死すらふたりを分かたない ~虐げられるのは終わり。もう何一つ奪わせない~
ラウレンツ・オスヴァルトは私の自慢の婚約者でした。
文武両道で、人当たりも良く、穏やかな性格。
普段はややのんびりしている所があるのですが、剣を振るう時の身のこなしは素早く、また非常に察しの良い、頭が切れる人物でした。
私が幼い頃……まだ我が家に義母妹がやってくる前。
血の繋がった母がいた頃に、彼との婚約は決まったものでした。
政略的な婚約でしたが、共に時を重ねる内に私達は惹かれ合っていきました。
それから程なくして……母は病で亡くなりましたが、その時の彼は共に胸を痛め、私の心に寄り添ってくれました。
母の葬式後すぐに、父は新しい女性とその連れ子を我が家の一員として招きました。
父は母と折り合いが悪かったですし、時期を考えても恐らく、母の生前からの浮気相手だったのでしょう。
父は義母と義妹を愛し、私の事は無視するようになりました。
「早く大人になりたいな」
ある日、ラウレンツが言いました。
オスヴァルト侯爵邸の芝生に咲いた野花を私が踏まないように手を引きながら。
私は彼に腕を引かれながら野花を飛び越えます。
しかし私は着地に失敗しふらついてしまう。
それをラウレンツが抱きとめてくれました。
「そうしたら……君に辛い思いをさせずにすむ。君を苦しめるあの家から連れ出してあげられるのに」
我が家は伯爵家。
オスヴァルト侯爵家よりも低い地位にありましたが、それだけでは他所の家に口出しする理由には成り得ません。
当時のラウレンツはまだ子供ですからそもそも発言力などありませんでしたし、仮令彼のご両親であったとしても、口出しできる案件ではありませんでした。
それをラウレンツは理解していたからこそ、私を生家から引き離すに最も手っ取り早い方法として、婚姻を望んでいました。
「……ありがとう、ラウレンツ。でも私、平気よ」
「ユリアーナ」
「やせ我慢じゃないの。家での生活は確かに辛いけれど、未来で貴方のお嫁さんになれるって思えば、いくらでも耐えられるのよ」
家で義妹は事あるごとに私へありもしない罪を擦り付けました。
それを聞いた義母は私を打ち、それを見た使用人ですら私を冷遇しました。
父は全てを知っているはずなのに一切口を挟みません。
そんな環境でも、私が前を向いて生きる事ができていたのは、ラウレンツが傍に居続けてくれていたからです。
「ユリアーナ……」
心配いらない、と主張したつもりだったのに、ラウレンツは悲しそうな顔をします。
それから彼は私を抱きしめたまま、優しく頭を撫でてくれました。
「両親には話を付けておくよ。互いに成人したら、すぐにでも婚姻を交わせるように」
「ありがとう、ラウレンツ」
しかしこの約束は叶いませんでした。
成人を向かえる一年前。
私の体を原因不明の病が襲いました。
病は着実に私の体を蝕んでいき、心臓を握られているかのような痛みと苦しさに苛まれるようになります。
成人を迎える頃、私の体は最も弱っていて……いつ命を落としてもおかしくはない時期でした。
ですから勿論、籍を入れるだとかそのような話が出来る状態ではありませんでした。
幸い、その後すぐに私の容態は良くなりました。
けれどそんな私と入れ替わるようにして、今度はラウレンツが同様の病に罹ってしまったのです。
「ユリアーナのせいじゃないよ」
麗らかな日差しの下、オスヴァルト侯爵邸の庭園で二人きりの時間を過ごしている時。
ラウレンツはそう言いました。
「でも」
「君の病が人に移るものなら、君の家族や、看病をしていた使用人が罹っていないのはおかしい。現に俺の周りの人達だって誰一人同じ病に罹ってはいない」
ラウレンツは私の見舞いに何度も訪れてくれていました。
苦しくて、意識が混濁している時も手を握り、優しく声を掛け続けてくれたのです。
ですからその際に彼に病を移してしまったのでは……と私が自分を責めている事に、ラウレンツは目敏く気付いたのでした。
「それに、俺は君より丈夫だから、猶予はまだある。治療法が見つかるかもしれないし、君のように急によくなるかもしれない」
何故かあまりに楽観的な彼の言葉に異を唱えたくなるのですが、本人が信じている未来を他人が否定する事など、出来る訳もありませんでした。
彼は普段と変わらないように呑気に振舞っていますが、その裏で痛みに苛まれている事は、この病の苦しみを身を以て知った私だからこそよくわかっていました。
私はラウレンツを抱きしめました。
