色を失った世界。
壊れた世界の真ん中で、私は立っていた。
たたずんでいた。
全ての世界が、壊れた。
私の中で、色を失い、やがで、無に帰す……。
何をしたいのかが分からない。
何をどうしたらいいのかわからない。
動いても、この世界から抜け出すことはできない。
だから、いつからか、私はあきらめてしまったのだ。
この世界から、抜け出すことを。
色を失った世界から、抜け出すことを……。
別に誰かを待っているわけじゃなかった。
もう、ここから抜け出そうとも思わなかった。
ただ、立ったり、座ったりしていた。
当たり前にすぎていく時間の中で、周りに沢山いた私みたいな人はどんどん前に進んで、私はそんな人たちを横目に"また、一人いなくなった"と思っていた。
そして、今……。
私は一人。
一人でいることが当たり前で、壊れた世界にいるのも当たり前で、世界がモノクロなのも当たり前なのだと思っていた。
セピアではなく、無機質な、白、黒、灰色の世界。
ああ、でも、ここに綺麗な白はない。
それだけは訂正しなくてはならなくなるだろう。
私に手を差し伸べる人もいなかった。
私があまりにもそこから動かないから、みんな私を像か、石くらいにしか思ってないんだろう。
いや、そもそも他人なんて気にしていないのか。
多分……後者だ。
みんな、自分が生きていくことで精一杯なのだ。
他人に目を向ける余裕がある人なんて少ない。
私は、余裕があるんじゃなくて、あきらめてしまっただけ。
だから、周りの人々の傍観者として、今、ココに生きる。
……どうやって、この体は動かすんだっけ?
鉛のように重くなったこの体。
いつの間にか、体は"子供"から"大人"になっていた。
時は流れている。
イヤと言うほど、実感する……。
綺麗なウソを覚え、身の纏い、汚れきった体は、その手に、何も残してはいなかった。
昔は、その小さな手に抱えきれないほどの輝くものを持っていたというのに……。
……この足は、どうやって動かすんだっけ……?
もう、長らく"一歩踏み出す"と言うことをしていない。
手をめいいっぱい伸ばすことも忘れてしまった。
だから、腕の上げ方も忘れてしまったのだ。
「松崎!」
いきなり私の腕は誰かに持ち上げられ、その反動で私の体が傾いた。
誰だろう……?ぼんやりそんなことを考えながら見上げた先にあった顔は、まったく普段、話をしないような男子だった。
その顔には、生えてきたばかりであろう髭がそられた後が少し残っている。
「……誰……?」
私の蚊のような呟きを聞き取ったらしき男子は、あきれた顔をした。
「……同じクラスの男子の顔くらい、覚えろよ。」
……だって、誰とも話さないもの……先生の顔もおぼろげだし、名前もいまいち覚えてない。
そう、心の中でつぶやいてから、私は「ごめん……。」と小さく、つぶやいた。
「まぁいいけどさ……それよりか、俺ら、同じ委員会だろ?」
私が、は?と言う顔をすると、その男子はさらにあきれた顔をした。
「……お前、何のために風紀委員になったんだ?」
「誰も……やりたがらないから。」
ちょうどいいと思ったから……それに、私は傍観者だから、本当にちょうどいいと思ったのだ。
でも、こんな私とは別次元に住んでいそうな男子が一緒だったとは、驚きだ。
きっと、別次元すぎて私の目に入りもしなかったんだと思う。
「……あきれた。確かにここの風紀委員は厳しくて評判だし、誰もやりたがらないけどな。同じ委員会のヤツの名前くらい、覚えようぜ?俺、栗原 光喜。で、用事は……委員会、今日昼、集まるって言ったのに、聞いてなかったらしき松崎がボーっと座ってたってわけだ。」
……ああ、そういや、誰かがそんなことを言っていたような気がする。
でも、誰だっけ?
多分彼なのだろう。
「……ごめん……。」
すると、その男子はため息をついた。
頭を抑えている。
頭痛でもするんだろうか?
「……お前、暗すぎ!こえーよ。」
「……ごめん。」
私はもう一度謝って席からゆらりと立ち上がった。
立ってみてびっくりした。
私はそんなに背の低いほうではないけれど、彼の身長は私より高かった。
初めて、私は"私ではないもの"と、私を比べた。
彼の身長だって、そこまで高いわけではないだろう。
だけど、"私"よりは高かったのだ。
"私ではないもの"と私を比べたのはいつだっただろう?
小学生のころ以来だろうか?
その時は、男子はみんな私たち女子よりか背が低かったというのに。
「……下、向くのやめたら?」
そう言われて、顔を上げた。
隣に、彼が歩いていた。
私と歩幅をあわせて歩いてくれているのか、私が早歩きをすることもなく、特に疲れることも、いきなり彼との距離ができることもなかった。
……変なヤツもいるものだ。
こんな私をかまう、なんて……。
「……うん……。」
頷くと、彼は少しだけ笑った。
何がおかしかったのかは、私には分からないけれど、私に無関心な人たちの中で過ごしていた私にとっては、一厘だけ、目の前に小さな花が咲いたみたいだった。
「あ、そうそう、俺、字書くの、苦手なんだわ。きたねーから。だから、メモとかは頼むよ。」
「……わかった……。」
私は渡されたノートを抱きかかえると、呼ばれた部屋に行き、席に着いた。
当然ながら、彼も同じクラスと言うことで私の隣に座り、私は、こんな変わった人間が私の隣に今まで座っていたのかと、観察してしまった。
「……何?」
ジロジロ見ていたので、不審に思われたのだろう。
顔をしかめた彼が、私を見返してきた。
「いや、私とは、別世界の人間だな……と。」
「……はぁ?別世界も、クソもある?」
「……ある……。」
「おまえ、意味わかんねーな。」
「……よく、言われる。」
すると、彼はまたふと笑って「変なヤツ。」と言った。
何が、おかしいんだろう?
