2.
崖下のサキが異変に気付いたのは、その体が一瞬、下へガクンと落下した時だった。数十センチほどだったが、突然の衝撃に思わず抱えたアダムを落としそうになる。
「ちょっと、あんた何やって……」
崖上への文句は途中で遮られた。
身を竦ませるような、竜の咆哮が辺りに響いたからだ。
さらに続けて、鋼と鋼を打ち合わすような、重く鈍い音がサキの元へと届く。
「ウソ……これって、駆牙竜の……」
サキの予想は的中していた。
丘の上には、ジャンには襲い掛かる駆牙竜。そして、その爪と牙を、長剣の幅広な刀身を盾にして耐えるジャンの姿があった。
『ガァァッ!』
「ぐっ……」
駆牙竜がジャンへと飛び掛かる。小型とはいえ決して軽くはないその質量を、ジャンは右手で持った剣の刀身が右肩に触れるように構え、作った面を一枚の壁にして受け止める。
だが、駆牙竜の爪は易々とその壁を乗り越え、ジャンの肩口へと食い込んだ。なめし皮のパッドが引き裂かれ、鮮血が散った。
両手が使えれば、もう少しマシな防御が取れただろう。だが、今のジャンの左腕はサキとアダムの命で塞がっていた。剣を抜くために右手離した瞬間、咄嗟にロープを三重に巻きつけたその左腕は、その先の二人をこれ以上落とさぬことで精いっぱいだった。
駆牙竜が一度離れ、そして助走をつけて再度ジャンへと突っ込む。今度は下からカチ上げるような頭突きだった。
剣の腹を合わせる。
鈍い音がして、衝撃が剣越しにジャンの臓腑を抉る。だが、そんな痛みよりもっと恐ろしいダメージがあった。
「マズ……」
ジャンは駆牙竜の頭を剣で抑え込みながら、足元に目をやる。ジャンの両足は柔らかい土を抉りながら、わずかに崖の方へと押し込まれていた。
このまま攻撃を受け続ければ、間違いなく崖下へ突き落されるだろう。それはジャンだけではなく、サキとアダムの死でもある。
どうする、どうすればいい?
打開の方法を模索するジャン。その焦りは、駆牙竜に対する集中の乱れに直結した。
『グルルァ!』
駆牙竜の頭と鍔迫っていた剣が、駆牙竜の牙で上へと打ち上げられた。
もともとジャンの長剣は両手用の剣だ。いくらジャンの腕力が優れていても、片腕ではろくな制御はできない。剣は手から離れ、跳ね上げられた剣に引きずられて体を開いたジャンは、その無防備な正面を駆牙竜に晒してしまった。
駆牙竜の牙が迫る。
ここで押し込まれたら、下に落ちる―――。
直感的にそう悟ったジャンは、ひるむことなくその牙へ突っ込んだ。
そして、三度目の激突。
「ぐっ……いっ……てぇ……」
咄嗟に前傾姿勢になり、胸と腹で駆牙竜を受けたおかげで、立ち位置の後退は数ミリほどで済んだ。
だが、その代償は大きい。ジャンは駆牙竜の外向きに生えた下牙が、皮鎧を貫いて自分の腹に刺さっているのを激痛によって察した。
なんとか堪えた。だが次はどうする。剣も手元を離れた今、ジャンが取れる手段はもう。
「あんた! 竜に襲われてるんでしょ! あたし達なら大丈夫だから、早く逃げなさい!」
諦めがジャンの頭をよぎったその時、崖下からサキの声が届いた。
大丈夫だから。その言葉を受けて、ジャンは思わず自嘲気味に笑った。
それが本当なら、初めから自分はロープをこんなに必死になって守っていない。最後に見たサキは後ろ腰に結んだロープに吊られたまま両腕でアダムを抱え、崖の縁まであと半分という高さまで上がっていた。その体勢、その高さから落ちて、アダムがいた小さな突出部にもう一度着地できたなら奇跡だ。
それは誰が聞いても分かる、明らかな強がり。
ただ……その根拠のない呼びかけは、ジャンに今自分が何を背負っているのかを思い出させるには十分だった。
諦める? バカを言うな。自分は……ドラゴノーツだろ!
