかった。

 良平には大学生の姉と中学生の妹がいる。配る相手が多いのか、単にチョコを作るのが好きなのか、はたまた両方か。良平は新作のチョコが出来上がる度に、味見と称して毒味をさせられていた。家族とはいえチョコが貰えるので、良平も楽しんでいたが、それはもうはるか昔の話である。良平が小学校を卒業した辺りから、チョコの種類はカンブリア期の如き進化を遂げた。今でもたまに思い出すのが、豚足チョコである。

 チョコレートにコーティングされた、甘辛い味付けの豚足は、口の中に入れた瞬間絶妙なハーモニーを生み出して、良平の胃袋とハートを破壊した。


 そんなことがあって、良平はバレンタインが嫌いだった。


 しかし芹澤が成仏するためとあっては協力せざるを得ないだろう。そもそも芹澤が成仏するのに協力したいと言ったのは良平本人に他ならないのだから。


 放課後、良平は近所のスーパーに寄って、チョコレートの材料をあらかた買い占めた。バレンタインの時期で、バレンタインフェアなるものをやっていたため、目当てのものはすぐに見つけることができた。唯一後悔があるとすれば、レジの店員に不思議な表情をされたことである。


 良平は買った物を鞄に隠すと、一旦帰宅した。


 キッチンでは、姉と妹がチョコを作っていた。しかしチョコを作っているはずなのに、カレーの香りがするのは、きっと夕食がカレーなのだろうと信じ込むことにした。


 しかし夕食は、アジのフライだった。


 良平は、帰りに胃薬を買ってこようと決意して、約束の時間を待った。


 時計の針が12時30分を指したころ、良平は家を出た。

 普段着にコートを羽織り、自転車に乗り、向かう場所は、学校。


 2月の刺すような寒さの中、軽快に自転車を走らせ学校に着いた良平は、自転車を近くの茂みに隠し、辺りを警戒しながら学校の敷地に侵入した。


 幽霊の芹澤と会ってから1ヶ月余りで、分かったのは、芹澤は学校の敷地から出ることはできないということだった。本人でも理由はわからず、頑張って出ようとしても、気づいたら自分のクラスにいるのだという。


 つまり、良平が芹澤の指示でチョコを作るには、学校で作るしかないということだった。


 玄関口に来たところで、芹澤の姿が見えた。

 外と玄関を分けるガラスの扉には、もちろん鍵がかかっている。芹澤は向こう側に行ってなにやらガチャガチャしているようだった。ややあって、鍵が開いた。


「じゃじゃん!すごいでしょ。手作りなんだよ」


 芹澤が見せてきたのは、アクリルのキーホルダーで《ラリックマ》という血まみれの熊のキャラクターがデザインされていた。これを作るキットがあるらしいのだが、最近の女子はこういうのが好きなのか、芹澤が個人的に好きなのかは謎だった。


