第一章 籠の中の鳥 -1-
コンコンッ
「リアーナ」
天使の住まう国、イルバール国宮廷内の地下深くに隠された一つの扉を、青年…セシル=フェルシアが軽くノックする。
暫くすると、ギ…ギ…ギィィ……と重たい音と共に扉が開き、一人の少女がヒョイッと顔を覗かせた。
「セシル、いらっしゃい」
少女―リアーナは、花が綻ぶ様な笑顔で、セシルを中に招き入れた。
「リアーナ、今日はコレ持ってきたんだ」
はいっと渡されたのは、リアーナの好きな真っ赤な薔薇。
リアーナは嬉しそうに受け取ると早速花瓶に活け始めた。
「セシル、いつも来てくれてありがとう」
薔薇を花瓶に活けながら、リアーナは礼を言った。
その嬉しそうな横顔に、セシルはフッと顔を緩ませた。
「いや、リアーナが礼を言う必要は無い。そもそも、リアーナがこんな地下に閉じ込められている自体がおかしいんだしな。お前は、この国の第一皇女…国王の一人娘なのに」
それを聞いて、リアーナは苦笑を漏らした。
彼女はイルバール国第一皇女、王位継承権第一猪子としてこの国に生まれてきた。
そんな彼女が地下に幽閉されているのは、普通に考えればおかしい事この上ないのだ。
「仕方ないの、セシル。私が“紅い翼の子”だから…。それに、王位はセシルが継ぐんだもの。問題なんて無いでしょう?」
リアーナは笑顔で、けれど何処か淋しそうに言った。
セシルは、彼女の翼に視線を移した。
彼女の翼は、燃える様な綺麗な紅色だ。
この国では“紅い翼は死を運ぶ”と言い伝えられてきた。
無論、国の人々は信じては居なかった。
今まで、そのようなものを一度として見たことがなかったからだ。
そう、リアーナが生まれるまでは…こんな噂は誰一人として信じてはしなかった。
彼女が生まれるとき、王の初めての子として国の人々全員が見守っていた。
生まれたその瞬間、国中に歓喜が起きた。
―――しかし、生まれてきた赤子の翼を見た瞬間、一気に静まり返った。
その赤子の翼は、血を啜ったかのような鮮血と同じ紅色だった。
古い言い伝えと全く同じ赤子に、皆恐怖を感じた。
生んだ后さえも、恐怖で叫んだ。
唯一王だけが“私の子”と嬉しそうに赤子を抱き上げていた。
その赤子に恐怖を感じた人々と后は、王にその赤子を始末する様訴えた。
しかし、王は聞き入れなかった。
「わが子を殺せと申すかっ!!」と冷たい視線を人々と后に浴びせた。
けれど、人々の恐怖は薄れるどころか逆に高まってしまい、国が乱れかけてしまった。
王は泣く泣く、その子を地下に幽閉した。
『リアーナ』という名と共に。
「―――仕方ないの。だから、ここに閉じ込めた父様を責めたり、憎んだりなんてしないわ。あの時、父様が護ってくださらなかったら、私今ここにいないもの」
「だけど、やっぱりおかしい。リアーナの翼は…こんなに綺麗なのにな」
リアーナの真紅の翼にそっと手を触れながらセシルは納得がいかないと小さく呟いた。
私の翼を綺麗と言ってくれるのは父様とセシルぐらいね、とリアーナは笑みを零した。
「でも、私が幽閉されたから、セシルと出会えたのよ?」
「―――そうだけどな」
セシルは王の実子ではない。
いわば拾われた子だ。
唯一の王位継承者を泣く泣くとはいえ幽閉してしまい、跡継ぎに困った王が、王位継承者に、と拾ってきたのがセシルだった。
「拾って下さったことには深く感謝してる。だけど、俺は“王”と言う器じゃない」
王にはリアーナがなるべきだ。
セシルはずっとそう思っていた。
「私は、セシルが王になるの嬉しいわよ?」
「どこの誰だか分からない俺がなるのに?」
セシルには拾われる以前の記憶が無い。
どこで生まれ、どのように育ち、どうして捨てられたのか…全て記憶の闇の中に消えていた。
「セシルは“悪い人”じゃないもの。私には分かるわ」
「今の“俺”は、な。昔の“俺”はどうだったか分からない」
「“昔”なんて関係ないわ。大切なのは今、このときを過ごしているあなた自身でしょう?」
セシルの手を両手で包み、優しく微笑むリアーナに、セシルはフ…っと表情を緩めた。
「―――……ありがとう」
「ふふっ、お礼を言うのは私のほうよ。ありがとう、傍にいてくれて」
心底嬉しそうに微笑むリアーナの頭を撫でようとした時
―フェル様ー?!
―こっちにはいらっしゃらないぞ!!
―此方にもいらっしゃいません!!
―何処へ行かれたのだ、皇太子は?!
上のほうが少々煩くなってきた。どうやらセシルを探しているらしい。
「―――セシル、戻ったほうが良さそうよ」
「……そうする。これ以上煩くされたら嫌だし」
渋々といった様子でリアーナの部屋を出るセシルに、リアーナはクスッと笑った。
「リアーナ、また来るから」
「えぇ、待ってるわ」
リアーナの頭を一撫でして、セシルは地下から出て行った。
リアーナは彼の姿が見えなくなるまで見送り、部屋の中に入っていった。
ふと、テーブルに視線を移すと一冊の本が目に入った。
古びたその本は、リアーナが幽閉されて5歳になったある日、母親である王妃が投げて寄越してきた物だった。
当時、まだ書き読みを習い始めたばっかりのリアーナには読めなかったその本。
何気なく本を手に取り、ベッドサイドに座った。
「『紅い翼の物語』…か」
お前の本性を知れ、と母様に怒鳴られながら渡された本よね、とリアーナは何気なくその本を開いた。
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