ジャンは覚悟を決めた。
勝つ。例え左手が使えず、剣を失っていても、この竜に打ち勝つ。
その時、ジャンの脳裏に、サキの言葉が木霊した。
咄嗟に駆牙竜の頭を押さえていた右手を離し、腰の道具袋に突っ込む。
手を離したことで駆牙竜の牙が一層深く刺さるが、今のジャンには些細な変化だった。
目当てのものを探り当てたジャンは、道具袋からそれを引き抜き、そして駆牙竜の口の中へとその先端をねじり込んだ。
剣だけで全ての竜を倒せるのは、神代のドラゴンスレイヤーだけ。ならば現代のスレイヤーであるドラゴノーツは。
「知恵と道具、なんでも使っていかないとな!」
駆牙竜の口にジャンが差し込んだのは、サキから渡された発信筒。
ジャンはその根元から、起動の紐を力任せに引き抜いた。
火薬の炸裂。そして閃光。赤い煙を吐く信号弾が口内で暴れると、さしもの駆牙竜も恐慌に陥った。ジャンから慌てて飛び離れると、地を転げまわって信号弾を吐き捨てる。
信号弾は一瞬地面を転がって煙を撒くと、本来の役目を果たすかのごとく空に向いて上がり、そして四散した。
ジャンのこの思い付きは想像以上に効果を発揮した。まず駆牙竜に混乱と警戒をもたらし、そして地上に吐き出された信号煙は、煙幕となって駆牙竜の視界を遮ったのだ。
これらが結果もたらしたのは、駆牙竜が攻撃してこない数秒ばかりのインターバル。
そして、その数秒はジャンがロープを巻き取り、崖下から二人を引き上げるのには十分な時間だった。
「悪いサキ、危うく落っことすところだったわ」
サキを崖の上に引き上げ、カラカラと笑ってみせるジャン。対するサキは言葉を失っていた。
右肩の裂傷と腹部の刺傷は、それほどに痛々しいものだった。
「さてと、汚名返上といきますか」
しかしジャンは気にするそぶりすら見せず、駆牙竜に弾かれた自分の長剣を拾い上げる。
「サキはアダムの側にいてやってくれ。あいつは俺がやるから」
「はぁ!? あんたその怪我でなに言って……」
そう言いかけて、サキは自分の姿を思い出した。アダムを助けに崖下に降りたとき、少しでも身軽になるために鎧を外してしまっている。この姿で駆牙竜の戦えば、一撃で今のジャンよりひどい状態になるのは明白だった。
煙が晴れた今、駆牙竜は今にでも飛び掛かってくる勢いだ。鎧を纏う暇など与えてはくれないだろう。
「で、でもあんた駆牙竜に勝てなかったんじゃ……」
「んあ? いやまぁその時は多勢に無勢ってやつで……」
その瞬間、駆牙竜が駆けた。
大地を蹴り、牙を振り上げ、獲物へ全身をなげうって飛び掛かった、つもりだった。
駆牙竜の目の前には、なぜか鉄の剣があった。
刹那、なんとも言えない音を、サキは聞いた。
それは鱗が割れる音であり、肉が裂ける音であり、そして骨が砕ける音であった。
駆牙竜の突進に合わせて、ジャンが渾身の力で剣を真上からの振り下ろし、その重い刀身を駆牙竜の頭蓋へと叩き込んだのだ。
駆牙竜は頭を半ば地面にめり込ませて止まり、そして動かなくなった。
「え……一、撃?」
アダムを抱きかかえたまま、茫然とその光景を眺めるサキ。その視線の先で、ジャンは長く息を吐いた。そして剣を引き抜き、背の鞘へと仕舞う。
丘の上は、静寂を取り戻していた。
「あんた、弱いんじゃなかったの?」
「だから、あの時は群れに囲まれて右も左も敵だったからで。一対一なら、養成所の戦技訓練で何回も駆牙竜とはやり合ってんだ。今さら負ける気はしねえよ」
それより、と腹の傷を抑えながら、ジャンはアダムを指して続けた。
「急いで村に戻ろう。アダムを早く医者に見せてやらないと」
医者が必要なのはあんたの方でしょ、と言いかけて、サキはやめた。
「……あんた、やっぱりバカでしょ」
「はぁ!? お前、命綱の恩人に向かっていきなり何を……」