私からすると、変なヤツは、君の事で、君は、よく笑う人間なのだと分かった。
「……変なヤツは、君……私、話しかけられても、すぐ、会話が終わる。」
と、私が言うと、「そりゃ、お前が怖いからだろ。」と真面目な顔でかえされた。
「怖い……?」
「怖い。」
「ふむ……。」
そういって私が自分の顔を触ると、彼は噴出して、「本当に変なヤツ」と言った。
ノートは、何ページか私の字で書き連ねてあった。
……私、ちゃんとメモなんか取っていたんだ。
モノクロの世界で、緑の板に書き連ねられた白い文字を、白に何本か線が入っている紙に黒い字で書き写すという行動は、常に無意識に行われていた。
いや、意識的に行っていたのだろうけど、その書き写した内容を、私は深く考えるでもなく、ただ、パソコンがコピーした文章をもう一回貼り付けするように覚えていっただけなのだ。
その何ページかの中で、私の文字ではない字を見つけた。
とても、綺麗だった。
……でも、風紀委員で、このノートを使うのは……私は隣に座っている男子の顔をもう一度見た。
彼は始まった委員長の話に耳を傾けていた。
委員会が終わると、私は誰に言うでもなくつぶやいた。
「……うそつき。」
すると、隣で伸びをしていた男子が私を見た。
「ん?」
私は、さっきの言葉をもう一度繰り返した。
「……うそつき。」
「何が?」
「……字、私より綺麗……。」
「あ~……ばれたか。」
私がノートを見せると、特にしまったとも思っていないような顔で、彼は、ちょっとだけ笑った。
「……めんどくさいなら、そう言えばいい。下手なウソ、つかないほうがいい。」
私みたいに、汚くなるよ。
そう言おうとした時、彼は苦笑して、「ごめんごめん、話すきっかけがほしかったんだって。許せよ。」と言った。
「……話す、きっかけ?」
「だって、松崎、ずっと仏頂面してるし。」
「してない……仏頂面って言うのは、不平、不満などがあるときの顔つきで、機嫌が悪いときの事を指してる……私、別に機嫌悪くない……。」
そういうと、彼はちょっと驚いた顔をしてから「周りからはしてるように見えるんだって。つーか、松崎の脳みそ、まるで辞書みたいだな!」と笑った。
辞書……それは、灰色の世界で、意味もなさなかったただ、そこにあるもの。
言葉の意味を知るための道具……。
でも、それを、彼は、面白いと笑う。
なぜかは理解できないけど、笑う。
もしかしたら、今私は……カラフルな世界の住人を目の前にしているのかもしれない。
モノクロな世界の住人にとって、彼は……異なるもの。
理解ができなくて、ただ、首をかしげることしかできないけど、彼は何故私の相手をしてくれるのだろう。
やっぱり、わからない。
理解が、できない。
それから何日かして、よく話しかけられるようになって、私からも話したりした。
モノクロの世界は、カラフルな生命体が来たことで、形を失っていった。
私は、モノクロの世界で歩き出せるようになり、でも、カラフルな部分を踏んで歩くことはできなかった。
できない。
私は、カラフルな世界の住人ではないから、ここから先には進めない。
壊れた世界から抜け出せない。
私が、新しい気持ちを知るまでは。
壊れた世界は色づいて、やがて、私の周り、半径一メートルしかモノクロの世界はなくなってしまった。
私は、また、その場に座り込んで、動けなくなってしまった。
怖い。
変わることは、今の自分をなくすということとなりそうで。
怖い。
変わることは、モノクロの自分が死ぬってことだと、分かると。
変わることが、怖い。
そして、変えようとする彼もまた、怖い……。
モノクロが当たり前だった私にとって、モノクロの世界は私の全て、私の世界。
その世界もやがて、カラフルに変えられて、私は、カラフルの世界には踏み出せない。
怖い。
今の自分が死ぬということは、今の自分が、周りみたいに消滅するということだと。
だけど、ひょんなことで知るものだ。
私は、もう、モノクロの住人じゃない。
触れた手の暖かさが、同じ人間だと、語っていた。
はじめから。
私の世界は、もう、モノクロなんかではなかった。
夕暮れ、窓際のカーテンが風に舞い上がるのを見つめながら、世界は光で満ち溢れていたと、知った。
「なんだ、松崎じゃん、まだ残ってたのか?」
彼が、教えてくれた。
「……残ってちゃいけないなんて聞いてない。」
―――さよなら。
―――今までの私……。
紅の光は、過去の私を燃やした。