ルードルフの狼
一番古い記憶。
それは空の景色。
優しい何かに包まれながら視界を妨げる物の無い大空を凄い速度で進んでいく。
周りの風景が後ろに飛んでいくのに何も怖くないそんな不思議な記憶。
だから俺は時折人目を盗んで空を飛ぶ。
懐かしい何かに出会えるかもしれないと期待して。
俺の名前はラルフ・ルードルフ。
リヒトナ王国の南東にある辺境の地を治めるルードルフ伯爵家の嫡男だ。
但し少し珍しいが養子だ。
父さんと母さんには子供が一人いたが、その子を病で失ってから次に子は授からなかった。
それなりの名家である伯爵家と言えども跡継ぎがいなければその家名は断絶となり路頭に迷う家臣も出るし下手な貴族が後に座れば領民も困る。
だからと言って母さん一筋の父さんが第二婦人を迎えるなんて考えもしなかったそうだ。
しかし家名を絶やし多くの家臣や領民を困らせる訳にもいかないからと、親戚筋の何処からか養子でも貰おうという方針になっていた頃に現れたのが俺だ。
明け方に父さんが鍛錬をしようと庭に出て寝かされていた俺を発見したのだが、俺に何を聞いても話せる筈が無く――まあ赤子なら当然の話だが――終始微笑む俺を取り合えず保護するという話になったというから、人の好さが伺える。
まあそんな訳で俺は正確な年齢は知らない。
恐らく保護された時には一歳を過ぎた位だったのではないかと聞いている。
これが普通の家ならば捨て子か何かだという話だが、発見された場所が伯爵家の城の中となれば話は別だ。
なにせ赤子か単独で迷い込む筈がないし、といって捨て子の為に簡単に忍び込める場所では無い。
突拍子の無い話だとしか思えないのだけれども、それから俺を養子に迎えるとなるまでに然程時間は要さなかったそうだ。
まあ家臣には一応、反対する人も居たそうだ。
その判断は正常だと思う。
でも一応だったらしいよ、どうなってんだろうな伯爵家。
まあ伯爵家が昔から変だったと言う事だけは確かなようだ。
その中で形式だけでも不審に思って反対の意見を出した人は伯爵家にとって大切な常識をもった家臣だと思う、大切にすべきだろう。
伯爵家の当主夫妻が中庭に夜の間に寝かされていた正体不明の子供を伯爵家の養子にして跡取りにするというのだから。
だが、父さんと母さんは正体不明ということですら気にせずに受け入れる浪漫と愛情を持った人達だった。
父さんたちがまず行ったのは捨て子に過分だと思える全力での身元の確認だった。
領内で俺の事を知る人が居ないかを伯爵家の騎士団を使って調べたが誰も知らないという結果。
次に誘拐や失踪の可能性がないかと国内へ問い合わせまでした結果もまさかの該当者無し。
普通なら此処で孤児院行だろう。
しかし父さん達の判断は違った。
様々な調査から身寄りも無い赤ん坊が侵入出来ない中庭に現れたという事は、この子こそ天より子が居ない自分たちへ遣わされた我が子だと夫婦揃って目を輝かせながら言い切ったと家令の爺から聞いている。
まあ、二人といるとニコニコと微笑みかける子供の髪の色が父さんと同じ銀髪で瞳が母さんと同じ碧眼なので、二人の特徴を足したようなのも一つの要因だったのではとは侍女長の証言がある。
その日から俺はフランク父さんとブレンダ母さんの息子ラルフとして愛されて育ってきた。
幼少の頃の黒歴史は封印だ。
父さんからは槍と剣、母さんからは魔法を教わってすくすくと成長した俺は今年で恐らく一五歳。
貴族の習わしで王都に行き、王立学院に入学しなくてはいけない年齢になった。
自然豊かな辺境から王都なんて行きたくないのだけれど、貴族の子息令嬢は学院に通って騎士か魔法師として研鑽を積み国王陛下に忠誠を誓わなければならない。
そうして国王陛下に誓いを立てる事で正式に叙爵してもらって晴れて貴族の一員と認められる。