 ともかく、キーホルダーを使って内側から鍵を開けるのを繰り返して、良平と芹澤は調理室まで行くことができた。


 さすがに電気をつけるとバレるので、月明かりだけでの作業だったが、その日は雲が無く、明るい夜だったため、特に問題はなかった。


「さあ!作るぞー!」


「おー」


 無駄に気合いの入った芹澤を後目に、良平は割ったチョコを入れたボウルを一回り大きい熱湯の入ったボウルにつけ、チョコを溶かし始めた。


 溶けたチョコを買ってきた型に流し込み、冷蔵庫に入れて待つこと15分あまり。


「とりあえず完成」


 手作りチョコレートの完成である。

 アーモンドの入ったものと、ホワイトチョコレートのものと、普通のチョコ、計3パターンのチョコが完成した。


「食べてみて!」


 自分が作った訳でも無いのに目を輝かせて良平を見守る芹澤。良平は普通のチョコを口に放り込んだ。


「まあいいんじゃないか?」


 ほとんど姉と妹の見よう見まねでやったにしては、上出来だろうと良平は思った。しかし芹澤は、眉をハの字にして、良平の感想に不満気にしている。


「なんか反応薄い」


「自分で作ったもんそんなに褒められるかよ」


「でも違う。もっかい作り直し。まだ材料あるんでしょ?」


 確かに、良平の鞄にはアーモンドの他に、くるみやカシューナッツ、トッピング用のチョコスプレーや、既製品のクッキーなど、いろんな物が入っていた。

 良平も、普通のチョコでは芸がないと思ってはいたので、次のチョコを溶かし始めた。


「で、誰に渡すんだ?」


「えーっと、あー、ないしょ」


「教えてくれなきゃどうしようもないだろ。渡すの俺なんだから」


「いいのっ!早く、口より手を動かす!」


「はいはい……」


 芹澤に急かされるまま、良平は次のチョコを作った。

 カシューナッツを入れたチョコ、ホワイトチョコを使って2層になっているチョコ、他にも2つほど作り、計4パターンのチョコを作った。


「どう?どう?」


「俺は馬か……まあ、いいんじゃないか?2層のやつは見栄えもいいし」


「さっきのやつと反応変わんないじゃん……」


「そんなこと言ったってなぁ……」


 芹澤は神妙な顔つきでチョコを眺めている。しかし時間はもう2時になろうかというところだった。


「続きは明日ってことで。いいか?」


「うー。しょうがない」


 使ったボウルやトレイを綺麗に洗って、元の場所に戻す。それから他の材料を鞄の中に詰め込んで、証拠隠滅完了。良平はほんの少し自分が誇らしくなった。


「じゃあ、また明日」


「……また明日」


 芹澤は、いつになく歯切れが悪かった。


「どうかしたか?」


「……あっ、何でもないの!気にしないで!ほらほら、早くしないと明日寝坊しちゃうよ!」


 良平はそのまま急かされるように調理室を出ると、芹澤の言うとおりに扉を閉めた。芹澤は、鍵は閉めておくからと言ってその場で良平と別れた。


 良平は辺りを警戒しながら学校を出ると、コンビニで胃薬を買い、速やかに帰路に着いた。


「あんな芹澤、初めて見たな……」


 まるで何かを隠しているような、そんな芹澤を見るのは、初めてだった。


◇◇◇


 火曜日にバレンタインデーを控えた前の週の週末。チョコを作るのにはうってつけのスケジュールである。しかし良平からしてみれば、それは終末戦争ラグナロクと同義であり、おそらく、終日鎮魂歌レクイエムの鳴り響く日であった。


 そのため、たまたまこの日、美化委員の定期作業があったことに、良平はまさしく救世主の如く光を見たのである。


 良平の通う学校には、生徒会に続く巨大勢力として、美化委員会が存在する。読んで字の如く学校全体を美化する事を目的とした委員会で、大きな活動として、定期作業というものがある。


 月に2回、各クラスから嫌々連れて来られた、もとい選抜されたメンバーにより、校内の清掃や、中庭の草むしり、ゴミ拾いなどが行われる。ボランティア活動だと思えば悪くないかもしれないが、弁当支給で朝の9時から午後5時まで草をむしり続けるのは、さすがに骨が折れるというものである。

 しかし良平は、バレンタインの期間中できるだけ家に居たくない。チョコレートテロ姉妹から逃げる為に朝から家を空けられる理由ができるのは、非常に喜ばしいことであった。そのため、今回の定期作業には自ら進んで手を挙げた。


 良平自身美化委員会の定期作業には何度か参加したことがあったため、勝手は分かっていた。

 しかし良平は作業の開始とともに、脇目も振らずに中庭に向かった。中庭には、季節の花の植えられた花壇があり、それに囲まれるようにベンチが設置されている。秋ごろまでは、お昼になると人の集まる憩いの場のようになるが、冬にかけて寒くなってくると、次第に人は寄ってこなくなる。花壇やその周りに積もっていたであろう雪は、既に地面に溶けてしまっていて、誰も使わなくなったベンチに、氷の重しのようになった雪が載っていた。


