偽と愚
城に入った俺と王妃様は直行便で陛下の執務室へと向かった。
一応は頭に地図を放り込んでいるけれど実際に歩くのは初だから緊張したよ。
カール殿下にも聞いていたが、王族が入る門から続く城内は石材が殆ど加工もされておらず質素な作りで、必要な所、例えば来賓を迎える正門から謁見の間までのようにお金を掛けていないようだった。
王国に仕える貴族の息子としては安心できるお城だ。
直行すると言ってもカール殿下としての注目を浴びるわけだから、俺が迷って違う方向に行くのは拙い。
そうした理由からも出来れば一歩後を歩きたいのだが、先導役というか先触れに回る者と安全を確保する者は遥か先を進んで行って姿が見えないし、立場上王妃様の横に立ち共に先頭を切って歩かなくてはいけない。
無駄な行為ではあるが、安全確認は必要だし、王族がこれから訪れる事を告げておかないとバッタリ下級官吏と出会って衝突なんて事になれば処罰を下さないといけないので必要な事を仕来りとして形にした儀礼だそうだ。
しかし、そのお陰のせいで所々で膝を着いた宮廷官吏に挨拶を受ける、頭の中では王城の地図を展開しつつ、まあ「うむ」とか「ご苦労」と言いながら軽く躱し続けておいた、地図を思い浮かべながら、更に顔見知りがいないかどうか一人ひとり表情で判断するのは大変だった。
そして執務室に着いた訳だが、国王陛下の机には書類の山がある。
豪華とか華麗とかそういうイメージが本当にないな。
まあここで会う人物なんて宰相や将軍に宮廷官吏か家族ぐらいなのだろう。
カール殿下の知識教育で、謁見の間と貴族用の歓待用の部屋などが別にあると教えられたし、執務には華美な物など邪魔だからだろう。
目の前で大量の書類と格闘しているのがこの国の国王ゲオルグ・ヴァールハイト・ユストゥス・アウフレヒト陛下だ。
カール殿下に負けず劣らずに長い。
ここまで名前が長いのも王族だけだから頑張って覚えたよ、名前の意味を語呂合わせにしてね。
フフフ、伊達に狼の狼の狼なんて恥ずかしい二つ名を持っている訳じゃないよ。
法の上の、正義、真実、竜を殺せし者、逆に読む感じで先代陛下が名付けたのかも。
俺の狼の中の狼って意味で父さんが俺を名付けたみたいにさ。
まあ妄想は隅に置いて陛下の手が止まった所でまず帰還の挨拶だ。
「只今戻りました父上」
「ふむ、健康を取り戻したようで何よりだカール。
手紙にもあったが、幾分か半年の間に身体つきも良くなっているのだな。
マリーも久しぶりの実家は如何だったか」
「貴方のお陰で自然に囲まれてゆっくりと出来ましたわ」
先程の会話通り、未だ国王陛下には手紙などで伝える訳にもいかず、俺の素性は伝わっていない。
今から伝えるのだけれども、まずは人払いを済ませないと。
王族にはプライベートが少ないので大変だ。
「しかし、手紙を貰っていて驚いたぞ。
かのルードルフの狼ラルフに助けられた後にあの銀狼フランクから剣を習いだしたり、あの魔法の鬼才と言われたブレンダ殿に魔法を教わったとか。
今回の療養はカールにとって得難い経験だったようだ。
正直羨ましいぞ、機会があれば私も習いたかったものだ」
実にカール殿下の父親らしい意見だな。
今も息子であるカール殿下は習っている最中ですよ。
しかし母さんの二つ名を聞かないと思ったら鬼才と言われていたのか……聞いたら怒りそうだね。
うん、聞かなかった事にしよう、記憶からデリートだよ。
それと父さんには今度こそ魔法を打ち込んでいいよな。
陛下にまで何言ってんの、何か別の二つ名を作り出せば、おお名案だ、後で、いやインスピレーションが訴えている、俺の次の二つ名は魔狼だと。
「貴方、少し内密の話があるのだけれど、宜しくて」
「うむ、構わぬぞ。
皆の者下がれ」
お仕事中すいませんね、お爺ちゃんもいるんだしちょっと一息入れてきて下さい。
書類の遅れが出るのは伯爵領での経験で大変なのは知っているけど、こればかりは仕方がないと諦めて欲しい。
「ハッ」
「父上、上の者も」