一応は有事の際や不幸があったりもするので、家督相続が可能な跡取りに数えられているけど、叙爵されるまでは貴族の子供でしか無い。
俺の目的である親孝行をする為にも叙爵はしてもらわないといけない。
だが先程も言ったが王都には行きたくない。
何しろ自由に飛べなくなるし、自然も少ないという話だ、いや大事な事なのでもう一度言おう、飛べなくなるのが一番嫌だ。
母さん曰く、飛行する程の魔力の量と操作が出来るのは珍しい処の話では無いのだとか。
一般的な魔法師で浮くのが精一杯、飛行なんてしたら途中で墜落するのが普通。
それが長時間に渡って飛行していると形容できるとなれば異常だと思われるから王都では飛ぶなよって。
いや、俺の魔法の腕を鍛え上げたのは母さんだし「私も空を飛べるのだし、気持ちいいわよ空」といって勧めたのも母さんだよ。
そんな風に突っ込みを入れたのも懐かしい思い出になりつつあるけど。
「つい、才能があるから面白くてね、反省はちょっとしたけど後悔はしてないわ」
と反省の色の欠片も見えないお言葉を頂いた思い出に塗りつぶされた。
因みに父さんの教えてくれている槍と剣だが、もう俺に教える事は無くなったとぼやいていた。
いや、魔法で身体強化と継続回復をかけて訓練するのが楽しかったから少々やり過ぎただけなんだ。
父さん曰く「お前ならば騎士の筆頭として近衛兵にもなれるだろう」と褒めてくれたけど、俺の目標は領地に帰って来て親孝行する事だ。
だから王都では手を抜く予定だと話した。
基本的な魔法しか使わなければ大丈夫じゃないかと思ってたから。
「魔法無しでやれば父さんと互角ぐらいだし、問題ないよね」って言ったら父さんが崩れ落ちた。
母さんから聞いたら、父さんは領主として代替わりするまで先代の国王に仕える近衛だったのだとか。
実体験で近衛兵になれるって言ってくれてたのか、でもなる気はないよ。
剣もちょっと封印かなあ。
うーん利き腕を使わない訓練もしちゃったし手を抜く方法を考えないとね。
でもさ俺を其処まで鍛え上げたのも父さんだよな。
結構無茶な訓練もしたと思う。
若干五歳の頃に森に連れていかれて魔物退治したのは俺しか居ないと思うよ。
利き腕じゃない腕で戦うのも「二本の剣を使えれば二倍の敵と戦えるだろ」とか今思えば意味が解らない。
「つい、俺を超える才能を見て楽しくて鍛えちゃった、軽々と超えられた事も嬉しく思う事はあっても、後悔はしてないぞ」
似た者夫婦め。
鍛えちゃったじゃないよ全く。
まあ本気を出したら近衛行かあ、うーん領地の騎士団の団長も年だしな、帰って来て騎士団つれて魔物狩りしてた方がいいよやっぱり。
何より隠れてだけど自由に空を飛べるしさ。
おっと、考え事しながら飛んでたから何時の間にか森の切れ目が見えるって事は隣の領地の手前か。
飛びすぎだな、危ない危ない。
お隣の領地は大きな侯爵領だし、何か問題を起こすのは拙い、拙いんだけどなあ……
俺の強化した視界と聴覚には争い合う兵士と剣戟の音が聞こえる。
あれは襲撃を受けてるのか。
侯爵領の街道で馬車を守る護衛と賊との戦闘が繰り広げられていけれど、馬車の家紋は侯爵家のだな。
うーむ、考えなくても此処で恩を売る事になれば伯爵家としては悪くないよな。
よし、ちょっと打算的だと思われても家令の爺曰く、貴族のやり取りってそういうもんだからさ。
恩を売るチャンスは逃がさないでおこう。
「クッ、守れ。賊如きに遅れをとるんじゃないぞ」
「ですが、隊長、こいつら賊のなりはしてますが、剣裁きが賊の腕じゃねえ」
「泣き言は言っておれん、兎に角一人も通すなよ」
うーん索敵に引っ掛かる賊が一〇〇人程か、多いな。
