一章 共同|戦闘《さぎょう》- 004
今までけしてできなかったこと、ここでならやれるのではないだろうかと。自分は三人のヤンキーを相手に戦いを挑む。喧嘩だ、喧嘩をするのだ。だいたい、どんなアニメを見ても、徒党を組んでいるヤンキーというのはザコだと相場が決まっている。まとめてかかっても、主人公にあっさりやられてしまうことが運命づけられている。いわゆる、ヤラレ役である。そうであるなら、ここでさっそうと振り返り立ち向かいさえすれば、これまでの喧嘩ができなかった自分とは完全に決別することができる。
楓はそんな危険な思考状態に陥りつつあった。これは、極限状態におけるある種の現実逃避であるが、今の楓には自分がどれほど危険な考えに陥っているのか理解できていない。というよりも、すでに結論ありきの思考であった。
いざとなったら、楓の決断は早かった。
いきなり、足を止めて行動に出る。右足で大地を踏みしめてその場に踏みとどまり、同時に全体重を乗せた右のストレートを真っ直ぐに突き出す。そこにすぐ後ろに迫って来ていたヤンキーの顔面にクリーンヒットして、一人目をノックアウトする。というのが、楓の脳内における、完璧なシナリオであった。
その完璧なシナリオが破綻をきたしたのは、実行に移したその瞬間からである。
いきなり右足を使って踏みとどまろうとした。ところが、足全体の筋肉が疲れ切ってヘロヘロになっていた。まずは、足首に体重がかかることになるのだが、支え切れずにグニッと変な方向に曲がる。ここに慣性の法則という、何者であろうと逆らうことのできない物理現象が襲いかかる。早い話、すっころんだのだ。
さいわい、貧弱な肉体のおかげで、たいしたスピードは出ていなかった。おかげで、あまり派手にころばなくてすんだのではあるが、右のパンチを繰り出そうと、おかしな具合に体をねじっていたので、倒れた時に受けたダメージはかなりものであった。
転がって仰向けになった楓に足りない三人組が近づいてくる。明らかに馬鹿にしたような笑みを浮かべているが、これは無理もない。この状況で間抜けなのは、間違いなく楓のほうだからだ。
ここで、過去の妄想を引きずっている楓はよりにもよって強気にでる。
「纏めて相手してやる、かかってきやがれ」
普通それは、挑発と言うたぐいの言葉であった。ただ、唐突にすっころんで、仰向けにころがったままの見た目美少女が発した言葉となると、だいぶ意味合いが違ってくる可能性があった。そして、そして足りない三人組は、最初からずっと勘違いし続けていた上に、追いかけてくる間に性欲をマックスパワーにまで増幅させていた。
この場合、楓が言った言葉がいたって普通に喧嘩売っているのだと、とられる可能性は極めて薄かった。
実際、最初に追いついた鼻ピー男がとった行動は、
「最初は俺でたのむぜ」
と言いながら、自分の服を脱ぎ捨てることだった。もし楓が女だったなら、これから何が起きようとしたいるのか、本能的に察することもできただろう。ただ楓は男だった、たとえ見た目は断じて男には見えないとしてもだ。そういう意味合いでの危険を感じることはできなかった。仮に感じたとしても、認めるわけにはいかなかったのだが。
いずれにしても、今の楓は完全に無防備であった。立ち向かう気だけは満々だが、実力の方は、1ミリたりとも伴っていない。このまま体の上に乗られたら、もう相手のなすがまま、好き勝手に欲望の捌け口として使われるだけだ。
もっとも、さすがにその途中で、性別が判明することになるだろうから、それ次第で運命は多少異なったものとなる可能性はあるが。
上半身裸になった鼻ピー男が、楓の上に跨って、シャツに手を掛けようとした時だった。男の体がいきなり宙に浮かび上がる。楓は追い詰められた自分が、何か超常的な力に目覚めたのかと思ったが、もちろんそんなはずはなかった。150センチほどの、小柄なかなりの美少女が、左腕一本で軽々と鼻ピー男の首をつかんで吊るし上げている。苦しそうにもがいてはいたが、長い時間ではなかった。結局一言も発することができぬまま、ぐったりとして動かなくなる。美少女は、動かなくなった鼻ピー男の体を無造作に投げ捨てる。
5メートルほど先の地面の上に落ちて動かなくなったが、生きているのか死んでいるのかまではわからなかった。ただ、今の楓にとっては、そんなことどうでもよかったのだが。今、鼻ピー男に起こった運命が、次は自分の身に起ころうとしていたのだから。
さてどうしたものか、と考える。とはいっても、逃げようとはついぞ思わなかった。
目の前の美しいモンスターに見とれていたこともあるが、さっきから続いている、なんの根拠もない強気のテンションがなくなったわけではないからだ。
「おい、化け物、かかってこい」
楓は速攻で喧嘩を売った。
さすがにこれは、無謀とかいう言葉で表現できるレベルを超えている。普通に考えて自殺するにあたっての遺言に等しい。
足りない三人組は、楓の言葉を全く別の意味として受け止めたが、目の前の美しきモンスターは果たしてどう受け止めるのだろうか……。
「イザナミを知っているか?」
美しきモンスターは、楓の事情などまったく歯牙にもかけていないらしく、楓の挑発は完全に無視する形で、まったく意味不明な質問をしてきた。
楓は無視されたことを無視して、不敵なと本人は思っている素敵な笑みを浮かべて、精一杯の余裕を見せながらゆっくりと立ち上がる。
そして、コントローラーを握りしめたままの右手をビシッと突き出し言い放つ。
「質問するときには、まず先に名乗るのが礼儀と言うものだ」