「なんと上もか、うむ、聞いておったな一時の間周囲の警戒に努めよ」
――コンッ
おお、上に人がいるのは察知してたけど本当に殿下の言ってた影がいるんだ。
ちょっと感動した。
「では手短に、あなた、この紙に記した内容を読んで」
――此方にいるのはカールではなくて入れ替わったラルフである。
陛下に渡した紙には簡潔に今回の入れ替わりについての理由が書かれていると聞いている。
読んでいくにつれて眉間の皺が深くなったり緩められたりと大変な変わりようだ、一瞬だが目を見開いて完全に固まっていた。
一体何を書いたんだろうか王妃様は。
まあ当然だけれども最終的に国王陛下の首がギギギと擬音を発するように傾げられ此方を向かれて俺の顔をマジマジと見つめられた。
なんの冗談かと思われたのだろうな。
でも幾ら見ても見分けがつかないのは王妃様のお墨付きがある。
「は? これは何かの悪戯か。
流石に真実ならば驚きでは済まないが」
「まあ、驚くわよね。
私も驚いたもの、でもこれは本当の事よ」
「他でもない其方の述べた事に偽りはあるまいよ。
目の前にいるのにも関わらず、私が見ても確かに見分けがつかぬ程である事は認めるしかあるまいよ」
本当にすいません、驚かせるつもりも毛頭なければ、この案を出したのは基本的に俺ではありませんので伯爵家へのお咎めはないとは思いますがどうか冷静に判断してください。
ええ、この案は療養中の弟ことカール殿下と王妃様発案ですから。
目をつぶって考えておられるのは判るのだけど、ドキドキする。
「書かれている通りあの公爵を阻むにはこの策が最も有効的なのだろう。
しかし、ううむ」
いえ、そうして悩まれる方が好ましいですよ。
高々辺境にある伯爵家の嫡男、しかも養子に迷惑を掛けるだけの事ですから。
「関係ないとは言わぬが、すまんな、苦労をかけるが宜しく頼む。
以後は王妃と同じく私の事も父と接してくれ。
新たな息子よ」
ええ、貴族として田舎でのんびりしたいのに、内戦から始まって他国と戦争に発展などしたら困りますから関係はありますとも。
「お任せ下さい。
この魔狼の二つ名に懸けて必ずや」
「うむ、その感情を乗せない話し方をする所など本当に判らぬな。
さて、そうなると、誰を付けるかだが、この提案通りがよかろうな。
ハロンゾを呼ぶ、この者は影の長で長年仕えてくれている故に信頼できる」
グヌヌ、スルーされてしまったか、いやこういうのは数回重ねる事が大事。
国王陛下に了承を貰ったら影から一人要員を貸して貰うのは既定の話。
元々王族には一人一人に影を付けているのだが、カール殿下の影は今伯爵領だからね。
陛下が鈴を取り出して鳴らすと一人の男性が天井から忍び込んできた。
「こちらに」
「うむ、ハロンゾ、一人護衛、いや事情を含め理解出来る者を出してもらいたい」
「ハッ」
「ここにおるカールにだが、判るか」
「カール殿下には既に……随分と……雰囲気が変わられたご様子、陛下、この方は」
「まあそう言う事だ、察せ」
「ハッ。
先程も我らの気配を察知されていたご様子でしたが、偶然ではないとすれば間違いなくお強い。
我らとは桁が違いそうで御座います。
中々に面白い体験をさせてもらいました。
例えるならば、時折現れる銀色の毛を持つ狼殿でしょうか。
陛下、我が一族の中でも優秀な者を連れてまいります、侍女でも構いませんか」
「うむ、ハロンゾが推挙するならば男女は問わぬ」
「では、手配してまいりますので、失礼をば……」
おお、消えるように姿を消したよ、魔法との組み合わせか、これは教えを請いたい。
「それと騎士からの護衛だが、事情を知る者を増やしたくないというのも判るが、レフェル家のソニア嬢か。
うーむ近衛兵でなくて良いのか」
「時折訓練も続けたく思います。
であれば事情を知るソニア嬢の方が適任かと」
「うむ、まあソニア嬢も近衛を目指す剣術一筋な変わり者だけあって腕は悪くないか」
「貴方、腕は殆ど意味がありません、どちらかと言えば事の序にソニアを鍛えて貰おうかとおもっておりますのよ」