魔法で拾った会話からも、賊の振るう剣や腕をみても確かに賊の素人剣術じゃないな。
野盗じゃなくて傭兵、もしくは正規の訓練を受けていると見ていい。
そもそも三台の馬車に五〇名近い護衛がいるのに襲い掛かっている事が野盗や山賊では在り得ない話だ。
それに襲撃している賊側が弓を多く使う点を考えても人質狙いじゃないって事だろうな。
まずは、魔法による攻撃で弓を扱う奴を狙う。
使う魔法はチェインライトニング、範囲攻撃、発動速度、威力共に問題はない。
奇襲だから詠唱はしない方向でいく、詠唱は単なる魔法発動に必要な想像力を具現化する際の補助に過ぎない、重要なのは想像と魔力の放出だ。
魔法師など魔力に敏感な奴がいれば気付かれる恐れもあるけれど相手は弓兵だ、一気に沈める。
――バリッ
雷光が迸り一瞬で多数の敵へと電撃が襲い掛かる。
「ガハッ」っという呻きにならない断末魔の声を上げて後方から弓を射っていた賊を黙らせた。
恐らく襲撃した事でまさか後方上空から自分たちが襲撃されるとは思ってなかったのだろう。
「くそ、増援がいるのかっ」
「風体を隠し馬車を襲撃している事から賊と見なす、投降するならば命は取らないが」
「邪魔をする者、襲撃を見た者は始末せよ」
「弓兵が倒されている、魔法を使うぞ注意せよ」
「五名程で囲め、魔法に注意しろ」
「ハッ」
「降伏する気は無いって事だな」
三〇人程の弓兵が一気に減っているのに俺に充てるのが五名とか舐められてるなあ。
まあ俺が一人だからかね。
それとも余程腕に自信があるのか。
これでも野盗退治とか魔物退治でしょっちゅう騎士団を率いているんだけどな。
貫禄がないのかもしれない、ぐぬぬ。
まあいいや、こっちに誘き寄せて魔法で倒してもいいけど、馬車の防御も護衛騎士だけじゃ厳しいだろうからさ、俺から行こうか。
「遅いよ、お前ら」
「ナッィッガフ」
身体強化の基礎ぐらいは使って来ないと、乱戦の所に魔法は打ち込めないから普通は身体強化位するでしょうに。
伯爵家基準で言えば新兵に毛が生えた程度のレベルか。
まあ其れならば納得かな。
反応が出来てないし、基礎の身体強化もまだ使えないのが俺に宛がったのか。
と言う事は、そんな判断しか出来ない賊の指揮者も高が知れてるな。
それにだ。
ライトニングを発動。
剣を振るっているからって魔法を使わない訳じゃないんだ。
「ギャッ」
「ギィ」
ゴブリンの叫び声のような悲鳴を上げて頭から倒れていく。
そして躊躇する事で隙が生じてる。
戦いの場で心が怯めば死ぬと言う事だ。
動きが止まった雑魚なんて只の案山子と何も変わらない。
しかも襲撃用に装備しているだろうけど、皮の鎧なんかじゃ、魔力を纏った俺の剣を防ぐのは無理だ。
首筋を切り裂き、頸動脈さえ切断されてしまえばどれだけ生命力があろうとも死を免れる事は出来ない。
残りの二人を一呼吸で仕留めそのままの速度を維持しながら混戦の中へと突っ込む。
俺にとっては判りやすい事に襲撃者側は風体を誤魔化すためのローブを羽織り、護衛側は殆どが騎士で金属製全身鎧を身に着けている。
その装備の差でなんとかここまで凌いでいたのだろうな。
弓の攻撃が無くなった事で少しは余裕が生まれているようだ。
――ザシュッ
騎士と鍔迫り合いになっていた賊を背後から一撃で仕留め次へ向かう。
「助太刀します」
「っ! 忝い」
ここで卑怯な事をとか言わない辺りに好感が持てるな。
偶に何かを履き違えた騎士っていうのはいるし、俺の今の風体がちょっと怪しいのもある。
なにせ飛行の為に風よけにゴーグルとスカーフを巻いているからな。
そんな俺が突然敵の背後に現れて仕留めたので驚いたようだが、これなら名乗っても問題がなさそうだ。
「ルードルフ伯爵家嫡男、ラルフ・ルードルフ。
