冬を背負う旅人の、いつかの春 ー ヘルクィオスの叙事詩
知っていますか。
『アルタ・カーシャ! 行ってしまれるのか!』
『あなたは我らをよく導いた。若い衆もあなたを迷惑などと思っておらぬ!』
雪が生命を拒む地。世界でも北部に位置する彼らの聖地「ルルカルム」は、厳しい冬の国であった。
彼らは坑道を堀り地底都市を拓く者。人知らぬ火山を拠り所とし、独自文明のみを知る彼らは永く同じ体制を変えずに生きていた。
言ってしまえば、彼らは「未開部族」なのだ。彼らの世界はこの地だけだった。
金属と密度が大きい綿毛を体に纏い、坑道の中で子供の様な人々が一人の子を引き留める。
これが彼らの伝統的な衣装だった。
『良いのだ、良いのだ。それに、ヴァナーガルドの御許へ行けるのならばそれで本望よ』
だが、子供ではなくれっきとした大人である。彼らは5歳から姿が変わらないのだ。
そして、彼は「ヘルクィオス」。長老であり、30年余の歳月を彼らの為に捧げた者だった。
彼らの寿命は50から60であり、彼は長く生きた方だった。
『あなたは我らを見守ってくれぬのか。眠りについてしまうのか』
そして、彼は地底都市を出て、その人生を終えようとしていたのだ。
『違うわい。私は御許で体を失うだけのことよ』
彼らは特殊な作物を伝統的に栽培してはいるが、作物の特性的に慢性的な食糧不足なのだった。
故に、食糧不足を予想するたびに老人は自ら出ていくのだ。
ヘルクィオスも例外ではなく、雪降る山々に繰り出そうとしていた。
それは、今までにない飢饉の周期が近づいているからでもあった。
『......そうか』
彼に伴侶はいない。彼は彼らを守る火山「ヴァナーガルド」の夫であるからだ。
血が繋がる子もいないのだから、もう良いだろう。そう彼は思っていた。
彼の子らは一通り悲しんで、涙を呑んでヘルクィオスに餞別を渡して背中を見送った。
光が彼を照らす。
地上の景色が、彼を迎えた。
『寒い』
極寒の地であり、標高も高い山々で寒いで済んでいるのは、綿毛をふんだんに使った彼の衣服のおかげだった。
全く、貴重なものを死にゆく者に使いおって。そう鼻を鳴らし、歩いていく。
音がない世界。さ、さ、とヘルクィオスが雪を踏む音も、空気に溶けていく。
不動。それが「ルルカルム」の日常だった。
愛用している薙刀の様な槍を持ち、ヴァナーガルドの方まで駆けていく。
嵐のように、ヘルクィオスが速度を上げるたびに、
雪と温度が彼に灼き付いていくのだ。
加速し、雪をも振り切って行く。
──山が、
氷にその怒りを収め、熱気を噴き出している。
──木が、
苦しいのだというように、風に靡いて雪を振り落とす。
──動物が、
羊やそれを狙う狐の様な動物が、斜面を歩いていた。
──何もかもが引き離されていく。
[超加速]。彼が使える数少ない力。
世間一般的には「魔法」と言われるものだった。
『はぁ、はぁ』
彼は、走っていた。疑念を振り払うように走っていた。
彼も勿論生きたかったのだ。
彼も、彼の仲間たちを見守っていたかったのだ。
死にたくはなかった、
『でも、こんな老人が一人いても何も、変わらんのだ』
力があっても。
知恵があっても。
彼が生きていることで、子供たちが泣くことは許せなかった。
『子らを飢えさせてはならないのだ』
彼は動揺していた。
自分だけでも助かりたい、と思ったことが。
彼にとって、それを考えてしまったことが。
どうしても耐えられなかったことだったのだ。
『あ』
注意が散漫だったからなのか、彼は足を踏み外す。
クレバスの隙間に落ち、後頭部に強い衝撃が走った。
温いものが体から流れていく。
冷たい、死の気配に包まれながら意識を失った。
ーー
ヴァナーガルド、我が伴侶よ、
我が母よ。
私は上手くやれたのだろうか。
私は友のために死ねたのだろうか?
摩耗せず、死ねたのだろうか?