「何、腕は関係ないのは別として、ソニアを鍛える方だと言うのか」
「下手な護衛を付ければ護衛が守られる側になりましょうし、書かれているかと思いますが実際に王城で敵うものは居ないと思いますわ、国内を見渡しても屈指の強者かと」
いえ、俺よりも母さんの方が強いですから。
伯爵家の順は母さん、俺、父さん。
昨年度の模擬戦ランクですから異論は認めませんよ。
それに世の中には父さんや母さんが認めたっていう人もいるそうだしさ。
「確かに銀狼の教えを受けていれば」
「ええ、その銀狼フランク殿とブレンダ殿の両方からの教えを受けているのですよ。
フランク殿曰く、剣だけで良くて互角、魔法があれば勝負する前に逃げると」
父さんのそれはちょっと意味が違うかもしれません。
稽古に成らないっていって逃げるだけだから。
互角だと言っているけど、やはり技の冴えに関しては父さんの方が鋭いんだけどね。
俺が力と永遠に続く体力で拮抗させているだけだから、ちょっと褒められると照れくさいな。
「なんと、其れほどか」
「本来は王都の王立学院を卒業したら領地で騎士団を率いて親孝行をする所を無理を言って頼み込みましたから、近衛にはなってくれないでしょうけどね」
「それは真に残念だ、私は銀狼殿に憧れていたのでな。
稀に訪れて聞く自慢話も楽しみに聞いておったが、流石に贔屓目にみた誇張が含まれていると思っておったよ」
――コンッ
「ハロンゾか、良いぞ」
「お話し中に失礼を、先程の人選を済ませてまいりました。
この者で御座います」
よくあの高さから降りて音がしないなあ。
近衛じゃないからちょっと室内でやる練習を頼めないかな。
おっと、そんな事を考えている場合じゃないか。
新しく現れたのは……おや若い女性だな。
気配の消し方や現れたかを見ても確かに一流の腕前のようだが、こういうのは秘密厳守という事を考慮して跡取りでも連れてくるかと思ったのだけれど。
「ほう、成程な確かにその者ならば適任だが……まさか自分の娘を担当にするとは思わなかったぞ。
ハロンゾ、これは他意はないのか」
自分の娘さんか。
ある意味跡取りなのかね。
「決して他意は御座いませんぞ。
まあ、色んな事を言い含めるにも適した者と言えば我が娘以外にはおりませなんだが。
これも一族の忠誠の証の立て方の一つかと」
「なるほど色々か、其方達は影故にな」
「は、ご明察頂けたようで有り難く。
殿下に挨拶をせよ」
「はい、私、ハロンゾの娘ヴィオラと申します。
殿下、以後終身に渡りお仕え致しますので如何様にもお使いくださいませ。
体裁もありますので、侍女という立場にてお傍に置いて頂ければと」
色んな事の色ってそっちの色の事ですかね。
如何様にもとか若い子が言う言葉じゃないと思うのだけど、これが影なのかなあ。
「宜しく頼みたい。
だがお願いしたいのは知識の補完だ。
私も知識のみならある程度の人物の情報を持っているが、覚えきれていない場合が多い故判らない時に補佐を頼みたいが可能か」
「城内に出入りする貴族、騎士、商人に至るまで全て把握しております」
「伝える方法は何かあるか」
「はい、声を特定の方にのみ飛ばす術が御座います」
「では何も問題はないな」
「……ハッ」
うむ、これは身を捧げろとでも言われている気がする。
そういうのは合意の上でないと楽しくないからね。
父さん曰く、男は責任を持つべし、だそうだ。
社会勉強だと高級娼館に放り込まれてから語られたのだけど、こうした場所以外でやるなら相手との合意の元で最後まで責任を取るつもりで相手をしろっていうのが伯爵家男子に対する教えだそうだ。
母さんに知られたら色んな意味で死ぬと思うぞって呟いて俺を娼館に置いて帰った姿はちょっと煤けていた。
うん、死にたくない。
その後の惨事は記憶の彼方に封印してある。
せめて恥ずかしくない二つ名を遺すまでは死ねない、いや冗談……だけど。
「そうだな、後は茶だけは拘りがある。
美味しく入れてくれると嬉しい」
「畏まりました」