偶然に居合わせたが賊の襲撃と見て助太刀させて頂く」
「御助勢有り難く」
「指揮者と思われる者と数名を残せば他は」
「切り捨てて頂いて問題は在りません」
「承知」
隊長さんが女性騎士ってことは馬車の中には貴婦人が乗ってるのか。
まあいい、指揮者と数名を捉えるだけで後は切り倒して問題ないのなら身体強化をフルに使って勝負を決めていくか。
先程の名乗りで数名が反応したし、その中に指揮者がいるのは判明している。
こういう時に指揮者が倒れると後は烏合の衆に成り下がる事が多々ある事からも狙うのは指揮者。
――ガンッ
「クッ、突然現れるとは」
「襲撃を企んだ賊にしてはやるね」
目星をつけて攻撃を仕掛けたが、初撃の足を狙った攻撃は防がれた。
逃亡の阻止の為にも傷つけておきたかったが、中々どうして距離があったと言えど反応できるとは、やはり其れなりの訓練を積んでいる証拠だな。
先程倒した新兵もどきとは大きく違う。
「でも、俺の訓練相手に比べれば遥かに格が落ちる、フラッシュ」
「ぐぁ、くそ目を」
「スタンボルト」
「ギャッ」
この人が反応してた中でも特に大きく動揺した一人目。
「クソ、まさか魔法まで使って攻撃するとは卑怯なっ」
「いやいや、その風体で人を襲っておいて卑怯とか」
「ガキがっ生意気な口を」
「知らないが、善悪の判断は間違ってない、よっ」
「グェ」
更に突っ込んできた此奴で二人目。
念のために土魔法で拘束しておく。
先程の相手が倒されているのに実力も劣る癖に何を偉そうにしていたのか不思議だ、上司か何かかもしれない。
この二人目を倒したのが大きかったのだろう、明らかに敵の士気が落ちた。
そこからは出来る限りのフォローに回って梃子摺っているいる騎士の所から助太刀していった。
うーん護衛騎士達も我が家に比べると低くないですかね。
いや、あの父さんが普通の訓練を自領の軍に施す筈がないな。
これが一般的な強さか。
うんいい機会だよな他家の騎士がどんなものか知れる機会だからね。
ちょっとだけ面倒なレベルか、うん覚えた。
其処からは蹂躙に近い勢いで賊を始末していく。
手加減をしても何も得がない。
情けを掛けるのは投降したものだけで十分だ。
だがこいつ等は最後まで抵抗した。
うーむ、ますます普通の賊じゃないなあ。
掃討を終えて。
「御助勢頂いたお陰でなんとか賊を倒しきる事が出来ました、感謝いたします。
先程お名前を伺ったが、貴君がかのルードルフの狼ラルフ殿でしょうか」
俺の二つ名を呼ばないで。
恥ずかしいから、それ。
俺の名前の意味を其のままにした黒歴史なんだよ。
子供の頃に名前の意味を聞いてついつい名乗っただけなの、狼の狼の狼って意味になっちゃうからヤメテ。
何でか知らない、いや知っているけど、二つ名的に気が付いたら広まっていて収集が付かなくなったんだよな。
まさかお隣の領地でもその名前で噂になってたのかよ。
「はあ、一応はその通り名でも呼ばれる事があります」
「おお、王都にまで響くその二つ名を持つ方に御助勢頂けたのは正に僥倖としか言えません。
失礼しました、私は主の護衛隊長をしておりますソニアと申します。
我が主も是非お礼を申したいと述べておりますので宜しいでしょうか」
ちょっと待って、王都まで広がってるの。
誰だよそんな噂を広めたの。
行商人のマックスか、其れとも冒険者のカインか。
いや、もしかしたら噂の根源の父さんの可能性もあるな、やたらと自慢したがるからな俺の事。
「ルードルフ伯爵家ラルフです。
貴人に接する衣服では御座いませんが、それでも宜しければお伺いしましょう」
「なに、こんな場所で御座いますし、何よりも貴殿は恩人で御座いますれば、どうぞ此方へ」
女性騎士であるソニアに先導されて向かったのは護衛されていた馬車。