ーー
何か持ち上げられたような感覚に、ヘルクィオスは薄っすら目を開ける。
眠っているような状態で、生死の境を彷徨っていた。
「止血後に造血剤を使うぞ。凍った血を取り除け」
「体温が低すぎる、呼吸は辛うじて復活したが...」
何人かの軍人がヘルクィオスの体を囲み、上着を着せたり干し肉の様なものを口に嚙ませたりしていた。
ヘルクィオスは朦朧とした意識で、彼らの姿をとらえる。
「軍事法違反だが......子供一人救えない者がノースネイアの民を守れるわけがないだろうな」
「俺たちも連帯責任ですよ、隊長。とりあえず、この子を助けましょう」
彼は考える。自分はヴァナーガルドの暖草原──ヘルクィオスらの死生観における天国のようなもの。宗教のように体系化されているわけではなく、単純に名詞として使われている──に来たのだろうか。やっと死ねたのだろうか、と。
そう思うのも無理はない。彼にとって、自分に少し似た大きな存在は見たことがなく、思い当たるとしたら口伝にしかなかったからだ。
『古く大きいもの......我らが地にて死に......我らの同胞であるもの......』
ヘルクィオスの何世代か前に、こんな存在が彼らの同胞となったことがあると。
そういう口伝だった。
「喋った! おい、意識はあるか?」
『古きものは......道の奥で唸る羊の様な声を持つと......その通りだな』
大きな声はヘルクィオスにとって不慣れであり、その為に意識がまたはっきりとし始める。
ヘルクィオスらは休眠状態になりやすいこともあり、それによって生き延びていたことを彼は知った。
『そうか、生きたか』
軍人たちに担がれ、移動するのだろう様子を見て、微かに息をしていた。
「大丈夫だよ、ここに子供に悪いことをする人はいないから」
『何を言っているのかわからんな』
人間や獣人に囲まれ、ヘルクィオスは戦々恐々としていた。
言葉も通じない上、自分よりずっと大きく強い存在が周りにたくさんいるのだ。下手に頭が回るので、余計に自分の状況が気になっているのもある。
普通、閉鎖された人々というものは唯一知っている常識を相手に当てはめることが多い。だが、ヘルクィオスは違う。彼は視野が広く、斬新なアイデアへの適応力が高いことからカーシャと呼ばれていたのだ。
常識が通じない中で、常識を見出そうとする愚行はしなかった。賢明である。
『一つわかることは、私が愛玩動物か何かと同じ扱いを受けていることだな』
彼は人間や他の獣人を見たことはないが、流石に子供はいるだろうと推測していた。
故に、ここまで大きく成長する子供は自分よりずっと大きいだろうと思っている。なので、自分は子供扱いをされているのだとは思わず、頭を撫でられているのを愛玩動物に対しての態度だと思っている。
「年齢の割には落ち着いているわね。うちの子供もこれくらい聞き分けがいいと助かるんだけど」
「何の獣人だろうな。猫の獣人みたいだが、それにしてもあの得物だ。この体躯で物理的に戦おうと考える獣人がいるとは思えない」
自分の薙刀を指さされ、ヘルクィオスは警戒を強める。没収はされなかったが、愛玩動物的扱いをされていると思っている今だと警戒をして損はないと考えていた。
「それだよなぁ。俊敏で強い奴らもいるっちゃいるが、そういうのは冒険者だろうさ。雪山で遭難するような奴が冒険者かと言われると変だと思うぜ」
「......それに、痩せてるからね」
ヘルクィオスはルルカルムの仲間たちの中でも平均的な体躯である。が、それは彼ら内での話。普通の人間や獣人からすると「痩せこけている」の判定なのである。
痩せこけている、でどうして生きていられるんだというレベルだと思うだろう。だが、これは彼ら内での常識である。彼らは低栄養でも生きられるのだ。
それに、彼は今のところとっても元気である。これにもちゃんと理由があったりするが。
『憐みの視線な気がするが』
そんな人間や獣人の世間話は終わりを迎える。
妖精用の扉が開いて、涼やかな音と共に軍服姿の妖精が入ってきたからだ。
ヘルクィオスは怪訝な顔をする。今の状況でもあまりにも不可解なのに、妖精の女が入ってきた瞬間に空気が張り詰め、人間と獣人らが緊張した面持ちをし始めたからだ。それに、全員が同じ体勢に変化した理由がヘルクィオスには推し量れなかったのもある。