「だからよ」
スケイルメイルを身に着け、道具袋から止血帯と傷薬を取り出してジャンに投げつけると、再度アダムを抱きかかえてサキは言葉を続けた
「でも、信用できないって言ったのは取り消すわ」
サキは一瞬だけ微笑むと、すぐに振り向いて村の方へ丘を下り始めた。
「……ったく、バカも取り消せよバカも」
その表情に毒気を抜かれたジャンも、渋々とサキに続いて丘を下る。
陽はすでに森の向こうへと姿を消し、辺りには夜の帳が引かれ始めていた。
そして、ジャンは気付く。
自分たちを見つめる、いくつもの赤い目に。
「……! サキ!」
ジャンが前を行くサキの背を突いたのは、半ば反射だった。突き飛ばされたサキ、その体が数瞬前まであった空間を、駆牙竜が鋭い牙を唸らせて抜けていった。
ジャンもサキも忘れていたのだ。駆牙竜の本当の恐ろしさは鋭い牙でも地を駆ける速さでもない。群れを成して獲物を襲う、その習性だということを。
「くっ……!」
サキとアダムを背にかばい、ジャンは再び長剣を抜く。
駆牙竜の数は、一、二、三……。
「六、か。これは無理、かな……?」
「何情けないこと言ってんのよ、やっぱり褒めるんじゃなかった!」
ジャンと背中を合わせて、サキもアダムを抱いたまま、右手で腰から片刃の長刀を抜いて構えた。
二人を取り囲むのは、六体の駆牙竜。それぞれが微妙な距離を保ち、二人の周囲を旋回する。
「ずっと聞きそびれてたんだけどさ、サキ、戦技の腕前は?」
「……色々言った手前恥ずかしい話だけど、さっきのあんたより強いとは言えないわね」
ならばジャンと同じく、一対一ならなんとかなる程度ということか。しかも、サキはアダムを抱きかかえている以上、戦力としては期待できないだろう。ならば。
「俺がおとりになる。その間に村まで走れ」
「なっ、あんた何言って……」
ジャンの言葉にサキは反射的に反対したが、その言葉はしりすぼみになって消えた。腕の中のアダムの体が、恐怖で小刻みに震えているのを知覚してしまったからだ。
「大丈夫だって。お前らが逃げたら俺もなんとかして逃げる。信用してくれたんだろ?」
迷うなよ、と念押しの言葉にサキが頷いたのを見てから、ジャンは大地を蹴った。
狙いは村の方角を塞いでいる駆牙竜。その脳天へ、唐竹割りの一撃を振り下ろす。
「うらぁぁ!」
駆牙竜はその一撃を、大きく横に跳んで躱す。だがそれがジャンの狙いだ。
「行けっ! サキ!」
駆牙竜が避けたことで広がった包囲の穴から、アダムを抱えたサキが飛び出した。
ジャンはその後、振り向きざまに剣を大きく横に薙いで駆牙竜を追い散らし、時間を稼ぐ、つもりだった。
「ちっ……!」
振り返ったジャンの目の前では、駆牙竜の体が三つ宙を舞っていた。
ジャンが突っ込んだ方とは逆にいた三体が、すでに一瞬背を向けたジャンめがけて飛び掛かっていたのだ。
死の予感を伴って駆牙竜の牙がジャンに迫った、その瞬間。
碧い閃光が、宵闇の草原に走った。
それは、しかと目に焼き付けた、あの斬撃の残像。
碧い閃光は滞ることすらせず、駆牙竜たちの体を走り抜け、その一秒後。
三体の駆牙竜の体は、空中で六つの肉へと姿を変えた。
「帰りがけに発信筒が上がったから何事かと思って来てみれば、またお前のピンチとはな」
ジャンの目の前で、碧く光る長刀についた血糊を振り払いながら、褐色の鎧を身にまとったカイトは言った。
「し、師匠!」
「誰が師匠だ、てめえの師匠になんざなった覚えはねぇ!」
怒鳴りながらカイトが無造作に薙いだ長刀は、今まさに飛び掛からんとしていた駆牙竜の首を刎ねた。
さらに踏み込んで、一閃。
体を回転させながら放った円状の斬撃は、左右から同時に迫っていた最後の駆牙竜をまとめて斬り捨てた。
それはまさしく、瞬く間、であった。