この惨状だから外に出てと言う訳にもいかないのだろう。
護衛騎士達が総出で遺体の回収作業と賊の遺体の焼却を行う為に動き回っている。
護衛側にも少なくない死者も出たようだ。
「あれは、ちょっと待って貰えますか」
「ふむ、どうしましたか」
どうやら深手を負ったが治療薬も魔法師も足りないのだろうか、怪我人が集められているのに治療されていない様子だ。
息も絶え絶えという状態からして其のままでは命を失ってしまうだろう。
近づいて魔法で治療を施す。
「クリーン、デトックス、ヒーリング」
目の前で失われずに済む命があるなら挨拶よりも優先させて貰おう。
「これで大丈夫ですよ」
怪我を負っていた騎士の表情は安らかになっていて穏やかな呼吸に戻っている。
一命を取り止める事が事が出来たようだ。
「おお、ラルフ殿は回復魔法にも通じておられますか」
「少し此処で治療を続けても」
「宜しければお願いできますか、回復薬も足らず、魔法師も初撃で矢を受けて意識を失った者が多いのです。主にはその旨を伝えてまいりますので」
「わかりました、では暫く此方で治療しましょう」
「宜しくお願いします、おい怪我人を治療してくださるラルフ殿だ失礼の無いようにな」
「ハッ」
「ではラルフ殿失礼をいたす、この者達をお使いくださいませ」
主にこの事を伝えに行ったソニアさんが付けくれた騎士に指示を出そう。
「では、まず重傷者から順に回りましょう、患者を動かすより此方から向かいます」
「案内致します」
生活魔法の一つに数えられるクリーンだが、治療を行う前に使う事で傷口の周囲に付着している汚れ、土埃などを除去する事が出来る。
次にデトックスで傷口から体内に入り込んだ毒を排除しておく、これをしないと後々に膿んでしまったあり腐ってしまう事もあるので傷口の治療には必須だ。
最後に肉体損傷を回復するヒーリング。
軽度な傷ならばキュア、肉体欠損や内臓などの損傷ならリカバーリーヒーリング。
使う魔力量も難易度も違うので用途にあった魔法を選ばないといけない。
手を当てて相手の魔力に弾かれない様に魔法を発動していく。
数十分掛かったが治療が終了した。
治療も終わって周囲の遺体の収容も終え、賊の処分も終えたのか辺りは大分静かになった。
一息ついたし、挨拶に伺おうかとソニアさんを探そうとしたのだが、そこに一人の女性が現れた。
「助勢頂いただけでなく私の護衛達の治療までして貰ったそうですね、貴方の行いに感謝を」
「ラルフ殿、我が主ハイデマリー・ジル・ヨハンナ・フォン・ロートリンゲン妃殿下です」
綺麗で優し気なご婦人だなあ……妃殿下なのか、ん? 妃殿下って国王陛下の妃って意味の妃殿下かっ。
いや今この国で妃殿下っていえばそれ以外にない。
ちょ、幾らなんでも不意打ちだ。
いや、第一王妃様はロートリンゲン侯爵家出身だから何も不思議じゃなかった。
やばい、ゴーグルとマスクを外さないと。
後は跪いて騎士の礼を、落ち着け俺。
「ルードルフ伯爵家嫡男ラルフと申します。
拝謁する栄誉に与り光栄に御座います」
「いえ、こちらが助けられて礼を申す側です、どうか顔を上げて下さい」
「ハッ、ご尊顔を拝す栄誉を頂き恐悦至極」
「フフ、硬いですよ。
ッ、その方の名はラルフと言いましたか……」
「はい」
「ソニア、此処では落着きませんので馬車の中にお招きしてお話ししたいのだけれども構わないかしら」
「警護する者としては頷けませんが、ラルフ殿程の人物ならば此処であろうと何の違いもありません、妃殿下の思召すままに」
俺の後ろでソニアさんが了解を出しちゃったよ。
いや困るんだけど。
貴方が良くても幼気な青年を妃殿下との話し合いに捧げるとは騎士としてどうなのかと思うよ。