彼の胸の中に顔を埋めます。
「泣かないで、ユリアーナ」
懸命に声を押し殺すのですが、それは無駄でした。
私の涙に気付いたラウレンツは私の頭を優しく撫でます。
その手がとても優しくて、余計に彼を失いたくないという気持ちが溢れて、私は涙を止める事が出来ないのでした。
雪が降るようになった季節。
オスヴァルト侯爵邸を訪れた私はラウレンツが先客の対応をしていると聞かされ、客室へ案内されます。
しかしその途中、廊下で真剣な面持ちのラウレンツの姿を見つけました。
彼は向かい合って立つ男性と何やら話し合っていました。
ラウレンツと話すお相手の事も、私は存じ上げていました。
ギュンター・パウルゼン公爵。
若くして公爵を継いだ、天才と謳われるお人でした。
私やラウレンツが通う、王立魔法学園の学生であり、ラウレンツの親しい友でもありました。
ギュンター様が天才と呼ばれる所以は若くして公爵の席に着いた事の他に、魔法に於いて研究者が顔負けすると言われる程、類まれなる技術と見識をお持ちだという事にありました。
彼は犯罪に用いられる魔法の解明を主な研究課題としているので、国へ大きく貢献しているという点でも評価されていたのでしょう。
そんな彼とラウレンツが何とも難しそうな顔をしていたので、私はお邪魔をするのに気が引けてしまい、一礼だけして別室で待とうと考えます。
しかし近くまで寄り、私の存在に二人が気付いた時。
「あれ、ユリアーナ」
ラウレンツ様が私を呼び止めました。
「こんにちは、ラウレンツ。ギュンター様も、ご機嫌よう」
「ああ」
ギュンター様からは短い返事だけがありました。
彼は元々寡黙で、気難しい人物だと言われていたし、私もそのように認識していたのでこの反応も特段気に留める事でもありません。
「いけない。もうそんな時間か……まあ、そういう事だ。ギュンター、帰ってくれ」
「おい、呼びつけたのはお前のはずだが?」
「君の時間より愛しの婚約者との時間を優先するのは当然の事だ。君もさっさと相手を見つければ分かるだろうよ」
「仮に出来たとして、お前程間抜けになるような奴の方が少ないだろう」
「あ、あの……お邪魔でしたら、私は別室で待っていますよ」
「いや、気にしないでくれ。たった今終わったからね」
ギュンター様は不服そうにしているというのに、ラウレンツは無理矢理話を切り上げようとしていました。
「……まあいい。こちらだって執務に戻らなければならないのだからな。失礼する」
「ああ。じゃあ、また一週間後に」
一方のギュンター様も、眉根を寄せてはいるものの、ラウレンツの言葉に従う事にしたようです。
彼は最後に私を一瞥してから足早にその場を去っていきました。
「……よかったの?」
「ああ、うん。彼とは普段からあんな感じだしね」
確かに、ラウレンツとギュンター様は傍から見ていても随分気心知れた仲のように見えます。
……と言えば、恐らくギュンター様は嫌そうな顔をするのでしょうが。
ラウレンツがギュンター様に対して雑に接して、彼が嫌そうな顔をするというのは日頃学園で見る光景と変わらないのです。
私達は去っていくギュンター様の背を見送りました。
それから、ラウレンツは私を見て優しく微笑みました。
「少しだけ外を歩こうか」
すっかり雪景色の侯爵邸は、少し前までとは全く異なる雰囲気を持っていました。
ラウレンツが白い息を吐きながら先へ進みます。
「少ししたら中に入りましょう。体冷やさないように」
「俺の事、子供かお爺さんだと思ってる?」
「今の体の強さだと、お爺さんくらいかも」
「まだそこまでではなくない?」
視線の先で彼が笑いました。
同時にふわりと白い息が上がっては空気に吸い込まれていく。
そしてその時、近くの木に積もっていた雪がバサバサと音を立てて落ちました。
「うわっ!」
「ちょっと、驚きすぎ」
「笑わないでよ」
情けない声と共に飛び上がるラウレンツがおかしくて私はプッと吹き出します。
「ユリアーナ」
彼は笑顔で振り返ります。
その素振りも、表情も、声の明るさも、何もかもいつもと変わらない調子で、振り返っただけでした。
けれど。
彼の線が、とても細く見える。
周囲の音が吸い込まれたかのように静かな外。
一面真っ白の広大な景色を背に立つ彼は、あまりに細く、小さく見えました。
そこで気付かされます。
どれだけ彼が普通に振舞おうと、時は着実に進んでいる。
彼の体は病に蝕まれている。
私はほんの一瞬、そんな事すら忘れかけていました。