 良平は、花壇の前にしゃがみこむと、もとからあまり生えていない雑草を、黙々と抜き続けた。花壇には季節の花が植えられている。この時期は、フリージアだ。


 良平は花に関して詳しくはないが、人づてに、今年は早いうちに花が咲くかもしれないという話を聞いた。しかし目の前のフリージアは、膨らんではいるものの、固く閉ざされたつぼみのままである。教室の芹澤の机に生けられたフリージアもここの物を使えれば良かったのだが、まだ花が咲いていないのではどうしようもなく、近所の花屋で購入したものである。


 良平が気配を感じて振り返ると、そこには芹澤果穂が立っていた。


「定期作業とは、熱心だねぇ」


「まあな」


 良平は素っ気なく答え、また草をむしり始めた。芹澤もそれ以上何も言わず、ただ良平を眺めていた。

 気まずくなった訳ではないが、良平は辺りを見渡して人がいないのを確認すると、花壇の方を向いたまま芹澤に言った。


「お前、フリージアこれ好きなんだよな」


「うん」


「なんで?」


「うーん……なんとなく?」


 芹澤はえへへっといたずらっぽく笑った。良平が、何か言いかえそうと思い立ち上がって振り返るが、もう芹澤の姿はなかった。変わりに、遠くから別のクラスの女子生徒が走ってきて、「抜いた草を入れるバケツ、いります?」と言った。


◇◇◇


 その日の芹澤とのチョコ作りに対して、良平はあまり乗り気でなかった。いやむしろ全く乗り気でなかった。

 そもそもチョコから逃げる為に定期作業に参加したのに、その定期作業で疲れた体に鞭を打ってチョコを作らなければいけないというのは、おかしな話である。


 しかし約束は約束。良平はチョコの材料を手に、夜の学校に向かった。


 いつも通り玄関で待ち合わせをして、誰もいない学校に侵入する。最早慣れたものであるが、それが良いことなのか悪いことなのかは言うまでも無かった。


「さぁさ!今日もチョコを作りますよー!今日は何を持ってきてくれたのかな?」


 バレンタイン当日が近いという事もあり、芹澤は今まで以上に張り切っている様子だった。しかしそれとは対照的に、良平の顔には影ができている。


「なあ、今日は疲れてるんだ。明日でも……」


「わあ!いちご入ってる!チョコフォンデュみたい!」


 芹澤はレジ袋を覗き込んで、良平にしか聞こえない声をあげた。良平の声が届いていたかどうかはわからない。良平は、説得は不可能と考え、諦めて持ってきた材料でチョコを作ることにした。


 良平の姉妹ほどではないものの、常識のあるレベルで様々なチョコを作った良平は、それを並べて眺めてみる事にした。

 ここ数日で、お菓子作り、もといチョコレート作りのスキルは格段にあがっている。

 溶かして固める、という方法以外に挑戦してはいないものの、見た目を工夫したり、中に入れる具材を微妙に加工したりしている。並べてみると、値の張るチョコレートの箱の中身のようである。


「何満足してるの?味見だよ、味見」


 良平は、無言のままチョコレートを1つ掴んで、口に入れた。


「どう?」


「チョコの味がする」


 芹澤はむくれて「そんなの当たり前じゃん」と言った。

 良平は小さく溜め息をついて、窓際の出っ張った部分に腰をかけた。ふと空を見る。今まで気がつかなかったが、今日はどうやら満月らしい。窓から月光が差し込んで、やけに明るかった。


 視線を落とすと、中庭が見えた。特に気にしたことは無かったが、ここからは中庭が見える。月明かりに照らされて、つぼみのままのフリージアが咲きたくてうずうずしているように見えた。