俺の部下なら特訓対象だよ。
大体だな、この場合は貴人は馬車の中から礼を告げて、俺なんか叙爵前の人間だし外で拝聴するのが普通じゃないかな、なんで外に連れ出して……ああ、諦めてるのか、そうですか。
まさか人払いまでするとは思ってなかった。
馬車の中は馬車じゃない部屋だった。
凄いな、流石妃殿下用に使われる馬車だけあって普通の物じゃなかった。
魔術による空間の拡張やらなにやらされているのだろう。
応接室だと言われても納得できる程だ。
「紅茶は飲みますか」
「はい、いえお気になさらないで下さい」
「構わないのですよ、これでも侯爵令嬢時代には自分で入れるのが趣味だったのです」
「では有り難く頂き……まさか手ずから入れて頂けるのですか」
「ええ、少々込み入った話をするので侍女は入れられませんしね」
王妃様に直接紅茶を入れて貰ったなんて末代まで誇れるよ。
でも何かに巻き込まれてないか俺。
空の散歩からなんだか急転直下の出来事だよ。
「しかし、銀狼の跡継ぎもまた狼なのですね」
「恥ずかしながら、名の由来が元になっております」
銀狼、父さんの二つ名でちょっとかっこいい。
その二つ名に憧れたお陰でルードルフの狼ラルフなんて意味の二つ名を子供ながらに自称したのはもう黒歴史だ。
「そう、ラルフの名前はご両親が付けたのかしら」
「ええ、そう聞いています」
「見た所、そろそろ王立学院に通う年齢なのかしら」
「はい、今年の秋には王都に向かい入学する予定になっております」
「一つお願いをする事にしたいのですが、貴方は秘密を守れますか」
「王国と両親に害が無い事でしたら」
「では断るにしても他言無用でお願いしますね」
「ハッ」
何をお願いされるのだろうか、所詮は地方の伯爵家の嫡男、しかも養子を捕まえて無理難題は言わないと思うのだけど。
「大丈夫です、寧ろ国に大きな貢献をする事を頼む積りですよ」
国にはと言う事は両親には違うのだろうか。
笑顔ではあるけど、目は何かを決意した強い眼差しだった。
「ラルフのご両親にもご了承頂く必要のある願いなのですけれど、まず貴方に了承を貰わなければ話にもなりません。
国を救うためにどうか私の子、王子と入れ替わっては貰えないでしょうか」
「は? 王子殿下とお、私が入れ替わるのですか。
それが国を救う事になると」
予想を外れてなんてことを頼むかねこの王妃様は。
「簡単に言えば、影武者。
ですが、いえ、お願いをするのですから全て説明しましょう。
王子の養生の為に侯爵領へと今回は帰省しました。
元々が体の強い子では無かったのだけど先月に体調を崩してからの様子を見て、医者にも不審を覚えたの」
それってつまりは毒殺、いや何かの毒か若しくは呪術の可能性があると王妃様はお疑いになったのか。
だが呪術の線は薄いな、王宮の魔法師が全員敵にでもならない限り流石に不可能だろうし、特定はしやすい筈だ。
ステータスにも出てこない蟲術や毒、もしくは鉱毒の類、若しくは薬の種類によれば体を弱らせるだけならば可能か。
過度に塩や水、砂糖など普段口にする物を取らせる事でも人は殺せる。
「事が事だけに知る人間は少なければ少ない程良い事です」
確かに入れ替わるなんて大胆な事を多人数が知るのは宜しくないが。
つか暗殺の話如きでは聞かせても問題ないって話なのだろうか。
「その、王妃様が態々私を選んで話をしたと言う事は外見的に似ていると言う事なのでしょうけれども」
「ええ、身体つきは正直言うと違うのだけど、顔は瓜二つね。
声も力強さが違うけども、喋り方が違うからでしょう。
生みの親の私が間違う自信があるぐらいには似ているわ」
「それ程ならば、確かに王子殿下と入れ替わる事で影武者にはなれましょう、ですが国を救うというのは」
