第一話
「名前は?」
駅員室の落とし物コーナーで、若手の駅員さんがそう聞いた。
「秋山青詩です」
目を合わせない駅員さんの顔を眺めながら返事する。五月の駅員室は、冷房がまだ効いていなくて汗ばむように蒸し暑かった。
「身分証は?」
駅員さんは重ねて聞く。
「全部、鞄の中です」
隣町にある図書館からの帰り、学生証と保険証とお財布が入ってる通学鞄を肩から下ろし、電車で眠りこけてた。
発車サイレンに飛び起きた。焦って降りて、改札口で交通系のICカードが入った財布を取り出そうとして初めて、リュックごと車内に忘れて来たことに気がついた。
「じゃあ、名前の漢字と生年月日と住所ここに書いて」
差し出された紙の上部には、受領証と印字されている。一緒に渡された細いボールペンで、ゴリゴリ記入していく。
その間に駅員さんは扉の向こうに消えて、再度現れた。手には僕のリュックを携えている。
サイドに赤いラインが入ったその黒いリュックを手に、駅員さんは言う。
「本人確認のために、開けさせてもらうね。ほんとはさっき、一応開けさせてもらったんだけどね」
持ち主の見当たらない荷物は、安全を確認しなきゃいけないから、と駅員さんは律儀に説明してくれる。
「学生証見ていい? あと本人確認のため、他に何入ってる?」
「学生証は、リュックの背中側ポケットに入ってます。お財布は手前のポケット。国語と数学の教科書、ノート4冊に、あと、キャベツひと玉」
「よくそれで返してもらったな」
下宿先に帰ると、リビングで将棋の対戦を観ていた岩田さんはガハガハ笑った。
岩田さんはこの下宿人の家主さんで、気のいいおじさんだ。最近将棋にハマったらしく、練習がしたいとよく僕を将棋に誘ってくる。気はいいけど、怒ると怖い。元刑事らしく、怒ったときの目の据わり方はやばい。
「そりゃ証言どおり、キャベツ入ってたし」
言いながら、リュックからキャベツひと玉を取り出し、冷蔵庫の野菜室にしまう。
忘れ物コーナーで駅員さんからリュックを受け取り、駅前から自転車を走らせ帰ってきた。
夏がそこまで来ている五月。若葉の色が青空に映える、一番好きな季節が来た。
駅前から徒歩十分のこの一軒家は、窓を開けるだけで清々しい風が吹き抜けている。
襟を摘んで、自転車を漕いで汗ばんだシャツに風を通す。まだギリギリ、冷房はいらないぐらい。
「なんでキャベツ」
岩田さんが首を傾げる。
「田中さんが最近背中痛いって言ってたし」
ああ。と岩田さんは片眉をあげた。田中さんは賄いつきのこの下宿で、食事作りをしてくれてる人。
多分もうすぐ七十代かと思うけど、毎日筋トレをかかさない大らかなおばちゃんだ。多分喧嘩をしたら、僕のほうが負ける。
そんな田中さんが背中が痛いと溢していたので、キャベツぐらいはと代わりに買って来た。図書館の帰りに買えばよかったのに、先にキャベツを買ったらカバンが重たくて、それで電車で肩から下ろしたのが運の尽きだ。まあでもキャベツが入ってなければ、僕のリュックだって証明が難しかったかもしれない。
キャベツを買った領収書は、青、とだけ書いてリビングの領収書入れの箱につっこんだ。あとで岩田さんが精算してくれる。
「ソラは?」
同じ下宿人の空がもう帰ってきているのか岩田さんに聞いた。
「まだ。今日はサッカーして帰ってくるって言っとったぞ」
「ふーん」
ソラは僕と同じ中学校に通う、岩田家の下宿人だ。同い年で、サッカーが大好きで、朝は早くから土手で走り込みをするぐらい、真面目なやつ。
出会ったのはふた月前。僕のほうが早く下宿で暮らしいて、ソラは三月の桜が咲くか咲かないかの頃にやってきた。
「全寮制あるとこ私立しかなくて。この下宿が空いててほんとに良かった」
そうとだけ言って、あの日ソラはよろしくと笑った。
うちの学校は中高一貫の公立校で、サッカー部が特に強い。Jリーグの元選手が顧問をしているらしくて、入部が選抜制になるぐらい人気が高かった。
中学じゃ絶対にサッカーをするとんだと、下宿に来たばかりのソラはとんでもない気合いで、入学式早々にサッカー部の入部テストに受かったときは、下宿のみんなで、ソラの大好きな唐揚げ祭りをした。
二階に上がろうとしたところ、岩田さんから声がかかる。
「そうだ青詩、新しく下宿人増えるぞ」
「え」
思い切り顔を顰めて岩田さんを振り返った。
「個室だと思ってたけど、もしかしてその人個室使う?」
二階には、二段ベッドがある二人部屋と、ベッドが一つの一人部屋がある。
今まで、二段ベッドの部屋をソラが一人で、一人部屋を僕が使っていた。
「狭い家なんだ、文句言うな」
岩田さんが肩をすくめた。
せっかく個室を満喫していたのに。
残念。
僕も肩をすくめ返した。
土曜日。
田中さんとソラと駅前のスーパーで待ち合わせをした。歓迎パーティの買い出し兼、五人分の三日分の食料の買い出しだ。
午前中で授業は終わり、中学校からソラと自転車を走らせた。駅前のスーパーの駐輪場に停める。ソラはせっかくだからと部活を休んだ。
田中さんはスーパーの入り口側のベンチに腰掛け、僕たちを待っていた。
「田中さん、お待たせー」
ソラが声をかけると、田中さんは僕たちに気づいて微笑む。日差しが強くなってきたからか、今日は帽子をかぶっている。
「おかえりー。お二人さん。買い出し手伝ってくれてありがとね」
「全然だよー、青詩も俺も自転車だし、カゴにもいっぱい乗っけられるよー」
ソラはふわふわと笑いカートに買い物カゴを上下に二つ乗せる。
「新しい人、アレルギーとかあるのかなあ」
左右に色とりどりの野菜が並ぶコーナーで、カートを押しながらソラが言う。
「アレルギーだけは聞いてくださいよって岩田さんに言ったんだけどねぇ」
田中さんは古い型の携帯を取り出した。大きな文字がでる画面を開いて、閉じる。
「まだ返事ないわねぇ」
田中さんは困ったように言い、「一応、下宿の申込書には、特になしってあったらしいから、色々作っとけば何かしら食べれるでしょ」と続けた。
「僕、レタスちぎって、コーン乗せる」
僕はそう言って、レタスひと玉に手を伸ばす。淡路島産だって。それだけでおいしそう。
「俺、ウィンナー焼ける! 取ってこよ!」
ソラはそう言って、カートを僕に託して売り場の角を曲がっていった。
田中さんはじゅがいもとにんじんのコーナーで物色している。いつも温和な田中さんだけど、スーパーで生鮮食品を買うときだけは、熟練の鑑定士みたいな目つきをする。
「そういや新しい下宿人って僕たちと同いぐらい?」
田中さんは僕を振り返って言った。手には厳選されたであろうじゃがいもとにんじんが握られている。
「ううん、高校生よ。青詩くんたちにとってはお兄ちゃんね」
「高校生かあ、大人だ」
高校生。高校生なんて大人と変わらない。
怖い人じゃないといいなあ。
まあ、怖い人でも、岩田さんより怖いことはないだろう。多分。
そう思いながら、数歩先を行く田中さんのうしろをカートで追いかけた。