「ねえ、どうしたら良平君の満足のいくチョコが作れるの?」


「俺が貰う訳じゃないんだから俺が満足する必要ないだろ」


「それは、そうかもしれないけど……」


 芹澤は目線を反らした。しかしすぐに向き直って、


「じゃあ、良平君の好きな食べ物って、なに?」


 と、やや食い気味に言った。


「俺の好きなもの?……ラーメンかな」


「じゃあ、ラーメンチョコ作ってみよう!美味しいのかな?」


「ふざけんな!」


 良平は叫んだ。芹澤は冗談のつもりで言ったのだが、良平はそう捉える事ができなかった。いつもなら、なんだよそれ、と笑って返す事ができたかもしれない。しかし今は、そうできなかった。朝からの定期作業で疲れが溜まっていたし、何よりも、嫌いなチョコを立て続けに作っていたことが、原因だった。


「ごめん、良平君……私、冗談のつもりで……」


「ああそうだろうな。けど俺は疲れた。帰る。後は好きにしろ」


 良平はそれだけ言うと、完成したチョコ以外の道具や具材を無理やりレジ袋に詰め込んで、調理室を出た。走りはしないが、いつもより何倍もの速さで学校を出ると、隠してあった自転車を視界に捉える。

 ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込もうとするが、どうにもうまくいかない。


「クソっ!」


 良平は鍵を地面に投げつけた。軽い音がして鍵は地面に叩きつけられる。


 芹澤は追ってこない。そもそも学校から出られない芹澤には無理な話である。


 鍵を拾おうと屈んだ瞬間、体温が一気に正常な範囲まで下がっていくのを感じた。気づけば息も上がっている。


 芹澤がチョコを作ろうと言い出したとき、協力すると言ったのは誰だっただろうか。紛れもない自分だ。しかし最初から、協力してやる義理など無かったのだ。芹澤とは特別親密な間柄でも無かったし、そもそもなぜ自分にだけ見えるのかすら分からない。

 別に幽霊なら幽霊のままさまよい続ければいいじゃないか。幽霊だから成仏しなくてはならないなんていう決まりは無い。


 良平は、ひたすらそんな事を考えていた。まるで、それ以外の感情の侵入を拒むように。


「……最低だ」


 良平は、自分にしか聞こえない声で叫んだ。


◇◇◇


 月曜日、良平は何事もなく1日を過ごした。芹澤には会わなかった。

 昨日の一件以降、もしかしたら芹澤の事が見えなくなっていたのかもしれない。芹澤が無意識のうちに自分を見える人を選んでいるのだとすれば、その可能性は高い。


 昨晩調理室にチョコを置いてきた事を思い出して、朝のうちに調理室に出向いてみたものの、良平の作ったチョコは跡形も無くなっていた。自分で作ったものにしか触れられない芹澤ではどうする事もできなかったはずだから、早朝に誰か教員が見つけたのかもしれない。

 良平には、それ以上の感情は湧かなかった。湧かないように押しとどめていた。自分にはもう、関係ないのだから、と。


 その日の夜、良平は、姉と妹の作ったチョコを食べた。否、食べさせられた。


 ある程度予想はしていたものの、帰宅と同時に口に突っ込まれるとは思ってもみなかった。

 重要なチョコの味は覚えていない。ただ、サクサクとした食感の中にドロッとした何かが入っていたことは覚えている。味わう前に、良平の意識は飛んだ。


 目を覚ました良平は、リビングのソファの上で寝かされていた。

 スマホで時間を確認すると、12時30分だった。つまり、2月14日、バレンタインデーである。ソファに座り直し、なんとなくスマホを弄っていると、メッセージアプリに着信があった。


木村だよ 起きてるか


 相手は同じクラスの木村という男子だった。


リョウヘイ 起きてる


木村だよ まあこれという用事は無いんだけどな


リョウヘイ じゃあ寝る


木村だよ 待て、今日はバレンタインだろ?


リョウヘイ そうだな


木村だよ チョコの数勝負しようぜ


リョウヘイ 今時ばかばかしい。断る


木村だよ お前鈍いから知らないと思うけど、お前結構人気あるんだぜ?