後、単純に自分より小さいのが来て面食らっていたというのもある。
「ご苦労。休め」
「「「はっ」」」
手を軽く──人間基準である。妖精からしたら結構動かしている──動かし、体勢を解かせる。整然と整列した彼らの顔を見て、妖精は一人の獣人に問いかけた。
「本題から入る。この度の無許可である備品の供与について申し開きはあるか」
「ありません。責任は私が」
獣人が謝罪礼をして、妖精が冷たい視線でそれを見る。
ヘルクィオスにはよくわからなかったが、獣人が何らかの過ちを詫びているのだとは分かった。
それの原因が自分と結びつかなかったことは責められないだろう。ノースネイア連合王国軍の規律などヘルクィオスには与り知らぬところであるのだから。
「あいわかった。私からも働きかけをしておくから、期待しないで待っておけ」
「......はっ」
少しあっけに取られたような顔をした獣人。すぐに真面目な顔に戻ったは良いが、妖精は少し不満そうな顔をして獣人の顔を見つめた。
ヘルクィオスには一部始終がわからないので、眉を少し顰めただけである。水を差さないことが一番の選択肢であることがよくわかっていた。
特に、自分とは全く違う規則で動いている相手に対しては。
「これは独り言だが」
傷ついたような顔をして、妖精はヘルクィオスの元に行き、目を見つめた。
「私はそこまで冷酷に見えるか?」
妖精は、ヘルクィオスの頭をさらりと撫でた。
ーー
「ん」
「ぬ」
ヘルクィオスは妖精の軍人、「セラ」の家で世話をされていた。言葉を教えられ、マナーや貴族的常識も教え込まれている。
元は伯爵令嬢だったらしいセラは、ヘルクィオスに何故か才能を見出しこういうものも教え始めていた。むずっとした顔とは対照的に教えるのが上手なのもあり、ヘルクィオスは持ち前の頭でよく吸収していた。
だが、一つだけ致命的に出来ないことがあったのだ。
「やはりんの発音ができないのだな」
「むりですな」
セラの趣味なのかはわからないが、やけに古風な言い回しを教えられたヘルクィオスは鷹揚に頷いた。やけに風格がついたヘルクィオスは、お気に入りらしいフリルコートを着て苦笑する。
「そもそもなかったものをつかえるようになるには、じかんがかかるでしょうな」
「うーむ。私の実地経験が少ないとはいえ、半年でマナーやら何やらも覚えたのは驚くべきことだが......んの発音が出来ないのはな......」
二人で頭を悩ませる。
何だかんだで、似た性格だったので二人は仲が良いのである。
セラの部下、つまりヘルクィオスを助けた軍人たちもヘルクィオスを気にかけていて、良く遊びに来ては話をしたりする。だが、やはりヘルクィオスのんの発音だけは治らず、軍人たちも困っていたのだ。
「声帯から違うんじゃないっすか? だって、アタシだってウン十年も姿が変わらない獣人なんて知らないっすよ」
そう、軍医であるセラの友は言った。彼女にも友達はいるのだ。ちゃんといる。
「まぁ、治るまで待てばいい。ヘリオスには時間があるからな」
「ヘルクィオスなのですが......」
そしてここにも問題があった。彼の名前もまた彼女らには正しく発音できないのだ。泣く子も黙る優しい軍人たちもこれには頭を抱えていた。
「遅く言ってもらってもヘリオスとしか聞えん。途中で詰まったような音があるのはなんとなく理解できたが、それの発音方法がわからんのだ」
文化も何もかも違う場所の者が混じれば、勿論問題が生じるだろう。
だが、それも含めて二人は仲が良かったのが不幸中の幸いだった。
普通の人間の半分の身長しか無いヘルクィオス──ヘリオスと、人間の手のひらほどしかないセラ。
小さい同士ではあるが、二人とも器が大きいのだった。
ーー
「ヘリオス、誕生日おめでとう。自分の誕生日を知らない? 今日はお前が助けられた日だぞ」
「いつか青錫の鐘を用意しましょう。貴方の帰りをすぐに知れますから。
これでは私が新妻のようですな──おや、顔を私の尻尾に埋めてどうしたので?」