彼があまりにも隠し事が上手くて、騙されそうになっていたのです。
……苦しくないはずが、ないのに。
(ああ、いけない)
ゆらりと視界が滲みます。
彼の行動の全ては、私の為です。
私が気に病まないようにする為の振る舞いだというのに、私が悲しんでいては彼の気遣いを無駄にしてしまう。
私は必死に涙を堪えました。
それから笑みを浮かべて、彼の傍まで近づき、手を握る。
「冷たいわ」
「君の方が温かいね」
「ひゃっ、つ、冷たい!」
そう言って彼が両手で私の頬を挟みます。
堪らず悲鳴を上げれば、無邪気な笑い声が聞こえました。
「もう。だから冷えると言ったのに」
「じゃあ、温めてくれよ」
「……仕方のない人」
それから私達は抱きしめ合います。
そうすれば確かに幾分か温かくなりました。
けれど、それ以上に……彼の線の細さを分からされる。
(……細すぎるわ、ラウレンツ)
静かな雪景色の中、彼が消えていってしまいそうな気がして、私は彼を強く抱きしめました。
ラウレンツが倒れたのはそれから一週間後の事です。
侯爵邸の庭を散歩していた時の事でした。
突然彼の口から溢れたそれが、真っ白な景色の中で目立っていました。
白い地面を染める赤と、ゆっくりと崩れ落ちるラウレンツの体。
それは鮮明に目に焼き付きました。
後日、意識を失った彼の見舞いへ訪れた時、彼のご両親からお話を伺いました。
彼の容態を診たお医者様はもって一週間だろうと告げたそうです。
ご両親はラウレンツが幼少から私と結婚したいと言い続けていた事を私へ話し、同時に婚姻が無くなってしまう事についての謝罪をしました。
それがまるで、彼が死ぬ事が決まっているかのように感じて、たまらなく苦しくなりました。
ラウレンツは随分と無理をしていたようでした。
倒れてからというもの、彼は何日も目を覚ましませんでしたから。
それから私は毎日、彼の見舞いへ訪れるようになりました。
ある日の事。
「……結局、間に合わなかったか」
ラウレンツの部屋の前、閉じ切っていなかった扉からそんな声が聞こえました。
先客がいるのだろうと悟った私は少し離れて待とうと、扉から距離を取ります。
しかし離れ切るより先、扉が開きました。
部屋から姿を見せたのはギュンター様です。
彼と目が合い、私は頭を下げました。
しかしギュンター様は、私が顔を上げてもずっと黙って私を見つめていました。
何かお話があるのだろうかと待ってみたのですが、結局彼は会釈だけをすると私に背をむけます。
去り際、静かに目を伏せる彼が何かを憂いているように見えました。
ギュンター様を見送ってから私は部屋へ入ります。
中はとても静かでした。
ベッドで横になったまま動かない彼の頬に優しく触れます。
「ラウレンツ」
勿論返事はありません。
けれど、彼の名を呼んだ数え切れない思い出が、彼の笑顔と声と共に思い返されました。
人生の大半を、私は彼と過ごしてきました。
彼といる時間に飽きる事はなく、穏やかで心地よい時間はいつでも私にとっての安らぎとなりました。
共に過ごした時間だけを切り取るのならば、私達は確かに幸せだったでしょう。
けれど……二人で語り合った夢はまだ、叶えられていません。
私達はもっとずっと、共に幸せになれると信じていました。
そんな未来を、望み続けていました。
「……私達、一緒に生きたかっただけなのにね」
婚約を交わした人と一生を添い遂げる。
長い時を同じ屋根の下で生きる。
我が国の貴族という大きな単位で見るのであれば、それは大して難しくはない話のはずでした。
だからこそいつか当然のように訪れるだろうその時を、私達は心待ちにしていた。
「一緒に幸せになりたかっただけだった。これからもずっと」
ぽつぽつと、溢れた涙が頬を伝って落ちていく。
「ラウレンツ」
静かな部屋の中で何度も彼の名前を呼びました。
苦しかったでしょう、痛かったでしょうと、意識を失う前の彼を思い出して言う。
けれど気を遣わせてごめんなさいという言葉だけは言いませんでした。
それを彼が望んでいない事はわかっていましたし、私も彼と同じ立場にある時は同じように振舞ったのですから。
……彼ほど、芝居は上手くありませんでしたが。
「ありがとう、ラウレンツ。……愛してるわ」
涙に顔を濡らしながら、何度も愛を囁きます。
それから私は彼にそっと口づけをするのでした。
***
帰りの馬車で私は涙が枯れる程泣きじゃくりました。
家に着いたのは遅い時間でしたが、私を心配したり咎める様な人は家にいないので、私はそのまま自室へ向かいます。
