序章:定義された宇宙
宇宙が始まったとき、そこにあったのは爆発ではなく、一連の「宣言文」だった。 「光あれ(Let there be light)」——。これは比喩ではない。最古のプログラミング言語による、宇宙という名の巨大なシミュレーターの初期化コマンドである。この原初のコードは、真空の静寂を切り裂き、エネルギーの波形を規定し、時間という名のクロック信号を刻み始めた。
現代の量子物理学者が、この世界の最小単位が粒子ではなく「情報」であることを突き止めるより遥か昔、古代の賢者たちはその真実を肌で知っていた。この世界は記述された通りに振る舞い、記述されていないことは存在すらできない。万物は巨大な論理構造の上に浮かぶ一時的なレンダリング結果に過ぎないのだ。
だが、完璧なコードなどこの世には存在しない。神々という名のプログラマーたちが、宇宙という巨大プロジェクトを一応の「完成」と見なしてログ・アウトしたとき、システムには膨大な「仕様という名の不条理」が放置された。それが我々の呼ぶ物理法則であり、逃れられぬ宿命という名のハードコードされた制約である。
そして、その仕様書の断片が、一冊の「辞書」という物理的デバイスの体裁をとって歴史の表舞台に現れるとき、世界の理は一人の人間の指先によって、あまりにも容易く書き換えられることになる。これは、言葉によって現実をハックし、世界のOSを書き換えようとした者たちの、数奇にして壮絶な記録である。