「現王には王妃の私以外にも妃が二人います。
ヘネシー公爵家出身のロヴィーサ第二王妃、オルテガ辺境伯家出身のサラ第三王妃。
サラは私の親友でもあるし、実家も問題はないわ無欲で知られる武断の家でしょ、それに子供も王女のみだから周りも騒がないの。
問題はヘネシー公爵家、二代前の王弟から新たに建てられた公爵家だけど現公爵である先代国王の従兄弟ルードヴィッヒが野心家なの。次の子の代からは侯爵家へと減封されるのは慣例からいっても当然の事だけど、許せないのでしょうね。
ロヴィーサはそんな現公爵が無理矢理に王家に押し込んだ妃なのよ。
まあこの程度の事は普通に王都の宮廷雀が囀っていることだから気にしないでね」
王都怖いな、これが普通に噂されてるとか。
国王陛下に三人の妃殿下がいるのは知っていたけれど、何も問題は無いと思ってた。
いや、三人も奥さんがいたら大変だろうなぐらいに気軽に思ってた。
父さんみたいに尻に敷かれてるとしたらなんてね。
父さんが母さんしか愛す気がないから他に嫁を取らなかったと言ってたけど、国王ともなるとそうもいかなかったのだろうな。
「多くの娘や息子を国内の貴族に嫁がせたり婿入りさせて、自身を大公と自称しているわ。
ルードヴィッヒ公爵の野望、その最後の仕上げが第二王妃に収まったロヴィーサ。
私の息子の第一王子カールを押しのけてロヴィーサの生んだ第二王子クラウスを王位につける事。
彼が善政を行うのならば多少の権力欲を持とうとも問題はないのでしょうけれど、重い税を領民に課して日夜饗宴に浸るような者の血筋がそのまま王位に就くのは阻止しなければ大変な事になるのは目に見えているわ。
残念な事にロヴィーサも第二王子クラウスも聡明ではなく、ルードヴィヒの影響を受けていて傲慢で下の人間を思いやる心を持っていない」
話半分に聞いても酷い状況が伺える。
この人のお願いは何だか叶えてあげたいと思うのだが、謂わば俺が王子を詐称しなくてはならないって事だよな。
うーむ、しかもそうなると親孝行は出来ない気がするぞ。
いや出来ないようなじゃなくて出来なくなるだろう。
「その……自分は王都で叙爵を受けたら親孝行をすると決めていて」
「そうよね、突然に入れ替わりをお願いされても困るわよね」
「何かお力になれるのならと思うのですが……」
「母上、宜しいですか」
ドアの外から声を掛けられた、人払いをされずに近づいてこれて、母上と話されたと言う事からも王子殿下で間違いないだろう。
「カール? どうして此処に……いえ取り合えず入りなさい」
「はい」
そこに居た人物は確かに体格を除けば鏡を覗いたのかと驚くほどに自分と瓜二つの顔だった。
王子殿下とここまで似ているのなら確かに入れ替わりして影武者を頼むのも理解できるよ。
「私達を助けてくれたというかのルードルフの狼ラルフ殿にお礼を述べたくて、っ?」
俺の顔をみて驚かれたか、まあそりゃ同じ顔があれば驚くよね。
「……体調は大丈夫なのですか」
「はい、此方に向かってから空気がよいのでしょうか、以前よりも楽になっております」
「そう、此方に着て正解だったわね。
カール、此方がルードルフの狼殿よ」
やめて、これ以上心の傷を抉らないで。
なんで宮廷で有名なのって父さんしか原因がいない、ちょっと今度本気で魔法を交えて模擬戦しようよ。
「殿下、お初にお目に掛かりますルードルフ伯爵家嫡男ラルフで御座います」
「ラルフ殿、その畏まらないで欲しい、まだ只の王子だし、それに同じ位の年だよね。
カール・アーベル・ヒルデブランド・アウフレヒト、カールと呼んでほしい」
「ハッ、ではいつも通りとはいきませんが、普通にカール殿下と呼ばせて頂きます」
「あら、私にも普通に接してくれた方が好いのだけれど」