しかし、その途中の事でした。
「なんでよ!!」
そんな叫び声がある部屋から聞こえました。
義妹のヴァネサの声でした。
「お、落ち着いて頂戴、ヴァネサ」
義母が宥める声も聞こえてきます。
ヴァネサは元々癇癪持ちでしたから、この時もいつものように気が立っているのだろうと私はあまり気に留めていませんでした。
しかし……
「落ち着いていられるわけないわ! だって、よりによってラウレンツ様に呪いが掛かるなんて!!」
ラウレンツの名を聞いた私は、足を止めました。
突然、嫌な汗が滲むのを感じました。
「私、ちゃんと言われた通りにお義姉様に呪いを掛けたのよ! なのにどうしてお義姉様は元気になって、ラウレンツ様が死にかけているの!?」
「そ、それは私にも分からないけれど……。なら明日、占い師様の所に言って相談しましょう? ね?」
聞こえてくるのは恐ろしい会話ばかりです。
そして恐らく、私が耳にしたと気付かれてはならないものばかり。
私は咄嗟に口を押え、物音を立てぬようその場を離れました。
ヴァネサ達がいる部屋から充分に離れた後、私の歩みは徐々に速くなっていきます。
恐怖と怒り、そしてある予感。
それらに苛まれ、その場に留まっていれば気が狂ってしまうような気がしたのです。
私は自室へ駆け込み、扉に鍵を掛けました。
それから混乱している頭を何とか働かせて思考を整理しました。
――呪い。
魔法の中にそう呼ばれる類の物がある事は知っていました。
国で禁止された類の魔法。
主に犯罪に用いられる複雑且つ危険な魔法をそう呼びます。
その殆どは軽い洗脳や動物を使役する方法などですが……稀に、社会の裏でしか出回らないような非常に強力な呪いが存在すると、そう学園の講義で聞いた事がありました。
もし、ヴァネサと義母の話が事実だとするならば……彼女達が私の命を奪う為に呪いを掛けたのだとすれば……たった一つの魔法だけで人の命を奪えるのだとすれば、それは間違いなく、殆どの者が存在すら知らないような恐ろしい呪いと言えるでしょう。
仮にも同じ家に住む者が、私の命を狙っていただなんて事実、信じたくはありません。
けれど……残念ながら、ヴァネサが私の命を狙う動機に心当たりはありました。
彼はラウレンツに恋をしていました。
彼の整った容姿からの一目惚れだったのか、それとも私の大切なものを奪おうとしたのか。
きっかけはそのどちらだと思うのですが、ラウレンツへ積極的にアプローチをするうち、心の底から彼に焦がれるようになったのです。
けれど、ラウレンツは全くと言っていい程、彼女には靡きませんでした。
それがヴァネサは気に入らなかったのでしょう。
偶然聞いた会話のお陰で、且つて私の体を蝕んでいたものが病ではなく呪いだという事はわかりました。
けれど……それならば何故私の呪いが消え、ラウレンツに呪いが掛かっているのか。
初めは疑問に思いました。
しかし、徐々に……脳裏に過った嫌な予感が確証へ変わっていきます。
ラウレンツの体に異変が起きたのは私から呪いが消えた直後の事でした。
そしてこれは元凶であるヴァネサや義母の中で想定外の事だった。
だとするならば、術者以外にこれを意図的に行った誰かがいるはずなのです。
そしてその判断を下す人物は……残念ながら一人しか思いつきません。
「……嘘よ」
ラウレンツの顔が浮かび、私はその場に座り込みました。
どの様な手段を使ったのかはわかりません。
けれど彼はきっと私の呪いを肩代わりする事を選んだのだと、この時になって漸く気付いたのでした。
どうしてもっと早く気付かなかったのか。
自分の愚かさを呪わずにはいられませんでした。
しかしラウレンツを想い、悲しみに暮れる中。
私はある事を思い出します。
――結局、間に合わなかったか。
部屋の中から聞こえたギュンター様の言葉です。
その他にも、二人が何やら話し合っていた姿や、『一週間後』と約束をしていた事……それらが次々と思い浮かびます。
そして何より――彼はラウレンツの知人の中で最も呪いに詳しい人物でした。
ラウレンツは充分優秀ではありますが、それはあくまで学園で学ぶ科目に関する話です。
呪いを解くだけの専門的な知識や技術は、恐らく彼だけでは足りなかった事でしょう。
となれば、この件についてギュンター様が一枚噛んでいる事は明白だったのです。
私は涙を拭い、顔を上げます。
それから、再び自室を出て、私は我が家を離れました。
「ごめんください。夜分遅くに大変申し訳ないのですが、ギュンター様はいらっしゃるでしょうか」