血煙が立って、そして収まる。その中心で長刀を腰の鞘に仕舞うカイトを、ジャンは茫然と見つめていた。
「あんた、大丈夫?」
カイトの姿を見とめて戻ってきたのか、気づけばジャンの隣にはサキが立っていた。
「ああ。……やっぱりすごいな、あの人」
「そうね。あたしが知る中でも一番よ、カイトは」
サキはジャンがカイトの剣技に向けてそう言ったのだと思った。だが、ジャンが見つめていたのはそうではなかった。
カイトが最後に見せた、一瞬の仕草。そっと、竜の躯に片の平手を立てて祈る、その仕草に向けての言葉だった。
「……カイトさん、俺を、弟子にしてください」
思わず、言葉が口をついて出ていた。
「あぁ? てめぇほんと面の皮が厚いやつだな、隙あらばって……」
カイトが言葉を止めたのは、自分を見つめるジャンの目が、痛いくらいに真剣だったせいだ。
「俺は、竜害の孤児です。親の顔は知りません。だから、竜は憎くて恐ろしい相手だとずっと思ってました」
ジャンは心のままに、言葉を続けた。
「でも、養成所や外で竜と会って、段々そう思いきれなくなって。そんな中あなたの姿を見ました。先週も、今も、竜の躯に手を合わすあなたを。
俺には分からないんです。どうして寸前まで殺し合っていた相手に、どうして今まで人を傷つけてきた相手に、祈りを捧げられるのか。けど……俺はその姿を、高潔だと思いました。あなたのようになりたいと思ったんです。だから」
深く、深く頭を下げる。
「俺を弟子にしてください」
沈黙が、草原に流れた。そして。
「……断る」
そう吐き捨てて、カイトは頭を下げたままのジャンの横を抜けて去っていった。
―――――――――――――――
木の葉と猫亭は、今夜も酒場として賑わっていた。
心配していたアダムが無事だった反動か、村の男たちはもちろん、まだ包帯の取れていないキャラバンの男たちも一緒になって派手に酒を飲んでいる。
その喧噪を背に、カイトはカウンターの席で遅い夕食をとっていた。
と、カイトの目の前に、突然エールのジョッキが置かれた。
「ランパードさん、今日は酒は頼んでねぇぞ」
「おごりだよ。サキたちを助けてくれたんだろう? そのお礼さ」
糸目の目じりを下げて微笑むランパードに、カイトは気恥ずかしくなって目をそらした。
「まぁ、おごりっつうならもらうけどよ。俺はたまたま通りがかっただけだ」
そのたまたまも、あいつらの踏ん張りが呼び込んだものだけどな。続けて出かけたそんな言葉はなにやらジャンを褒めてしまっているようで気まずくなって、カイトはそれを心内に留めた。
「しかしアダムが無事で本当に良かった。ジャンくんには借りが出来てしまったな。彼は今どこへ?」
「ホラン婆さんのところだ。あのガキ、駆牙竜に結構な傷をもらったらしい」
そう答えて、夕食のピラフをかき込むことを再開するカイト。
ランパードは村唯一の産婆であり薬師であるホラン婆の姿を浮かべ、彼女ならばと安心した。
「おっ、カイトの旦那ァ、飲んでるかい?」
そこへいかつい顔が割り込んでくる。カイトの隣へ座ったのは、キャラバンの長のドルトンだ。もうすでにだいぶ飲んでいるのか、その髭面は真っ赤だった。
「そういえば、助けてもらった礼もろくにしてなかったな。ランパードさん、俺からカイトさんに一杯やってくれ」
「悪いな、じゃあこいつのお替りでそれを使わせてもらうよ」
カイトがたった今ランパードから受け取ったばかりのジョッキを見せて答えると、ドルトンは破顔した。
「しかし旦那も覚悟しといた方がいいぜェ。あのジャンってガキ、本ッ当にしつこいからよ」
本ッ当、のところに強く溜めを作るドルトン。だが言葉とは裏腹に、その顔は楽しそうだった。
「しつこい? あぁ弟子入りの話か。なんであんたがそれを?」
