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饒舌・夏 饒舌シリーズep2  作者: 八束天音
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饒舌・夏 第1話

あつい、あつい、夏の話

 誰もいない廊下を歩いていると、廊下の床を踏む自分の靴音がぺたりぺたりと響いて、なんだか間抜けな気持ちになる。外はセミの声が響いているが、窓を閉めたこの廊下にまでは夏の熱気も攻めて来られないようだった。


 選択教室の集まるこのあたりの廊下は、放課後は特に人気がない。部室のたぐいはこの近くにないし、それ以外の放課後まで残るような熱心な連中は、自分の教室か、さもなければ図書室にでもこもっているからだ。そういう連中は大概静かなもので、遠いグラウンドから野球部の掛け声のようなものが聞こえてくる以外は、気配はない。


 適当な教室を横目で眺めながらいくつか横切っていく。あいつはたいてい、こういう場所なら端の教室に陣取っている、そう考えながら次々と通り過ぎ、そして、見つけた。


「やあ、トワ君」


 教卓の側の机に、行儀悪く腰かけた姿勢の新荷(あらたに)が、にやにやとこちらを向いて、手をひらひらと振った。こいつの行儀の悪さは今更なので、何も言うまい。


「毎日毎日熱心だねえ。トワ君、君、友達はいないのかい? それとも、私との逢瀬を優先したということかな」


 くっくっく、と肩を揺らしながら軽口を叩く新荷に、俺は眉根を寄せた。


「気持ち悪い言い方するな。たんに暇なだけだよ。暇つぶしだ」


「休み時間にともに過ごす友達もいないくらい暇ってことかな。それとも、寸暇を惜しんで私に会いに来たのかな」


「ノーコメントだ。お前のほうこそ毎度毎度、暇人はそっちだろ」


「お前じゃなくて、冬芽ちゃん、だよ。何度言ったらわかるんだろうね、トワ君は。そんな物覚えの悪さで、果たして受験が乗り越えられるのか、私は陰ながら心配でならないよ」


「お生憎だったな。忘れたわけじゃない、わざとだよ。誰が好き好んでそんな恥ずかしい呼び方するんだよ」


「一度くらいいいじゃないか。そして一度言えば案外抵抗感なんてなくなるから以降もさらっと言えるようになるかもしれないな。ぜひ一回試してみてくれよ」


「遠慮させてもらう」


 ため息しか出ない。こいつは俺にエンカウントしたら「からかう」以外のコマンドを持っていないのだろうか。


「おやおや、残念。まあいいか、まだ時間はある、ゆっくりじっくり諦めてもらうとしよう、くっくっく」


 なにやら悪の首領のような笑みを浮かべている。どんな企みだ。


「じっくりだのゆっくりだの言っても、もうおれ高二だぞ。あと一年くらいだろ」


「ふ。甘いねえ。砂糖菓子のようだよ、トワ君。一年だって? 私にとってそれは十分な時間だということを意味するのだよ?」


「こ、こわ……!」


 なにその自信満々な態度。どういう策略を持ってるんだこいつ。


「そうして一年後に、トワ君がそうやって呼んでくれるようになったら、そうだな。記念に私からも、トワ君になにか愉快な呼び名を考えてやるべきかね。何がいい?」


「なんで『愉快な』が前提になってるんだよ」


「『抱腹絶倒』の方がいいかい?」


「普通にまっとうに呼べよ。なんで呼ばれるたび笑うか笑われるかしなくちゃならんのだ」


「そんなのつまらないじゃないか。やはりなにかエンターテイメントな工夫が必要だと」


「人の名前をエンターテイメントにするな……」


 がっくりと肩が落ちる。いつも思うがこいつは、一体俺のことをなんだと思っているんだ。


「ふむん、不満か。残念だな。まあ致し方ない。私としてもトワ君、以外の呼び方は違和感が有るかもしれない。やはり本名というのは大事だな」


「おい。念のため言っておくが『トワ』は俺の本名じゃないからな? というかお前が出会い頭につけたあだ名だろうが。忘れたとは言わせん」


「そうだったかな」


「わざとらしく視線を逸らすな、新荷」


「くっくっく、冗談さ。忘れるなんて、そんなことあるわけないだろう。私の渾身の名作だぞ。トワ君というあだ名が我ながら見事すぎて、君の本名を忘れるレベルだ」


「忘れてるんじゃねーか!」


「冗談だよ、怒鳴るない」


「お前の冗談は冗談かどうかわからん」


「くくく、お褒めに預かり光栄だよ、トワ君」


「なぜ今のを褒め言葉と受け取った」


 そしてこの場面でも俺の本名を言わないのは……多分わざとだろう。言っても仕方ないので突っ込まないでおくが。


「くっくっく、それだからトワ君はすばらしい。適切に察し、適度に返し、そして程よく受け流す、聞き手としてこれ以上の適任はいないね」


 俺の心を読むな。


「オホメニアズカリコウエイだよ、新荷」


「うふふ、謙遜することはないよ。たぐいまれな才能だと言っているのさ。だから私は君と話をするのがこの上なく楽しいんだ。饒舌たる私に、聞き手たるトワ君。最高の組み合わせだと思わないかい?」


「それは誰にとっての最高だ」


「くっくっく、当然、お互いにとって、だ。そうだろう、トワ君?」


 当然という顔そのままで笑う新荷。俺は、悔しいが、言い返すことができない。


「……同意も得ずに勝手に押し付けるな」


「おや、必要だったかな? そいつは失礼。不要だと感じたものでねえ」


「……」


 やはり勝てる気がしない。


「ところでトワ君」


「なんだ」


 にやにやと、いつもの笑顔のまま、あっさりと話を変える新荷に、俺はいつものことなので牽制の意味で(つまりあまり意味もないが)一応、ジトっと睨みながら応える。新荷の方はそれを受けて、いつもどおり全く意に介さない。しれっと、


「宴もたけなわってところで実に残念なお知らせなのだが、時間がそろそろ迫っているようだよ?」


 と告げてきた。「もうそんな時間か?」俺は思わず時計を探してキョロキョロするが、空き教室に時計はない。だが、今までこいつの告げる時間だけは間違っていたことはないので、とりあえず信用して腰を上げた。


「夏になるととたんに日が長くなるから、ついつい時間を見誤りがちだけどね。こんなに外はまだ明るいが、これが春頃ならとっくに日没の頃だよ。教室に置きっぱなしの荷物をとってくることを考えると、そろそろダッシュだ」


「お、おう」


 新荷に言われるまま、教室のドアを開け、廊下に出かけて、ふと振り返る。


「またな」


 いつもの挨拶だ。新荷は俺の言葉に、口の端を釣り上げた。


「うん、また明日、だ。トワ君」


 新荷のなにやら確信を持ったような口調に、一瞬違和感を感じるが、廊下に出て見えた時計の針が示す時間にその違和感も吹き飛んだ。俺は慌てて駆け出した。蝉の声が俺のあとを追うようにひときわ大きくがなり立てた。

第1話です。全8話。完結できるよう頑張ります。

彼女の話について行っていただけると、作者としてこの上なく嬉しいです。

よろしくお願いします。

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