殿下とお茶の好みが一緒だったのは良かった、あまりそうした趣味や好みを変える訳には行かないからね。
うう、図書館通いとか、今から考えるとちょっと憂鬱かもしれない。
お茶の品質は兎も角として値段だけは伯爵家で飲んでいた時よりも上がるだろうが、それぐらいは許してもらおう。
出来る事なら、森や草原に自生する薬草や香草類を摘んで乾燥させたお茶を飲みたいけれど、王都じゃ無理な望みだろう。
いや、ダメ元で聞いてみるか、影ならその手の薬草に詳しいかもしれない。
香のあるお茶も良い物だ。
その後伯爵家にも連絡要員として数名の影を派遣する事を決めた後は軽い報告になった。
賊からの襲撃に助勢した時の様子。
カール殿下の現在の状態や訓練について。
捉えて事情聴取した賊の顛末。
暗殺者が襲ってきた事。
料理に毒を盛られた一件。
当然この中で食いついたのはカール殿下の現状だったが、まさか手紙の内容が本当で剣と魔法を習っているとは思わなかったらしく、興味を示していた。
やはり私もとか言っていたのは聞かなかった事にする。
そんな暇がないのは机の上を見なくても判る話だからだ。
因みに国王陛下と妃殿下を父、母と呼ぶ事になった原因でもある、殿下との義兄弟の件は黙っていたのだけれど王妃様から明かされて冷や汗を流す羽目になった。
後は襲撃者についての報告だ。
賊に関しては残念ながら毒を飲んで全員が死亡、証拠品も見つからないので例え出身が公爵家の者だとしても追い詰めるだけの要素とはなり得ない。
また料理に関しても毒味役を脅した人物が巧妙に正体を隠していた事と、脅しに使われた家族も遺体で見つかった為に此方も手掛かりにはならなかった。
陛下の方でも調査組織を動かすようだが、期待は出来ないと言われている。
最後に、国王陛下の剣と魔法の腕が見てみたいという要望を出されたが、暴露するような願いをしてどうするのですかと王妃様が却下して一旦その場は解散となった。
そんな訳で。
俺の今後の一番の目的はカール殿下として元気な様子を多くの貴族や官吏に見せる事で、喧伝すると言う程ではないが王太子はカール殿下で決まりだと知らしめる事だ。
退出の挨拶を済ませてカール殿下の部屋に下がる途中。
俺はヴィオラと今後の打ち合わせもしておかないといけないかなと考えながら歩いていた。
王城から王子たち専用の宮殿へと向かうの途中の廊下に面した庭に差し掛かった時にふと鼻をくすぐる匂いを感じた。
「む、この香……まさか」
「カール殿下?」
「いや、この香りは清癒草、爽香草か」
「この先に薬草園があって森や草原でなくても効果が見られるものは栽培しております」
「そうか、薬用として王宮の薬師達が育てているのか」
「はい、殿下も……成程香草茶で御座いますね」
「判るか」
「はい、私共もその道には詳しく」
「当然だろうな、また詳しく聞きたいが、あれは手に入るか」
「大量でなければ問題はないかと」
「ならば頼む」
「畏まりました」
薬草園がある事を失念していた、これで香草茶が飲める。
ブレンドしたりするのも楽しい。
最終手段は飛行して採ってくることだったから助かった。
後で早速頼んだ物を淹れよう。
そんないい気分だったのに。
「ふん、なんだ病弱牛蒡のカールではないか其のまま療養して本でも読んでいるのかと思ったのにな」
いやあ嬉しいなと思っていた気分は一気に急降下する事になった。
この王宮でカール殿下の俺に対してこんな物言いをする人間など数名しか考えられない。
王子専用の宮殿との行き来をする廊下だから出会う事に不思議はないのだが、随分と予想より早い。
其れなりに時間も経っていたから、帰還の話を聞いて向かってきたのかもな。
流石に初顔合わせでは魔力の質も判らないから警戒も出来なかったのだけれど。
何よりも気配が普通過ぎて近づいて来るのも普通の一般官吏かと思ってた。
現れたのは話に聞いていた通りの運動などした事のないような弛んだ体の少年だった。
第二王子クラウス殿下だ、うーむ、正直に言わせて頂くと殿下とか心の中でも付けたくないな。