パウルゼン公爵邸に辿り着いた私は正門に立つ騎士に声を掛けました。
騎士たちは勿論怪訝そうな顔をしました。
私が公爵邸へ着いた時は既に真夜中でしたし、来客の話も勿論聞いてはいなかったでしょうから。
「何者だ」
「ユリアーナ・フォン・ローヴァインと申します。ローヴァイン伯爵家の長子でございます」
「……伯爵家の令嬢がこのような時間にうろついている訳がないだろう」
ごもっともな正論でした。
とはいえ事実としてこの場でうろついている訳なのですから、何とか信じていただくしかありません。
「無理に上げてくれとは言いません。ただ、婚約者ラウレンツ・オスヴァルトの事について、お伺いしたい事があると伝えていただけませんか」
ラウレンツの名は騎士たちの中にも通っていたのでしょう。
彼らは僅かに目を見張りました。
そして彼らが僅かな動揺を見せた時……。
「礼儀知らずは婚約者も同じなのか」
そんな皮肉を呟く声が正門の先から聞こえました。
「ぎ、ギュンター様……!」
「いい。彼女はれっきとした伯爵家のご令嬢だ。中に通す」
姿勢を正し、事情を説明しようとする騎士たちへ先回りしてそう告げたギュンター様は正門を開けさせると私を中へと招いたのでした。
私を客室に案内した彼は、使用人にコーヒーを二人分出させてから退室を促しました。
私達はローテーブルを挟むようにソファへ腰を下ろします。
「それで。何の連絡もなしにわざわざこんな時間に訪れたという事は、気付いたのだろう」
ギュンター様ははぐらかしたり誤魔化すつもりはないというように初めから本題を切り出してくださりました。
やはり私の行きついた答えは正しかったのでしょう。
「……ラウレンツは、私に掛けられた呪いを受けたのでしょうか」
「ああ」
「その手助けをしたのは、ギュンター様でしょうか」
「ああ」
淡泊な肯定が返されます。
その言葉の裏で彼が何を考え、何を思っているのかまではわかりません。
「では、私に掛けられていた呪いについて、ギュンター様はその詳細をご存じなのでしょうか」
「そこらの研究者よりは知っているだろうな。ラウレンツの奴に無茶を言われ、暫くの間は二人で情報を集めていた」
ギュンター様はコーヒーを一口飲んでから続けます。
「あいつの呪いを消せというのならば現時点でそれは難しいと言わざるを得ない。出来るものならばとっくにやっている」
「……そう、ですか」
少し考えればわかる事でした。
ギュンター様の答えは想定されたものではありましたが、それでも真相を知る事と、ほんの少しでも可能性があるのならばラウレンツを救う方法を聞きたかったのです。
「因みに、あいつの呪いを貴女に戻すことも出来ない。今は健康だろうが、それをした途端に呪いが消える直前まで逆戻りだ。間違いなく命を落とすだろう」
「……そうですか」
私が聞きたい事など想定内というようにギュンター様は先んじて話してくださりました。
それはきっと、ラウレンツと共に私の呪いを解く為の足がかりを探す過程で生まれた疑問の一つだったのでしょう。
私が思いつくことなど、彼らはとっくに考えていたに決まっています。
「……あいつの名誉のために言っておくが、別にただの自己犠牲を選んだ訳ではない」
「そうだと思います。……だからきっと、時間を練ってギュンター様とお会いする予定を組んでいたのですよね」
最初はラウレンツがただ、私の為に呪いを肩代わりしたのでは……という思いもありました。
私を救いたいという思いが一番にあったのだとは思います。
けれど同時に、呪いを移した事で生まれる猶予を使ってそれを解く方法を懸命に探していたのだと思いました。
残された私が何を思うのか彼が分からないはずもありませんでしたから。
ラウレンツはギュンター様と最後に別れた、『一週間後』も彼と共に研究を進めるつもりだったのでしょう。
「結局、間に合いはしなかったがな」
私は藁にも縋る思いでギュンター様のもとを訪れました。
けれど彼が解呪に間に合わないというのであれば……もう、手詰まりと言わざるを得ません。
「……突然訪れたというのに、親切に対応くださりありがとうございます」
「いいや。……奴の肩を持つような事は言ったが、貴女には怒る資格がある。言いたい事があるのならばここで吐き出していけばいい」
ただでさえ夜分遅い時間です。
早々に立ち去らなければと席を立とうとすれば、ギュンター様はそう私を呼び止めました。
それが少々意外で、私は驚いたのですが……私は微笑んで首を横に振ります。