「ヘリオス、出仕するのか。......少し寂しくなるな。とは言っても、私も軍の仕事があるから変わらないか」
「酷い怪我ではないですか。すぐに治る? 妖精の体なのですから無理はしないで寝てください」
「恋愛の一づも経験しておげばよがっだ......わだじだってまだかれたわげじゃないのにぃ......」
「服はこれでいいのですよ。というより、他に気に入ったものがありませんでしたからね」
「ヘリオスの尻尾は、なんというかもちもちしてるよな」
「今帰りましたよ......ワインを飲みましたね? 風邪をひきますよセラ」
「おまえはいじわるだ、ヘリオス。私をもてあそぶ猫耳の悪魔だ」
「もしそうだとしても、貴方だけに魅入ってしまうでしょうね」
ーー
『く、老いた彼らが御許に還ったというのに......これでも飢えてしまうのか』
『これでは彼らに顔向けできん、どうにかして子供たちだけは食わせてやらねば』
作物、とはいっても。それは実際は菌類の類だった。
非常に生体が複雑で、しかし生命力が強い。故に彼らの食糧にも成り得たのだ。
だが、大所帯を支えられるほど多くは殖えないものだった。
『俺たちは休眠しよう。そうしたら一周期は持つはずだ』
そう大人たちが歯噛みしている時に、轟音が鳴る。
声だった。同胞の歓声である。
『何が......おい、おい』
『この鐘は祭壇に置いてあったはずだろう?』
微かな鐘の音が彼らが道としている坑道の奥から聞こえてくる。
これは狩りから帰ったもののための、鐘だった。
『ヘルクィオス至老のものだ』
『ヴァナーガルドが帰したのだ』
もう既にヴァナーガルドの御許に還ったはずの同胞の鐘。
彼らは歓声に沸き立っていた。アルタ・カーシャの知恵こそが、彼らを救ってくれると。
『聞け、同胞よ』
急いで外との接続口に大人たちが移動すれば、そこには変わったヘルクィオスの姿があった。
『私はこれより、ヘルクィオス・ルルカルム子爵となった』
不敵な笑みを浮かべ、傍に浮かんだ妖精が麻袋を取り出す。
それをヘルクィオスが受け取り、中身を手に開けた。
植物の種と、紋章があしらわれたブローチである。
『これはノースネウィアの傘下にあることを許された証である』
傘下。その言葉に、彼らは狼狽える。まさか、ヴァナーガルドに守られたルルカルムが違う何かの下につくとは思わなかったのだ。
『だが、ノースネウィアは我らによる自治を許した。同胞よ、聞け』
力強い声で、ヘルクィオスは言った。
『私が導こう。ルルカルム・カーシャの名の下に』
ーー
「こんなこともありましたな。今ではんも言えますが、故郷の者には怪訝な顔をされるものです」
「ヘリオス殿がまさか私より年上だとは思いませんでしたよ。しかも鬼上官殿と同年代なんて」
「時間が経つにつれて年長者の風格が出る......というか、戻っているような感じでしたよ」
軍人たちはヘリオスの顔を上から見て、思い出を吟味するように溜息をつく。
そうして白いワインを飲み干して、一人の軍人は赤い目元を擦った。
「それにしても、ヘリオス殿はそのフリルコートなのですね」
「そうですな。貴方方が言う鬼上官──セラがくれたものですから」
そういって杖を軍人たちに預け、ヘリオス・"S"・ルルカルムは帽子を胸にあてる。
「名前も、鬼上官殿のものですか。彼らは少々不満そうですがね」
「新興子爵を自身の傘下に置きたいだけでしょうよ。私は唯のセラにお世話になったというのに」
使い古したブーツは底が擦れ、明らかに使いづらそうだ。
身長が低いのもあり、慎重に歩みを進める。
フリルコートも少し裾が焼けていたり、糸がほつれたりしていた。
帽子だけが真新しく、"白"地に"黒"いリボンがついている。
『私の恋しき同胞よ』
小さな、小さな棺桶に。
"白"い髪、"黒"い瞳の妖精──
『安らかにお眠りなさい』
──旅の始点が逝去っていた。
ーー
冬よ、我が母よ
私は冬に生きる者だ
私は春に背を向ける者だ
だから、
だから。
冬を忘れないことを約束するから、
一度だけセラの為に泣かせてくれ。
私の背中に触れるあの人を、思わせてくれ。
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