そのいち
ある日のこと。海理、雪、月花がこぞって留守にしたこの日、彩十は広い屋敷に一人きり。それを知らずに哉は屋敷を訪れた。
「あれ? 彩十さんが出るなんて珍しい……いつもは雪か月花が出るのに。……そうか、あの二人確か明日まで旅でしたっけ。忘れていました。しかし長は?」
「お前……海理の予定とか把握しているんじゃなかったのかよ。明日の晩まで仕事で離れているんだよ」
「ああ、そうでしたね。別件で長とは離れていた上に慌ただしかったので、俺とした事が……」
そう言って苦笑いを浮かべる哉に、彩十は呆れてため息を一つ吐いた。
「で、彩十さんは何を?」
「見て分からないのか。留守番だよ。ババ様のせいで外に出たくてもせいぜい庭くらいだし……」
彩十にはとことん過保護な海理は、里の長老であるババ様に頼み、屋敷に一人になる彩十を守るため、あるいは彩十が変な知恵を働かせないようにする為、屋敷から外に出られないように結界を強く張り巡らせたのである。
「まったく、この里で俺を襲うような奴はいないだろ……そんな奴がいたら海理に殺されるの、目に見えて分かっているんだし。危険を感知した奴は通さないようにしているみたいなのはありがたいけど……」
「そうだったんですか。でも、俺入れたんですね。良かった、良かった。……長がいないなら報告も出来ませんね。だったらまた明日に……」
「待ってくれ。俺、かなりと言っていいほど暇なんだ。哉も仕事終わったばかりだから暇なんだろ? 聞きたい事もあるし話し相手にでも」
「まぁ……良いですけど。長からの指示もらうまでは俺も待機していないといけませんし」
あまりの退屈さに話し相手を求めていた彩十からしてみれば、哉の承諾の返事はひどく嬉しい物であった。この数日、会ってもババ様だけの上に彼女は多忙。話し相手にはなれない。
恐らく年齢が近く、同性の哉とは事件以降殆ど二人で話をした事もない。これは絶好の機会である。
「良かった。ほら上がれよ。お茶用意するから」
「いえ、おかまいなく」
*
「それで、俺に聞きたい事って何ですか?」
「里での結婚ってさ……その…………あれが、一般的なのか?」
「結婚……? ああ、そうですね。夜に布団の中で……」
「いい、その先は言わないで良いから」
里で結婚すると言う事。それを決意した晩にまぐわうこと。それは人間である彩十からすれば明らかにおかしなことであった。
「え? 当たり前なんじゃないですか?」
「違うに決まっているだろ!?」
不思議そうに尋ねる哉に、彩十は怒鳴りつけて見せる。その様子を見ても、哉は顔色を一つ変えなかった。
「じゃあ、人間の世界では何が結婚にあたるんですか?」
改めてそう聞かれ、どう答えようかと彩十は悩んだ。思えば自身もきちんとした結婚式を目にした訳ではなかったからだ。
「それはだな……花嫁は白無垢って言うのを着てな。花婿は紋付き袴って言うのを着るんだよ。それでお酒を飲み合う……だった気がする」
「なんだ。彩十さんも全然分かっていないんじゃないですか。ならうちの方が分かりやすいじゃないですか」
「それは……そうだけど……」
よく分かっていない事に彩十は恥ずかしくなりつつも、哉の冷静な良いか絵師に何も反論が出来ずにいた。確かに里の方がはっきりしていて分かりやすい。
しかしそれはあまりにも彩十の中では突拍子すぎるもの。事実を受け入れることを拒絶していた。
「まさか彩十さん、長のお嫁さんになった事はそれで認めるのが嫌だとでも? 人間だから人間としての結婚で認めたいと?」
「はぁ!? そんな事俺は一言も……」
何を思ったのか、哉のその発言に彩十が驚きと呆れを露わにする。しかしそんな事はお構いなしに哉が勝手に話を進めていく。
「そうだったんですね。長にそれを伝えるのも勇気が要りますものね」
「いや、だからただ俺は本当に当たり前なのかを……」
「俺に任せて下さい」
彩十が哉の誤解を解く事が出来なかった。