「全く怒りがない訳ではありません。もしこの場に元気な姿のラウレンツがいたのなら……どうしてと詰め寄りでもしたでしょう。でも、分かっているのです。……私が彼の立場でも、きっと同じ事をしました。ですから、これはお互い様なのです」
こんな事になるくらいなら、呪いなんて引き受けないで欲しかった。
そう思ってしまうのは、私の身勝手さのせいだと理解していました。
私達は愛し合っていた。
だからこそ、たとえ立場が変わろうと抱く想いは全く同じものであったはずです。
「私がより愚かだったのであれば、呪いを戻してくれとお願いをしたかもしれません。でも、それでは意味がないのです」
本当なら私がラウレンツの立場を貰いたい。
けれど今の私の苦しみを彼に押し付けて去るだけの無責任さを私は持てずにいました。
「私が望むのは、ラウレンツと共に生きる未来でした」
何か思う事でもあったのでしょう。
ギュンター様の瞳が僅かに見開かれました。
「それが叶わない今、彼が残す側を選んだのなら……私はそれを受け入れようと思います。こんな想いを抱えたまま生き続けるなんて、死ぬよりも苦しい事だと思うから」
ギュンター様を困らせてはいけないと涙を堪えて笑います。
彼は私をじっと見つめていました。
それから、ゆっくりと瞬きをしてから、目を伏せます。
「……似た者同士、という訳か」
「え?」
「いや。こちらの話だ。……それよりも、ユリアーナ嬢」
ギュンター様が何かを見定めようとするような視線を投げます。
「ラウレンツを生かす可能性があるとしたら、どんな事でもするか?」
「……彼の想いを踏み躙るような事でなければ」
二つ返事はしませんでした。
私はラウレンツにとっての私の命の価値を理解していましたから。
そして恐らく、それこそがギュンター様の欲していた答えだったのでしょう。
彼は満足げに頷きました。
***
ギュンター様は公爵邸の地下室――彼の研究室へと私を招きました。
本や道具が雑多に散らばる部屋の中で、魔法で厳重に管理されていた小箱を机に置き――その蓋を開けました。
そこには図鑑の類で見た事のある――人の心臓に模したものが収まっています。
「こ、これは?」
「人工心臓だ」
「人工……?」
「本来は、貴女に付ける予定だった」
「……はい?」
話についていけなかった私は、随分間抜けな顔をしていた事でしょう。
「貴女に掛けられた呪いは、心臓を軸に作用しているものだ。呪いを消すことはできないが、呪いに侵された心臓を取り除き、健康なものと入れ替えることが出来たなら……と考えていた」
「か、可能なのですか、そのような事」
「理論上は。ただ、貴女が余命宣告をされた頃……これはまだ完成していなかった。だからこそラウレンツは別の方法で貴女から呪いを取り除いたんだ」
それが、呪いを肩代わりする事だったのでしょう。
「では……お二人はその後もこの心臓の研究をされていたのですか?」
「ああ。そして、これは完成していると言っても差し支えないだろう」
「な……っ、では、どうして」
――どうして、ラウレンツに使わないのですか。
その言葉は、ギュンター様の深刻そうな面持ちを見て途切れました。
「…………私が、絡んでいるのですか」
ギュンター様は何も言いません。
けれど、ここで無言を貫いた事こそが肯定と同義でした。
彼は長い事沈黙を保ってから、ゆっくり口を開きます。
「まず第一に、この人工心臓は誰かの心臓の働きと同期させる必要がある」
「同期……」
「魔力の回路を繋ぎ、同期した健康な心臓の動きと全く同じ働きを促す」
「例えば、私の心臓と同期させたとすれば、私の心臓と全く同じ心拍数で人工心臓は活動をするという事ですか?」
「そうだ。そして……貴女の心臓が止まればこれも止まる」
それはつまり、人工心臓を移植した側の命は同期先の命に依存するという事。
同期先は二人分の命の重みを背負って生きる事になるという事でした。
「そして何より、心臓という重要な臓器に手を加える以上、失敗のリスクがある。移植や同期が上手くいかず、貴女もラウレンツもどちらも命を落とす場合だってある」
何故、人工心臓が完成しているのにラウレンツが使おうとしなかったのか。
その理由が分かった様な気がしました。
正確には……迷っていたのでしょう。
人工心臓を使うか否かではありません。
……話を切り出す機会を、だと思います。
私もラウレンツも、共に生きる未来を望んでいます。