「俺も根負けした口だからさ。旦那なら知ってるだろう、大きな街でドラゴノーツになった新米が、最初にぶち当たる壁をよ」
確かにカイトは知っていた。ディリムリンのような大きな街では、仕事の数に対してドラゴノーツの数が飽和していることも少なくない。
ドラゴノーツの価値は、それまでその者が積み上げてきた実績だ。当然、仕事を頼む側は実績のあるドラゴノーツを求める。その結果新人に待っているのは、実績がないから仕事をもらえない、仕事をもらえないから実績が積まれない、という悪循環だ。
その悪循環から抜ける方法はいくつかはあるものの、そこで潰れてしまう者も少なくない。
「なるほど、読めてきたぜ」
「お察しの通りさ。あのガキはドラゴノーツギルドを通しての仕事がないとみると、商人ギルドに通い詰めて、片っ端から自分を売り込み続けてなぁ」
ジャンがとったというその手段は、最上ではないが悪循環を抜ける方法の一つでもあった。一度でも仕事をこなせば箔がつく。そのために、ギルドに上がらないような小さな仕事を足と根気で探し続けたのだ。
「で、あんたは運悪く安物買いをして手痛い目を見た、ってか」
「おっと、俺の商人としての名誉のために言わせてもらうが、俺だってあのガキをドラゴノーツだと思って雇っちゃあいないさ。あんまりしつこいのと、ほとんどタダでいいって言うから、安く使える荷下ろし人夫のつもりで雇ったんだ。
もともと今回の交易は安全なルートを通るから、ドラゴノーツを雇う予定自体なかったしな」
まァ現実は安全でもなんでもなかったが、とぼやくドルトンの言葉に、カイトはひそかに眉をひそめた。
確かに、ノマール村の付近は竜害の被害がほとんどない安全な土地だった。だがそれは数か月前までの話だ。ここ最近は急激に駆牙竜の活動が活発になっていて、その危険度はうなぎ登りだ。
そしてカイトが抱えている大きな仕事の一つが、まさにそれであった。駆牙竜の竜害が急増した原因を、彼はここしばらく追ってはドラゴノーツギルドに報告していた。
その情報が広く流布されているのなら、耳の早い商人ギルドが知らないはずはない。ということは、ドラゴノーツギルドが情報を止めているのか。
疑念がカイトの頭をよぎるが、すぐにドルトンとの会話に引き戻された。
「ただよォ旦那、旦那は今安物買いって言ったが、俺は掘り出しモンを買ったと思ってる」
ドルトンの声のトーンが、突然真剣味を帯びたからだ。
「駆牙竜に襲われたあの時、いい年したおっさんどもが恐怖で竦む中、真っ先に、しかも一番図体のデカい竜にとびかかったのはあのガキだった。俺は思うんだ。もしあのガキがいなかったら、旦那が通りがかるまで、俺たちは全員生きていられたのかってな」
「……世間知らずのガキの、無知ゆえの全能感だろ。勇敢さでもなんでもねぇよそれは」
カイトの分析は正確だった。
「ははッ、確かにそうかもな。ただ、俺の商人としての目は言ってるんだ。あのガキはでかくなる。商人としては、ああいうドラゴノーツが増えてくれると仕事がやりやすくてありがたいんだ」
だから、とドルトンは続けた。
「こんな話、余所者の、しかも商人がするのはお門違いだってのは分かってる。分かってるが……あのガキの弟子入りの話、前向きに考えてやってはくれねえか、旦那」
頼む、と頭を下げるドルトン。その姿が、カイトの脳裏にある記憶を蘇らせた。
『いいドラゴノーツってのはな、人によく助けられるんだよ。それまで誰かを助けて回ってた分だけな』
懐かしい、安堵を運ぶ低くて重い声。その声はカイトがかつて師と仰ぎ、今なおその背を追い続ける一人の男の言葉だった。
「ジャンくんを見ていると、アルバを思い出すね」
そう言ったのは、グラスを磨いていたランパードだった。