「王妃様に普通にと言われましても、その」
「母上、それは無理を頼む何時もの悪い癖ですよ」
「だって王宮じゃないのだもの、硬い言葉遣いなんて相手との距離を取るには有用だけど、決して近づける事にはならないのよ」
親子の会話でもあるのだから不思議ではないけれども、我が家に似た雰囲気になるものなのだな。
一気に空気が変わってなんとも家庭的な感じになった。
「ラルフ殿、何か母上に無茶を言われたりしませんでしたか」
「は、はあ」
「母上、何を頼まれたのですか」
「……内緒よ」
「母上、おおよその検討はついております、正直にお答え下さい」
おお、王子殿下は病弱だと言われていたし、先程の話でもどちらかと言えば内向的なのかと思っていたのに、随分と聡明でいらっしゃるご様子。
しかも田舎の伯爵家の嫡男にも気さくに話しかけてくれる態度からも人柄が判る。
「ふう、ラルフ殿を見たら判るでしょうね。
そこに自分と同じ顔があるのだもの」
「ええ、何となく」
「彼に貴方の影武者をお願いしようとしていたの」
「やはりそうですか。
成程、うーん、体格が私よりもしっかりしているけれど、確かにラルフ殿ならば務めるに不足はないでしょう」
「そうでしょ」
「ですが」
「はい」
「入れ替わると言うのならばまず本人である私の了承を得る事が必要ではありませんか。
入れ替わった後に私が何処でどう過ごすか、ラルフ殿の事をどうするのかなど母上の事です、適当に入れ替わる事だけをお考えでその後の事を考慮されておられないでしょう」
なにか明後日の方向を目指して怒っておられませんかね殿下。
論点が其処じゃない感がありますよ。
「ええ、侯爵家でカールには療養してもらうでしょ、そこで入れ替わってもらって王都に凱旋して元気な姿を見せれば」
「はぁ駄目ですね母上」
「駄目かしら」
「ええ、全くもって。
良いですか、この場合、一番適切なのはこのまま母上は侯爵家へ一旦向かってもらうことです。
そして私とラルフ殿は一台の馬車でルードルフ伯爵家に向かいます。
お礼を述べる為にお送りするという体裁を取れば良いでしょう。
そこでご両親にご了承を得た上で入れ替わり、私は伯爵家でラルフ殿として静養し、ラルフ殿には私の癖を覚えてもらうなどの知識をお渡しする。
その後侯爵家から今回の襲撃に対する礼を述べるための招待としてラルフ殿を侯爵家に招き療養の終了時期に併せて王都へ向かう。
そうですね、その間に王都へと何度か文を送り、気候があった事で以前よりも健康に過ごし、体も丈夫になっていると少しづつ広めるのです。
そして、ラルフ殿は王都の王立学院に向かう年齢でしょうから、そこはご安心を、王家から叙勲に関しては手を回せますので。
このまま私が田舎で静養を続けるとなれば隠し通す必要がでてくるので、お爺様にお仕えされた銀狼ルードルフ伯爵家にお願いできればこれ以上心強い味方は居ないでしょう。
まあ王位なんて継ぐべきものが継げば本流などという問題ではないのですから、そのままラルフ殿の人となりに問題なければ続けてもらうもよし、伯母上辺りから嫁を貰ってもらうのもありですし、いざともなれば叔父上の誰かに譲位するも良しではありませんか」
いやまって下さい。
最後のは頂けないと思います。
それは脅迫的ななにかですかね。
「良い考えね、伯母様辺りの令嬢からお嫁さんをもらってもらえば王位も問題はないのね」
「いえ、もしお引き受けしても王位を継ぐまでにカール殿下が戻らねば別の方にお願いしなければならないでしょう」
「まあ、其の辺りは追々決めれば」
あれ、なにかもう引き受けてる流れになってないかなコレ。
こちらの作品不定期になると思われます。
誤字脱字があるかもしれませんがご容赦を。
宜しくお願いいたします。