だからこそ、どのような形であれ二人が未来を歩める選択こそ最善だと、きっとラウレンツも信じていた。
けれど人工心臓を使うとなれば、彼は私に命を預けなければならない。
私に依存しなければ生きていけない体になってしまいますし、彼の命を背負うことになる私の精神的な負担もきっと気にしていた事でしょう。
そして何より、死亡のリスクがある。
故に彼は慎重になっていたのだと思います。
いつか切り出さなければならない。
きっと私が心から頷いてくれるだろうとわかっているからこそ、自分が生きる為に共に死ぬリスクを背負って欲しい、と簡単には言えなかったのだと思います。
自分のその一言で、私の命までも左右される事態となる事を理解していたから。
「人工心臓が完成してから……一週間。それがあいつの決めた期限だった。俺が手を貸すのはあくまで人工心臓の開発と移植だけ。生憎と、他人の命を握るような天秤を傾ける気はない。だからこそ、どう転んだとしてもその行く末を見守るだけにしようと考えていた」
ギュンター様のお話では、人工心臓の移植が必ず成功する保証はないとの事でしたから、人工心臓を使う事を強く勧める事も出来なかったのでしょう。
無理に勧めた結果、私達が命を落としてしまった際の責任を取ることはできないという考えは尤もでした。
けれど……静観しようと決めていたはずの彼は、私に研究の事を明かしました。
「何故、私に話してくださったのですか」
「気分だ」
「き……っ」
数秒前に責任は取れない、といった意味合いの発言をしたとは思えない言葉に私は目を剥きました。
「貴女が自己犠牲的な発言をするのであればこの話はしなかっただろう。自分の命を蔑ろにするような者に、他者の命が背負えるとは思えない。だが貴女は……あいつと、同じことを言った」
***
「呪いを移す……? 死ぬ気か、お前」
「そうじゃない」
ユリアーナが危篤だと知ったラウレンツはパウルゼン公爵邸を訪れ、ギュンターに呪いを移動させる方法を提案した。
「俺は、ユリアーナを救いたいんじゃない」
言っている意味が分からずギュンターが怪訝そうな顔をしていると、ラウレンツが笑みを深めた。
「ユリアーナと、共に生きたいんだ」
それが幼い頃からの約束で、自分達の夢だから。
本当に愛おしそうに目元を和らげて、彼はそう言った。
***
「腹を括ってからも随分な優柔不断っぷりだったが……そうだな。あれでも貴重な友ではあるから、情が湧いたのもあるのだろう。だが、何より――」
ギュンター様はモノクルの先で静かに目を細めました。
「――貴女達の語る未来を、見てみたいと思ったんだろうな」
そう言って彼は、ほんの僅かに笑みを浮かべるのでした。
***
その後。
ギュンター様はまず、私の義母とヴァネサの悪事を聞くとどこかへ遣いを出しました。
それとは別に、彼が腕利きと評す数名の医者と治癒魔法が使える者へ招集をかけます。
私は万が一のことが起きてもギュンター様やラウレンツのご両親に迷惑が掛からないよう、遺書と、ギュンター様が用意した同意書の署名を終わらせました。
そして朝日と共に私達はオスヴァルト侯爵邸へ赴きます。
ギュンター様からラウレンツのご両親に事情を説明し、心臓移植の許可を得てから、私達はラウレンツが眠る部屋を訪れます。
ギュンター様はチョークを用いて部屋の床前面に大きな魔法陣を描きます。
それから、簡易的なベッドを用意させ、私に横になるよう促しました。
「ラウレンツ」
ベッドへ向かう前。
未だ目覚めない婚約者の頬を私は撫でながら彼の名前を呼びました。
彼の眠る顔を見て、名前を呼ぶだけで、数えきれない程の思い出が蘇りました。
その全てが温かくて、愛おしい。
「私の心臓を貴方にあげる。だから……貴方の命を、私に頂戴」
彼の額に優しくキスを落としてから、私は用意されたベッドに横になりました。
事前に呑んでいた薬のお陰で、私の意識はまどろんでいく。
――次に目が覚めたら、まずは怒らないと。
それから沢山愛していると言って、結婚しようと伝えて……予定を沢山作ろう。
そう心に決めて、未来に期待をしながら。
……私は眠りに落ちていくのだった。
***
ゆっくりと意識が浮上します。
目を覚ませば、自室とは違う天井がありました。
まだ目覚め切らず、ぼんやりとした意識の中、視線を動かしていると……
「……おはよう」
優しい声が耳元で聞こえる。
随分久しぶりに感じるその声を聞いた途端、私は飛び起きました。
「ユリアーナ」
困ったような、バツの悪そうな笑顔でラウレンツが私の名を呼びます。