「姿が似ているわけじゃない。振る舞いが似ているわけでもない。でも、彼を見ていると不思議なことに、アルバもきっと同じことをするだろうなって思ってしまうよ。きみもそうじゃないのかい、カイトくん」
ランパードの細い目が、じっとカイトを見つめる。
「ランパードさん、アルバってのは一体どなたで?」
「いえ、ただの昔話ですよ、お気になさらず。もう一杯いかがです?」
急に会話に置いて行かれたドルトンの問いにそう返すと、ランパードはドルトンへ酒の瓶を差し出した。
ドルトンのグラスへ酒を注ぎながら、ランパードは続ける。
「私は不思議でならないよ。なぜジャンくんを、きみがそこまで邪険にするのかね」
「……ランパードさんまであのガキの味方をするわけ?」
「いやなに、彼の村への奉仕にはそれなりの報酬が必要だと思ってね」
そう言って目じりをぐっと下げて微笑むランパード。カイトはその食えない表情に呑まれそうで、うつむいて目をそらした。
―――――――――――――――
「いだっ、いだだだだ痛い痛いお婆さんもっと優しく!」
「うるさい子だねぇまったく。アダムはそんな大きな声で喚いたりしなかったよ!」
「当然だよね!? だってあの子腹に穴空いたりしてないもんね!?」
そんな悲鳴じみた声が響くのは、村の薬師であるホラン婆の家の一室だった。
寝台の上に半裸で横たわるジャンの脇腹へ、ホラン婆が治癒力を高める膏薬を塗っている。
「まったく、駆牙竜の牙を腹で受けるなんて馬鹿は聞いたことがないよ。牙が臓腑に当たらなかった運の良さに感謝するんだね」
お終い、とホラン婆は最後に巨大な絆創膏を傷口に貼り付け、否、叩きつける。ジャンの口から声にならない悲鳴が漏れた。
ホラン婆は寝台に背を向けると、水を張った桶で汚れた手を洗う。その表情には疲労の色が強く出ていた。
「……ありがと、ホラン婆さん。おかげで助かったよ」
「まったくだよ。治療費はしっかりつけとくからね」
「俺、ほとんど文無しみたいなもんだから安くしてくれるとありがたいなぁ」
ジャンはそう軽口を言いながらシャツを着る。と、部屋のドアが開いてサキが入って来た。
「ホラン婆、終わった?」
「ああ、たった今終わったところだよ。早いとこその怪我人を連れて帰って、この老婆を休ませとくれ」
ホラン婆はいそいそと治療に使った道具を片付けながら、寝台の上に腰かけるジャンを顎で示した。
「じゃあ木の葉と猫亭まで送るよ。あたしも帰り道だし」
「あぁ、悪いな」
最後にホラン婆に礼を言ってから、二人は連れ立ってホラン婆の家を出た。
夜はもう深いが、外は十六夜の月が明るく照らしている。
「あんた、これからどうすんの?」
サキがそう口を開いたのは、村広場への坂道を登り始めたころだった。
「これから?」
「そう。まだカイトに弟子入りを頼むつもりなら諦めた方がいいよ。無理だから」
「……なんでお前にそんなこと分かんだよ」
「分かるものは分かるのよ」
そう答えたサキは、まるで痛みをこらえるかのように目を伏せた、ように見えたのだが、ジャンの見間違いだったようだ。
再びジャンに向いたサキの目は、いつものふてぶてしさをしっかりと湛えていた。
「でも、あんたがもうしばらくノマールにいるっていうなら、村の近場のことなら、あたしが教えてあげもいいわよ」
「はぁ? なんでお前の弟子になる話になるんだよ?」
「弟子じゃないわよ、協力関係。あたし、戦技はちょっと自信ないからさ。あんたはあたしからフィールドワークを学ぶ、あたしはあんたから戦技を学ぶ、これっていいアイディアだとは思わない?」
ジャンの顔を覗き込みながら、楽しそうに話すサキ。
「なるほどねえ。まあ悪くない案だとは思うけど、実際駆け出しレベルの二人が束になったところで……」
ものになるか、と言いかけたジャンが言葉を止めたのは、坂の上、自分たちの先に人影を見止めたからだった。