リョウヘイ 知らん


木村だよ 芹澤もお前のこと好きだったみたいだぞ


リョウヘイ 何をバカな


木村だよ マジだって。朝倉が噂してたの聞いたもん


 良平は驚愕した。朝倉というのは、芹澤が生前特に仲のよかった女子生徒で、恋愛だとかそういった事情にとても詳しく、彼女に相談にする生徒は男女限らず後を絶たないらしい。

 芹澤は、朝倉に相談していた?自分のことで?


 その時、良平の脳裏にここ数日の芹澤との思い出がフラッシュバックした。


『好きな人に思いを伝えられなかったのが、未練なのかなあと思って』

 

『で、誰に渡すんだ?』


『えーっと、あー、ないしょ』


『ねえ、どうしたら良平君の満足のいくチョコが作れるの?』


 今までの芹澤の言動が、線で繋がった。


「俺の満足するチョコを作りたがっていたのは、渡す相手が俺だったから……」


 良平はコートも着ずに家を飛び出した。相棒の自転車に乗り込むと、思いっきりペダルを踏んだ。向かう場所は、学校。焦ってペダルを踏むせいで、何度も倒れそうになるが、地面を蹴って体制を立て直し、ペダルをこぎ続ける。


 今までの何倍もの速さで学校に着いた良平は、自転車を投げ捨て、玄関に走った。

 鍵がかかっている、はずだった。しかしなぜか今日に限って鍵はかけられていなかった。それどころか、良平が扉に触れた瞬間、扉は勢い良く開いた。

 普段なら、驚愕して腰を抜かしていたかもしれない。しかし今は、扉が開けば、それで良かった。


 誰もいない校内を走り、調理室に向かう。


 扉は、ひとりでに開いた。


 しかしそこに芹澤の姿は無かった。良平は他のものには目もくれず、別の場所に走り出した。


 もしかしたら、今の自分に芹澤は見えていないのかもしれない。もしかしたら、さっき調理室にいたのかもしれない。それでも良平は、芹澤を探した。

 あの無邪気でいたずらっぽい、もう誰も見ることのできないあの笑顔を。


 中庭に着いたとき、良平は肩で息をしていた。


 つぼみのままのフリージアと、それを見つめる1人の少女。


「芹澤……!」


「良平君、きてくれたんだ……」


「芹澤、お前、俺のこと……」


 そこまで言った時、良平の口に芹澤の人差し指が当てられた。良平は思わず口を噤む。


「待って」


 良平は小さく頷いた。

 芹澤はそれを見てふふっと笑顔を見せた。


「私ね、今なら魔法が使えるの。見てて!」


 芹澤は屈むと、つぼみのフリージアに手を触れた。すると、固いつぼみだったフリージアが、丸みのある可愛らしい花びらを開き、開花し始める。まるで、タイムラプス動画を見ているかのようだった。

 芹澤は、間隔を空けてつぼみに触れていく。触れられたつぼみから、水の波紋が広がるように次々と開花し、ほんの一瞬の間に、すべてのフリージアが開花した。

 辺りにフリージアの甘い香りが漂い始める


「えへへ、すごいでしょ」


 良平は見とれていて、何も言えなかった。次々と開花するフリージアにではない。その花の中にいる、1人の少女に見とれていた。


 芹澤は軽いステップを踏んで良平の前まで来ると、くるりと一回転した。


 刹那、辺りが黄色いフリージアの花畑に変わる。


 辺り一面どこを見渡しても、そこにはどこまでも続く黄色いフリージアが咲き誇っていて、空は金色に輝いていた。


「ねぇ良平君。前に、なんでフリージアが好きか、って聞いてきたよね」


「ああ」


「フリージアはね?寒いのがあんまり得意じゃないの。でもね、その寒さに耐えて、今くらい時期になると、こうして綺麗な花を咲かせるの。まぁ、今回は私が無理やり咲かせちゃったんだけど」


 芹澤は続けた。


「私さ、あんまり頭良くないから、この学校入るのにすごい苦労したの。頑張って、勉強して、やっとこの学校に入れて、友達もたくさんできて、好きな人もできた……だから私とこの子は似たもの同士。それで、フリージアが好きなの」