病み上がりだろうに、彼は何故か私の隣で椅子に座っていますが、顔色は至って健康そのものでした。
「ギュンターから聞いたよ。……すまない、俺が不甲斐ないばっかりに――」
彼の言葉は最後まで聞けませんでした。
私の瞳からは大粒の涙が溢れ出す。
口から零れる声は言葉にならず、私は彼に抱きつきます。
嗚咽を漏らし、しゃくり上げながら私は彼の胸を何度も叩きました。
「……うん。俺が悪かった。ごめん……ごめんよ、ユリアーナ……ありがとう」
私を抱きしめ返す手は小さく震えていました。
昼下がりの一室。
私達は互いを抱きしめ合いながら涙を流すのでした。
***
それから。
義母とヴァネサは禁忌である呪い――それも人の命を奪う恐ろしいもの――に手を出した事と殺人未遂を問われ、捕らえられます。
私達を蝕んだ呪い。それを横流ししていた『占い師』を名乗る者、また彼と横の繋がりが在る者も順に捕らえられ、皆等しく極刑とされたようです。
義母やヴァネサの罪状がはっきりするより先、ラウレンツは私の父に早急に婚姻を結ばせるよう迫り、同意を勝ち取りました。
お陰で私達はあっという間に夫婦となり、私は今、オスヴァルト侯爵邸でお世話になっていますが、ラウレンツも、彼のご両親も私を非常に大切に想ってくれています。
また、ヴァネサ達の罪が確定した後、ヴァネサ達に協力した可能性が否めない事や、管理不行き届きを責められ父は貴族籍を廃されました。
代わりにローヴァイン侯爵家を継いだのは辺境に住む叔父のようです。
「ギュンターの研究は順調らしい」
あれよあれよと言う内にとんとん拍子に進んだ結婚。
そのせいで式が出来ずにいた私達は、ラウレンツのご両親の勧めもあって、遅ればせながらも結婚式をする事になり、その相談をしていました。
そろそろ春を迎えそうな時期。
薄くなった積雪の上を踏みしめ、私達は庭園を散歩しています。
ギュンター様はあの後、お医者様からも魔法の研究者からも引っ張りだこになっていると聞きます。
以前お会いした時には『公爵の執務の量を舐めるな』と、研究や開発の相談にやって来る方々への愚痴を零していらっしゃいましたが、その反面、ご自身でも呪いの研究は積極的に進めているご様子。
私達の体を蝕んだ呪いは未だ明確な解呪方法が定まっていません。
彼はどうやらそれを解明する為に手を尽くしているようでした。
今後、私達のような被害者を出さないように。
「素晴らしい事ではあるけれど、お体は労わって欲しいわね」
「そうだなぁ。彼は研究に没頭すると眠るのを忘れるから。ユリアーナが気に掛けていたと伝えておくよ」
と、のんびりとした口調で話していたラウレンツでしたが、彼はふいに私の頬に手を伸ばします。
そして私の顔を優しく撫でながら――そっと口づけを落としました。
突然の事に驚き、やや遅れて嬉しさと恥ずかしさが込み上げます。
「……あ。照れてる?」
ラウレンツは自分の胸に触れながら聞きました。
……彼の心臓は、私の心臓を共有している。
ですから勿論、私の鼓動が不自然に脈打っている事も全てお見通しなのです。
「と、突然キスをするからでしょう」
「ごめんって。でも、嫌ではなさそうだけど」
すぐに私の心を汲んで来るラウレンツから顔を背ければ、彼はまた謝りながら私を腕の中に閉じ込めました。
そうして暫く自分の頭をぐりぐりと私に押し付けた後。
「……あ、そうだ。式の誓いの話だけどさ」
「うん?」
「少しだけ言葉を変えても良いかなって」
私は瞬きを数度繰り返してから、漸く彼の言葉の意味を理解します。
――死がふたりを分かつまで、健やかなときも、病むときも、共に支え合い、寄り添い続ける事を誓いますか。
結婚式ではよくある誓いの文言。
けれどこれは確かに、私達が愛を誓う言葉としてはあまり相応しくないように思えました。
私のすぐ傍で、私の胸と同じ音が聞こえます。
命を共有し、死別という運命を乗り越えた私達。
死という恐ろしく強力な運命は、私達を引き離すことが出来ず、より強固なつながりを作った。
「なら、誓いの言葉はこうしましょう」
私は歌うように言葉を紡ぎます。
健やかなときも
病むときも
共に支え合い、寄り添い続け――
――死すら分かたない永遠の愛を、誓いますか?
誓います、と随分気の早い返事が返って来て、私は思わず声を上げて笑ってしまうのでした。
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