「相変わらずだなクラウスよ。
語彙が少ない、態度が悪い、そして目も悪くなってしまったか」
「貴様、高々一歳の違いだけで偉そうな、死にそうな人間が王位を継ぐことなどできぬのだ、早々に継承権を放棄して田舎に引っ込むがいい」
しかし、同じスペックに近い筈なのにどうしてこうも見た目が変わるのか。
酷いものだな、傲慢と怠惰の権化のようだ。
カール殿下曰く、豚を殴るのは最終手段と言われているが、それ以外は別段咎められていない。
正直な感想を述べてやればいいですよと勧められた。
うん、今こそあの苦難の日々を送った学問の成果を見せる時だろう。
「何故私が療養から帰還したのか理解もできないか。
悪化したのは目ではないらしい」
「な、なんだとっ、まさか快癒した? 馬鹿な! あの噂が本当だとでも言うのか」
「我が弟は眼も理解力も節穴か。
さて、この会話には意義が無く時間が勿体ない。
無駄な古典でも読み解く方がよほど有意義だ」
「青瓢箪の分際で本を読むしか能がない虫が」
「おや、少しは語彙も増えたか」
白々しいというか、あぁ此奴ももしかしたら毒の件を知っているのか。
だから驚いたんだな。
これが弟だったとか苦労されてますねカール殿下。
伯爵家の身内なら殴って教育している所ですよ。
「ふふん、そうか新し侍女の前だから急に強気になりやがって。
確かに見た目はいいな、おい貴様その女をよこせ。
そこの女此方に来い光栄に思え俺が飼ってやる」
急に冷静になって目付きが怪しくなったと思ったらヴィオラに目を付けたのか。
同じ教育を受けているのか不思議に成程に酷いな。
しかもまだ一四歳でこの色欲、猿か。
その上飼うと言い放つとか、吹き飛ばしたい。
「お断りだ、品性も悪化していたか。
それ以上人間とも思えぬ言葉を発するな、空気が汚れる。
益々王位に相応しくない愚物だな」
「な、な、貴様俺を寄りにも寄って愚物だと、許さん、許さんぞ」
おお、煽ったら手が出てきた、軽く躱せる程度だが。
あれか愚物って言われた事でもあるのかね。
『殿下、以前臣下の者がカール殿下とクラウスを比べて、あの愚物と言ったという噂が城内で流れた事が御座います』
おっ、これが俺にだけ聞こえるという方法か。
魔法の一種と組み合わせているのだろうな、便利なものだ。
まだ此方からは無理だし、感謝を込めて軽く目で頷いておこう。
「くそぉ、この、この」
しかし、カール殿下と比べられたら確かに愚物か。
攻撃も先程から手だけで殴ろうと必死だ、武術を習っていない筈がないのだがどうなっている。
反撃をして殴り飛ばしたいが残念な事に殴る訳にもいくまい。
「避けるんじゃない、当たれこの」
なので軽く自分の力で転がってくれ。
それにしても、本当に酷い攻撃だな。
「拳を振り回すのは自由だが、足元に気を付けねば転ぶぞ」
「うわぁ」
避けるのと同時に体の横をすり抜ける様に立って、見えない速度で足先のみを引っ掛けてよろめかせて、後は触れるようにして体幹を崩してやればいいだけだ。
鍛えてない体など一度体勢が崩れれば脆い。
おお、転がる転がる、泥まみれだな。
「ほら、言ったであろうに。
ではな、テンプス・フーギト・コンスマーブル・ルクスーリア」
「なんだそれは、待て、おいお前! 奴を殴ってでも止めよ、あの見下す様な目付きは許せん」
「フフフ」
「殿下なりませぬ、只でさえ殴りかかった所を見られております。
この事が国王陛下に知られるだけでも拙く、更に部下を使い手を出したとなれば」
「くそ、ふざけるな、青病譚、病弱牛蒡が、避けるだけしか出来ぬ軟弱な者などぉ」
「どうか、どうかお静まり下さいませ」
ギャーギャーと煩い、まるで子供だなあれは。
地面に転がったまま文句を言い続けているが無視。
従者も慌てて手を貸しているのに振り払っている。
少し離れた所に官吏達や貴族も居たから殴りかかった事も噂になるだろう。
下手をすると毎日この少年と顔を合わすのだと思うとちょっと辺境に帰りたくなってきた。
部屋でお茶を飲んで落ち着こう。