 芹澤が言い終わるのを待っていたかのように、芹澤の足元から、光の粒が漂い始める。その光の粒は、確かに芹澤の体から発せられていて、光が出る度、芹澤の姿が薄れていく。


「そろそろ時間切れみたい……」


 芹澤は自分の体を見て言った。


「待ってくれ!芹澤!俺はまだお前のチョコ食べてない!」


 良平は手を伸ばす。しかし消えゆく芹澤の姿に触れることは叶わない。


「それに関してはホントにごめんね。良平君、チョコ嫌いだったんでしょ?」


「違う!それは、変なチョコが嫌いなだけだ!」


「良平君は優しいね。でも、ちゃんと受け取らなきゃダメだよ?贈った人の気持ちがこもってるんだから」


 芹澤は笑った。

 良平の頬を涙が伝う。気づけば、花畑全体から光の粒がでている。このままでは、花畑ごと、芹澤も消えてしまう。


「芹澤っ!俺は!」


「……」


 良平の言葉を遮るように、芹澤が言葉を発した。時間が止まればいいと思った。この瞬間を、ずっと留めておきたかった。


◇◇◇


 良平は、地面に崩れるようにして泣いていた。


 満開になった花はやがて枯れ、その花を落とす。しかしそれは、その花の死ではない。次の世代に種を残し、また新たな美しい花を咲かせるための通過点に過ぎない。


 良平はゆっくりと立ち上がり、帰路に着いた。


 途中、廊下での天井に、センサーがついているのを発見した。何か反応があれば、警備会社に連絡が行くようになっているはずだ。良く見れば、それはいたるところに設置されていた。なぜ今まで気がつかなかったのか、そして今も尚反応が無いのはなぜか。これが芹澤の言っていた魔法なのだろうかと良平は思った。


 何の用があるわけでもなく、良平は調理室に立ち寄った。最初来たときには気がつかなかったが、窓が開いていて、夜の涼しい風が入ってきていた。


 テーブルの上に何かが置かれている。良平はそれを拾い上げた。それは、芹澤が手作りしたという《ラリックマ》のキーホルダーだった。


「世話になったな」


 良平が語りかけるのを待って、窓側から声がした。


「ラリックマ、どこが可愛いんだろうね」


 良平はハッとして振り向くと、窓の枠に腰掛けるようにして1人の男性が座っていた。黒っぽいコートに皮の手袋をしていた。外を向いているので、顔は分からないが、声を聞く限り、男性である。


「僕の妹がね、大好きなんだよ、それ」


「そうなんですか」


 良平は、この人が普通の人間でない事に薄々気づいていた。不法侵入者である良平に対して咎めるような態度を見せなかったし、さっきまでこんな人いなかったはずだ。


「何者ですか」


「核心をついた質問をするね。僕は死神。仕事でここに来た、と言えばわかるかな?」


「芹澤のことですか」


「そう」


 死神は淡々と答えた。


「本当はダメなんだけどね。知り合いに似てたから……」


「芹澤をこの世につなぎ止めてたのはあなたってことですか」


 死神は頷いた。

 センサーが反応しなかったのも、扉が勝手に開いたのも、この死神の仕業だった。


「ともかく、これは彼女からのバレンタインデープレゼントだ」


 そう言って死神は、良平に紙袋を渡してきた。

 開けてみると、中には一昨日自分が作ったチョコが入っていた。良平は自然と笑みがこぼれた。礼を言おうと顔を上げた時、そこに死神の姿は無かった。


 良平は、さっきまで死神のいた場所に腰掛けると、チョコを口に入れた。


 良平は忘れないだろう。幽霊の芹澤果穂と過ごした、この数日間ゴースト・バレンタインを。

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[良い点] サトウイツキ先生の書く文章は、本当に素敵ですね。 ノスタルジックで、ファンタジックで、世界観に浸れます。 構成もきれいで、とても読みやすいですし、キャラクターの心情や動作によって文章の特…
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